『韓流ですが…』

 流行はわかるが、なんでもかんでも韓流ってのはどうだろ。特に男性ユニットだが、複数人いる中で必ずひとりふたりは、「どした?」ってのがいることを見逃してはならない。並べると個性があっていいように思えるけど、引き立て役というよりは偏差値を落としているに過ぎない気がする。
 長身細身でダンスが上手くて色白薄くちで一重まぶたで茶髪だったらなんでもありったのはもうよしましょ。こ慣れちゃった日本人に辟易してたとこにヨン様が登場して、しばらくはそっち方面が紳士に思えても仕方ないけど、そろそろやっぱ日本人がいいやって思わないことには我が国のエンタメ&ポップスはダメになる。日本進出が韓国の国家戦略だとすれば、ちゃんと吟味してあげることが礼儀である。なんでもかんでもでは最終的にK-POPアーティストを苦しめることになると思うけど。
 ジャニーズとかやっぱいいよ。関ジャニとか、じわっときて好きだな。



『のりさん50歳のお誕生日』

 昨日、ザ•木梨憲武ショー『NORITAKE GUIDE 5.0』初日を観てきた。今回の演目については、企画段階からのりさんにお話を伺っていたにも関わらず、本当に笑わせてもらった。
 ネタとか芸というジャンルを越えた、アーティストなんですね、あの人。関節の動きひとつとってもすべてがアートに繋がる。真っ白いキャンバスに自由に色をさして、好き放題やってるように思わせといて、確実に万人の琴線を揺さぶっていく。入り口も出口も笑いだけど、妙なセンチメンタリズムが入り交じって、口角上がったままため息でちゃうのである。
 年齢もほぼ同じ。演目の中にある宝さがしは、まるで俺の引き出しの中をかき混ぜているよう。
 ネタよりも、芸よりも、本能に近い感覚がつくり出すアーティスティックな笑いは、一過性の満足ではなく、海馬に摺り込まれていく。そこにはずっと40年間憧れ続けた東京を見たような気がした。
 スタイリッシュでリアリティに富んでて、シャープで軽くてセンチメンタルで部活動で、そして東京。

 のりさん、50歳の誕生日おめでとうございます。



『今日から3日間、日本橋』

 今日から3日間、日本橋三井ホールで木梨憲武さんの生誕50年記念ライヴが行われます。せっかくなので3日皆勤で拝見させていただこうと思っています。
 日本橋というのところは、10年位ずっと通い続けていた銀座から近いものの、百貨店に用事がある訳でもなくなかなか立ち寄ることのない街だったけど、せっかくなのでこの3日間で散策してみようと思う。
 とはいえシャレたホテルで食事なんていう嗜好はなく、代々暖簾を受け継ぐ丼モノの名店だとか和菓子とか、ちい散歩的に触れてみたいのである。
 早速、本日は17時よりなんてことのないサテンである人と打ち合わせのアポを入れました。煮え切った
真っ黒のコーヒーにバームクーヘンなんていうのを勝手に想像しております。 
 そのあと、木梨先輩の勇姿を拝見させていただき、きっとどっかへ流れるんだろうな…
 んで鼻グズグズになるんだろうな…



『やっぱ花粉症…』

 昨日「脱花粉症」なるタイトルで軽快に書きましたが、昨晩やってきました。深夜0時近く、三茶のスポーツBARで白ワイン飲んでる最中に。本当に迷惑なサンタクロースです。
 杉花粉がなにか世のためになることってあるのだろうか? 愚問か…杉の木はそれなりに役割があるんだもんな。
 毎年の事ながら、花粉症がはじまるとクシャミが怖くてクルマに乗れなくなってしまう。ちなみに今までの連発記録は16。時間にして35秒。この間、ほとんど目は閉じられる。さすがに運転中の記録ではないが、とはいえ運転中の10連発はZARAである。おっ、なんだかアパレルっぽいぞ、と下らないことを言いつつ、かなり憂鬱になってきたので今日はこれにておしまい。



『脱•花粉症』

 おかしい、変だ、ほんとうに花粉症がこない。こんな春は20年ぶりだ。4月中旬の陽気というのに、鼻も目も初夏のような清々しさだ。
 今まであまりの辛さから酒に逃げ、血行が良くなりすぎて余計に悲惨なことになって、そんなことを繰り返していたが、今年の春酒は臆病心など微塵もなく飲める、ってゆーか飲んでる、とゆーより飲み過ぎてる。
 3年間治療し続けている減感作療法。左の肘には60回以上注射針を射しただろうか。どす黒い皮膚は、はた目には完全なシャブ中だが、俺には勲章だ。2週間に1回、せっせせっせと通いつめて脱杉花粉。石の上、いや、意思の上に3年。ようやく体質改善に成功したのである。
 とはいえ、気を引き締めて飲む。そこじゃない。気を引き締めた生活を心がける。まだまだ油断ならない2、3、4、5月。1年なんて8ヶ月だけでいいと思った俺に、希望の4ヶ月がやって来た。
 小躍りするように嬉しい。春の訪れはこうでなくちゃならない。ありがとう60本の注射針。



『100円ショップに思う』

 東京でマラソンがあると、まちがっても都心にクルマでは出掛けられないので、世田谷界隈でうろうろしていたら、同じような考えの人たちがいたらしく、城西地区はクルマでごった返して大変だった。
 コロコロとかクイックルのスペアを買おうと100円ショップに入ったら、見るからにダメそうな物ばかりだったので、1円も使うことなく100円ショップを後にした。
 100円ショップだからと言ってなんでも買えーっというわけではなない。むしろ100円ショップはどれだけ賢い買い物ができるかが試される場所である。
 ゴマンとある100円ショップだが、品揃え、アイディア商品など、他店と比較されるため、単に安いからというだけでは生き残れない厳しい世界である。私の友人に100円ショップの商品企画および製造を一手に引き受けている者がいる。そいつが一昨年、「ちょっとアイディア貸してくれないか」というので、飲み代だけで引き受けた事があるが、聞けば聞くほど生々しい仁義なき世界だった。他店のアイディアをパクり、それにちょびっとだけ色を足して堂々とオリジナルを謳うのだそうだ。まぁ我々の世界にも若干そのような傾向があるけれど、我々の場合は「パクリ」とは解釈せず、「教材」あるいは「ヒント」と解釈する。クリエイティヴの企画とは、そのような勝手な解釈によるものが多く、それに心傷める人は、速やかにこの世界を去って行く。ずっといる人は、教材やヒントが大好きな私のような人ばかりだ。
 要は、いかに図々しいか、いかに鈍感か、ということがこの世界の長生きのコツである。とはいえ、そういう人たちのパクりのセンサーは恐ろしく鋭くパクってからのスピードがさらに速い。
 なんてことを書いていたら、自分のやっている仕事へのポリシーがボケてきそうなのでこのへんでやめておきます。

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 100円ショップに停まってたイカすベンツ。



『GAKU-MC』

 かつてミリオンを連発し紅白にも出場したGAKU-MC。「DA.YO.NE」や「MAICCA」は永久にだ記憶される名曲である。
 彼はやがて筋書きのない人生を歩み、思いも寄らぬ労苦を背負い込む。メジャーの王道からよりみちを余儀なくされ、時に道ばたにしゃがみ込んでは雑草や名もなき花の心を知る。もともと人の視線の行き届かないところに深い感動を覚えるような奴だったが、彼は偉大なる寄り道を終えて、今、もっとも自分らしく生きられる場所に帰って来た。
 昨日の「the Dish」は素晴らしかった。ヒップホップはどう聴けばいちばんご機嫌かを、オーディエンス目線で考えた珠玉のライヴ。歓喜のライヴからオーディエンス全員打ち上げ参加という希有な空間へと移行し、その場をともにした誰もの心に深く刻まれる永遠の時間となった。
 彼の呼びかけにより数多くのミュージシャンが参加していた。やんちゃな弟的な存在だっ彼を、誰もが「アニキ」と慕っている。満たされたアニキの顔を遠くで眺めているだけで込み上げるものがあった。
 息が止まるほどに抱きしめてやろうと思ったが、彼に挨拶することもなくずばらしい余韻を土産に会場を後にした。帰り道、友の成長を、ひとりテキーラソーダそっと乾杯した。
 
 



『はるよこい』

 朝晩なんて、そりゃもう寒くて、少し前まではベランダでお湯割り飲んでたけど、とてもとてもそれどころじゃなくて。でも昼間はすこしだけ温かくなって、確実に春は近いと予感させてくれる。
 大人はいつまでも着膨れているけど、子どもは春目線で遊具と戯れている。子どもって、きっと大人よりも何週間も春や夏を先取りするのだろう。そして僕ら大人は春の訪れさへ気づかずに、いつまでも肩をすくめてばかりいるのだろう。
 なんかもったいない気がして来た。こういう時にはキャッチボールとかドッヂボールとか、ボール系の遊びで春を呼び込むしかない。


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 去年の3月頃の写真だったかな。



『31年ぶりの部活動』

 日曜日、高校時代の陸上部の顧問の先生の退官パーティがあったので岐阜に帰った。高校を卒業してから初めてのOB会でもあったので、なんかそわそわして仕方なかった。そわそわには理由がある。僕は先生が母校を指導された10年間で、もっとも折り合いが悪い生徒だったからだ。
 先生がバリバリの現役選手として母校に赴任してきた時、僕は生意気盛りの高校3年生で、やれ服装だの髪型だの生活態度だのと注意され、何かとぶつかっては反抗してグラウンドへ行かなかった。俺がいなけりゃ始まらないだろうとタカをくくっていると、先生は、お前がいなくてもまったくかまわないというオーラで跳ね返す。舌戦のあとにはこのような無言の攻防戦が繰り広げられ、僕は先生と打ち解けることなく高校を卒業した。
 あれから31年。先生は弱小陸上部を鍛え上げ、県下で胸を張れる部に育て上げた。その功績が認められたかどうかは知らないが、先生は県内一の強豪校で指導者となり世界的な選手をも輩出し、現在は某高等学校で校長に就かれている。
 
 先生が赴任した当時の3年生だったということもあり乾杯の音頭を任された。話すことなど何も用意していなかったが、長くなると思い起立していた90人の後輩たちを座らせた。
 僕の話はグラスに注がれたビールの泡がほぼなくなるまで続いた。
 内容は、陸上競技を通じて自分が後悔したこと。それだけ。

 後悔の中味は恥ずかしくて書けないが、31年経ってようやく先生に話すことができた。しかも90人の後輩の前で。こういうことを公開懺悔とでもいうのだろうか。乾杯の発生のあとに、先生と初めて抱き合った。互いに歳をとって涙腺が緩んだのだろう、やがてどちらもグダグダの涙そうそうとなり、31年ぶりの部活動は青春のど真ん中を全力疾走で駆け抜けて行った。


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 先生、1000ccのバイクで、どこまでも突っ走ってください。



『夜と朝の間に』

 夏の暑いのも冬の寒いのも嫌いだが、いちばん嫌なのは夜が早くやってきて朝が来るのが遅いことだ。
 昔から暗いところが苦手で、幼い頃は寝る時に部屋を暗くすると、誰かに乗りかられるような気になって、怖くて両親の部屋に救いを求め、川の字になって寝ていたものである。今でもどっかに灯りがないと落ちついて眠れない。もちろん煌煌とではなく、窓から差す薄明かりとか、それぐらいのものでいいのだけど。
 寝る場所はずっと昔から陽ざしが差し込むところって決めていて、年柄年中レースだけ閉めてカーテンは閉めないようにしている。目覚まし時計より陽覚まし時計のほうが寝起きが良くて爽快なのだ。
 ただ冬となるとそうはいかず、ただでさへ朝が遅いのに雨ともなると8時すぎても朝感がまるでない。雪の日は違ったファンタジーがあるからいものの、冬の雨の朝はマジで落ち込む。
 そんな習性があるため、ホテルに泊まってもカーテンなど絶対に引かない。どんだけ出そうなホテルでも、カーテン引いた方が余計にお化け感が増すからである。
 そして時にホテルは、寝ぼけ眼に素晴らしい画を届けてくれる。先日行ったベラッジオもそうだが、夜に映る絢爛豪華な夜景も素晴らしいが、夜と朝がバトンパスするような時間帯の景色にしばし見蕩れてしまった。ややお疲れのネオンサインの向こうには荒野が拡がり、空にはなんともいえないグラデーションが広がる。ここで一曲ラブソングでもと、YAZAWAの「I LOVE YOU,OK」とヒロミゴーの「哀愁のカサブランカ」を唸る。まだ酒の抜けてないべガスの朝焼け、誰も知らない自分だけに世界に浸る僕がいたとさ。

 あー、早く春になれ。朝よ、陽ざしよ、もっと早くやってこい。

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