『バイバイ夏!』

 夏休み最終日。いやだったな。宿題、早起き、勉強、先生、どれも鬱陶しかった。40日間の怠惰な時間がより嫌気に磨きをかけた。40日ってこんなに早く過ぎるものなのかと思ったのもんだ。
 今年の俺の夏ってなんだっけな?郡上八幡で川に光を灯したなぁ。名古屋と大阪と浜松と、あと一瞬だけ実家帰ったな。田舎でともだちの長女の誕生会に出席したなぁ。三茶によく飲みに行ったなぁ。なぜか知らないがふる里にまつわる人やエピソードでぶわっとなってびっくりしたなぁ。海には3回行ったなぁ。でも一度も泳がなかったなぁ。花粉症対策体質改善のために花粉のエキス注射を始めたなぁ。これって本当に効くのかなぁ。これまでに5回打ったけど来年の春は快適に過ごせるんだろうか?
 ものもらいはまだ治ってないなぁ。かれこれ5ヶ月になるけど、瞼の切開手術したのになんで治らないんだろうか。ちょっと嫌だなぁ。いまさら文句言うのもおかしいかなぁ。
 けっこうよく歩いたなぁ。1回につき大体70分、15日ぐらい歩いたかなぁ。水泳は6回行ったなぁ。
 今んところ、寝る時に一回もエアコンつけてないなぁ。扇風機だけで踏ん張ってるなぁ。汗だくだくだなぁ。残暑も厳しそうだけど、もう少し頑張ってみよう。
 秋か。まだまだ実感のない名ばかりの秋なんだろうなぁ。でもどこかにやっぱり秋がまぎれていて、日に日に秋のまぎれ方が大胆になって、ザッツ秋になるんだろうなぁ。そしたら今度は冬がちらりと紛れ込んで。早いわ一年。
 明日から秋ということで、だからさよなら夏。バイバイ。また来年!



『びっくりとありがとうの日』

 昨日、井上真央ちゃんと遠足みたいなロケをした。ハワイ以来だったのでいろんな話をした。約3ヶ月ぶりに会ったけど、また大人になってた気がした。
 こういう気持ちをどう表現すればいいのだろう。そりゃぁ嬉しい。仲の良い女優さんが仕事をするたびに成長していくのだから、親心みたいなものはあるが、やっぱり淋しくもある。心のどっかで“そんなに急いで大人にならないで”と願っているところもある。ただこういうちょっとした切なさが人と人の間には大切なのだと思った。友人でも恩師でも、恋人はもちろん親兄弟でも、いつも嬉しさとせつなさを持ちあわせた感情が沸き立ってこそ、人を大切に思えるのではないかと思うのだ。
 
 びっくりしたことがあった。真央ちゃんが開口一番「クリさん、あのね、今度の映画の原作者の先生がクリさんと同じ関の出身の方なんですよ。その先生がクリさんのお母さんに小学生の頃からずっと髪を切ってもらっていたらしく、それがすっごく丁寧で嬉しかったんだって」。
 真央ちゃんの口からお袋の名前が出たのは劇的だった。なんか不思議な気がした。直後にお袋に電話したら誇らし気に原作者の先生の小学校時代から高校時代までの美容室での話をしてくれた。ちょっと長くなりそうだったので話の第3コーナーあたりで電話を切らせてもらったが、受話器の向こうの声はどこか誇らし気で、そんな声を聞く俺も嬉しかった。
 その先生とは『ダーリンは外国人』という大ヒット漫画の作者・小栗左多里さん。小学校中学校の後輩で、彼女の兄貴とはそりゃーよく遊んだ。彼女の兄貴は昔から細くてちっちゃかったが、20年位前に会ったとき、ボディビルの岐阜県チャンピオンになっていて腰を抜かしたことがある。そんな小栗の妹さんが左多里ちゃんである。
 彼女とは少し歳が離れているのでゆっくり話したことはないが、これもご縁なので、この機会にお会いして思いきり方言で喋ろうと思っている。
 
 もうひとつうれしいことがあった。
 真央ちゃんが1ヶ月遅れの誕生日とかなんとか可愛いこと言ってくれながら、俺が世界で一番好きな酒・麦焼酎『兼八』の、しかも原酒バージョンをプレゼントしてくれたのだ。中々手に入らない一品である。「あまり飲み過ぎないようにね」と言いながらアルコール度の高い原酒を贈ってくれるところが彼女のニクイところであるが、手紙を添えて手渡してくれたときにはちょっと涙腺の鍵が外れた。
 本当に感謝感激の夏の終わり。“明日から2学期か”と溜め息つきながらも、この夏に経験した大切なものを抱えながら、この秋も頑張るぞ!と意気込む中学生のような気分になれた一日だった。
 真央ちゃん、ありがと。クリさん、頑張るわ。




ありがとう、井上さん。




『甲子園』

 久しぶりに甲子園大会に熱中した。地元の県岐商がベスト4まで勝ち進んだからだ。母校ではないが郷土愛はある。「岐阜」と名がつけばなんでも応援してしまう気持ちは東京の人にはわからんだろう。
 県岐商は準決勝で負けた。できれば決勝で中京と戦って欲しかった。岐阜県民にとって名古屋はどうにも勝てない存在だからだ。たとえ岐阜勢が全国制覇を遂げたとしても名古屋を越えたかと言えばそうではない。だから決勝で名古屋のチームと、できれば岐阜の雄・県岐商が名古屋の雄・中京を破って日本一、これが岐阜県民の願いである。
 それは今回も叶わぬ夢となった。中京は強い。素晴らしいチームだった。
 準優勝の日本文理も素晴らしかった。9回の攻撃、最終打者が痛烈なサードライナーを打ったとき、このチームの本当の底力を感じた。強い印象を残して甲子園を去る。これが伝統を創るのだ。

 ともだちのニシは甲子園での全6試合と愛知県予選すべての試合を観戦した。中京高校OBにして当時の応援団長だった彼にしてみれば、今なお続く青春のど真ん中に甲子園がドシンとあるのだろう。
 中京大学付属中京高等学校、優勝おめでとう。
 自分の母校の校歌を甲子園で唄えるなんて、どんなに幸せなことだろう。
 この夏、6回もアルプススタンドで熱唱したニシを心から羨ましく思った。



『エレキウクレレに誓う』

 カメラマンの上野勇が俺の留守中にエレキウクレレを持ってきてくれた。しかもFENDER製。すごい。これで手元に4本。自前のものは2本だがなんだかミュージシャンになった気分だ。

 思えば俺の人生で音楽だけが、詳しく言うと楽器だけがなかった。いや本当は高校1年のときにほんのちょっぴりだけアコースティックギターにチャレンジしたことがあるのだが、Fコードを押さえるのに左手が経験のない方向にグニャっとなってしばらく腱鞘炎みたいな感じになったので、それを理由にというか言い訳にして断念した。おかげで今でも俺のレパートリーは4つのコードだけで編成されるフォークソングだけだ。それもかなりしめっぽくてメメしいやつばかり。曲目書くことさえ恥ずかしい。

 “断念した”というフレーズで思いだしたが、ちょっとだけスポーツをかじったことのあるやつが、「続けたかったけどケガしてやめざるをえなかった」とか言ってカッコつけるやつって多いよな。そういう奴に限って「あのままスポーツ続けてたらひょっとしたらプロになってかもしれない」なんて閻魔様に舌引っこ抜かれるようなことを平気で言ったりする。お前、どう見てもそれウソだろってバレバレなのに、「いいんだ、オレ、もうスポーツやってた頃のこと思いだしたくないから」ってどんどんありもしない思い出に入っていくフルーツポンチの村上みたいなやつ、あれには腹が立つ(村上は好きだよ)。俺も黙って聞いてりゃいいものを、そういう話だけにはとことん追い込んでズタズタにしてやりたくなるからタチが悪い。

 ある和食屋のオヤジで、体重が120キロぐらいあってどう見ても運動神経ゼロ以下の奴が、カウンターに座った客に「俺さ、昔、垂直跳び120センチあったんだよ」と言ってるのを耳にしたので、すかさず「それウソでしょ?」と言ったことがある。するとオヤジは「ウソじゃないよ、だって俺バレー部だもん」と、そんな軽い理由を添えてきたので、「じゃバスケのリング両手で掴めた?」って聞いたら、「そんなの楽勝、胸ぐらいまでリングを越えたよ」と言った。
 そんなわけはない。160センチちょいオヤジだ、しかも120キロ、絶対に運動神経ゼロ以下。なんか急に面白くなくなって、こんなウソつく板前の店では食いたくないって帰った記憶がある。
 
 自分のことを言ってはなんだが、ジャンプ力には自信があって、中学3年の体育測定で垂直跳びが94センチ跳べたことを記憶している。学校の測定だからいい加減なものだけど、それでも県大会で走り高跳びと幅跳びで優勝した。当時は身長167センチ。それでも助走をつけてジャンプしてようやくバスケのリングを両手の指にひかっけられたぐらいだ。それが胸まで出たとなると、俺に換算しても軽く垂直跳びは160センチを越えることになる。そんな奴は人類でまずいない。ミュンヘンオリンピックでキューバーチームのエースアタッカーだったラペラというゴムマリみたいな選手でも自称150センチである。ここまで読んで何が言いたいのかまったくわけがわからない人がいるだろうけど、それぐらい運動神経とかスポーツのことでいい加減なことを言う奴は嫌いなのだ。
 なんだか話がものすごい脱線してた。しかもめちゃめちゃムキになってる。いかん、すまん、面目ない。楽器に戻そう。

 そうそう、Fコードひとつでめげたんだった。それでも「YAMAHA L-5」という、さだまさしが使ってそうなちゃんとしたギターをお袋に買ってもらった。もちろんそれ以来31年間、弦は張り替えられていない。昭和から平成、20世紀から今世紀へ激動の時代を頑固なまでに錆びつきながらギターにしがみついていた弦である、そんなに簡単に取り替えちゃバチがあたる。また都合のいい事を言って、弾く気がないものだからこうして日記上で公言しているのであります。

 それにしてもウクレレ。昨年の7月から初めてかれこれ14ヶ月である。お陰さまで未だに飽きることなく毎晩ポロロンとやり続けている。焼酎をグラスに注いでロックアイスでカランカランさせて、その音の余韻がまだ耳の内側にこびりついているうちにポロロン、これだけで気持ちよくなるんだからある種の魔法だ。
 そして新たにエレキウクレレ。これがちゃんと弾けるようになる頃には、誰がどんだけスポーツのことでテキトーな事をいっても腹が立たない人間になろう。



『一日だけの田舎の夏休み』

 一日だけ実家に帰った。暑すぎる日中は30年前と何ら変わらない。部活以外やることがなくて誰かいないかと思って猛暑の中をチャリンコでぐるぐる廻った夏から30年。今でも炎天下の日中には人の往来はまばらである。一両編成(一両の場合も『編成』と言うのだろうか)のローカル線が廃線になってしばらく、駅前は単なる広場と化し、写真屋も本屋も駄菓子屋もメンズショップもなくなった。かろうじてバスだけが駅前のロータリーを活用して市民の足をサポートしてくれている。

 40年近くもやってる喫茶店の2階にある地元のフリーマガジン編集部を尋ねた。突然の訪問に若い編集長がおろおろしながら冷たい水を出してくれた。グラフィックデザイナーの事務所を間借りしているらしい。整理整頓された空間にデザイナー氏の性格が覗く。専用デスクの下にスリッパとサンダルが並んでいる。座面に対して同方向につま先を揃えた状態。スリッパとサンダルが「几帳面でしょ」と物語っている。
 室内は物音ひとつしない。CDもFMも鳴らないオフィス。むしろその方がオーケストラチックで無音という名の音楽が聴こえてくるようだった。
 駅前ロータリーだというのに外の音もゼロに近い。昔は朝から晩までヤンキーと家出娘でごった返し、買い物かごをさげたおばちゃんで賑わった駅前の変わり果てた姿が言いようのないさびしさを伝えた。

 駅前から目抜き通りをしばらく東へ走ったところにある『満月堂』という食堂。地元の人間ならば誰もが知る満月焼とソフトクリームとやきそばの店。それを食べなければ関の人(じん)じゃないというとんでもないローカル伝説を誰もが本気にして、小学生から高校生まで誰もが満月堂に入り浸った。縁日や祭りの日となると地元中のヤンキーが店にたむろし、中学高校かまわず煙草をパッパカやるのである。おとなしいご主人は猫背から老眼鏡越しにチラリと軽く睨むだけだが、豪快なおばさんは「あんたらえーかげんにせんとまー食べさせたらへんでな!」と喝を入れる。「わかったて、これ一本吸ったらやめるでちゃんと食わして」。教育的にはめちゃめちゃだが、少なくともそこには血の通った会話があった。そんな時代だった。

 その店のご主人が亡くなられた。地元にしてみれば大ニュースである。きっと誰もが思ったに違いない。
“満月堂は誰が継ぎ、満月焼は誰が焼くのだろう”。冷めても硬くならない大判焼きは町の誇りであり僕らの自慢だった。それだけではない、カップから原爆雲のようにはみ出す原爆アイスには細かく砕かれた氷が入っていて、濃厚なのになぜかサッパリしていて、おもわずおかわりをした。35年前には原爆アイスは20円。満月焼が30円。プレーンなやきそばが70円。150円もあれば原爆アイスがおかわりできて満月堂のフルコースを堪能できたのだ。ただ肉入り焼きそばとなると30円増し。やっぱり肉は食べ物の王様だとつくづく思った。

 地元の名物はこのまま消えてしまうのだろうか。なんだかものすごく寂しい。ドドーンというわけではないが、じわじわと、だけどものすごく寂しい。
 18歳で地元を離れるまでに300回は行った満月堂。東京に出てからも帰省するたびに路駐してソフトクリームと満月焼を買った。肉入りやきそばを最後に食ったのは4年ぐらい前だろうか。原爆アイスは45歳になっても食べた。満月焼はつい先月、郡上八幡へ仕事で行った時に、上記の編集長が差し入れしてくれた。

 たった一日の田舎の夏休み。少年時代の思い出と現実との狭間にふたりの僕がいた。複雑な思いをふりはらうことはできなかったけど、それでも僕のふるさと。この町に帰るとなんとなく東京に戻りたくなくなるのは、やっぱりこの町が好きだからだろう。これからもそんな町であってほしいと願いながら、僕はこれからも東京で暮らすんだ。




線路がなくなった駅のホーム。





2009/08/31

『バイバイ夏!』

2009/08/27

『びっくりとありがとうの日』

2009/08/24

『甲子園』

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2009/08/20

『一日だけの田舎の夏休み』
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