『迷子でお寺』

 今日の撮影は自分の担当じゃないが、ニコタマで有名な『はらドーナッツ』を差し入れがてら覗きに行った。若い奴らがみんな張りきってやってて、それに応えるように鉛色の空に青さが戻った。
 狙ったわけではないがお昼時だったこともあり、豪華な撮影弁当(ひつまぶし)までいただいて恐縮してしまった。こういう現場を見ていると世代交代をひしと感じる。と言ってもやっかみではなく、なんかいいなぁ、と感慨深くなるのだ。
 お弁当をいただいて直ぐ帰るのは失礼かと思ったが、打ち合わせもあるのでおいとますることにして、近くの駅まで歩いて向った。すると見事に道に迷い30分以上歩いたところで『九品仏』という自由が丘の隣の駅にある有名なお寺の門前に出たので、せっかくだからお寺の中を散歩することにした。
 蝉が鳴いていてとても涼しい気分になったところで九品仏駅に向おうとしたら、どうやらさっきとは違う出口に出てしまいまた迷子に。しかたなくまた10分以上かけて自由が丘駅まで歩いて行った。
 なんだかんだで猛暑の中を1時間ウォーキングするはめになり、土用の丑の日にいただいたひつまぶしはあっという間に消化された。
 それにしても薄手のビーサンで1時間はきつい。親指と人差し指の間を擦りむいてしまった。メンタムを塗って扇風機の風にあてていたら、中学時代にインキンになって『タムシチンキ』という拷問のような激薬をタマキン付近に塗りたくり、その熱さと痛さを紛らわせるように思いっきり口でフーフーしたことを思いだした。7月最後の日はそんなとんまな日でございました。




仁王門




『クワ』

 またクワガタ虫が飛んで来た。前回は近所の小学生にあげたが今回は近くの森へ返してやった。玄関先にひっくりかえっていたから、多分暑さと飢えでかなり憔悴していたのだとおもう。砂糖水をつくって脱脂綿に浸して吸わせてやったら20分以上も吸いっぱなしだった。逆に下痢するな。クワガタの消化器官はどうなってるんだろう、下痢とか便秘とかあるのだろうか。
 砂糖水吸ってからみるみる元気になったのは急に血糖値が上がったからだろうか。それも人間基準の考えか。そもそも砂糖水は樹液にふくまれる蜜に近い栄養価があるかどうかも分らないが、小学生の頃はクワガタを捕まえたら虫かごに入れてそうやってたから、大袈裟な間違いではないと思う。それを証拠にものすごい勢いで上体を起こしてハサミをグワシッってやって俺を威嚇していた。この恩知らずめ。
 夢中でクワガタをかまってたら2時間も経ってしまって大幅に会社に遅刻してしまった。今ごろクワは都会のちっちゃな森で涼しくやってるだろうか。もう灼熱のコンクリートの上なんかに来るなよ。




コルベットみたいな形である。




『照れ照れ誕生日』

 柄にもなく誕生会などをしてもらったもんだから二日酔いでめろめろである。ジャズシンガーのケイコ・リーのジャケット撮影後、打ち合わせをしてから打ち上げの店に向うと、ケイコをはじめ、カメラの笠井、ヘアのYOSHIさん、メイクの片桐さん、SONYの原賀さん他、みなさんがプレゼントを用意してくれていて、誕生日ケーキまで出てきて照れくさくて全身から汗が噴き出た。
 誕生会なんて小学校5年生以来やってもらったことがない。その時だって家にともだちを5人呼んでカレーライスと茶碗蒸し食って、デザートにプリン食っただけでケーキなんていう代物にはありつけなかった。こんなことを書くとお袋に叱られそうだが、お袋は美容室を切り盛りしていて超多忙だったため、呑気にせがれの誕生会に付き合っていられる状況じゃなかった。
 それにしても照れた。人のことを盛り上げるのは正直、得意中の得意で自分でも名人芸だと思っているが、火の粉が自分に降りかかると、どうやって受けとめればいいのかまったくわからなかった。
 事務所にはセブンスアベニューのミカ大社長からビールが72本も届き、某代理店からも永ちゃんが美味そうに呑んでるビールがダダーンと届き、他にも計150本のバースデービア。中でもミカ大社長の72本は若手のカワシマちゃんが代官山から坂道を台車で転がして運んでくれた涙ぐましいものだった。
 他にもいろんな人からたくさんプレゼントをいただいた。普段はおとなしいケータイにもメールがいっぱい届き、おめでとうと声を聞かせてくれた人もいっぱいいた。
 未だ恥ずかしさはぬぐえないが、なんかすごく嬉しい47歳の誕生日だった。
 みなさんほんとうにありがとう。感謝の気持ちを込めて、日々の中でいろんなカタチでお返しします。



『47年』

 気温35℃の真っ昼間に4000gで生まれた男の子は、幼稚園からまわりの大人たちに迷惑をかけてばかりで、小、中、高はもとより、大学、社会人になってもそれは継続し、それでもなんとか迷惑と迷惑の間のちょっとした隙間を見つけてはそこをこじ開けて、ごめんなさいと頭を下げながらニカッと笑って生きてきた。
 まわりの大人は「しかたないな、まったく」とぼやきながら苦笑いでその場を凌いできたに違いない。
 人々に「しかたないな、まったく」と許されてきたのはまぎれもなくお袋のおかげである。『人を褒めることよりも、人にちゃんと謝れる人間になりんさい』という言葉が今でも心の奥底にある。いくらお調子者でも、ここぞというときに誤摩化さずにしっかり頭を下げられなければ男じゃないと思っている。恥ずかしい話、仕事で大迷惑をかけて必死で頭を下げているとき、オレってカッコいいと思ったことさえある。そもそも頭を下げることなどしなけりゃいいのに、頭下げながらコレだもん。バカだね、ほんと。
 4000gで生まれた子は今日で47歳になりました。あれこれ、いろいろあっての47年。まだまだどころか、なんにも始まってないような気がする今日でありますが、まずはお袋に感謝、死んだ親父と先祖に感謝。あたりまえのように居るまわりの人たちにも感謝をしながら、今日からまた生きてきます。




生まれた町のちいさな駅。




『思い出』

 すべてのものは終わってしまうと虚しいものである。いくら素晴らしい思い出になろうとも、終わってしまったものを蘇らせることは不可能だ。むしろ素晴らしい思い出になるほど虚しさを募らせるだけだ。
 それこそが充実だと考える。溜め息の出るような思い出はせつなさを呼び起こすことになるけれど、その溜め息が次の目標に向かうための原動力となる。
 思えば昔からずっとそうだった。修学旅行、卒業式、初恋、成人式、数々のイベント、コンサート、どれを思いだしても胸がキュンとくるものばかりで、できることならその場所に還りたい。
 還れない幻を追いかけて生きていくのは苦痛だ。ならば先にある何かを求めて気持ちを乗せて行くのが生きるということじゃないだろうか。
 思い出の数だけ前を向くじゃないけど、終わったらその次。これしかない。
 ただ、思い出の中から繋がったものがたくさんあるから、またいくつもの思い出が生まれていくのである。いつしか思い出の中に埋もれて、せつなさで絞め殺されそうになっても、またあらたなものを見つけて、悩んで、ちょっと失敗して、その分取り返して、夢中になって、気がつけば終わっていて、やがて新しい思い出がつくられていくんだろうな。
 思い出に支配されないこと。思い出を裏切らないこと。生きている限り思い出はつきまとう。それを素敵なものにできるかどうかが、生きることへの問いかけのような気がする。そう思えばこその「今」、そういうことなんだと思う。




実家の隣、林さん家の「さち」。
さちさちさちと連呼すると、塀の隙間からペロッとしてくれる。





2009/07/31

『迷子でお寺』

2009/07/30

『クワ』

2009/07/29

『照れ照れ誕生日』

2009/07/28

『47年』

2009/07/27

『思い出』
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