『重苦しいランチタイム』

 いつも行く、飲み屋がやっているランチタイムに顔を出したら、マスターが怖い形相で電話をしていた。カウンターの中ではママさんが人差し指を口元にあてて「シー」とサインを送る。なにやらただならぬ電話のようで、俺は泥棒みたいな忍び足で椅子に座った。
 5分後。状況変わらず。ケータイもマナーモードにして映画館で座っているような気分になった。
 ママさんがさすがに申し訳ないと思ったのか、「アイスコーヒー、入れとくね」と気を利かしてくれたので、マスターがランチに取りかかるまでひとまずアイスコーヒーで暇つぶしすることにした。
「あー、わかりました。それならこっちにも考えがある。ガチャン!」
 なんか物々しくなってきたぞ。
「で、注文は何だっけ?」って、マスター、この店のランチは日替わりメニューのひとつだけでしょ。
 マスター、なんだか狼狽している。「じゃ、がんばって!」とママさんは出て行ってしまった。
 重い空気の中で俺とマスターふたり。フライパンを振る音だけが唯一の救いだ。
 少しでも空気を変えようと思って、「うまい!これ、イケますね!」とややわざとらしく言ったところ、「ったくランチ何百人分作ったら金になるんだよ」…って。
 おーこわ。しかし、なんで俺がとばっちり受けなきゃならないんだと思うと、ランチの味もへったくれもなくなってきた。味がなくなると同時にムカついてきたので、息をゴクリと呑み込んでからマスターに言ってやった。
「あのね、いろいろあるだろうけどね、俺、客なんだからすこしは気ぃ遣ってよ!」
 するとマスター、「立ち退きだってよ。20何年ココでやってきたのによ…ったく…」
 何も言えなくて夏。
「おっと、コーヒーは?もう飲んだのかぁ、じゃぁいいか」
 ちょっと、それ、ママさんがとりあえず飲んどいて的にサービスで…まぁいいや。
 七夕なのにいろいろあるね。織り姫とヒコボシとマイケル、今日は天の川で会えるのかな?



『だんじゅり祭り』

 「じゅり」という友人がいる。じゅりはCONVOYのメンバーでありながら、CONVOYではやれないジレンマを抱えていた。基本的には笑いをどうしたら感動に結びつけられるかという点を探求し続けている男だ。基本となる笑いに対しては真面目すぎてスベることも多いが、それでもメゲずに笑いからショーを構成するスタイルを貫いている。
 じゅりは立川談慶という落語家とジレンマを埋める公演を行っている。立川談慶はじゅりと同じ故郷で同い年らしく、その運命的な条件がきっかけでふたりは「だんじゅり祭り」なるユニットを立ち上げた。
 彼らの公演を訪ねたのは2回目だが、前回よりも格段と感じ入ってしまった。笑いは相変わらずベタ過ぎるのだが、年季が入ったというかベタ以外の笑いなど提供しないというような頑固な姿勢で笑いと向き合っていたのが潔くてシビレた。
 俺の隣の席には立川談慶のご家族がお見えになってて、まだ小学校低学年の坊やが、下ネタのさらに下側からエグる哲学に爆笑していて驚いた。落語家のせがれたるもの、きっと日々から笑いのなんたるかを享受されているのだろう。
 題材は「母親への感謝、尊敬」。こういうパターンに40代は弱い。もっともはなからそれを分っていて笑いの後に涙へ誘おうとする動線が見え見えな小賢しさが逆に嬉しかった。その証拠に俺はまんまと涙をぽろりとやってしまった。
 それにしてもあれだけ大盛り上がりの演目をやった直後なのに、何のオーラも発しないじゅりのパンピーぶりにもう一度感動した。



『部活とROCK』

 つい最近までカメラマンアシスタントだったやつが一人前になって打ち合わせの席についている。
「そうですよね」と「はい」と「お疲れさまでした」しか言わなかった(言えなかったのか)やつが、
「今回のコンセプトはこうだから、ライティングはこうで、アングルはこうで、このスタイリングの場合はサイドから光を回して云々…」
 自立は男を粋がらせる。まだ未知数の可能性に向って全力で走ろうとする。振り向くことよりも、その先にある何かを掴もうとして、見たこともない自分を引き出そうとする。それが不安を抱えた強がりだとわかっていても、粋がる男は気持ちいい。
 大人になったら部活なんてないというのはウソだ。部活意識があるからプライドは維持される。たまに間違った方向に行っちゃって人を不安に陥らせたりするけれど、そんなときは出来上がった物で納得させればいい。それもできなければ潔く反省して次に活かせばいい。そう、まったくもって部活動。サボってもやる気がなくても自分は伸びないしチームにも迷惑をかける。
 ただ本気で負けたらそれはそれでよし。深いのだよ、部活って。もっと深いのだよ、仕事って。けれどどちらもものすごくシンプル。つまりロックンロールのようなものだね。
 さてさて、あいつのカメラはエッジの効いたリズムを刻んでくれるのだろうか。
 まずはオーディエンスとして参加させていただこう。



『好きだったおばさん』

 なんの気無しにかけた電話口で彼女が言った。
「なんで知っとるの?」
 いつものトーンとの明らかに違いに「どうしたの?」と返すと、
「だって知っててかけてくれたんやろ?」
「なにが?」
「お母さん、今朝、死んだの。急に…知らずに電話くれたの?」
「知らんかった。ごめん、こんな時に電話して」
「ううん。人恋しかったから嬉しかった。ちょっと待って、妹に代わるわ」
 何十年振りに話す妹さんの声はいつしか母親のそれになっていて、動揺など微塵も感じさせない堂々とした大きな空気を伝えてくれた。
 
 女三姉妹のお母さんはいつも明るく、むちゃくちゃ少年心がわかる人だった。
 三姉妹の誰がいなくても突然チャイムを鳴らす俺たちを招き入れてくれて、コーラやスプライトや「ちょっとこどもっぽいけも知れんけど」と言ってカルピスなんかも出してくれた。「あらま、コレしかあらへんわ」とおどけながら渋い海苔煎餅なんかも出してくれて、「ほんでどうなの?横着しとらへんやろ?」と興味津々に聞いてくる。ちなみに横着とは方言で「やんちゃ」とか「悪いこと」を意味し、「横着坊主=悪ガキ」「横着い(おうちゃき-)こと=人に迷惑をかけるようなこと」というような使い方になる。

 おばさんは特に問題児にとっては本当のお袋さんよりもお袋さんっぽくて、だけど同級生のような親近感も与えてくれる人だった。
 問題児のOやKは、いつも耐えられない孤独がやってくるとおばさんの家に逃げた。逃げ込んだことを百も承知でおばさんは奴らと接した。もちろんコーラや海苔煎餅を出して。
 おばさん、タバコも吸わしてくれた。ただ吸う前にはかならずこう言った。
「ウチでだけやよ。他で吸わへんって約束しんさい」
 親心で本気で言ってくれるおばさんをあしらうように「はいはい」と2回返事をして、僕らは煙草に火をつけた。
「ほんでどうなの? 横着したらへんやろうね」
 タバコ吸ってるだけで十分横着なのに、おばさんは無邪気にそう聞いた。

 前日までピンピンしてたおばさんが、急に逝った。おばさんらしいといえばそうなのだが、あまりにもあっさりしてて哀しむタイミングがわからない。少しは迷惑かけてくれればいいものを、人柄そのものあまりにも綺麗さっぱり潔く逝ってしまった。
 あの頃の連中も今ではバラバラになって半分ぐらいになってしまったけど、せめて別々の場所でもいいからそれぞれが同じ時間に合掌できたらいいなと思う。
 
 おばさんのでっかくて優しい人間性は娘たちが継いでいる。
 だから僕らはついついそれに甘えて、おばさんの娘の店に飲みにいってしまうのだ。



『笑う』

 今年も半分終わったけど、今年やろうとしていたことの半分ぐらいはやれただろうか。とかいって特別な目標を設定したわけではなく、例年通り笑顔で健康を目標に掲げているだけだがそれもできているかどうか。
 笑うことはそれほど容易なことではない。口角を引き上げるだけでは「笑い」は完成しない。笑いは、許しである。感情が高ぶるそのまえに、相手を、行為を、目の前にある現象を受けとめ享け入れることからはじまる。許した自分を相手に振る舞うのである。それができなければたとえそこに笑顔があったとしても単なる作り笑い、であれば笑いは捨ててどうしたら笑えるかを真顔で考えた方がいい。
 これから東京へ来るきっかけになった人に会いに行く。今なお輝きをなくさない還暦を迎えるあの人だ。
 2年振りの対面。なんだこの緊張感は。けれどなぜか笑える、腹から笑みがこみ上げてくるのだ。3時間後にはもう話も済んで心地よい気怠さの中に身を任せているだろう。
 いつも思う。34年前に受けた衝撃の延長線上に俺は居る。遠い出来事ではなく、今の俺の一部としてその瞬間は焼き付いている。それを切り離して単なる思い出として処理できないのは、まだまだ、もっともっと、いつだって会いたいという気持ちがあるから。
 さ、行きますか。笑えない自分をもう一人の自分が笑うってのもありということで、ヨロシク!




2009/07/07

『重苦しいランチタイム』

2009/07/06

『だんじゅり祭り』

2009/07/03

『部活とROCK』

2009/07/02

『好きだったおばさん』

2009/07/01

『笑う』
このサイトに掲載のイラスト
写真・文章の無断転載を禁じます

Copyright © 2001-2010 MaroonBrand