『チェックくん』

 チェック好きでボーダー好きでコットン好きでジャージ好きで帽子好きでメガネ好きです。
 好きなモノは何十年経っても変わらないもので、チェックのBDなどこれまでに30枚以上買っている。そのうちの半分はまだクローゼットに眠っているはずだ。物持ちのいい俺は中学時代から愛用しているアイテムがゴマンとある。そのうちのほとんどがチェック柄とボーダー柄とタターソールで、そんな旧友を眺めては趣味の変わらない自分に嬉しくなったりするのだ。
 どれどれ、ほんとだ、中学高校時代のちょっとスマした日の写真にはほとんどチェックとボーダーが映っている。髪型の変遷はあるけれど洋服のラインは変わっても柄はほとんど変わっていない。何事にも一途だと胸を張れるほどではないが浮気性でもない。気に入ったら一気通貫、どこまでも好きになりとことん付き合っているつもりで、そのもっとも長い付き合いの恋人がチェックでありボーダーなのだろう。
 チェックは夏を涼しくする。今日のような蒸し暑い真夏日にはチェックで涼む。着ている俺は暑くても見ている誰かが涼し気であることが大切なのだ。
 そして俺の話は今日も熱っつい。暑いついでに昼飯は恵比寿のココイチでチキン煮込みカレーチーズミックス4辛温泉卵付きを食おう。考えるだけで嬉しくなってきた。ゴクリ。




昭和の漫才師みたいである。




『ちょっと年上、年下』

 ちょっと年下、ちょっと年上、ここに説得力ある。
 どうにも年が離れた人から説教を受けてもピンと来ない。時代を共有している気持ちもないし、年齢や立場的な目線だけで叱られているような気がして、説教されている側としても身が入らない。説教している方もたぶん世代間の感覚や価値観のズレを理解しないまま一方的な言い分になってしまうのだろう。当然、叱られる者は反省などその場しのぎのものとなり、次からは叱られないワザを身につけて、はいおしまい。これじゃ説教する側は叱り損というやつだ。

 ところが「ちょっと年上」からの説教は効く。まず言語が同じである。「チョー」とか「ヤバイ」とか「ムズイ」とか「チゲー」なんて下等な言語が、その時々の感情に見事にヒットして心の芯にグサッと刺さるのだ。
 好きなアイドルなんかも似ていたり、あるいは真逆だとしても、それはそれで互いに自分が好きなアイドルを優位に立たせるためにムキになる。なにより、2、3年の年の差というのは、説教される側は「コイツいつか抜いてやる」という気持ちになり、説教する側は「コイツだけには抜かれないように」という気持ちになる。
 同世代ならではのライバル心が芽生え、気に入ったキャバ嬢がいると、本気で互いを蹴落としあってドロドロの状況に陥る場合もある。同い年ならちょっとした仲間意識があり、殴り合っても同い年という恩赦があるが、2、3コの年の差となるとそうはいかず殴り合ったらどちらもかなりバツが悪い。基本的には敵でいちばん鼻につく存在だから、年下から見れば喰い甲斐のある存在で年上からは潰し甲斐のある存在だ。

 しばらく説教したりされたりを繰り返し、「じゃ、サシで飲むか」となると関係は一変する。まずもってサシ飲みを提案した年上はというと、年下なのに認める準備があるわけだ。たとえそれが、どうにもツケ上がってサシ飲み以外にテはなかったとしても、そう思わせるだけの年下の力量を認めざるを得ないのである。
 年下はというと、実は年上ほど心を開いていない。「やるならやったろか」ぐらい鼻息は荒いのだが、感情を押し殺した淡々とした流れの中で、自分が単に年下扱いされているだけではないと気がついたあたりから気持ちが変わり、そこに「男と男」というステージが見え出したところで、自分の粋がりを受けてくれた年上に一目置くようになるのである。ここが「年上」から「先輩」への分岐点であり、ふたりが男同士になれる瞬間なのである。
 分岐点を越えたふたりにとって説教は目標到達のため課外授業。酒というスパイスが効いて、叱る意味と叱られる価値をそれぞれが理解し、社会の一員である自負を痛感するとともに、同志の絆が芽生えるのである。
 なんだかホモの発展場みたいな話になってしまったが、僕の経験上はこういうことになっている。
 
 そして、かなり年上は、叱る前にかなり年下の話に必ず耳を傾ける。年の差が邪魔をして言いたくても言えない状況をつくることが多いからだ。だから説教はちょっと年上の部下に任せて、お茶をすすりながら状況報告を待てばいい。
 そしてそして一番大切なことは、年上が年下に気を遣わないで世の中が良くなるわけがないということである。こんなことを書きながら、俺なりに年下を気遣っていこうと思う夏至の日なのである。



『歩く話』

 最近よく歩く。渋谷ぐらいまでなら平気である。実際どれぐらい歩いているのだろう、毎日合計60分は歩いているんじゃないか。地方の人は不思議がるだろうが、東京の住人は歩いて歩いて歩き回るのである。同じ都会でも名古屋人はほとんど歩かない。1メーターの距離をばんばんタクる。大阪も比較的それに近い。他の都市は知らんが、とにかく東京人は歩くのだ。
 歩くといろんなことを考えられるというか、妄想にフケられる。特に夜中なんかは辺りが真っ暗だから描いた妄想に色がついてクリアになって夜空に映し出されるのだ。
 俺は時々、本気で歩く。歩けばいいか、ではなく、歩く。そんな意気込みを持つときがある。中学時代からそうだった。毎日何気なく通っている景色をじっくり眺めながらよく歩いたものだ。それは放浪癖に似たようなものであり、真夜中にふと歩き出してしまうことがしばしばあった。中学、高校、大学、20代から現在まで、とにかく歩きたい衝動にかられるときがしばしばあり、気がつけばタクシーで2000円ぐらいの距離は平気で歩いている。歩かなければ絶対に寄らない公園のブランコを漕ぎ、屋根付きのバス停のベンチに座る。疲れてはいないけどなぜか座りたくなる。それは歩きたくなる衝動と同じで、単に座りたいのだ。
 歩いて座って少し大きく息を吸って、ゆっくり吐いて、また座るか、あるいは歩く。そうするだけで何かが違ってくるのだ。なんていうのだろう、中学時代からずっと歩いてきた道の延長線上にいるような不思議な感じがするのだ。独りを感じるのだけれど孤独ではなく、静寂だけどなぜか楽しく、くたびれてきたのだけれどもっともっと歩きたい、なにか不思議な感じがして、ものすごくではないがちょっとだけ嬉しいのだ。
 カッコ良くいうと歩けば自分をゆっくり感じることができる。日々の反省や明日明後日への希望や、ほかにもいっぱい。ひょっとしたら昔からそういう時間が欲しくて歩いてきたのだろうか?いやいや、単に走るのが苦手で嫌いだったから、そんなちっぽけな理由だ。
 ただ夜中にいろんな感慨に浸って歩いていると、必ずもよおす。デカい方のやつをだ。何回も野グソをプロデュースしそうになったが、ギリギリのところでプライドに負けて我慢した。そこからは早足になり、やがてジョギングからダッシュにギアチェンジをして自宅を目指す。滑り込みセーフで黄門様にお許しをいただき、個室に閉じこもって「なにやってんだ」と吐き出すように言ってから風呂入って寝る。
 以上、歩く話、おしまい。




夏はこの川のまわりをいっぱい歩く。




『肉肉の会』

 昨日は真央ちゃんとこの事務所の社長が素敵な出会いを演出してくれた。今回のハワイロケで一緒だった三野ちゃんと同じぐらい付き合いの長いスタイリストの野崎美穂を招いて、駒沢の焼き肉店で「肉肉の会」を開いてくれたのだ。そこにはもちろん三野ちゃんも、そして副社長のH女史と。
 16、7年ぐらい前に『POPEYE』でアイドル特集とかやって、当時からファッション系専門だった野崎に無理を言って30着ぐらい用意してもらっていたことを思い出して、あのときのH.Aが今では大スターになったり、T.AがやがてK.TになってTKとどうなったとか、K.MやN.EやE.Kもあれこれで、ほんとは実名で書きたい話で大盛り上がりになった。
 今では野崎も名のあるスタイリストになって、女性ファッション誌や広告はもとより最近は松嶋菜々子さんのスタイリングもコンスタントに手掛けているらしい。あいつのセンスと人柄ならそれも当然か。全般的に女子は苦手だが野崎は別だ。男気のある乙女で年下だけど同級生のようでもあり、言いたいことをズバッではなくピシッと言ってくれるおばあちゃんのような存在でもある。
 アディダスのウィメンズの仕事をしているときも彼女に相談した。スポーツマインドがわかってさらにそこからDO FASHION となるとやっぱり彼女は秀逸なのだ。
 なんでこんなに野崎を持ち上げてるんだ?まぁいい、ともだちの飛躍は嬉しいものだ。

 それにしても肉たちの旨さはなんと喩えよう。繊細にして大胆、けれど豪快すぎはしない。気品を失うことなく箸を誘惑する見事なまでのワナに俺たちはまんまとハマった。焼き肉名店数あれど、あのレベルには中々お目にかかれない。どこかの店のように大上段から振りかざすのではなく、普通な雰囲気を大切にしているところも好ましい。名店とは味もさることながら、人格がつくりだすものだとあらためて思わせられたのである。
 旨い肉とうまい仲。「美味しい」と「嬉しい」は人をこんなにも幸せにしてくれるのかとまたまた感慨深くなってしまったが、いまさらながらミカちゃんには感謝感激なのである。
 ごちそうさまでした。どうかまたお願いします。




電車道沿い。祐天寺まで歩こう。




『電話がいっぱい』

 なぜかこの頃、田舎の奴らかの連絡が多い。多いなんていうもんじゃなく、昨日なんて夜の10時頃に懐かしい友人から電話があり、そこに田舎の友人からキャッチが入り、バトンタッチしてそいつと話してたら、またキャッチが入り、それも田舎のツレで、さらにもう一本同じく田舎のツレからキャッチが入り、極めつけはさらに2分後に兄貴から電話が入った。ケータイのホールドマークを押すこともなく5人からのカントリーコール、そのうち3人は何十年振りの初ケータイだ。
 みんな年頃なんだ。昔が懐かしくなって感傷的になって、それで周りを見回して「あれ?あいつどこにいるんだろう?」って人間に電話してるんだろう。特別声を聞きたいわけでもなく、なにかを伝えたいわけでもなく、ただ単に、「どう?元気?」これで十分なのだ。そのあとはちょっとだけ、「アレ、覚えてる?」という共通のちっぽけな思い出を語り、「そうだったね」という言葉で過去を巡る。それだけでなんだか心が満たされた気になって、今日はダメだったけど、明日は今日よりは頑張れるかもって思ってしまうのだ。
 40代は立派な年頃だ。若い人と付き合うにはちょっと疲れて、年寄りには混じりたくないし、同い年の奴らに声をかけても忙しさまっただ中で、途方に暮れるような孤独の中で、そういえばあいつどうしてるんだろう?」ってね。グレもエスケープもしないけど、ちょっとだけ切なくてぽつんとする年頃。恋もしばらくしてないし、俺なんか私なんかって言うわりには、まだまだあきらめるなんて微塵も思ってなくて。だから、そんな年頃。
 大丈夫、俺はここにいるよ。いつでも電話かけてこい。ウソ。オモロい電話だけかけてこい。「もー、あの人相変わらずスケベで若いコのお尻追いかけてばかりでさー」とか「あきれるほどハゲちゃってさー」とか、「あの人とあの人はどうも怪しい」とか、そういう田舎ならではの誰にも言っちゃダメよ的な話、聞かせてくれ。
 田舎のやつらにとって俺はちょうどいい距離にいるのかもな。俺からはちょっと遠いけど、あいつらからはちょうどいい距離。しかも俺は喋りは達者だが口が堅いから都合がいい。
 こんなことを書いている合間にもまた電話があった。「覚えてる?」。はいはい、頭の中ではセーラー服着て聖子ちゃんカットの君が映ってます。今はどんなか知らんけど。
 ほんとは心から嬉しく思ってます。またみなさん、電話ください。たとえ覚えてなくても、「おー、元気? なつかしーよなー」って当たり障りない言葉でウエルカム差し上げますので。




こんなビル建てちゃって、中目っぽくないよ。





2009/06/23

『チェックくん』

2009/06/22

『ちょっと年上、年下』

2009/06/19

『歩く話』

2009/06/18

『肉肉の会』

2009/06/17

『電話がいっぱい』
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