『めしハワイ』

 夜は居酒屋で飯を食った。日本のサラリーマンたちが発展させた文化が、世界中で愛されるのはなぜだろう?それを証拠にハワイでも日本人以外の人たちで店内は賑わっていた。フライドチキンではなく唐揚げ、サラダではなくもろきゅう、鉄火巻ではなくマグロアボガドロール、そして味噌スープ。どれもが和食の壁を越えてインターナショナルスタンダードになっている。
 ワンディッシュオーダーという手頃さはバラエティー感溢れるテーブルを作り、ビタミンバランスも組み立てやすい。さまざまな料理は酒の選択肢も豊富にして、まさに居酒屋は食のパラダイスである。有機栽培農家と契約してる和民なんかが海外に進出したら、外国人はそのクオリティに驚くだろうな。朝食はスパムと目玉焼きをライ麦パンにはさんでぱくついた。ハワイアンスタイルかどうかは知らないが、バニラフレーバーのコナコーヒーとの相性は抜群にいい。
  肝心のロケはお天道さまがややヘソをまげているが、クラウディなハワイも物憂げで美しい。これから大人気のマツモトシェィヴアイスとやらに行くらしい。いわゆるかき氷だ。昭和の少年魂が騒ぐぜ。抹茶の練乳がけとか…あるわけねーか。それにしても裸足にビーサンは気持ちいいわ。コーディネーターはアグネス・ラムの頃から大活躍のマイクさん。とうていかなわない色っぽいおじさんである。




曇り空でも青いこと




『Hawaii』

 歴史的な大揺れにより命懸けで着陸したワイハ。女優Mも「負けないで」の大合唱を浴びながら100キロマラソンを完走したヒロインのようにげっそりした表情で上陸したが、カクテルライトならぬ日差しのシャワーを浴びた瞬間にトロピカル女優に大変身である。若いけどさすがプロだ。ホテル、さいこう。チャラくない。ギャルも小僧もいない。部屋、さいこう。窓の外真っ青。まるで画だ。ホテル前のビーチには世界中の金持ちの中年カップルが重力に逆らわない体に水着を這わせている。タトゥーはないが背中と腹に「余裕」と書いてある。アジア人のような、いかにもなバブル感はなく、足元についた砂をさらりとはらうようにさりげなくリッチなエスプリ。こちらまで階級がアップした感じで気分がいいぞ、講談社。
 例によって機内では一睡もできず、ただいま日本時間の朝6時半。これからドラッグストアへ買い出しに行ってからロケハンだ。30年前はワイハなんて芸能人か不動産屋しかこれない場所だと思っていたが、しぶとく東京にしがみついてると、こんな恩恵にも預かれることがあるんだな。もう一度礼を言わせておくれ、講談社。
 さてと、まずはウクレレをさがしに行こう。名もないドメスティックなヤツと出会えたらいいな。夜にはバド飲みながらがっつり弾いてやる。待ってろよワイキキナイト!ということでノースショアに向かっているらしいのだが、そろそろおねむになってきた。寝るわ。




ホテルの部屋から一望、カイマナビーチ(と言うらしい)




『ハワイへ』

 実はこれからハワイへ行くのだが、なんとその前にプレゼンという素晴らしいスケジュールに恵まれた。これまでにもいろいろ仕事をしてきたが、海外ロケに行く直前にプレゼンというのは今回がデビュー戦である。
 もともと飛行機に乗ることにワクワクするような性格ではないので、ある意味気が紛れていいのだが、それにしてもプレゼン終了後、即海外へ、しかもハワイという展開はドラマチッックすぎて興奮する。
 いくら飛行機が怖いからといえ、到着してしまえばそこは常夏の楽園。しかも昨年からウクレレを始めた俺にとってはかなりのアドバンテージを持ったアイランドである。
 実は今までハワイ島しか行ったことがなく、オアフは今回が始めて。ワイハに行くからにはアロハだろ!と、田舎のおっさんみたいな感覚から離れることができず、13年前にサッカーの前園選手からもらったビンテージアロハをクローゼットから引っ張り出した。もう着れないかも、の不安をよそに、年末から蘇った肉体には13年前と変わらぬジャストフィットである。
 アロハ着てトロピカルカクテル飲んでウクレレを弾く。う~ん実にハワイ。ウクレレを持って行くか、向こうで調達するか、まだ悩んでいるところだが、どうであれ俺はオアフで確実に「I LOVE YOU, OK」を弾く。申し訳ないがレパートリーにハワイアンはない。ギターより弦の本数が少なくてネックが細いということで始めたウクレレだ。なんでその音色で永ちゃんなの?と言われても、俺にとってはそういうことなのだ。
 なんか少しだけ気分が盛り上がってきたけど、一応仕事で行くので誤解されぬよう。
 明日からしばらくはワイハ日記ですな。19時間の時差を越えてアロハオエしよう。



『徹子の部屋』

 郷ひろみさんがゲストだったので久しぶりに『徹子の部屋』を見た。カメラワークは何十年も同じアングルのまま、ゲストに誰が来ようとなんにも変わらない名MCぶりで、今回も徹子さんはお喋りを楽しんでおられた。
 松田優作さんが生前、コットンハットとサングラスで煙草を吹かしながらシブく決めていたときも、親戚のおばさんのように、なんでもない話を予想できない方向にもっていき、「え?そこ来ます?」というところにロックオンして、無理矢理こじ開けた穴をグイグイ広げていく力技を見せて見事に優作さんの戦意を喪失させてしまったことがあるが、武装するゲストを手のひらで転がしながら、普段は見えないゲストの魅力を引き出してしまう大天才なのである。
 今回もヒロミさんの「ふたりの妻が去って行った系」の話に喰いつくこと喰いつくこと。それがヒロミさんからの仕掛けだとしたら、郷ひろみもあっぱれである。
 それにしても徹子はすばらしい。そのバイタリティに関してはユーミンから聞いたことがあるが、冬の苗場まで高速をぶっ飛ばして夜中の12時までコンサートを観て、打ち上げで5時過ぎまでおしゃべりして、そのまままた高速をぶっ飛ばして東京に帰ったのだそうだ。さすがのユーミンに「あの人は特殊すぎる」と言わしめた永遠の少女、いや魔女か。
 徹子の部屋。単なる長寿番組とは一線を画す文化遺産。ゲストに言いたいことだけを安易に言わせず、予想だにしない展開の中で相手の魅力を存分に引き出す名人芸。ゲストをちょっと辱めながら、はにかませながら、軽く否定させながら、といいつつまるで計算も戦略もない天性の才分でとっちらかったゲストの体温の中から栄養分だけを取り出して、それを茶の間へ送信。
 確かあの人、「ザ・ベストテン」の生中継中にプールで水中ヨガをやってたな。サザンの1位獲得かなんかのお祝いだったと思うけど、高校生の時にそれを見て、とんでもなくすごい人だと思った記憶がある。
 ちなみに僕が一番好きな黒柳徹子は、中継先の近藤真彦を「マッチ、マッチぃ~!」と鼻にかけた声で呼ぶ時で、それにマッチが右手を真っすぐに伸ばして親指を立てて、親指を外側に倒すと同時に同じ方向に顔を傾げて「くろやなぎさぁ~んっ!」とカメラ目線で眉間にシワを寄せて返事をする瞬間である。
 これは僕の数ある物真似レパートリーの中でもかなりロングセラーなもので、今でもコアなファンには、突然「黒柳徹子とマッチやって」とねだられる。
 月~金、昼1時20分。サラリーマンには縁遠い時間帯であるが、チャンスがあればぜひご覧頂き、その特殊な存在から放たれる何ともいえない幸福感に包まれていただきたいものである。



『時速100キロのおじさん』

 大好きだったおじさんが急逝してショックを隠せない。おじさんはいい人だった。微塵も偉そうなことを言わず、出世とか金持ちになることを望まず、誇りをもって百姓をやり続けていた。
 父方の従兄弟は自分を含め12人いて、盆暮れに本家に親戚が集うと仏間は修学旅行のようになるのだが、そこにひとりだけかならずおじさんが入っていた。相撲とか腕相撲とか逆さ吊りとか柔道とか、一円もかからない古典的な遊びで男9人女3人のこどもを喜ばせてくれた。
 みんなで一斉にストレッチもやった。あの頃はまだストレッチなんて言葉はなかったから柔軟体操だ。開脚して両手を広げて胸を畳にぺたんとするだけで盛り上がったことを覚えている。
 お盆にもみんなで集った。本家は田んぼと畑と山に囲まれた田舎で、今のようにコンビニもなく、あるのは地元で獲れた野菜を売りながらちょっとした肉魚とレトルト商品や調味料を並べる「よっさ」という商店のみ。そこには霜でぱりぱりにコーティングされたアイスクリームが売っているのだが、あいにくお盆で休みだった。
 そこでおじさん、立ち上がった。「おじさんが本町まで行ってきたる!」
 おじさんは農作業で使う軽トラックを飛ばして10キロ近くも離れた本町通りの「満月堂」という地元でかなりの人気店でソフトクリームを人数分買い込み、猛スピードで本家に戻ってきた。
「ほれ、アイス!」。おじさんの誇らし気な言葉とは裏腹にソフトクリームはすでにびちゃびちゃの状態で、どこを持ってもねっちゃり感を避けられなかった。普通、少しでも溶けるのが遅いアイスキャンディーを選ぶだろうに、おじさんの頭の中には「満月堂のソフトクリーム」以外になかったのだろう。僕たちは嫌な顔を見せずに美味しそうな顔をすることだけを気をつけて、みんなで雪解けソフトを頬張った。
「うまいやろ。時速100キロで行って来たでな!」
 スピードメーターが90キロまでしかない軽トラックでどうしたら100キロが出るのだろうと不思議に思ったが、庭先に出るとタイヤの焼け焦げた匂いがしたので、まんざら嘘ではないと思った。
 
 おじさんは誰の悪口も言わない人で、誰からも悪口を言われない人だった。口癖は「えー人やよ」。誰かの話をするときに、必ずその人の良いところだけを言うのである。そして誰にも迷惑をかけない人だった。
 おじさんは亡くなる前日も百姓をしていた。そしてそのまま眠りに就き、すーっと逝った。
 生前、「変な風になってみんなに迷惑かけるんやったら、ちゃんと逝かしてくれ」と言ってたそうだ。最後ぐらい迷惑かけてもいいのに、天国へも軽トラックに乗ってぶっ飛ばして行ってしまったのだ。
 
「圭ちゃんは明っかるいし元気やで、みんな、あんたとおるとほーんと嬉しいんやよ。そんなに急がんでもええで、ずっと自分の好きなことやりゃー。おじさん、それがいっちばん嬉しいわ」
 食えない頃、情けない顔でおじさんと対面した時に、かけてもらった言葉が忘れられない。
 お盆に行きます。




2009/05/29

『めしハワイ』

2009/05/28

『Hawaii』

2009/05/27

『ハワイへ』

2009/05/26

『徹子の部屋』

2009/05/25

『時速100キロのおじさん』
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