『ルッキング・フォー 石鍋屋』

 昨日はある仕事の打ち上げで某有名石鍋店に行ったのだが、なにもない住宅街の中の看板も出ていない場所だったので最寄り駅から40分以上も探し歩いてしまった。もともと方向感覚的には病的に音痴なので、何度お店に電話して案内してもらってもまったくあさっての方向に向ってしまった。隠れ家的とはいえ、あまりにも隠れすぎていて探せないというお粗末な自分であった。
 で、どうやって辿り着いたかというと、自分がどこを歩いているのかまるでわからなくて泣きそうになっているところに、前方から『KFC』のマークが入ったバイクがやって来たので両手で制止してバイクを止めて、「すみません、あの…」ということになった。
 ケンタのお兄ちゃんはびっくりしていたけど、すぐさま俺が探している場所をGPSで調べてくれたのだが、やや旧型のケータイだったらしく、中々アクセスできずアクセクしていた。それがもどかしくて、ついつい「早くっ!」と急かす無礼な俺。我ながらまったく最悪な男だと思ってしまった。
 結局、石鍋店に到着したのはキックオフより40分遅れという体たらく。にもかかわらずみんなはグツグツと美味しそうな音をたてる鍋の前でずっと自主的におあずけをしてくれていた。これには感動した。
 ピンチになればなるほど饒舌になる性格なので、なぜこんなにも遅れたのかを、KFCのお兄ちゃんの話を交え爆笑を誘いながら話していたのだが、今回のプロデューサーK氏の、「そろそろ食べません?」のひと言で俺の弁論大会は一気に幕を閉じた。
 みなさん、ほんとにすみませんでした。鍋に箸を入れた途端に、何事もなかったかのように食いまくってもうひとつすみませんでした。
 しっかし抜群に美味かったな。あまり好きな表現じゃないが、こういうときに「ヤバイ」って使うのかもな。



『がんばれ!』

 田舎の友人が経営する工場が半焼した。朝から代わる代わるともだちから連絡が入り気が気じゃなくなった。事故の翌日の、しかも早朝というタイミングで電話するのは気がひけたが、彼は俺の人生において最初の友人であり、今なお親交がある大切な存在だ。
 生唾を飲んでから携帯電話を持った。予想に反して彼はすぐに応答した。
「おー、まー、しゃーねーわ」
 普段から彼の口癖になってる言葉だったが、彼はいつだって現状をリアルに観察し受け入れる人間である。多大なショックは受けたろうが浮き足立ってはいない様子だった。互いに泣き言も弱音も言えない微妙な年齢になってしまったけど、約3分ほどの会話の中で、落胆だけはなく明日の為に今できることを綴った彼の言葉は立派だった。
 無くした分を取り戻すには並大抵の苦労じゃないだろうが、あいつなら出来る。そう思わせることを含めてあいつの仕事であり信頼であり人生だ。復旧復活を祈ることしかできない俺だが、「ほんと、しゃーねーわ」と笑い飛ばしてくれる日を期待している。
 がんばれ、コージ!



『ナカメの洋服屋』

 中目黒にあるふたつの洋服屋さんとはしばらくの付き合いになる。彼らは年に数回、先のシーズンに向けて展示会を行っていて、ほぼ毎回、顔を出してはわがままを言わせてもらっている。
 僕は彼らの洋服が好きだ、いや洋服づくりが好きだ。個性も表現も違うタイプなのだが、なぜかどちらもしっくりくる。だから最近は渋谷や原宿に洋服を買いに行くことがめっきり減った。
 今回の展示会にも伺うはずだったが、予定が狂い、時間に追われ、どうしても伺うことができなかった。
 すると彼らは、いつでもいいから見に来てください、と言った。来て頂くときに展示会で並べたラインを用意します、と。大変申し訳ない話であるとともに、とても感動的なことでもある。専門的に洋服をメディアに露出するわけでもない僕を、ちゃんとした客として、いや、見て欲しい人として扱ってくれているのだ。
 売れて疎遠になっていく人は何人も見てきた。しかたない。時間がなくなるのだから当たり前のことだ。
こちらも仕方ないとあきらめて連絡とるのを断念する。しばらく時間が経ち、街やパーティでばったり会うと、どちらからともなく「久しぶりー、連絡してよー」となるが、次に会う時はまた街かパーティでばったり。そんなものだ。
 彼らの店で立ち話をしていたら、店員さんが倉庫から洋服ラックをガラガラと転がしてきた。ラックは3つ。結構なボリュームの洋服である。
 たちまち道路端でにわか展示会となり、僕は道行く人の視線を感じながらも「これいーね」「これはこーだといーね」とフィッティングしてはまたまた好き放題にモノを言う。地方出身者の溜まり場がいつしか、この街を故郷のように思う人たちの町内会のようになる。
 彼らは今、注目を集めるブランドデザイナーでありディレクターとして数多くの取引も行っている人たちであるが、こうして街の住人を当たり前のように大切にしてくれている。
 花びらが散った目黒川には、生気に満ちた青葉が緑のカーテンを作っている。
 この街の桜の花も葉っぱもきれいなのは、人が素敵だからだろう。



『距離感』

 なんでも距離なんだよな。信頼関係も友情も恋も、仕事も遊びも。恋する距離っていうのかね、それ以上近づくと余計なものが視えすぎて、離れるとぼやけてしまう、ちょうど良い間隔。
 もちろん近づいてはみる。そして、こりゃいかんと思って距離をとる、というか、つくる。自分からも相手からもよく視えて、少しだけ余白を残したせつない距離。そろそろ会いたいな、なにしてるだろうな、元気かな…どれもこれも距離感の誘いである。
 昔から好きになるとべったりだったもんな。距離は悪だと思ってたし怖かった。俺より俺の周りの子の方がずっと大人だった。
 日々の生活の中にあるいろんなことにも、やっぱ距離を持つことが大切なんだろうな。ただ単にとればいいというものではない独特の距離感覚。センスであり色気であり思いであり信頼であり大人であり、そんな距離感。いつも思い思われ、そんなことを可能にする魔法のような距離感。
 俺には無理だろうけど。



『郡上八幡紀行』

 郡上八幡に行ってきた。飛騨高山よりも広くはないし、何が食えるかといってもコレですと名言するものもないが、どれもそこそこ確実に美味い。
 なによりも景色が素晴らしい。俺は川を見ると心がきれいになる(ような気がする)。穏やかな流れが岩場でしぶきをあげてまた穏やかに変わってゆく。川幅が急激に狭くなったり一気に深みになったり。川は人生そのものだと思う。海は広すぎてようわからん。知っているのは浜辺だけで向こうの方は想像に過ぎない。
 地元の少年たちは今でも高さ13メートルの吉田橋の上から飛び込んでいるらしい。大学1年のとき、度胸試しに行こうという企画が出たが、前日の徹夜踊りにより急な体調不良ということで誤摩化したことを思い出す。ああ、勇気も度胸もなかったあの頃だが、おかげさまで今でも継続中である。
 郡上八幡の観光に青春をかける若者3人と酒を飲んだ。眼下には吉田川のせせらぎというよりは、ロックのような響きが聞こえる中、7時のゴングとともに深夜まで。彼らは口々に「井の中の蛙」と言っていた。悪いことではない。他の地域を知らなくても自分たちの町が好きならばそれで良い。ただ井の中の蛙ならば、自分の町だけは知り尽くして欲しい。
 彼らは飲みながら徐々に興奮していき、地元を語りながら最後には泣いていた。涙のわけはいろいろあるだろうが、初対面の人間と酒を飲みながら地元の話で泣けるのだからあの町の未来は明るいと思う。
 こうして東京を離れて田舎町に行くと、ほんといろんな感慨に包まれる。生活に疲れた都会人がテレビ東京の旅番組で癒される気持ちが痛いほどわかる。そして俺は、俺の目線で郡上八幡の良さを、俺の田舎を盛り上げようと頑張ってる若い奴らに話してあげたいと思ってる。




川です。





2009/04/24

『ルッキング・フォー 石鍋屋』

2009/04/23

『がんばれ!』

2009/04/22

『ナカメの洋服屋』

2009/04/21

『距離感』

2009/04/20

『郡上八幡紀行』
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