『GO!GO!PARTY』

 昨日は深夜までGO!GO!PARTYで久しぶりにヘロヘロです。その名の通りただただ踊りまくるという極めてシンプルな演出により、ゲストは足の裏にマメができるまで踊り、とりわけ女性はヒールが半分の高さになるまで猛り狂っていました。
 いい大人がダンスフロアで踊る姿を見れば、どんな青春時代を送っていたかが一目でわかる。そればかりかどんなファッションをしてどんな男と付き合っていたか、さらにどんな家柄に育ち父親の仕事がなにかまで見破れてしまう。ダンスは過去を映す鏡のようなものである。
 どこを見てどう見破るかは企業秘密なので教えられないが、まぁそういうことなのであまり人前では気軽に踊らない方が身のためだと思う。大いに気をつけてください。
 さすがてっぺんの人のバースデーパーティはケタが違う。シンプルさと大胆さと突き抜け感とエネルギー感は他の追随を許さない。どんな人たちが招待されていたかはなんだかイヤラしい話なので割愛させていただくが、とにかくただただ踊るダンスフロアは、この星の過去と未来と平和と茶目っ気が見事に混ざり合った素晴らしい時空間となったのだ。
 その代償として本日、俺の全筋肉細胞は開店休業である。のれんを下ろしているのに、客はどかどかやってくる。したがってボロボロになったジョーのようなカラダを引きずり渋谷のカフェにて入れ替わり立ち変わりの打ち合わせ。筋肉だけではなく、コーヒーにより胃袋までギブアップしてしまった。
 生姜焼き定食の味噌の味付けが絶品だったので、調子にのって定食ごとお替わりしたのが原因だったのかもしれません。








『ユーミンの誕生日』

 ユーミンの誕生日である。55歳、親父が死んだ歳と同じだ。
 もともとそれほどファンではなかったが、3年前にユーミン本人に自分でも気付いていない禁断の扉を開けられてしまい、中に詰まっていた数々のセンチメンタルが洪水となって飛び出してきた。
 俺はただその光景を見つめながら、俺の中にこんなにもユーミンがいたのかと呆然となった。自分が気付かない30数年の間にユーミンから発射される無数の攻撃により、俺の中でちょっとしたユーミン村が形成されていたのだ。自分の中のちっちゃな村に足を踏み入れた途端に、僕は村の住人となった。
 その村は過去を懐かしがるだけの場所ではなく、過去を輝かせるために現在の在り方を問う厳しさも持ち合わせていた。かといって学校でも家庭でもない、あくまで村、さまざまな人が暮らす集落である。
 過去に旅をして流す涙は2種類。ただただあの頃に戻りたいという弱気な涙と、あの頃の思い出に触れることで明日への活力にする勇気の涙。どの涙を流すのかは自由だが、その前に今でもユーミンがチャレンジを続けていることを思ってから涙しよう。
 村の住人たちは、きっとこうして今日を生きているのだろう。

 ユーミン、誕生日おめでとう。








『おばさんの定義』

 中年以上の女性は大きく分けて「おばさん」と「くそババア」に分類される。
「おばさん」は単なるKYだとあきらめもつくが「くそババア」は怒りがやってくる。
「おばさん」は溜め息で済むが「くそババア」は歯ぎしりしてしまう。
「おばさん」はちょっとだけ可愛いと思うことがあるが「くそババア」はまったく可愛げがない。
「おばさん」はギャグになるが「くそババア」を見るとギャグさえ思いつかなくなる。
「おばさん」には声をかけられるが「くそババア」には呪文を唱えたくなる。
「おばさん」は悪気がないが「くそババア」は極悪人である。
「おばさん」は乙女だが「くそババア」は悪魔の手毬唄だ。
「おばさん」は男の中にもいるが「くそババア」は女しかなれない。
「おばさん」も「くそババア」も決まって長生きする。
「おばさん」も「くそババア」も居眠りが抜群に似合う。
「おばさん」も「くそババア」もサポーターが似合う。
「おばさん」にも「くそババア」にも比較的O脚が多い。
「おばさん」も「くそババア」も踵のゴムの減りが早い。しかも極端にナナメだ。
「おばさん」にも「くそババア」にも絶対に勝てない。というか勝負したくない。




赤いムートンのブーツを買った。こんなにあったかい靴ははじめて。




『青春の黒電話』

 わりとマメに田舎の友人と連絡をとっている。メールの発達でいつどのタイミングでも交信できるなんて20年前では到底考えられないことで、その甲斐あって故郷がすこぶる近くなった気がする。
 思い起せば留守番電話を買ったのが25歳、ケータイを手にしたのが32歳、メールというものは36歳になって初めて送信した。
 記憶をもっと遡れば、大学一年の時、6畳一間のアパート暮らしにしては贅沢な電話回線を引いた。ブツは黒電話、懐かしの刑事ドラマに出てくるダイヤルを時計の反対回しにしてジーッという音をたてて戻るやつだ。あれに黒と赤のギンガムチェックのカバーをかけて隣にはミッキーの目覚まし時計を置いた。それが狭い部屋の一角を飾り、なんだか部屋中が賑やかになったようだった。
 その黒電話は、当時、故郷に住んでいた一級下のガールフレンドに電話するためにアルバイトをして買った生命線だった。
 俺は毎晩10時に彼女の家に電話を入れる。電話代が高いからと一日毎にそれぞれの電話からコールをするようになった。なんだかここまで書いてものすごく恥ずかしくなってきたが消すのももったいないので書き続けることにする。
 ところが当時、彼女の両親は俺との交際を反対していて、電話ひとつにも怪訝な表情を浮かべるのであった。無論オムロン、彼女も両親の目を盗んでしか俺に電話などできなくて、日替わり電話など中々実現できなかったのである。
 午後10時。ゴールデンタイムのど真ん中。当然のように彼女は家族が寛ぐリビングにある電話から俺にコールすることを度々躊躇した。
 時を同じくしてこちら東京6畳一間。彼女からの連絡がない。きっと何かがあった。俺のことでものすごく怒られてるか、それとも外出しているのか。他の誰かとアチチか?マイナスな妄想ばかりがヒートアップしていく俺はギンガムの黒電話の前で固めるテンプルみたいにカッチカチになっていく。握った手にはジワーと汗が。早く鳴れ、鳴り響けマイ黒電話!
 ギンガムは一向に鳴らず、部活で汗びちょびちょになったカラダを清めに銭湯に行きたいが、“風呂行ってる間に電話がなったらどうしよう”である。かといって11時には銭湯は閉まってしまう。あ”ー。
 そして俺は閃いた。銭湯に行っている間、電話の横にラジカセを置いて、ベルがなったかどうか録音しておけばいいんだ!ベルが鳴ったらきっと電話してくれたということだ。話せなくとも、それだけで満足しようホトトギス。
 そして俺は10時きっかりに電話がない日には、HITACHI パディスコをギンガムの横にセットして銭湯へと向ったのである。

 こんなちっぽけな心安めのような努力を今時の若者達はわかってくれるだろうか。
 三丁目の夕日は今日も西の空に沈んでゆくけれど、今日の涙をキレイに流して明日の朝には健やかな朝日が東の空から昇るのさ。
 泣いたカラスがもう笑う。
 切ない青春があればこそ、かわいい大人が完成するのだ。




コイツです。よく見るとコアラみたいでカワイイ。




『本気って』

 本気とは何か?勇気とは何か?愛とは何か?正義とは何か?やさしさとは何か? 
 そんなことばかりを考えてひとり酔いしれたりしていたが、そのどれもに俺は足りないことに気づいた。  
 第一、人を怒ることが苦手だ。厳しくした代償として嫌われたり空気がマズい方向に変わったりすることを怖がっていた。
 違う…。本気なら、勇気があれば、愛があれば、正義があれば、やさしさがあれば、のどもとにひっかかってた躊躇を振り払い、言いにくい思いを伝達できるはずだ。
 ヒーローがそうだった。ウルトラマン、セブン、ライオン丸、デビルマン、マジンガーZ、ドラえもんだってそう。みんな難解な事件の矢面に立って、ウソのない力強い背中を見せてくれた。その背中を見て、誰もが頑張ろうと思った。
 俺の背中は小さいけれど、それでも迷いを捨てて辛い場面にどしんと立てば、その背中には羽根が生えるかもしれない。怖いけれどその場に立つ俺と、その後ろにいる誰かの思いがひとつになって羽ばたけるかも知れない。
 飛べなくたってかまわない。一緒に飛ぼうと思えたならば、それがなによりの信頼関係であり宝物だ。

 毎日は誰もが幸せになるためにある。そのために必要なもの、必要な瞬間をしっかり掴まえながら、ちゃんと生きてみたいと、本気で思った。




いやだ。止まらない。





2009/01/20

『GO!GO!PARTY』

2009/01/19

『ユーミンの誕生日』

2009/01/15

『おばさんの定義』

2009/01/14

『青春の黒電話』

2009/01/13

『本気って』
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