『ことば』

 言葉は道具である。道具だから正しく使いたい。美しくも使いたい。激しくも優しくも丁寧にも使いたいし、人にも使ってもらいたい。正しい言葉とは標準語を指すのではない、朝にはおはよう、夜にはこんばんは、食事をするときにはいただきますとごちそうさま、眠るときにはおやすみなさい、そして朝が来たらまたおはよう。あたりまえのあいさつのなかに言葉の原点がある。冷える朝には、おはよう、さむいね。ご馳走をほうばったあとには、ごちそうさま、ふーおいしかった。一言添えるだけであいさつはコミュニケーションの架け橋となる。ひとつ屋根の下で親子がメールでやりとりする時代、文明の進化を否定するわけではないが、それとひきかえに代償がないわけでもない。可愛い絵文字付きの「おはよう」よりも、顔を合わせて「おはよ」の方が心に届くのである。
 その土地にしかない方言、親子にしかないお家語、友だち同士にしか伝わらない暗号のような言葉、どれもがちゃんとした言葉であり道具である。メールではとうてい表現できない隙間や温度が言葉にはある。
自分を含めた現代人にとって、大切な道具が錆びつかないようにするには、毎日せっせと言葉を使うしかないのである。



『名古屋のメリクリ』

 名古屋に来ている。名古屋は冬がいちばんきれいだ。派手好きで人目が気になって仕方ない庶民性がイルミネーションに表れている。忘年会でごった返す名古屋の街は華やかだ。女性達はいつもより入念に髪を巻き、アイラインを深く濃くさす。男たちは一見バブルなコートとマフラーでダンディズムを気取っている。気張れば気張るほどお水のアフターにしか見えないカップルは、名古屋を飾るもうひとつのイルミネーション。世界中で自分たちがいちばんオシャレだと信じ込んでいるが、名古屋を離れた途端に自信をなくしてしまうシャイなきらめきがガラス細工のように街の灯りを反射させる。右を見てもブーツ、左もブーツ、あっちもこっちもブーツ。この街は世界でもっともブーツを履く女性が多い。きっとサンタクロースは彼女たちのブーツの中にプレゼントを届けるのだろう。それが名古屋のクリスマス。ボーナスをはたいて忘年会のために新調したブーツ。歩き慣れなくてマメをつくって同僚の肩をかりてヨタヨタ歩行。ほんのさっきまでまったく気にしてなかった同僚の頼もしさと優しさが、借りた肩から皮膚感覚で伝わってくる。
 クリスマスには単なる同僚じゃなくて恋人だ。履き慣れないブーツのおかげでこんなに素敵なプレゼントが届いたよ。さぁ、窮屈なブーツなんか脱いで、都会のツインでメリークリスマス。
 名古屋の冬はとてもキレイ。ヒルトンホテルより、よろしく哀愁!



『GAKU-MC』

 友人のGAKU-MC主催の『FOOT MARK』に行ってきた。GAKUの呼びかけでさまざまなアーティストが集結する歌のパーティである。椎名純平、HALCALI、絢香、桜井和寿、ナイス橋本、SOFFet、ヨースケ@HOME、玉置成実、Miss Monday、正直知らない人もいたがそんなことなどまったく問題ではないほど素晴らしいパーティだった。
 GAKUが2度のミリオンを出したあとの低迷期を知っている。視えない未来にもがき黙した彼を知っている。恋愛で病み涙したことも知っている。どれだけ落ち込んでも負のオーラを伝染させない彼の配慮を知っている。約束の時間に決して遅れない生真面目さを知っている。人の悪口や愚痴を言わない男前を知っている。俺達のなかでは弟分なのに、彼が兄貴と慕われていることも知っている。そのひとりが絢香であり桜井和寿でありリップスライムであり数多くのサッカー選手であるにも関わらず、決して大口をたたかない謙虚さを知っている。
 GAKUーMC 本名/須古学 「学」という名から「GAKU」は誕生した。おそらく彼のご両親が大切な思いを込めて命名したものにちがいなく、彼が多くの人たちの中でさまざまなものごとを学び、そして俺は彼から計り知れない数のあれこれを学んだ。
 学問の「学」ではない。「GAKU」である。教科書にはない、人としての教えが彼と彼の仲間たちから溢れ出している。中年になった今だからこそ、もう一度GAKUらねばならんと強く思った3時間だった。



『キム・ヨナ』

 キム・ヨナの色気は末恐ろしい。なんだあれ、完全に色仕掛けである。そしてまんまとハメられる。それほどまでに美しく気高く意地悪な誘い。演技が終わるときのビシッという視線で完全に漏れる。誰がSで誰がMかを見透かした完全なる調教に溜め息さへもこぼれない。その視線に従うしかないのだ。
 それにしても女子フィギュアの採点は残酷だ。芸術点とか表現力とかがあるから不公平である。たとえばキム・ヨナと同じ演技を伊藤みどりがしたとしたらどうだろう? 女子選手の表現力は顔が整っていて初めて加点されるものではないだろうか。でなければ伊藤みどりはダントツで金メダルである。
 それをジャッジに尋ねたところで“そんなこたーない”と言うに決まっているだろうが、そんなこたーないわけがないのである。誰が見てもキレイだったりキュートな選手は加点されるに決まっているのだ。ならばスケーティングの前にプレジャッジとして容姿を数値化すべきである。キム・ヨナ+2点、真央ちゃん+1点、ミキティ+1点みたいに。そして協会は謳うべきだ。『美しければ点は上がる』と。明らかに容姿端麗が有利な競技である、とも。つまりはフィギュアという競技は生まれ持った肉体的資質が大きくものを言う競技であり、見てくれがそれなり以上でなければよほどの天才(伊藤みどり級の)でなければ世界のトップなど決して狙えないのだ。ちなみに男子は織田君のようなナイスなキャラが頑張っているからぶちゃいくでも可能性あり。
 技術面での可能性は努力の問題だろうが、美しさの、特に造形の美観の可能性には限りがある。いくら努力しても限界点があり、それがまったく努力などしない生まれながらに美しい人の足下にも及ばないことがあるのだ。むしろフィギュア協会は「はじめから美しいことも才能のひとつよ」と言うべきである。そう断言してしまえば、造形的にちょっと劣っていると思われる選手が大接戦の末、僅差で破れたとしても「あの子はスケートでは勝ったのにね」と報われるからだ。
 ともあれ、俺はかなりキム・ヨナ好きの真央ちゃん応援団であるが、本当は4回転を2回決めてミキティに大逆転金を獲って欲しいと願っているのです。



『またかぜだ。』

 不覚にもまたまた風邪をひいてしまった。今季3回目である。ふとももの裏がゾミゾミ(方言でぶるぶるってことね)して鼻が詰まってエブリタイム武田鉄矢である。昨日は久々に6箇所も移動して各所で喋りまくって最後に新丸ビルで飲んで、超久しぶりにスタイリストのツヨシ(野口)に会ったもんだからちょっと嬉しくなって、そしたら奥のスナックにツヨシの師匠の大久保さん(10日の日記にも登場)もいらっしゃって、しかも中折れハット、ボストングラス、黒ジャケ、黒パン、タータンネクタイ、サドルシューズと鏡を映したようにほぼ同じ格好をしてくれていたのでまた嬉しくなって『中々』の水割りを2ケタいってしまった。
 またまた今日はとあるデザインプレゼンがあり、気を張りつめていたら、クライアントの担当者S氏が、「おっ、いーねー」と言ってくれたので、また嬉しくなってスタッフ2人を連れて信州そばを食ったところで風邪がピークになって、事務所に帰ってウトッとしたらもうゴッホゴホで目眩いがしてぐにゃぐにゃのダリである。
 来週は毎日夜本番である。土日に寝て、元気になるばい!




2008/12/18

『ことば』

2008/12/17

『名古屋のメリクリ』

2008/12/16

『GAKU-MC』

2008/12/15

『キム・ヨナ』

2008/12/12

『またかぜだ。』
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