『ランチタイムのおばさん』

 よく利用するカフェにランチを食いに行った。店先で濡れた傘をビニール袋に入れていたら、後ろから指先でツンツンと背中をつつかれた。人に後ろ指を指されることは少なくともここ2年はしていないつもりだったが、俺の背中は確かにツンツンを察知した。細めのカーラーで髪の毛をくるくるに巻いたおばさんだった。
「なにか用ですか?」と答えると、「ここのランチは美味しいの?」と聞いてきた。
「それなりに美味しいと思いますよ」と言うと、「なにが美味い?」とまだ不安げな顔。
 そうですねぇ、「カレーも美味いし…」と言ったところで、「カレーとかピラフはいいの。他に?」と聞いたので、そろそろウザくなりはじめて「店員さんに聞いたらどうですか?」と言うと、「そんなの聞いたら入んなきゃいけないじゃないの」となったので、「とりあえずフリードリンク飲み放題ですよ」と教えてあげたら、「よし、入る」と態度を急変させた。おばさんが後ろを振り返り右手で“おいでおいで”のサインを出すと、どこに隠れていたのかおばさんとよく似たカーラー系のおばさんが3人、ぞろぞろと元祖カーラーのおばさんの元に歩いてきた。
「ここのキャフェテラスはドリンクがフリーで何杯でもお替わりできるのよ」とルーっぽく鼻高々に言ってから、都合4人のおばさんは順番待ちで並んでいる俺達の前に割り込んで店内に入って行った。
 おばさんたちが入店してから5分ぐらいしてから店に入ると、おばさんたちのテーブルには一人当たり3種類ぐらいのフリードリンクが並んでいたばかりでなく、コーヒー用のミルクやシロップが山積みにしてあった。アレ、多分持って帰るんだと思う。
 おばさんたちは禁煙コーナーでスパスパ煙草を吸って、店員に軽く注意されてから喫煙コーナーに移動させられたのだが、ミルクとシロップもしっかり移動させていたところに力強さを感じた。
 厄介でうっとうしくて軽くムカつくおばさんだが、なぜかすべておばさんペースで事が運んでしまうのはなぜなんだろう?やっぱおばさんは宇宙人なんだと思った。



『師匠の死』

 師が天に召された。御歳60歳。冒険心旺盛な師としてはまだまだすべき冒険が山ほどあっただろう。
 27歳の春に面接に行ったとき、「君は明るい。それだけで立派な才能だ。」と言われ即採用。4日後には宮古島に飛んでライターをやらされていた。
 宮古島ロケの撮影初日、夕食時にホテルの緑電話からお袋に電話をした。
「もしもし、業界ってとこはすげーぞ。夕食にステーキ食えるんやて。酒も飲めてな。モデルとかカメラマンとかスタイリストとかカッコいい職業の人がいて分からん言葉ばっか喋っとるけど、みんな楽しそうに部活みたいな仕事しとる。」
 それがスタートだった。
 一年後。師に言われた。「思ったより仕事できないな。期待はずれだった。」
 
 それから約半年後に俺は師の元を離れフリーを目指した。
 師は青山でお別れ会を開いてくれて、出席してくださったみなさんの前でこう言った。
「クリヤマは仕事の才能はないけど、人間的にはすごく才能がある…と思う。みなさん、コイツの仕事面ではなく、人間的なものに注目して付き合ってあげください。」

 あれから17年が過ぎた。いつか師と一緒に仕事をしたくて、というかいつか認めてもらいたくてそれなりに頑張ってきたけど、一緒に物を作ることはできなかった。
 師にとって俺の評価はあの日のままで止まっているのかもしれない。それが嫌でなんとか機会をと思っていたが、それも叶わぬこととなった。それでも「オレ、それなりに頑張っています」と言いたくて、祭壇の前に立った。そこには人から見れば、“なんと師らしい”と言われるようなダンディー極まりない表情が、しかし俺にとってはものすごくおっかない顔の遺影があった。
「で、お前、少しは仕事できるようになったの?」
 遺影は僕にこう言っていた。
「師匠、一緒に仕事しなくて正解ですよ。でなきゃかなりやきもちやいてますよ。」
 心の中でこう呟いたことが俺の師に対する最後のツッパリだった。

 生和寛さん。本当にありがとうございました。
 あなたのことはずっと忘れません。
 この仕事に就かせていただいて、ありがとうございました。



『3連休』

 今日は休みですね。どうなんですかね連休?なんでもかんでも祝祭日を月曜日に持ってきて3連休つくればいいという問題じゃないと思うよ。ひとつの景気対策かもしれないけど、そう何回も3連休ができちゃうと仕事のリズムが狂ってしまう。誰もが連休前にはそわそわして連休後はだらだらで、気がつけばこの国の社会人は連休病患者ばかりですよ。
 祝祭日は元々設定された日に休んでこそ“得した感”があるわけでしょ。月曜と水曜日に挟まれた火曜日に休めるからラッキーなわけで、たまたま祝祭日が月曜日にあると大ラッキーとなるわけでしょ。そうしないことには週休2日が物足りなくなってしまう。
 そのうちに月曜日は午後出社で金曜日は半ドンにきっとなる。そうなると金を使いたくてもその前に金が稼げてないから連休は超意味がなくなるんだけれど、国中が不景気だから雇用者も金を払えなくて必然的に週の半分以上が休みにせざるを得なくなる。
 こうなってしまったら、もうこの国はおしまい。スペインとかあっちの方のお気楽で有頂天な国と同じになって、そのうち時間とか約束にもにもいい加減になって、ちゃらんぽらんな国家になってしまうのである。
 そのためにも3連休制度を見直すべきではないか。3連休病を無くしさえすれば、少なくとも月~金は社会人として機能するはずなのだから。
 思い起してください。お正月、GW、お盆、どれをとってもその直後はボンクラデーです。それを年に10回ちかくもやったら仕事と休みとの関係は健やかではなくなってしまうです。
 ガソリンも高いし、たまには家に隠ってこういうことを考えるのもいいものなんじゃないのかな?



『ヒビオキメロヲ 地元で唄う』

 先日日記に書いた「ヒビキメロヲ」というロックバンドが、兄貴の勤務する中部学院大学でライブをすることになったらしい。中部学院大学はギター&ボーカルの土松勇姿の出身地にあり、彼はその名の通り故郷に勇姿を見せられるか?そして兄貴は、気に入ったら絶対誘う「うなぎの孫六」に彼らを連れて行くのか?孫六でうなぎを一緒に食うことになったら、彼は東京出身のメンバーの前で、俺の6倍方言の強い兄貴と、ちゃんと方言で語り合えるのか?
 田舎の人間なのにタラタラと東京弁を喋る男に兄貴は厳しい。26年前は自分もそのクチだったのに、今ではすっかり田舎のおっさんになって、東京弁ってどーゆーふーにはなすんやった?とマジで聞く男である。
 兄貴は「俺は東京に憧れて行ったけど、東京には染まらへんかったでな」とも言う。「東京におるからって使い慣れとらん東京弁しゃべっても、気持ちが伝わらへんやろ」とも。どの言葉を聞いても、あー、もっともっと東京に居たかったんだろうなと思う。事情が事情だっただけに東京に居続けることができなかった兄貴は、心のどこかに東京への忘れ物があるのだろう。
 その兄貴が25年勤務する大学で、彼は田舎っぽさと東京っぽさをMIXしたロックを見せることができるのだろうか?
 答えはひとつ。「孫六」へ行くかどうか。
 ささやかではあるが、かなり楽しみなのである。



『悩みと人生』

 野菜スープと夜の炭水化物抜きは効果テキメンで、ひと月で2キロ痩せた。2キロぐらい大したこと無いと笑う人は笑ってくれ、俺にとっては必要な肉は1グラム足りとて落としておらん。夜までそこそこ食って、おかずも食いまくって酒も飲んで、ほどほどに身体動かして、いつものペースと変わらないままに2キロ減なのだ。決して郷ひろみの肉体を見てしまったからではない。自分にとってなんとかクリアできそうな数値として“3ヶ月で5キロ減”という目標を立ててみたのだ。
 目標を持つことは悪いことじゃない。目標を立てたせいで我慢や壁が出現するが、多少そういうものがなくては生活は面白味がなくなる。なんでも好き放題はよくない、特に自分のカラダに跳ね返ってくることとなると切実な気持ちになる。ましてやもう立派な中年だ。ここ数年をどう肉体的に乗り切るかで老後の生活に大きく関わってくることには違いない。
 若い気持ちを失ったわけじゃない。それなりにツッパってもいるが、穏やかに行こうという気持ちも芽生えた。遠慮とか主張を控えるとかいう類いのものではなく、ひとつの生き方として穏やかさを持つことは大切に感じる。
 若いうちはなぜ若いのだろうと悩み、30を超えたら中途半端だと悩み、40を超えたら若いつもりだけどそうでもないことを悟り、そして今はもうすこし先のことを考える。長い人生の中ではどれもが額にニキビをつくっていたときのようなたわいもない悩みなのかも知れないが、きっとそんなちっぽけで当たり前の悩みが人を育て人を優しくしてくれるのだと思う。悩まない奴はとても羨ましいが、悩んだ奴には悩みを越える喜びがある。
 とりあえずウエストをあと5センチ減らしてスッキリしよう。




2008/10/15

『ランチタイムのおばさん』

2008/10/14

『師匠の死』

2008/10/13

『3連休』

2008/10/10

『ヒビオキメロヲ 地元で唄う』

2008/10/09

『悩みと人生』
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