『911。7年』

 あれから7年が経った。アメリカは立ち直ったのだろうか。テレビでは地球をボロボロにしたブッシュに替わるリーダーを決めるために派手なイベントが繰り広げられているが、オバマでもマケインでもどっちでもいいのでもう少しまともな国にした方がいいと思う。
 今、世界中のあちこちにヒビが入っている。地上だけではなく地べたの下にも空にも歪みが入り、地球そのものがパンクしそうになっていて悲鳴が聞こえる。
 我が国はといえば、相も変わらず無能で無責任な政治家がゲーム感覚で選挙と国会を遊び、血税を乱用しては汚職を繰り返すクルクルパーな連中ばかり。政策云々と口上は立派だが、誰ひとりとして公約を守らない嘘つきばかり。国を良くすることよりも敵をこき下ろすことに命をかけた低俗な口喧嘩が繰り返されるだけである。それを喜んで報道するメディアもやっぱりバカで、もう処置なしの状態だ。
 7年という時間を、無駄と言える俺たちはまだいい。7年前にとばっちりで死んでしまった人たちはバカバカしく思うことさえ出来なくなったのである。旅客機がビルに突っ込む。テロリストはその機内にいて罪のない人を巻き添えにして死んだ。テロリストにとっては意志ある死でも乗り合わせた乗客にしてみれば殺人の標的となっただけ、まったくの不運。ふざけすぎている。
 あれから7年経った今、誰もが思うことだろう。「7年経ったけど…」と。
「けど」というあまりにも落胆する文字と意味。時間はただそこに流れているだけ、永遠に同じペースで淡々と。都合良く時間をいじることはできないが、当たり前に流れる時の中に意味を込めることは可能なはずだ。大統領も総理大臣も気軽に変わるのは結構だが、少しは地球の住民のことを考えてほしいものだ。
 地球の堪忍袋の緒が切れて本気で怒ったらえらいことになることを、もう少し本気で考えてくれ。




ブラザートムさんの携帯電話はこんなことになってます。




『おばさんのウォーキング』

 おばさんはなぜウォーキングするときにワイシャツを着るのだろう。シャツの裾をスエットの中に押し込んで、ウエストポーチを腹の前に置き、薄手の手袋をはめ首に○○温泉と書いてあるような白いタオルをかけてツバがやや小さめの麦わら帽みたいなやつをかぶりアゴひもをかけて歩く。
 この格好はお百姓さんが田んぼや畑仕事をするときとほど同じである。ちりめんのムームーみたいなやつにもんぺではなく、都会の農家にはこのテの格好が多い。
 ちりめんともんぺでは都会人のプライドが許さないのだろうか。だとしてもそれが田畑ではなく公園となるといかがなものか。いやちがう、それこそが彼女たちのプライドなのだ。
 ポイントは「恥じらい」である。いくら動き易いとはいえ、安易にTシャツやタンクトップを着たり短パンを履くことに抵抗があるのだ。女性はあくまで女性らしく。肌は晒(さら)すものではなく包まれた衣類の下にそうっとしまっておくものなのだ。戦時中に生を受けたナデシコである、肌をさらすのは一生にひとりだけでいい。そのたったひとりが戦争で死んだら、あとは思い出を抱えて生きればいい。たかだか森を散歩するぐらいで人様に肌を晒すような尻軽とはわけがちがう。
 パンツ丸出しルック?ヘソピアス?股間にタトゥー?この非国民が!肌は女の純真、死ぬまで守り通してこそ先祖に迎え入れられる大切な通行手形だ。
 iPodを聞きながらだとなぜか歩けない俺は、あまりにヒマなので前にいるウォーカーたちの後ろ姿に勝手な想像を重ねながら歩みを進める。その後ろ姿を2分凝視すれば、年齢、職業、出身地、初体験、好きな食べ物ぐらいは大概わかる。
 さぁ、いい汗かいたしいい想像もできたのでそろそろ帰ろうかと木陰の散歩道を通ると、さっきのおばさんがワイシャツを脱いでラージサイズのランニング姿になりタオルで脇の下をゴシゴシ拭いていた。
 俺の想像は見事に崩れ去った。




秋がはじまった中目の夕方。




『トニー』

 昨日、約10年振りにトニーと仕事をした。トニーとは銀座にある出版社に通い詰めていた頃、某男性誌でよく仕事をしたカメラマンである。
 撮影はトニーのスタジオを拝借することになった。場所は門前仲町。生まれてこの方、合計で70分ぐらいしか居たことのない不思議な場所だ。
 生粋の東京人からすれば、門前仲町こそは江戸っ子の背骨の部分と言うけれど、旭川出身のトニーにしたら牛肉のサガリみたいな部分でかなりマニアックで希少性の高い秘密基地のようなスタジオだった。それは俺も同感で、こんな穴場があったのかと思うほどに都合が良くて広くて静かで、しかも家賃が安い夢の空間だったのだ。
 道路を隔てて向かい側には喫茶店があり、そこのオムライスがしつこくないデミグラスソースで抜群に旨く、さらにはオムが出来上がったらマスター自ら呼びにきてくれるという、良き時代の近所付き合いも残っている。
 道路といっても小型の宅配便がようやく通れる一方通行の道幅で、月島の路地裏ほど狭くもないから、お向かいさんにプライバシーを覗かれることもなく、かといってヨソ者がクルマでバンバン通ることもない、ほんとうに使い勝手のよいサイズである。
 そんな場所にスタジオを構えてトニーの写真は変わった。昔はキチガイとしか思えない写真ばかりだったが、今ではトチ狂っているキチガイの肋骨の裏側にある健気さや、彼らが暴れまくった場所にわずかに残った匂いを映しだすキャパの広い世界観を身につけていた。生々しすぎて残酷すぎるのに拒否反応を起こさない、不思議なリアリティを醸し出す彼の写真は、天才・笠井爾示の瞳に捉えられたそれに似ている。
 46歳の女性美がモニターに浮かびあがる。生々しさこそが美の象徴だと諭すように時間をかけて構築された穏やかで豊かな美がそこにある。
 渾身の仕事を終え、トニーは居心地の良い空間で誰の目をはばかることなく、バンコクで購入したハンモックに揺られ極上の時に身を委ねる。
“クリさんにはこんな時間ありますか?”と余裕の視線を感じたので持参したウクレレで対抗したけど、ウクレレを弾きながら羨ましさだけが残るポジティブな嫉妬を覚えた一日だった。
 トニーとは谷内俊文のニックネーム。「ト」が付くからといって「トニー」とは…そのだいたいなところがまたトニーの良いところなのだ。




トニー撮。




『ヒビキメロヲ』

 後輩がやってきた。後輩といっても19歳年下だから後輩過ぎるが、小学校も中学校も同じだから生粋の後輩である。後輩はバンドをやっている。『ヒビキメロヲ』といってROCKに三味線を合体させたかなりアバンギャルドなバンドであるが、どこかに切なさを隠し持ったセンチメンタルな若者たちでもある。
 音楽のことはよくわからないが、こうして田舎から上京して頑張っていて、しかも小、中が同じで実家も数百メートルの距離にあるということを知ったら「ふ~ん」じゃ済まされなくなった。 
 ギターとボーカルを担当するのが後輩・土松勇姿(つちまつゆうし)である。名前がゴツイからてっきり武士の末裔か親父さんがヤンキー上がりか組関係の人かと思ったが、すごく生真面目な方らしく何十年も床屋を経営されてると聞いて、パーマ屋のせがれである俺は、そこにもビビッときたわけだ。
 そいつと昼飯を食べながら方言で話した。俺はいつも使っているからさほど懐かしさもないけど、そいつは慣れない東京弁で毎日を過ごしているだろうから、きっと何か感じたり思ったりしたんじゃないだろうか。
 方言は一方的に話すだけでは戻らない。相手の言葉も方言で、それに方言で返さないことには昔の言葉は甦らない。俺と勇姿は昼メシを食っている間、ずっと方言で、しかも田舎のことばかり話した。勇姿がお盆に帰ったらしく、その時の田舎の花火大会や縁日の模様をデジカメのモニターに映しながら、ずっとずっと方言で話したらちょっとカントリーシックになった。
 故郷の人たちの間で、ヒビキメロヲの曲が知れわたるようになればいいなぁ。それにはヤツらに東京で頑張ってもらうしかない。俺にできるのは飲みに連れて行くことぐらいかもしれないけれど、俺なりに応援しようと思う。




ヒビキメロヲ 土松勇姿。




『9月の蝉時雨』

 蝉時雨が鳴り響く。季節の終わりと命の終わりを告げる壮大な合唱。脳天を突き抜けるような高音がたまらなく哀しい。感情など微塵もない本能の奏で。俺たちの一生もこの広い宇宙の中では蝉時雨と同じなのかも知れない。必死で食らいついて顔を真っ赤にして心臓を速く叩き息を切らしながら生きたとしても、この宇宙においては所詮、蝉時雨。儚さを知ることも人生においては意味のあることだ。儚いからこそせめて生きているうちに自分の考えを持ち行動することはきっと間違いではない。たとえ俺が宇宙の一部であり蝉時雨であったとしても、俺にとっては俺だけが俺だ。だから蝉時雨、このまま鳴り止まないで、泣き止まないで。せっかく生まれてきたのだから、鳴き疲れてもう泣けないというまで鳴いてくれ。




すごい看板だ。
「荒野の七人」と「七人の侍」がコラボしてる。
許可とってんのかなぁ?





2008/09/11

『911。7年』

2008/09/10

『おばさんのウォーキング』

2008/09/09

『トニー』

2008/09/08

『ヒビキメロヲ』

2008/09/05

『9月の蝉時雨』
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