『電車の中のおばさんの視線』

夏が近づき女性が開放的な服装をすることは嬉しいことだが、おばさんたちはそうは見ていない。ヘソ、ケツ、ワキ、ヨコパイ、そのどれもに過敏に反応し眉間にシワを寄せている。
 PM7:00東横線渋谷発みなとみらい行き。仕事を終えた若いOLはそれぞれのアフター場所へと向う。とても1日働いたとは思えないほどバッチリな化粧をして、そしてピンヒールにローウェストパンツ&ヘソ出しタンクトップである。
 車内は軽いラッシュでギュウギュウ詰めとなりOLは右手をつり革へ伸ばしている。OLの右隣では仲本工事に似たサラリーマンが額に汗をかきながら肩をすぼめている。工事はほんとうはOLのオープンになったワキとその密峡から垣間見えるヨコパイを拝見したいのだが、工事とOLの正面に立つもたいまさこみたいなおばさんが怖くて覗けない。おばさんはもの静かだけどものすごく怒っていた。言葉は発しないが、「フーッ」とか「ハァーッ」とか「ったく」と「チッ」かブツブツ言っていた。とにかく目がすごい。顔面の力を眉間に集中させてヨリトモ社長のような眼光をつくり、それをおもむろにOLのワキにロックオンして時折り隣の工事にも視線を浴びせるのである。何も悪くない工事はたまったものじゃないが、本当はヨコパイを覗きたいという罪悪感があるから睨まれるとしゅんとなってしまうのである。
 一見ゆるキャラのもたいまさこ顔が般若のように変わるその落差だけでも相当怖いが、そこに「フー」や「ハー」が付け加えられるからさらにヤな感じは高まる。
 当のOLはそんなことには慣れっこで、おばさんの眼光に対して「どした?いーじゃん。あんたもやれば?」みたいな余裕な視線を返し、その緊張感高まる空気を察して工事の肩はさらにすぼまった。
 俺は見た。その眼光の鋭さの裏側にあるものを。それは憧れだ。確実に“ちょっと羨ましい”感がブレンドされているのを感じ取ってしまった。おばさんの下げているCOACHの新作。TODSのパンプス。パンツは詳しくわからんかったがあれはたぶんラルフ・ローレンかポール・スチュアートだ。上物はなんてことなさすぎて想像できなかったが、顔がもたいまさこに似ているだけで総合的にはかなりのシャレ者、しかもコンサバである。
 おばさん、若い頃からトレンドにはうるさいけれど、コンサバ過ぎて開放感たっぷりな格好したり冒険したりすることができなかったに違いない。だから自分ができなかったカッコしてる女子を羨む気持ちがやっかみに変わりそれが憎しみに変化し仲本工事を巻き込んで、それなりにオシャレしてるのに般若の顔だけがフォーカスされてしまう残念なライフになってしまったのである。
 格好なんてどうでもいいっていうおばさんならともかく、それなりにきちんとキレイな格好しているおばさんが急に般若に変わって、ヤなモード全快で若いコに視線を浴びせることは決して美しいことではない。逆にそれを微笑ましく捉えてあげるぐらいの度量が必要だ。確かに電車の中では若いコが主役であるが、おばさんたちがそのルックスにいちいちキリキリなってたら、おばさんたちの株が益々下がってしまう。  
 俺はいつもニコニコしているおばさんを見ると本当に気持ちいいなって思う。ニコニコしなくてもいいけど、眉間にシワを刻んでいないゆるやかな表情をした大人を、ひとつの景色として気持ちよく感じている。東京の、東横線の、ラッシュ時の電車の中でゆるやかな表情を無理矢理つくれとは言わないが、電車というちっぱけな空間の中で明らかに自分の勝手な思いを誰かに浴びせ、さらに周囲を巻き込んで緊迫する時間をつくることは好ましくない。
 電車とはそういう空間。とんでもない迷惑であるならばともかく、誰のものでもない場所の空気を好き勝手に壊してはいかんのである。



『映画づくりにあたり』

 ある映画監督と話をしているととても清らかな気持ちになる。ヨイショではないけれど、僕が言うことをほぼ肯定してくれて気持ちがいい。映画の企画はやがて日常に於ける人の在り方にスライドし、映画製作を生業としている人たちにとって、じゃぁどんな映画を人々は受け入れてくれるのだろうという話に発展した。さらに言うならば、他人のためにどんなものを創れるか。クオリティの善し悪しではない。それをつべこべ言うのは僕らの世界だけ、つまり狭い視点観点の持ち主だけである。
 クオリティすなわち品質であるが、たとえ偉い評論家が太鼓判を押したとしても、一般の人々が観てくれなければ意味はない。国内外の映画賞は政治的な絡みや癒着などで操作することが出来ても、一般人へ滲みさせ方はコントロールできるものではない。
 どんなものが受け入れられて、どんなことを伝えられて、どんなふうに愛されたいか。その思いをどれだけ大切にしてもらえるか。作品づくりは商売であるが、観ていただく作品のチケット代の中にどんなものを詰め込むことが出来るかを考えながら製作現場と向き合いたいな、なんて話を3時間もしたのである。
 エゴは捨てるが自己は守る。そんな思いを持った人たちが集まる現場、理想だなぁ。
 僕の専門は映画ではないけれど、今日話したことを忘れずになにかを創りたい気持ちになったのでした。

 と、ここで表参道でライターの武田篤典に遭遇。
「久しぶりす」
「よ、なんでそんないいカッコしてんの?」
「聞いてください。中曽根前首相にインタビューしてきたんです」
「すげーじゃん。どうだった?」
「どうもこうも、ただただドラマチックでした」

 彼は素晴らしい映画を観たときと同じ気持ちだったのだろう。



『スポーツだ!』 

 ユーロ観すぎて眠い。27時45分キックオフ、そりゃ反則だろ。前夜はタイガーウッズ奇跡のプレーオフで空が白くなるまでテレビ漬けだし、どっか海外行ってきたぐらい寝不足で時差ボケだ。
 でもいい。暗くてやりきれないニュースばかりの報道番組を見るよりはスポーツ番組で興奮する方が断然健やかなのである。
 筋書きのないドラマとはよく言ったもので、スポーツにはときどき信じられないことが起こる。それが人々を魅了し人の中にあるなにかに火をつける。そして人は多少の勘違いに気づきながらも、スポーツ選手のように自分を人生の主人公に置いて自分を高めようとする。
 出っ張った腹でもタイガーのようになれると信じてまずはナイキのキャップとポロシャツを買い、ゴルフパンツに至っては意気込みを表すようにあえて1サイズ下の物を購入する。予定では1ヶ月後にはウェスト-7センチ、体重-7キロ、体脂肪率-5%。したがって大人買いしたMサイズの赤と黒とストライプの3種類のポロシャツは夏の太陽に眩しく反射するはずである。
 予定どおりにいく人はごく稀だろうが、そういう気持ちなること自体に意味がある。腹より先に財布の中味がシェイプアップされて家計はアップアップになろうとも、俺だってまだまだというあきらめない気持ちが家庭を円満にするのである。
 妻は道端で近所の奥様に「宅の主人はどうせ無理だとわかってるのにタイガー目指してシェイプアップはじめたんですのよ」と嘆くものの、実は大いなる期待をしていて、心の中では「ウチの主人がシャープになったらお宅のご主人なんて目じゃないぐらいカッコよくて、ヨン様だってびっくりなんだから」とかなり本気で思っているのだが、残念ながら当の奥様ときたら「あたしんち」のおばさんみたいなルックスなのである。
 男たちは本気だ。スポーツを観ると、感動すると本気になる。受けた感動を人ごととは捉えず、自分にも人を感動させる力があると信じている。そして誰よりも自分が自分に感動したいと思う生き物である。
 さぁ、スポーツをしよう。スポーツウェアに着替えてスポーツシューズを履こう。まずは歩き出そう。次はジョギング、自信があれば全力で街を駆け抜けるのもいい。世界中を感動させるスポーツ選手だってみんなそこからはじめたのだ。現に、あなただってスポーツの快感を知っているはずだ。
 だから、だったら動き出そう。歩きだそう。毎日ほんのちょっとずつ、タイガーに近づいていこう!
 結果「ダメ」とやる前から「ダメ」とはワケが違うのだ。



『カメ』

 今日みたいに何にも手につかない日は川に行くのがいちばんだ。そこにはただ水が流れていて、そこには魚が泳いでいて鳥がやってきて亀なんかもいっぱいいる。
 俺は亀が水に流されそうになりながら川面に突き出した石の頂上によじ登るのを見ているだけで気持ちが晴れやかになる。人間の視点で見れば、なんでそんなことぐらいちゃっちゃとできんのかと思うけれど、亀にしてみれば必死そのもの。俺は川にやってくるとなぜかカメの目線で物事を考えられるのである。
 ちょっと甲羅が冷えてきたから石の上で日干しにするか。けどちょっとココ流れ早いな。まぁいいや、流されたらまたゆっくり戻ってきてもう一度挑戦すればいい。太陽はしばらく沈まないし僕の甲羅も風邪をひくほど冷えているわけじゃない。登れたら登れたで、登れなかったらそれはそれで仕方ない。焦ってもスピード出して走れるわけでもないし、それよりは自分のペースの方が大切だ。
 仕事をさぼって川にやってくる人たちは、きっとみんな亀の気持ちになりにくるのだ。頑張っても認めてもらえなかったり、しくじって落ち込んだり、失恋して目の前が真っ暗になったり、みんな川にやって来てはただ川を眺めている。横切るカップルを羨ましく思って、通り行く人がみんな勝ち組に思えて、自分は何だと問いかけながら、そしてまた川を見る。
 川の流れは止まらない。岸辺から見ているだけでは穏やかだけれど…
 そこにカメさん現れた。大きな石を見つけて方向転換して泳いでくる。カメの苦しそうな泳ぎを見ていると、なるほど、けっこう流れ強いんだなって思う。見た目穏やか、カメさん必死。人間社会とおんなじだ。
 頑張れカメ!なんとかよじ登れ!そんな時、誰もがカメの気持ちになっている。周りにはなんてことない出来事の中で、誰もが精一杯頑張っている。頑張っているけど頑張っているように思われない。どれだけアピールしても、「そう、たいへんだね。じゃ、お疲れ」。
 悔しくてやりきれなかったときには川に来て、そして亀の石登りを見ると良い。誰がなんと言おうが、自分は自分、そして自分は亀だ。今度失敗したら最後だぞと言われても、失敗したら仕方ないのだ。
 なんど失敗してもそこに太陽はある。川も流れてる。そして自分もここにいる。またくじけそうになったら、川に来て、亀のすごさを感じればいい。



『レーシングドライバー伊沢拓也』

 気がつけば友人の息子がレーシングドライバーになっていた。なんと今年からフォーミュラ日本に参戦していると言うではないか。小学生高学年からカートレースをやって案外良い成績で、その上のクラスでも中々の成績で…というところまでは聞いていたが、フォーミュラレースのレーシングドライバーになっているとはビックリである。
 さらにフォーミュラニッポンで3週連続入賞したりGT500では3位入賞したりと、その驚きは加速するばかりなのだ。
 友人の息子の名前は伊沢拓也(いざわたくや)。小学生の頃からさっぱりした性格で清潔感溢れる子供でなかなかのハンサムであった。彼のホームページを覗いてみたが、昔から少しも変わっていないのだけれど、それでも彼は立派なレーサーに成長したわけで、そのサイトにはファンからの声が沢山寄せられている。
 いつの間にか彼は人々の夢や憧れを背負う人間に成長したのだなと嬉しく思った。
 毎日に翻弄されていると、歳をとったのは自分だけのような気がするけれど、誰もが同じだけ時間を過ごし、それぞれに成長しているのだ。拓也のように夢を叶えた奴もいれば、志半ばで人生をシフトチェンジした奴もたくさんいることだろう。俺の知らないところで俺の知っている奴も忘れてしまった奴もそれなりに今を生きているのことには違いない。
 そういえば拓也は俺が遊びに行くとすかさず背中を丸めて体を防御していた。俺が全力でこちょこちょするからである。24歳になった彼を久しぶりにコチョぐってやろうかと思うが、「マジでやめてくれません?」とクールに返されたらかなり落ち込んでしまうのだろう。
 でもトライしたい。俺、コチョぐるの大好き。昔から友だちが泣くまでやってたから。やりすぎて友だちのお母さんから「お願いだからもうしないでください」って手紙もらったけど。
 ともあれ、拓也、おめでとう。もっともっと上目指して頑張れ! うれしかったぞ!




2008/06/23

『電車の中のおばさんの視線』

2008/06/20

『映画づくりにあたり』

2008/06/18

『スポーツだ!』 

2008/06/17

『カメ』

2008/06/16

『レーシングドライバー伊沢拓也』
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