『自殺』

 キレイだなと思っていた女子アナが自殺した。キレイな顔の裏側には笑顔を作らなければならないという使命感と義務感が交差して辛かったことだろう。心が病んでいるのに笑わなければならないという哀しい職業。息をするのも寝返りをうつのもさぞ苦しかったことだろう。ご冥福をお祈り致します。
 自殺。その死は発作的なのか計画的なのか、はたまた誰かに操られるようにしてそうなってしまうのかは解らないが、人間死んだらおしまいだ。苦しくたって生きていることにはそれなりに意味がある。世界中で頻発する惨事に映し出される映像は、どれもが生きようとする姿と、生きられなかった無念さだ。
 死は選ぶものなのか?もちろん人それぞれに理由はある。理由はなくとも権利はある。だけど、どんな理由があろうとも自殺は哀しくそして虚しい。人の死からはいろいろなものを学ばなくてはいけないが、生きていたらもっと多くのことを学べる気がしてならない。死が本当に安らぎを与えてくれるのであれば、導かれるその日まで、大切に生を全うしたい思うのである。
 意を決して自殺した人たちにとって、せめてあの世が安らげる場所であらんことを願う。



『夜明けのミュー』

 夜明けが早くなった。4時すぎにはすでに暁の兆しだ。俺はこの時間が好きだ。別に好んで起きているわけではない。小便が近くなって起きるか、あるいはこの時間まで飲んでいるかのどちらか。ふと気がつけばカーテンの向こうに朝が身支度をしているのである。 
 ぼやっとした朝のはじまりを見ていると中学生の頃、深夜ラジオを聞いていたころを思い出す。何も知らなかったあの頃はなんでも知ったかぶりをしたくてラジオに耳を傾けていた。ラジオがなんでも教えてくれたわけではないが、あらゆることを想像させてくれた。テレビのように直接的で味気ない物ではなく、視えない物を視ようとする感性を養ってくれた。もちろんロクでもないことばかりだけど、夜明けの俺の頭の中には脳みその代わりに海綿体がごったがえしていた。
 あれから何十年も経って、我がシンボルは海綿体の活動よりも尿意優先になってしまったが、ぼやっとした朝の中にいると、なんとなく俺、少年のような気がする。
 新聞配達のバイクの音、牛乳配達のビンの音、すでにウォーキングをしている年寄りのジャージーのシャカシャカする音、チチチという小鳥のさえずり、ドップラー効果で聞こえるカラスの声、ひとつひとつに耳を澄ましていると、辺りは次第に白くなる。
 小便で起きたのに、こんな呑気な時間の中にいるとまた一杯やりたくなる。
 カランカランと氷が鳴るグラスの音も俺の夜明けの風物詩だ。



『レスリーとリア・ディゾン』

 昨日は写真家のレスリーとリア・ディゾンのトークショーを見学しに行って来た。どれどれ、ほほう、これがリア・ディゾンかと見とれながら外国人ふたりの話をしばし聞くと、ふたりとも日本が好きでしかたないらしい。レスリーの日本好きはよく知っているが、リアがそれほど好きだとは思わなかったし、そもそもリア・ディゾンなる女性を知ったのもついこないだである。
 それはよしとして、ふたりとも単なる日本好きではなく、この国で相当な覚悟を持って生活をしているというところに驚いた。母国を捨ててとは言わないが、帰りたくても帰れないことを承知で働いている立派な社会人でもあるのだ。
 そんな良い話を聞きつつ、俺はと言えば、ここ最近は東京にも飽きて、どっか遠くへ行きたいなぁと思っていた。といっても実家のある故郷ではなくて、日本の中のどこか。海はなくてもいいけど、川がなくては困る。山も。あまりにも田舎過ぎるのは困るし、せめてコンビニ程度のスーパーがふたつはあって、できれば飲み屋も居酒屋、スナック、バーと3パターン×3ぐらいある場所が望ましい。
 昼は川で遊ぶ。川の中で足を伸ばして座って股間に水がダーッてなるのを楽しんだり石を投げたりしてそれでおしまい。川魚は嫌いじゃないが、魚の顔を見るのが怖いので釣りとかはもってのほか。どこかにバーベキューをしている人たちがいればすすっと合流して焼き魚をいただくのも悪くはない。
 夜はクルマとテントをジョイントさせてとっておきの歌謡曲を流しながら河原で寝る。真暗闇で怖いが、星が綺麗なので怖いと嬉しいとキレイが混ざって変な気持ちになりながら眠れるのが嬉しい。
 それが今の夢。2泊3日。近くの川のある場所を目指す。
 レスリーとリアの感動的な話を聞きながら、こんなことを考えていたのはきっと俺ぐらいだろう。
 ま、東京でちゃんと生きて行くためにはこういうことも必要なのさ。



『キムタク』

 やっぱキムタクはすごい。『CHANGE』を観てて、そんなことありえないだろってツッコミ入れながらも、気がつけばドラマに参加しています。
 そもそもこの国の娯楽はドラマが主流になりすぎて、しかもどれもがパターン化しつつあってうんざりしているところに、キムタクはいろんな役で楽しませてくれている。心ないファンやアンチ・キムタクは「なにやっても同じ」と言うけど、逆に言えばそれほどに彼の存在感は強いということなのである。そういう人に限ってキムタクのことが気になって仕方ないんだよな。アンチ巨人と同じ発想だよ。否定すればするほど認めているってこと。それにキムタクがいるからいろんなことが比較できると思うんだけどな。
 しかもキムタク、抜群に上手い。あり得ないことを「あるかも」と思わせてくれる素晴らしい役者である。その証拠に視聴率がすごいでしょ。局がお金をかけているからとか番宣をしこたまやるとかも数字に反映しているかもしれないけど、逆にそのプレッシャーに打ち勝っているから数字が獲れるんだから。毎回毎回ドラマに主演するために半端じゃない期待をかけられて、そしてちゃんとキメる。立派だよ。
 テレビ局にとって良いドラマとは、視聴率を稼げるドラマである。その作品性やクオリティもそうだけど、その時間にどれだけテレビの前に座らせられるかが決め手である。
 マジでキムタクが総理大臣になったらどうしよう?
 ありえないでしょ、そんなこと。とわかりきっているのに観てしまうキムタク劇場。その流れでスマスマまで…。ある意味テレビ界の総理だよな。

 ちなみに『ごくせん』も観てます。仲間由紀恵が髪をほどきながらタンカをきると、なぜか涙が出てしまいます。



『蕎麦屋の珍事』

 広告代理店に寄った帰りに相撲が見たくて蕎麦屋に入った。そばが食いたかったわけではないが、テレビのない蕎麦屋はまずないし、食い終わってテレビを見ていても蕎麦屋ならあまり急かされないどろうと思って。
 注文はしたし、さてと、相撲だ。
 そこへ変なカッコしたおっさんが入って来た。ヘンといっても汚いとか貧乏臭いとかいう類いではなく、金かけてカッコつけてるけど超ダサいというテだ。
 よく見るとおっさん、見覚えがある。目と目が合った途端、おっさんの顔が引きつった。そのおっさんは、俺が12年ぐらい前に追い込んでやった奴だった。
 おっさん顔ひきつらせながら「やぁ、どうも。お久しぶり」。俺も「おひさしぶりです」。それ以外にもちろん会話などないし、なんか話しかけられようものなら今でも噛み付きそうな感じなので、俺にはその沈黙が都合良かったけど、おっさんはたぶんどーしよーもないぐらい気まずかったと思う。その気まずさを紛らわすようにメールをいじっていた様子なんだが、着信音がインチキくさい女子十二楽坊みたいなマヌケな音だったので、かなりイライラした。まぁおっさんにしてみればメールぐらいしか頼みの綱がなかったのだろう、見過ごしてやったさ。
 なんで俺が12年前に怒ったかはおっさんの名誉に関わることなので解説は避けるが、あってはならないことをおっさんは平気でやってしまったわけだ。そして俺はといえば、おっさんのケツ拭くためにあっちこっちと頭を下げに行ったわけで、下げた頭を持ち上げた途端に腹わた煮えくり返ったということです。
 相撲を見ている俺の後ろの席で、おっさんは冷やしなんとかを頼んでいた。俺が相撲観戦に夢中になっていたら、おっさんついさっき注文したばかりだと思ったのに早々とお勘定をしていた。喉の通りが悪かったのか知らんが、注文してから10分もたたないうちに引き戸に手を掛けようとしている。そしておっさん、たぶん意を決しての言葉だったと思う。
「お先に」
 その頑張った感じに応えるように俺は言った。「おつかれさまです」
 きっとほんとに疲れただろうから、おっさんには相応しい言葉だった気がする。
 それからしばし、蕎麦屋のおやじと一緒に相撲観戦してから俺も席を立った。後ろを振り返ったら、おっさんの座っていた席のテーブルには、冷やしなんとかがたんまりと残されていた。




「そうですね。そろそろ梅雨ですね。」





2008/05/28

『自殺』

2008/05/27

『夜明けのミュー』

2008/05/26

『レスリーとリア・ディゾン』

2008/05/23

『キムタク』

2008/05/21

『蕎麦屋の珍事』
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