『竹下通り』

 原宿を歩く女の子たち。男の子も。みんな。
 彼らにとってGWの原宿はステージだ。自分がどこにいるかを計るステージ。いつかこの街で、いつもこの街をカッコよく歩きたいという、ささやかだけど壮大な夢を見せてくれる憧れの街。
 何時間も電車に乗って、飛行機に乗ってやってきた子だっている。みんなみんな『原宿』という得体の知れない、けれどどうしよもなく魅力的な魔法のようなこの街に吸い寄せられてやってくる。
 竹下通りではすれちがう誰もがライバルだ。この街を歩くために何日も前からスタイリングを考えてきた。都会で流行のファッションを研究して、隣町の本屋さんまで足を運んで仕入れたバイブルをくしゃくしゃになるまで読み倒し、とっておきのオシャレでやってきた。地元の友だちの評判は上々だ。「これなら東京の子たちもびっくりするんじゃないの?」。そんな友だちのエールを鞄に詰めて、いざ勝負の竹下通りへ。
 竹下通りを歩いた。景色がスローモーションで流れた。スローなのはアタシだけ。周りの景色と人たちはみんな今の時代のスピードで流れている。アタシだけ、アタシだけがこの狭くて小ちゃな通りに取り残されている。バレないように無理してでもスピードを上げなくちゃ。田舎モンだとバレないようにしなきゃ。ダサい子だって思われないように、精いっぱい涼しい顔をしてみるけれど、50メートルも歩かないうちに疲れて気持ち悪くなっちゃった。
 今度こそは、竹下通りにナメられないようにリベンジしなくちゃ。悔しいけど、もうちょっとガンバる。今度はぜったい負けないから。
 
 頑張ってね、みんな。そして大切な想い出をつくってね。



『井上康生』

 4月29日の午後3時頃に三軒茶屋にいて、そういえば4時から全日本柔道選手権だったことを思い出し、さてどこでテレビを観ようかと悩んでいたら、シゲの家がすぐそこにあることを思いつき、ダメもとで電話したら運良くヤツは家にいた。どうやらヤツも柔道を観るのがその日のメインイベントだったらしく、それならふたりしてホモのように観ようということになった。思えばボクシングの内藤VS亀田大毅もホモのように観たわ。
 手ぶらじゃなんだということで(そこがそもそもホモっぽい)、SUBWAYのサンドイッチとペプシのラージサイズ、そして31のダブルコーンを買い込んで益々ホモっぽいスタンスでテレビの前に正座をした。
 燃えたわ、康生。泣けた。脇役の棟田、桂治、石井も良かったけど、負けてもスターは違うな。康生の潔さは美しかった。優勝した石井のふがいなさからくる涙も悪くはなかったし、棟田の生後8ヶ月の赤ちゃんみたいな顔も良かったけど、やっぱり康生だよ。そりゃ惚れるよ、東原亜希。目の下のクマに涙が溜まって仕方ないはずだ。
 康生おつかれさま。心ないメディアはきっと総合格闘技への転身を願うだろうけど、ずっとずっと永遠に一柔道家であってください。負けを知った強い男になってください。その泥んこ具合は他の誰が真似ようと思ってもぜったいムリです。そこがあんたにしかないモードなんです。ちょっとカッコよすぎます。できればあんたのような男になりたかった。いやなりたい。往生際悪いけどホンネです。
 康生、長い間お疲れさまでした。
 余談ではありますが、僕のともだちにも井上康生がいます。名前は「やすお」です。



『続・伊達公子』

 田舎の料亭に嫁いだ女友達からメールが届いた。「伊達公子さんが来てるけど、知り合いだっけ?」。どうやら嫁ぎ先の料亭に軒を連ねて営んでいる蕎麦屋に伊達さんが来ていて、びっくりして知らせてくれたのだ。
 そうか、伊達さんの復帰戦は岐阜で行われているんだった。それでおいしい食べ物屋はどこだろうということで、きっと地元に詳しい誰かに聞いたのだろう。確かにその店の蕎麦は皇太子様もおいでになったほどの名店で、名前負けすることなく抜群に美味い。
 そしてお店の電話経由で伊達さんと話した。「あら、こんなところで繋がるなんて素敵ですよね。それにしてもおいしいお蕎麦。ざるを4枚もおかわりっしちゃったわ」。
 こんな瞬間がとてつもなく嬉しい。僕が東京に出てきて友だちになった人が僕の田舎に行って、僕の友だちと触れ合って、そにうえ美味しい蕎麦を堪能してくれて、気持ちよく感想を言ってくれる。伊達さんが有名人だからということではなく、誰も知らない単なる僕の友だちがそうなっても感動する。
 こういう気持ちが僕なりの郷土愛なのだろうか。そんな話をした途端に田舎に帰りたくなって、できれば“もう食いたくねぇ”と思うぐらい田舎の料理を食いあさってから東京へ戻ってきたい。
 このGWは無理だな。ともだちにも会いたいけど。
 それにしても伊達さん、胃袋もカムバックしたんだなぁ。



『4月29日』

 27年前、大学一年の4月29日。国士舘大学体育学部の僕たちは、当時の天皇誕生日にあたるこの日に世田谷校舎の校庭に集合させられた。総長先生(国士舘の場合、学長ではなく総長と呼ぶ)が壇上に登場し、皇居に向えと右向け右を指示する。そしてこう叫ぶ。「天皇陛下万歳っ!」。僕らも小さくバンザイ。そして5分間ぐらい総長先生の話を聞いて解散。これが国士舘大学の天皇誕生日のセレモニーだった。
 思えば入学式の時も校庭には紅白の垂れ幕が飾られ、マーチングバンドの軍艦マーチで式典は幕を開けた。その威風堂々たる演奏とともに総長先生は真っ白なセンチュリーのオープンカーに乗って手を振りながら校庭に参上した光景を目にして、僕は迷わず田舎に帰ろうと思ったのだが、なになに、あれから27年、僕は今でもしぶとく東京に残っている。
 平成の今ではこの日を「昭和の日」と呼ぶのだそうだが、僕にとってはいつまでたっても天皇誕生日という感覚が離れない。それはいろんなエピソードがあったからというわけではなく、僕の中のどこかに愛国心というか、どこよりも日本が好きという気持ちがあり、その国の象徴の誕生を祝う日であるという感覚が抜けないのである。今上天皇の誕生日は12月23日なのだが、もう20年も経つのにまだしっくりこない。
 国士舘。今ではちゃんと普通の大学になったみたいだね。もう他の大学と乱闘とかしてないみたい。あれだけ煙たがられた僕らの時代からたった25年で普通になれるんだ。
 けれど変わるだけじゃいけないな。変わりながら守るものもあるのにな。皇居に向って自分に言い聞かせよう。



『ぐるりのこと』

「ぐるりのこと」の最終試写を観に行った。リリーが役者としてあまりにも素晴らしかったので感動した。主演の木村多江の狂演もすごかったが、僕にとってはリリーの演技とも素ともとれない雰囲気がそのまま映画の中で展開されていたことが衝撃だった。
 それにしても橋口亮輔監督の腕はすばらしい。キャスティングの段階で画を読み切っている。こういう映画を創りたいという願いが強烈にけれど穏やかに反映されていたような気がしてならない。
 人はなぜ仕事となると見事なキャスティングを成立させることが出来るのだろう。それが仕事ではなく生活となると、そう易々とはいかないだろうに。いや、もちろん監督以下、スタッフの方々には多大なご苦労があったことと察します。それにしても見事すぎるキャスティングにただ感心するばかり。そこで演じる誰かを、観る者の生活環境の中に居る誰かに相当させるマジック。観ている者の誰もが、知らず知らずのうちに、誰かが作ったものを観るという感覚から自己生活に感慨を走らせてしまう。映画という現実をこれほどまでに美しくそして繊細に、けれどちっぽけに描ききった抜群の感性。
 愛だわ。限りなくちっぽけで壊れ易い愛。そして愛とはもともとそういうものでしかないということをゆっくりと教えてくれる物語。泣いたな。ひさびさ。




2008/05/04

『竹下通り』

2008/05/03

『井上康生』

2008/05/02

『続・伊達公子』

2008/04/29

『4月29日』

2008/04/28

『ぐるりのこと』
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