昨日は伊達さんのことを書いて気持ちよくなったばかりなのに、今日はちょっと違ったことを書きます。
ヤワラちゃんは北京に行っていいのだろうか?ヤワラちゃんは事実上の五輪選手選考会である全日本体重別選手権決勝戦で負けたにもかかわらず、決戦後まもなくして協会から発表された五輪代表女子48kg級の選手として選出された。スポーツに興味のない人にはなんでもないことかもしれないが、スポーツをしている人や関心のある人にしてみればこんな理不尽な話はない。五輪選手を選考するための試合で優勝した人が五輪に出場できないのだから。
実績を考慮してヤワラちゃんにという協会の気持ちもわからんでもないが、だったら初めから公言すべきである。「実績のあるヤワラちゃんが戦わずして大きくリードしています。勝ったらもちろんヤワラちゃんを選びますが、彼女が負けてもよほどの負け方をしない限り、ヤワラちゃんを選びますので、それなりの試合をしてください」と。
協会の言い分はきっとこうだろう。「たとえ今日の試合で負けたとしても、金メダルを取るためにはヤワラちゃんが必要なのだ」と。「外国選手がもっとも警戒しビビる選手はヤワラちゃんだし、もろもろ考えるとやっぱりヤワラちゃんがいちばん金メダルに近い」なんてこともきっと思ってる。さらに「ヤワラちゃんが出場しなければ視聴率的にも困るしスポンサーへの顔向け的にもちょっと…。伝説作りのための計算式からもはずれてしまうし」
この国のスポーツはほんとうにダメだ。特にアマチュアスポーツは誰かの手のひらの上でゴロゴロと転がされている。勝っても出られない選手の気持ちはどうなる?スポーツマンの夢は平等じゃないのか?
ヤワラちゃんは五輪出場を断るべきだった。勇気の要る決断だろうが、そうすべきだった。子供を産み、“ママでも金”を掲げてきた彼女だからこそ、そうすべきだった。ヤワラちゃんに勝った山岸選手だって人の子である。彼女のママにとっても娘の五輪出場は夢だったはずだ。それが無惨にも砕け散ったのだ。勝ったのに、全国民の前でテレビ中継される中で優勝したのに五輪に出場できなくなったのだ。凄い人だなと敬意を持っていた谷選手だけに残念でならない。
山岸選手に次はあるのだろうか?次回の五輪予選時に絶好調だったとしても、直前で体調を崩したり交通事故に遭うことだってあるかもしれない。だからこそ選手は目の前にある戦いにすべてをかけるのだ。4年先の出場を考えながら目の前の試合を戦う柔道家がどこにいる?言っておくけどオリンピックは4年に1回しか行われないのだ。
もちろんヤワラちゃんにもプレッシャーはふりかかる。負けて五輪に出てやっぱり負けたでは洒落にならない。かといって、金メダルを獲得したからといって、選考会で負けた事実は決して消すことなど出来ない。五輪選考会と金メダルは別物なのだ。絶対に忘れてはならないのは、五輪に行けなかった選手のことだ。
ヤワラちゃんだけが柔道選手ではない。スター選手だけがスポーツ選手じゃない。スポーツというルールの中では誰もが平等だ。だからこそ同じ土俵の上でそれぞれが己を磨き強くなろうと精進する。強くなって大きな大会に出場することが夢なのに、今回の事件はそれを否定した。
世界の各都市で問題を起こし続ける聖火リレーであるが、ひょっとしたらその炎の意味そのものが希薄になってしまたのかもしれない。ロンドンやパリで聖火が消えたのは、もう五輪なんて必要ないというスポーツの神のお告げなのかもしれない。
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