『さよならさくら』

 中目の桜も見納め。良い桜だった。川沿いには人がこったがえして普段の中目桜よりもたくさん人が膨れ上がった。違法バリバリの屋台も並んで、もう立派なお祭りである。
 それにしてもよく寒空の下で何時間も酒を飲めるものだ。飲み過ぎて肌が鈍感になってしまうのだろうか。僕にはとてもじゃないが無理。桜を眺めてから飲み屋に入って酒を飲む方がいい。中目の場合は場所を陣取って宴会しながらという形式ではなく、散歩桜だから、花見と飲みは別物なのだ。
 ただ毎年「HOSU」の前で行われる振る舞い酒だけは具合が良くて、道行く人に誰彼かまわず酒と豚汁を振る舞い多くの人に感謝されている。今年の振る舞いメシは寿司で、もちろん僕も恩恵にあずかるうちのひとりである。そのかわりと言っちゃぁなんだがシメの挨拶をすることが多く、そのときばかりは集まってくる人たちの真ん中で中目黒で働いている人たちの連帯感を感じて嬉しくなるのである。
 週が変わればまた川沿いは閑散とするのだろう。10日も経てば葉桜だ。
 僕は満開の桜よりも、緑々と葉が生い茂る頃が好きだ。花びらの儚さは中年の瞼には残酷である。始まったばかりの新緑の方が無邪気で快活で寂しがりの俺には都合がいい。
 さよなら桜。また来年。



『コブクロ』

 カラオケ嫌いである。が、唄うのは大好きである。ノってきたらどこでも唄ってしまう。
 先日も古い友人と立派な和食屋で飲んでいて、しらないうちにコブクロを唄っていた。CDで薄く曲を流して、その3倍以上のボリュームで俺がかぶせるわけだ。友人は他人を装いながら、けれど確実に聴き入ってた。
 友人はよほど耳に残ったらしく、翌日メールにて絵文字付きでコブクロの感想を送って来たので、絵文字を使うようなダサい奴は友人ではない、と絵文字で返してやった。
 さっき、そいつのブログを覗いたらそこにもコブクロについて書かれてあった。
 あいつにとっては軽い事件だったみたいだ。暗いニュースばかりが続く今日において、ちょっと明るい話題を提供したようでなによりである。



『フェイシャルエステ』

 生まれて初めてフェイシャルエステというやつをやってきた。いや、やってもらって。なんでも初めてというものはいいね、ちょっとコワくて。顔ってちょっと刺激をかけるだけで変化するんだねぇ、びっくりしたよ。
 あまり人にされるがままになるという経験がないので、そういう意味でも新鮮だった。
 あ、コレ、ヘアメイクの友だちがサロンの2階で始めるにあたり、いろいろ考えてよという話の流れで、じゃぁまず体験してみてということで、つまりモニターですな。
 けどね、良かったわ。今まで経験したことのないジワジワ感と、あと刺激が皮膚から顔の筋肉にまで浸透して、少し経つとその刺激が皮膚の方に戻ってくる感じが新しくて、なんか瑞々しい気分になった。ひょっとして花粉症も……んなわけねーか。
 しかし神宮前交差点徒歩1分。家賃幾らするんだよ?みんながんばってるなぁ。
 俺もがんばろ。
 久しぶりに顔だけはいい気持ちになれました。ありがとうYちゃん。



『供養のありかた』

 お墓の前で泣かないでくださいって良い言葉だね。お墓の前で泣くことが美とされていたのに、そこで泣くよりも日々の中でその人を感じてあげることの方が嬉しいんだよって、その思いが余計に泣ける。
 そういうことでいいのかもしれない。墓参りや仏壇に手を合わせるには時間と金がかかりすぎるし、そういうことができていないと不義理な感じがして後ろめたさもつきまとうし。
 誰もが千の風になるのであれば、歌の中にあるように季節や鳥を見ながら誰かを思えばいいのか。
 問題はいつ、どんなときに、もう会えなくなった誰かを思い感じるかだ。雪は誰で鳥は誰で陽の光は誰で、今ならば桜は誰ってことになる。その人とはなんら関係のない情景の中で思いが沸き起こったのならば、その思いに気持ちを委ねるのもある種の供養なのだろう。
 居なくなった人を思う場所がお墓や仏壇の前だけだと自分の心にもどこか鍵がかかる。行儀という鍵と、形式という鍵。そうじゃなくて、いつだってどこだって、その人が自分をそよがす風の中にいるならば、風にうたれながらそっと誰かを思えばよい。言い方は悪いが、供養も便利でラフな方がありがたい。
 そして時には墓参りに行って、いつだって思っているよと報告すればいい。
 さて、満開の中目桜は誰を思わせてくれるのだろう。そういう楽しみ方があっても可笑しくないと思うのだが。



『ミッドタウン〜夜唄』

 東京ミッドタウン一周年記念ライブでユーミンを聴く。花冷えと言うか寒の戻りと言うか凍えそうな春の夜桜。しかも雨。松田聖子以外に初めて聴いた『赤いスイートピー』はユーミンにとっても初の試みだったが、楽曲提供者の歌声はときめきと儚さを併せ持った季節にふさわしいものだった。
 僕たちの胸の中にはどれだけの楽曲が収められているのだろう。そのうちのどれほどの楽曲に心を揺さぶられるのだろう。
 易々と「感動」という枠でくくることなどできない、繊細な心の動きにこびりついた「歌」という旅。
 今までの何十年間とこれからの何十年間を足して、死ぬまでにどれぐらいの歌に恋をするのだろう。
 若い頃は大切な歌を聴くと頑張ろうと思ったけれど、最近はなにか叱られているような気がしてならない。もちろんそのあとにはさっぱりとした後味が残り、胸の奥底にまでキレイな空気が行き届くのだけれど。どちらも大して変わらない感覚なんだよと10年後の僕がポツリつぶやく。
 
 アンコールで巨大カーテンが開くと、雨が降り注ぐ庭園の桜と芝が画のように広がった。雨だれは千鳥が淵の古いホテルの窓をつたうように、しとしとと僕の心のひだに落ちていく。それぐらいの演出は予想していたけれど、あまりにやさしい調べが瞼の防波堤を突き破って涙をこぼさせた。
 
 届いたばかりのエアメイルをポストに見つけ、雨が滲まぬうちに急いでとりにゆく。待ちきれずに傘を頬でおさえ封を開けると、くせのある文字がせつなすぎて歩けない。
『青いエアメイル』。メールじゃなくて、手紙。海の向こうから届いたあのひとからの手紙。
 だめだ。だめすぎて感動する。うれしすぎてだめになる。どれでもいいや。

 ユーミン、またしてもありがとうございます。
 大切な歌を聴いてセンチになって、そして4月。
 また歌がきらめく季節になる。




2008/04/07

『さよならさくら』

2008/04/04

『コブクロ』

2008/04/03

『フェイシャルエステ』

2008/04/02

『供養のありかた』

2008/04/01

『ミッドタウン〜夜唄』
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