『花粉症、僕の負けです』

 今年も花粉の猛威が僕を襲い、それに耐えられなくなった僕は鼻の粘膜を焼く手術を受けた。
 耳鼻科の女先生にこう言われた。「今年は症状がでるのが遅かったから、ひょっとして治ったんじゃないのかなって思ったでしょ?」
 図星だ。『あるある大辞典』無き後も、ひそかにあるある情報を信じて毎日ヨーグルトを欠かさず食べ続けたし、2月の初めからマスクと花粉避け眼鏡を着用したし、ウールやフリース素材のジャケットは極力避けてきた。クシュンは連発したが、ヘェックショ〜ンッ!!とまではいかなかった。ひょっとしたら…とマジで思った。
 甘かった。3月に入った途端に涙と鼻水は大洪水となり、クシャミはヒデキの熱唱のように激しく、しかも6〜8連発はザラである。鼻づまりのせいで脳に酸素が運搬されず、マラソン選手の高地トレーニングのような状態で、午後3時頃にはガソリンがきれてもれなく眠くなる。
 今の僕は使い物にならない。そのぶん社員のみなさんは大変となり、もれなくイラだつ。超コワい。
 
 先生の言葉は続く。
「シーズンが終わったからといって安心しちゃダメよ。もう次のシーズンの予防しなくちゃ。仕事だってそうじゃないの?」
 先生と名のつく人は凄い。すべてを言い当てている。俺のようにひとつの仕事が終わるたびに使命感に満ちて打ち上げやってるようなバカなテディボーイをよそに、ライバルたちは次なる仕事の戦略を時間を惜しみながら計画立てているはずだ。
 俺はその頃、中目のどこかでその店の店長と、どっちが昔運動神経が良かったとかドッヂボールが強かったとか、そんなどうでもいい話をしながら、時にはありもしないような武勇伝をでっちあげ、“地元じゃスーパースターだったんだ”ぐらいの話をして勝手に気分が良くなって、その分余計に金を払って帰っていくだけ。
 俺は重度の花粉症だ。それはそれは相当なもので、死んでも可笑しくないぐらい重症である。それを声高に叫んだところでなんともならない。鼻の粘膜を焼いたところで慰め程度である。日本の杉の木は一向に減る傾向はなく、大気中の化学物質とダメなコラボレーションをして杉花粉は僕らをこらしめる。花粉が飛散しないといわれている沖縄に何度も逃げたこともあるが、なんと一昨年は沖縄で発症した。
 もうどうにもならんのである。

 ならば花粉症から何かを学ぼう。体質改善とか予防食とかではなく、自分は花粉の季節には何もできないということを強く自覚するのである。3月と4月で合計60日。つまり僕がベトコン(差別用語ではない。ベストコンディションの略である。ちなみに岐阜には「ベトコンラーメン」というベストコンディションなラーメン屋が数店鋪ある)な状態は一年のうち305日しかないのだ。そのうち土、日、祝日滅多に仕事しないし正月や夏休みもがっしり取る。こうなれば、ベトコン状態で働けるのは年間180日程度。しかし二日酔いや寝不足でさらにマイナス50日。センチな気分になりすぎて動けなくなる日もあるからさらにマイナス30日。
 となると、なんだかんだで実働年間100日!
 うーん、年間100日。ワンハンドレッドデイズか、大変なことだ。
 こうなったら花粉は一種の個人攻撃的なテロだな。
 そして俺はまんまと屈した。
 落ち込んだ。さらにマイナス3日で、都合97日。
 
 一年ってこんなにも短かったんですね。ガクッ。



『カレーカレーカレー』

 久しぶりに3食ともカレーを食った。渋谷、渋谷、学大。チキン、ナス、スペアリブ。カレーは素晴らしい。ルーさえあれば中味はどうだって良いとはいわないが、実際はかなりなんでも良い。それぐらい天才的に万人向けというより俺向きの料理である。
 ウンチクだ食材だと大上段から構える高価なカレー屋も、おばちゃんが床の湿気った自宅の台所から鍋ごと持って来たカレーを客に出す見た目センス・ゼロのカレー屋も、カレーはカレーである。どれもがそれぞれに旨いし、旨くなければならないのがカレーの宿命だ。
 そんなアイドルのような料理を、コンビニで売ってるレトルトで出すバカカレー屋もあるからびっくりするが、食べながらにして“レトルトの方がマシ”と思えるカレー屋もあるからそれはそれでしょーがない。
 実際、わが中目黒にある某キッチンは、犬でも食わないような定食で1000円ちかくとっている。しかもそこに日々通う犬以下の味覚を持った社会人がそこそこいるから食の世界は奥が深い。
 やめよう、カレーの話がマズくなる。
 そして俺はカレーを食いだすとしばらくカレー以外は眼中になくなる傾向があり、この週末は上京したばかりの女子大生のようにHanakoかなんとかウォーカーを鞄に入れて中央線の奥まで行きたい気分なのだ。
 荻窪にあるとっておきのカレー屋は教えてあげないけど(とか言って、たぶん昔の日記に書いたと思う)その先の西荻窪とか武蔵小金井とか、気合いさえあれば八王子まで行って、この前雑誌で見つけたなんちゃらというへんてこりんな名前のついた煮込みカレーを食ったついでにユーミンの実家に行って紋付袴でも買って帰ろうかと思ってる。
 こんなことを書いているとまたまたカレーが恋しくなってくる。何食食べ続けられるかというチャレンジ精神はないが、大脳のどこかで“またカレーでいいんじゃない?”と囁いていることは自覚できる。
 誰かとんでもなく美味しいカレー屋さんを知っていたら即教えてくれ。マスターの態度がどうとか値段がどうだとか、そんなことはどうでもいい。ただカレーが美味ければ、それでいい。
 ただし、マズかったら本気で恨む。




この時期はいつもこんな感じです。




『坂道にて』

 通勤に電車を選ぶ。いやクルマが故障したから仕方なくだが。
 それで通勤路を選ぶ。わざわざ坂道を選ぶ。平坦な路の10倍はしんどい。
 実は下りもかなりしんどい。歳をとると膝に負担がかかり、膝の負担を軽くしようとすると腰にきて、腰をかばおうとすると背中にくる。足首から膝、腰、肩と、関節は下からグイグイ俺を絞め上げるのだが、それが坂道の醍醐味でもある。
 なぜ坂道を選んだかというと、春があるからである。道端に早咲きの桜があるわけでもなく菜の花が咲き乱れているわけでもないが、とにかく坂道には春が溢れているというか、春の象徴のような気がしてならないのである。
 卒業、別れ、はじまり、ひとりぐらし、恋、不安、フレッシュな気持ち、入学、就職、転職、新生活、すべては麓でも頂上でもなく、あくまで坂の途中にある。
 そして俺もまた坂の途中。上りか下りか、それはわからんし、いつだって逆転する。それこそが坂道であり春である。
 ブレーキをかけながらでなければ下りられない急な坂道を、ものすごい形相で35歳ぐらいのヤクルトおばさんが立ち漕ぎで上って来た。その横を徒歩で小学生に追い抜かれるほどのノロノロ運転だが、それでもヤクルトは自転車を降りない。形相はさらに険しくなり、般若を超えてジャック・ニコルソンみたいな顔になってもまだ立ち漕ぐ。
 やがて小学生に大きく引き離されて頂上に到着すると、自転車のスタンドを立てて深呼吸してから緑のバッグの中からヤクルトを一本取り出して一気に飲み干した。
 商売道具を飲んで良いのか?それとも1本買い取ったのか(社販で。せこっ)。それとも販売店の企てによる計画的なパフォーマンスだったのか?どれでもいいが、とにかくその清々しい姿からは春が満ち溢れていたし、なによりもヤクルトが抜群に美味しそうだった。

 春は坂道。坂道は僕。
 人生、苦しい時は上り坂。




カレーのじゅうたん。




『新人来たる』

 3月になりマロンに新人が入りました。「萌ちゃん」と言います。
 時代の真ん中を掴まえた良い名前です。残念ながら「もえ」とは読まないらしく「めぐみ」だそうですが、今流行の名前なのでマロンでは「もえ」ちゃんで通してもらおうと思ってます。
 ひなまつりの日にデビューしたもえちゃんは、白桃の花を机に飾ってくれました。女のコですね。
 まずは挨拶と掃除から頑張ってほしいと思います。
 これは僕の自論なんですが、社会人は挨拶と掃除さえしっかりできればほぼ合格だと思います。それ以外の込み入ったことがバッチリできても、そういうことが出来なければプラマイゼロ、むしろマーイです。
 いつだって基本、永遠に基本。
 そして今年も本格的に花粉症がやってきました。
 しばらく泣き続けますのでよろしく。




白桃と萌。




『手紙』

 同級生から手紙が来た。この時代に手紙となるとただごとではない。誰かが死んだか誰かを殺したか、金を貸してくれか、あるいはただならぬ恋をしたかのいずれかである。
 どれも違っていた。ともだちはなにか決心をしたようだった。いや決意かな。どっちが強くて深い意味を持つかはわからないが、単に思うだけだはなく、なにか意を決した感じの文面だった。
 45年も生きていればそれなりにいろんなことはある。思い起こせば悪い事ばかり。誰かに裏切られたとかとばっちり喰らったとか、保証人になって一瞬で生活変えられたとか、そんなことばかり。なんだよ人生って、試練を繰り返すだけが人生なのかい?
 人はピンチに立つと誰もがそう思う。いや、そう思いたがる。ところがどっこい、よく思い出してごらん。悪いことと同じ数だけ良いこともあったはずだ。良いことを知っているから余計に悪く感じるだけだ。
 誰だって帳尻は合っている。良い事と悪い事がどちらもあるから人は心を動かされるんだ。喜びと哀しみと幸福と不幸と感動と反省と、ほかにもいろいろ、いっぱい、いっぱい。
 不幸なんかじゃない。運命なんだ。運命は変えられないかもしれないが、運命から学び、備え、希望を持つことはできるはずだ。それが僕たちができるたったひとつの運命との対峙。
 友よ、手紙ありがとう。今、君の置かれている状況の厳しさや、今日までの君の日々を知ってなんとも言えない気持ちになったけれど、勇気を出してその思いを伝えてくれたのは、君が君自身をあきらめていないからだと思う。文章には書かれていないけれど、文字の裏側にある君の強い想いを読み取ることができたことがなによりも嬉しかった。
 そして君の手紙が僕を勇気づけてくれたことも知って欲しい。
 それが同級生からの手紙というものだ。
 ありがとう。俺も頑張る。




2008/03/14

『花粉症、僕の負けです』

2008/03/07

『カレーカレーカレー』

2008/03/05

『坂道にて』

2008/03/03

『新人来たる』

2008/02/29

『手紙』
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