『田舎の隣の同級生のお姉さんの旦那さんより』

 実家の隣の家の同級生のお姉さんの旦那さんからメールが来た。この文面をパッと見るとすごく懐かしい感じで、“いーなぁ、ずっと繋がっていて”と思われがちだが、よく考えるとまるで繋がりのない奇跡の着信であることに気付きます。
 そもそも「隣の家の同級生からメールが」という話ならなんてことないが、そのお姉さんの旦那さんとなると、僕とはまったく無縁の人となるわけで、そんな人がなんで僕のところにメールをということに他ならないからである。
 さて、なんでメールが届いたのか。実家の飼い犬の吠える声とかピアノの音がウルサくて、代理人としてお姉さんの旦那さんから僕に報告してもらったというのならわかるが、そもそも僕は実家を出て27年になるし、同級生のお姉さんの旦那さんがわざわざ田舎の隣近所のごたごたを僕のところに届けるのもおかしい。しかも同級生のお姉さん一家は世田谷に住んでいて、そんな類いの話であったとしてもまったく無縁無関係なのである。
 はて、なんでだ?でもなんか嬉しい。けど、やっぱ、なんでメールが?なのだ。
 確かに会ったことはある。20何年か前と20年ぐらい前と15年ぐらい前と、3年ぐらい前、合計25分ぐらい。でもメールをいただくような付き合いではないし、でもやっぱちょっと嬉しいのである。
 メールを拝見させていただいた。
「習字が気に入りました」と書いてあった。
「ありがとうございます」と返信した。
 それからちょっとだけメールをやりとりした。なんか変な感じだが、悪くはない。
 メールなんてものが流通するとこんなこともあるのだな、ということを知り、僕の同級生もそのお姉さんも、僕の実家も旦那さんの奥さんの実家もなにも知らない事が、ふたりのパソコンの中で起きている。
 僕が田舎にいた頃とはまったく違ういろんな事をパソコンは可能にしていて、事実、僕の遠い記憶や忘れかけていた思い出なんかもパソコンが連れてきたりする。
 パソコンもケータイもない時代に育ったけれど、僕らはパソコンのある時代に生きている。
 ずっと嫌いだったパソコンだけど、こんなこともあるんだって、嬉しい気分になったのさ。




調子にノッて書道です。




『バツイチ』

 僕の田舎に友人ふたりでやっているスナックがある。ふたりは僕の同級生の女性でともにバツイチである。45歳のバツイチたちはなかなか余裕があって、ピチピチした恋愛なんてこれっぽっちも関心はなく、かといって男に飽きたというわけでもない。チャンスがあれば恋愛もしたいけど、とりわけ急ぐわけでもない。毎日昼間の仕事をして、夜になればネオンを灯して客と一緒に酒を飲めるだけで楽しいのだと言う。
 ふたりにはそれぞれ子供がいる。昼間の仕事と夜の仕事を掛け持ちしているけれど子供とのコミュニケーションも欠かさないという。時間ではなく密度なのだろうと勝手に想像するけど、実際のところはわからない。とにかく忙しいお母さんではあるが、子供たちとも上手くいっているみたいである。
 そんなふたりの店にはこぞって同級生がやってきて、その中でもやっぱりバツイチたちが多いのである。
 バツイチたちは離婚したことにマイナスイメージを持たず、結婚生活を経験した上で独り身になったことをポジティヴに考えているようだ。寂しくなれば飲みに行けばいいし買い物や旅行だって自分の時間をやりくりすればいいし、それでも寂しければ恋をすればいいし、たとえそれが片思いであっても罪悪感無しで純粋に人を好きになることに感動するそうなのだ。まったくおめでたいというか逞しいというか、他人が思っているほど彼女たちは離婚した事を悔いていないのだ。
 彼女たちには共通していることがある。子供たちといっぱい話すのだそうだ。内容は子供が話したいことが中心だそうで、たとえば彼女たちのジャニーズの知識といったら女子中学生レベルに達するほど詳しい。中にはまだユニット編成していないジャニーズJr.の最後列の小学校6年生ぐらいの男の子に目をつけている人もいて、彼がバックを務めるジャニーズ系のコンサートを観に九州まで行ってきたというから、もう感心を通り越してリッパである。
 そんな話を聞くとなんだかとても素敵だ。バツがついていない人が思う「バツイチな生活」と、バツイチたちが送っている「リアルバツイチ生活」にあまりにも開きがあるから。本当はかなり厳しいに違いない。親戚や知人やPTAの目なんかもあるし、実際問題として金銭的なものはかなりシビアだと思うけど、彼女たちは逞しい。もちろん強がりもあるだろう。妻ではなくなったけれど母親であるという自負がある。子供とともに新たな環境で明るく生きて行こうとする心構えがある。生活の中心線に子供たちとの暮らしがあるから、恋やジャニーズや酒やショッピングは趣味程度で良いのだという割り切りもある。たとえのめり込んでしまっても、子供との距離が開いてしまったら軌道修正する力と判断力を持っている。それが離婚を経験したバツイチたちのプライドなのだ。
 バツイチたちは根拠のない将来の夢にときめくよりも、バタ臭い現実の中で希望を見つけそれを楽しみながら生きている。勝ち組ではないが決して負けたわけでもない女性たちの日常には、軽くなりすぎた日本人に必要なものが山ほど隠されている気がしてならない。
 少なくとも男のバチイチとはひと味もふた味も違うワンダフルに溢れている。
 今度田舎に帰ったらバツイチたちの輪の中でガキ扱いされて飲んでみたい。





  知り合いの焼肉店に行くと必ず出て来る「マグロのカマ」。
  お腹いっぱいになって焼肉までたどりつけない。




『マッサージ』

 マッサージに行ってきた。かなり筋肉が凝り固まっていたらしく、マッサージ師は吐き捨てるように言った。
「これは手強いですね」
 当然だ。手に負えないからここに来たのだ。
「お客さん、かなり力を込めないと効かないですから…イキますよ!」
「どうぞ」。こちとらマッサージされる暦30年の大ベテランだ。君のような若輩の力技に屈するような軟弱者じゃないわ。
「フィヤっ!。どうですか、これぐらいで?」 
「余裕です」
「じゃ、これは?フィヤっ!」
「もう少しキテもいいです」
「ちょっと待ってくださいね。じゃ、イキますよ。フィヤっ!」
「いたたた。ちょっと待って、痛いって」
「そうですか、痛いですか。すみませんね。ははは」
 
 若造のマッサージャーは、完全に治療定義を見失い、俺に「痛い」と言わせることだけを目標としていた。それはもう復讐心にも似たメッセージが指先から確実に伝達されてきたのだ。
 奴は悔しかったのだ。力を込めても込めても、余裕しか返さない俺に傷ついたのだ。無理もない、彼は若い。俺の反応が未来ある彼のプライドを引き裂いてしまったのだ。

 僕の「痛い」発言でようやく平常心を取り戻したマッサージャーは一気に形勢逆転とばかり、余裕の言葉で僕にささやいた。
「痛くないですか?」
「はい、ちょうどいいです」
 心にもないことをいう僕。それしか仕方がないのである。あんな無茶苦茶にチカラ入れられたら、誰だって壊れてしまう。したがって、それから約50分間、チカラ加減のまったく掴めない若造のマッサージを僕は受け続けた。気持ちいいとか、強弱はどうだとか、そんなことはもうどうだっていい。喩えるならばまったく愛情を感じない人から遊び目的に愛撫を受けるグッバイバージンみたいな感じだったのである。
 これ以上僕が彼に注文をつけたり余裕の反応を返したりすれば、彼はきっと僕を揉む手を止めて、その手を自分の喉元まで持って来て怪力でギューッと…それほどまでに思い詰めた彼の手に失意を与えることなど僕にはできない。僕はただ、効きもしないマッサージをマグロのように受けていればいいのだ。
 ただこんな寛大寛容な僕でも、その叫び声だけは気になった。
「フィヤっ!」
 ふつう、こんな声出すこと自体、マッサージじゃないと思うけど。
 60分5250円。また貴重な体験を積ませてもらった。




マハカラの新定番「ぼっかけ丼」950円。牛すじとにんにくの醤油味。




『雪の日に』

 さてさて雪である。まるで“今年は暖冬ではない!”とソフトバンクのお父さん(犬)に吠えられているぐらいに激しく降る雪を眺めながら、“あーあ”っていう気分になった。東京に雪なんてろくなことない。誰も危機管理できてないからクルマはトロトロだしみんなズルズルしながら歩いてるし電車は来ないし、とにかくろくなことはない。が、なんとなく嬉しくなってしまったのは歳のせいだろうか?

 雨は悪者だけど、雪はなんか許される。なぜだ?たぶん、その落下スタイルにあるのだと思う。
 雨は「降る」。直線的に天から地へと垂直にスピード満点に一方的に降ってくるから対話をするヒマがない。少しぐらい見つめさせて欲しいけど、わがままなほどに感情を隠して勝手に降り落ちるだけ。まるで気の利かない恋人のように、すべてが俺流のオンマイマインド。そんな奴はセックスにしてもそうだ。自分の欲望だけが満たせればそれでいい。前技やピロートークなんてどーだっていいのだ。イッたらすぐパンツ履いてタバコに火をつけてケータイでビジネスの話をしだすノンデリカシーのバカ野郎である。

 雪は違う。雪は降らない。「舞い降りる」のである。地面に着地して水滴に形を変えてしまうことを拒むがごとく、ゲレンデをスラロームするように重力に逆らいながらスローモーションで舞い降りる。その速度には十分に対話が許されるし、見つめることだってできる。

「やぁ雪くん、どこから来たの?」
「空の上からだよ」
「どこへ行くの」
「君の住む街だよ」
「この街は働いているだけで住んではいないよ」
「いいじゃないか、ここで会えたのだから」
「あ、、」
「じゃぁね、もうすぐ僕は雪じゃなくなってしまうから…」
「あ、ああ、、」

 そしてまた空を見上げ、僕をめがけてスラロームしてくる別の雪に話しかける。
「やぁ雪くん」
「やぁ。さっき僕のともだちと話していただろ」
「え?」
「地上に面白い人間がいるから話してみたらって、雪テレパシーで教えてくれたんだ」
「雪テレパシー?」
「そう、離れていてもわかるんだ」
「どうやって?」
「理由なんてないよ」
「……」
「ただ君には感じてもらえるかもしれない」
「ほんと?」
「だって君は僕に話しかけてくれているじゃないか」
「どういうこと?」
「そろそろ僕も雪じゃなくなってしまう時がきたようだ」
「いやだよ、地面に落ちないで…そのままそこにいて…」
「じゃぁ」
 
  そして雪はやがて雨に変わった。
  何気ない一日の中にさりげないよろこびを見つけることができたら、そういうものをしあわせと言うのかもしれない。




雪くん、次はいつ会える?




『大女優のことば』

 ある芸能プロダクションの新年会に行ってきた。そういう催しには滅多に行かないんだけど、そこの女社長が侍の魂を持った大和撫子みたいな人ですごく尊敬しているもんだからして、図々しくお招きに預かったわけである。
 そこには業界のお歴々がずらりと揃い、会場となった渋谷のイタリアンも上品で美味しかった。
 そのプロダクションに所属する女優さんたちも勢揃いして、「おー、ギョーカイ!」と声を上げてしまいそうなリッチな雰囲気にかなり気分が高揚した。
 女優さんたちはそれぞれひとことずつ話をしてくれたのだが、特に印象に残ったのが60歳を超えた大女優が社長である女性に捧げた言葉だった。
「あなたと出会った頃には、頑張ってる子だなという印象だけだったけれど、今ではあなたのことを心から信頼しています。これからも宜しくお願いしますね」
 決して綺麗な言葉やパワーのある言葉を並べたわけではない。ありふれた言葉を繋いだだけなのに、涙がでそうになった。
 セリフではない純粋な言葉。その人への思い。真心のこもった気持ち。
 特別な文章ではない、ほんとになんてことない言葉。
「宜しくお願いします」に「ね」が付け加えられただけで、ふたりの関係がすべて理解できた。
 彼女が少し羨ましく思えた。けれどその思いに妬みややっかみはない。こんな僕でも、ほんとうにキレイな気持ちで羨ましく思えたのだ。
 人と人が仕事をするということはこういうことなのだと教えてもらった気がする。




友人宅。キャンドルの食卓。





2008/01/30

『田舎の隣の同級生のお姉さんの旦那さんより』

2008/01/28

『バツイチ』

2008/01/25

『マッサージ』

2008/01/24

『雪の日に』

2008/01/23

『大女優のことば』
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