『藤井先生、ありがとうございました』

 僕の大好きな先生が一昨日亡くなられました。高校時代の保健室の藤井先生です。
藤井先生はいつも堂々としていました。保健室で白衣を着て…ここで言う「堂々」とは、生徒としっかり向き合ってくれたという解釈です。先生たちの中には生徒の問いかけに鼻で返事をして目線で受け流す人が多かったけれど、藤井先生はいつも足を止めて生徒の目を見て、なんで?どうして?どこで?と、ちゃんと会話を求めてくれました。
 高校2年の時、僕は数学と物理と化学の授業がとにかく嫌いで、かといってその後の体育の授業が大好きだったので早退するわけにもいかず、じゃ「1時間だけ腹痛で保健室」というパターンを多用していました。なんで腹痛で休んでいたやつが直後の体育の授業に復活できるんだというシンプルな疑問はともかく、理数系の授業にはかなりの頻度で保健室にお世話になったわけです。
 そのときに藤井先生とこんな話をしたことを覚えています。
「なぁ栗山くん、あんたなんで数学のときばっかココに来るの?」
「そんなことねーて、腹痛になってまうときにたまたま数学の時間が多いだけやて」
「ほんとは高崎先生のことが嫌いなんやないの?」
「別に嫌いやないよ」
「ほんとにお腹、痛いんかね?」
「痛い」
「ほんなら休んでいきゃー。具合の悪い子を看てあげるのが私の仕事やで」
「はい」
「でも体育の授業はでるんでしょう?」
「たぶん」
「都合のええ腹やねぇ」
「そうやね」

 そしてチャイムが鳴ると保健室を飛び出していく僕の背中を叩きながら先生はいつもこう言いました。
「栗山君、あんた明るいんやで、学校を盛り上げてくれないかんよ!」
 
 その言葉は卒業式の日にも、成人しても、何十年振りにお会いしても、必ず僕の正面に立って言ってくれました。
 栗山君、あんた明るいんやで……
 そのあとに続く言葉は、その時々の状況によって違ったけれど、会うたびに藤井先生は高校時代の保健室で僕を送り出すときのように、元気いっぱいに声をかけて、そして背中をパンっと叩いてくれた。

 いつだったか、もう20年以上前になると思うけれど、先生はとても悲惨な事故に巻き込まれとんでもないご不幸に遭われました。それはとてもとても、言葉や活字では表せないような悲劇でした。
 事故からしばらくして、確か町のスーパーかどこかでばったりお会いしたときに、なんて声をかけていいのかわからずもじもじしていたら、先生の方から声をかけてくれました。
「栗山君、あんた元気ないやないの。あんたは明るいんやでみんなを元気にしてくれないかんのやよー」
 
 ほんのつい最近まで、ひとつ年下のマリが経営してる美容室に髪をやってもらいに来るたびに、藤井先生は僕のことをいろいろ聞いてくれていたそうで、「ほー、あの子やっぱり明るいでこういう仕事できるんやろうね」と嬉しそうに言ってくれてたそうだ。そそっかしいマリのことだから、僕のことを芸能人とかお笑い芸人とか言ってなかったか心配だけど、まぁ田舎から見れば僕のやってる仕事はよくわかんないだろうし、そんなことよりも元気で頑張っていることさえ伝わればそれでいいと思ってる。

 藤井先生、長い間、お疲れさまでした。
 先生のことをマリから聞いて落ち込みました。
 こんな時には、あぁ、もっと会っておけば良かった、と思うものですが、
 あまり会えなかったけど、ずっと記憶に残っているというのも嬉しいことだと思います。
 でも哀しい、涙がでてきます。

 岐阜県立関高等学校には素晴らしい保健室の先生がいました。
 先生の名前は、藤井由子先生です。
 それはいつまで経っても変わることはありません。

 先生、ありがとうございました。
 どうか天国で安らかにお眠りください。
 僕はこれからも明るく元気に生きて行きます。




昨年は155,000円貯まった500円貯金。今年も頑張ります。




『あけましておめでとうございます』

 あけましておめでとうございます。
 
 平成20年がはじまりましたね。
 なんか、今年はやるぞーとか思ってませんか?あまり気負わない方がいいと思いますよ。昨年の12月から見たら、単なる来月に過ぎないのですから。昨年から引き続いてやる仕事もあるだろうし、今まで付き合ってきた人たちだって、年が変わったからどうこうということもないのだし。
 それでも気分の入れ替えをしたいと思うのなら、毎日毎朝、新鮮な思いを持つと良いかもしれませんね。

 正月はいろんなものを一新したいという気持ちがありますが、僕の経験から言わせていただくと、逆に正月でダメになっていく人が多いのです。だいたい「正月明けからダイエット」とか「正月明けから禁酒」とか言って、正月は特例、みたいな甘い考えを持つこと自体、本気で何かをやる気などない表れなのです。
 本気で痩せたい人は正月でも餅とかおせちとか食っちゃいけないし、禁酒したい人は家族みんなでこたつに入っておめでとうを言うときでも、甘酒とか絶対に飲んではならんのです。本気で結婚したいとか出世したいとか思う人は特に正月気分なんかに浸ってたらいけないのです。
 だって正月でしょーって、ほんとに考えが甘いですね。ちょっと街に出でごらんなさい。コンビニでもスーパーでもみんな働いてますから。みんな金欲しさに頑張ってるんです。浮かれた正月気分なんかなくて、正月の特別手当をあてにして金の亡者として稼ぎまくってるんですから。
 そんな人たちはきっとこう思ってます。「正月って言っても、テレビ見ながらゴロっとしてるだけだろ。だったらバイトでもして金稼いだ方がいいじゃん」。さらに、「正月なんか休んでも、ろくな店開いてないし、だったら人が働いてる時に休みとって旅行とか行った方が安いしカシコクない?」
 ごもっともです。正月なんて別にって考えてる人の方が健やかで目的成就できるわけです。

 いいですかみなさん、正月明けからではダメなんです。正月、つまり新年が始まった瞬間から何かをはじめなければ、きっと今年もあなたはダメなのです。除夜の鐘は、さぁ今年から頑張りなさいというゴングなのです。
 正月に暗いニュースが多いのも、正月だからとか、正月開けからとかいう寝ぼけた考えがあるからなのです。だからこそ、正月を正月と思わない、平常心を。そしていつでも家族と先祖には感謝を絶やさず、自分の中で、甘さ極まりない「特別」を作らないこと。そんな気持ちがこの一年持続できれば、あなたにとって2008年は、去年よりはちょっとぐらい良い年になるはずです。

 そんな気持ちと祈りを込め、あらためまして、

 あけましておめでとうございます。



『仕事納めにあたり』

 最後の最後まで原稿に追いかけられる一年となった。
 だけど追いかけられるのも悪くはない。追いかけてくれる人がいるのは幸福なことである。そこに原稿がなければ、僕はきっと、誰からも放っておかれるのかも知れないからだ。そうだな、原稿が僕と誰かを繋いでくれているのかも知れない。僕は原稿を書くのが面倒くさいと思うけれど、それを受け取る人は僕とは違う面倒くささがあると思う。僕の面倒臭さは、自分の中での問題だけど、それを待つ人の面倒臭さは、僕がすんなりちゃんと原稿を書けるようにいろいろと気を遣わなければならない面倒臭さだろう。
 それでも人と繋がっていられることは嬉しい。仕事のためであったとしてもやっぱり嬉しい。
 リタイアされた方がどんどん寂しくなっていく理由が少し解った気がする。仕事をしなくなって生き甲斐をなくしたのではなく、仕事によって繋がっていた人がいなくなってしまったことが寂しいのだろう。
理由はなんであれ、仕事を通して誰かがやってくる、もっと平たく言うならば、仕事さえしていれば、誰かと合うことだって会話するだってできるのである。
 僕らは仕事をしているようで、本当は人と繋がり合っているのだ。仕事とは単なるきっかけであって、本当は人と繋がり関わり合っていくことの方が大切なことなのだと思う。
 腹が立ったりおだてられたりヨイショしたり無視されたり、中には嫌いすぎて殴りたくなるやつもいるけれど、そんな思いさえ仕事の中から産まれてくる大切な感情なのだと思う。
 そう思えば仕事はものすごく人間的なツールだ。仕事が楽しいこともイヤで逃げ出したくなることも、すべて人との繋がりが成せる業であり、それこそが人間劇場なのだと感じてしまうこの頃なのだ。
 
 と言い聞かせて残りの原稿を書くことにしよう。
 栗山圭介くん、一年間お疲れさまでした。
 来年も素敵な仕事をしてください。




年の瀬はマロンヘアで。




『12月27日午前零時5分』

 クリスマスのことをなんだかんだ言ったはいいですが、いざ終わってみると文句も言えなくて寂しいですね。やっぱりクリスマスって季節の風物詩としてちゃんとした役割があるのかもしれないね。
 こんな僕でも小学校3年の時まではサンタクロースの存在を信じていた。その頃からミッキーマウスの中には人が入っていることは知っていたけど、サンタだけは本気で信じてた。なんか本気で反省したな、クリスマスのこと。
 来年からは自分から計画してみようかな、クリスマスパーティ。なんてこと書くと、本気にするバカがいて、東急ハンズでバカグッズをたんまり買い込んできて、事務所に無断で入り込んで勝手に品のないディスプレイし始めるから『ウソ!』と言っておきます。

 今、僕のデスクの上には7つのレイアウト用紙があります。レイアウト用紙とは、雑誌などの誌面構成を詳細に書き込んだ全体的なデザインを施した紙です。その中には写真もイラストもグラフィックデザインも入っていて、ないのは文章だけです。それを書き入れるのが僕の仕事です。それを明日の朝までに、詳しく言うと、本当はもうとっくに書いていなければならなかったのですが、残念ながら今に至っています。
 雑誌のライターをやっていた頃は、いくら原稿が遅れても、「仕方ないですねぇ、クリヤマさん」で済まされました。なんだ、遅れていいんだと思っていたのだけど、実はそうじゃなくて、「リリーさんの原稿がまだ届いてないから、そのとき一緒に入れるから…」という編集者のあきらめの境地から発せられるものだったのです。
 リリーさんとは、もちろん今をときめくリリー・フランキーさんです。あの人は、出逢った時から何から何まで天才で、原稿の遅れ方でも秀才レベルの話ではなくて、やはり天才的でした。
 そういうものを全部ひっくるめて、リリー・フランキーが形成されているのだろうなって本気で思いながら、やっぱ俺は凡人だとぽつんとしたものでした。
 そんなリリーさんみたいになろうと決心して、編集者に「これぐらいの原稿の遅れ方じゃ大物じゃないよね」とボソッと呟いたら、「アナタねぇ、原稿待つのは私なんだからねっ」ときつく叱られたことを覚えています。その人は女性編集者でしたが、きっとその言葉のあとで「アナタたちの原稿を待ってばかりいるものだから、結婚相手も待つだけでちっともやって来てくれないのよ」と独り言で結んでいたに違いないと思います。それにしてもどーなんだろ、あの人、結婚したのかな?
 と、ここで事務所の人が買ってきてくれたフレッシュネスバーガーのてりやきチキンバガーとスパムバーガーを食ったら、急に眠くなってきました。リリーちゃんの話を書いて、少しぐらい遅れても、良い原稿書けばいいんだろと屁理屈っぽくはあるけど、ちょっとしたプライドを見せたつもりですがも、もうダメ。眠すぎ。
 一向にデスクの上から離れないレイアウト用紙とワイシャツと私。
 イエローカードを一枚もらった上で、さらに原稿を引き延ばそうとする俺。
 年越しのカウントダウンの前に、明日の朝に向けてカウントダウンする編集者たち。
 
 今、“クリスマス大好き”って言ったら原稿カンベンしてくれるなら……う〜ん……
 やっぱり言〜わないっ!
 よっしゃ、頑張る。頑張って書く。読者が待ってる。タロジロも待ってる。
 その前に15分だけ眠ろう。





        新旧、IL BISONTEの財布。
        向こう側は6年間使った宝物。手前はこれから使う宝物。





『僕のメリークリスマス』

 今年もクリスマスがやってきた。一年のうちでいちばんどうでもいい日だ。僕はかれこれ、そんなひねくれたことを30年以上も言い続けているので、人からは偏屈者とかへそ曲がりとか言われてしまうけど、本当にそう思うのだから仕方がない。だからクリスマスパーティなんていうありふれたことは決してやらないし、誰かに招かれたとしても絶対に行かない。それがたまたま12月24日に行われる忘年会だとしたら、そこまで意固地になって断る必要もないが、“それってクリスマスパーティじゃないよね?”と、とりあえずジャブを打ってから参加することにしている。

 そんな地道なアニバーサリー嫌い活動がようやく実り、ここしばらくは誰からもクリスマスパーティには誘われなくなった。ひょっとしたら本気で嫌われてしまったのかもしれないが、それでも僕の耳元で「クリスマス」と囁く人がいなくなったことはかなり穏やかである。

 僕はどうしてこんなにもクリスマスが嫌いになってしまったのだろうと思うと、実は理由などなにもない。人がいうようにかなりひねくれた部分もあるので、高校時代からクリスマスだバレンタインだと大騒ぎしているバカを見ると、後ろから本気でハリセンくらわしてやろうと思っていたことは事実だが、よく考えてみれば、そういうバカを見てムカつくこと自体がバカげている。つまり僕もまた、クリスマスに踊らされているということになる。

 本当にそんなのカンケーネーという人は、どしんと構えて、誰が何に騒ごうが、たとえそれが自分に飛び火しようが、微動だにしないどころか、“そう、良かったね。僕はちょっと都合が悪くて一緒に祝えないけど、僕の分まで楽しんでよ”とサラリと言えるのだろう。

 ところが僕ときたら、“だから行かねーって言ってんだろーが。そんなのバカに任せとけ、俺は行かん!”と無駄にイキがり、アンチ・クリスマスを声高に叫ぶことを目的とした反政府ゲリラみたいなものである。これじゃ僕がもっとも軽蔑するアンチ・ジャイアンツと同じで、どれだけ嫌いかを言い争う下衆の類いになってしまう。喉をカラして叫べば叫ぶほどその態度は人を嘲笑へと誘い、挙げ句には“嫌い嫌いも好きのうち”なんて蔑まれてしまうのがオチである。

 野球の見方は人それぞれで、好きな球団を応援することを目的としたスタンダードな野球ファンと、嫌いな球団や選手を野次ったりすることを専門とした迷惑なファンがいる。僕は岐阜県出身で、大のジャイアンツファンなのだが、地域的にはドラゴンズファンが多いせいか、いつも戦ってた。教室でも駄菓子屋でもラーメン屋でもボーリング場でも戦った。なぜならそれは僕が心からジャイアンツが好きだったからだ。

 ところがドラゴンズファンの中には、僕と言い争っているうちに、自分がドラゴンズファンであることなどどうでもよくなってくる奴がいて、最終的にそいつの目的はジャイアンツを罵倒することだけになっていった。ジャイアンツファンとドラゴンズファンの戦いならまだしも、ジャイアンツを貶すことを目的とした愚か者には、すぐさま鉄拳制裁およびローキックでの制裁+全筋力を総動員してのヘッドロック&ベアハッグでの制裁も特別に加えてあげた。

 そんなアンチ主義が愚かでみっともないと知っていながら、僕はこれ以上、クリスマスを嫌っていいのだろうか?誰かに迷惑をかけるわけでもない、ただバカがバカっぽく大金遣って有頂天になって、ゴールしたり撃沈したりしているだけではないか。そんなバカを相手に国中が商売しているだけじゃないか。そこに経済効果が生まれ、恋愛関係が生まれ、死にたくなる奴が発生し、事件や犯罪が起こっているだけではないか。

 そしてまた人々は、何事もなかったかのように何かを期待してまた次のクリスマスを待つ。
 僕はそれをただ笑って、いやこの言い方はちょっとトゲがあるな。もとい、僕はそれをただ見守っていければいいのである。

 今の僕にはそれほど簡単にできることではないが、やがてそういうことを完璧にできる立派な人間になりたいと思っている。

 人口の9割以上がクリスマス大好きというこの国において、これ以上“俺は嫌いだ”なんて言っても仕方ない。
 あきらめてはいないけど、もう少し大人になろうと、ちょっとだけ思う。
 それが45歳の僕が言える、ちょっとしたメリークリスマスなのだ。





クリスマスでも何も変わらないマイデスク。





2008/01/07

『藤井先生、ありがとうございました』

2008/01/01

『あけましておめでとうございます』

2007/12/28

『仕事納めにあたり』

2007/12/27

『12月27日午前零時5分』

2007/12/25

『僕のメリークリスマス』
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