『おはよう』

 早朝から横浜の山手にあるスタジオで撮影をした。道路を挟んだ向かい側にあるフェリス女子学院に女学生たちが頬を真っ赤にして登校していた。
「おはようございます」と声をかけると、同じセリフが返ってきた。こんな時代、女子高生に声をかけるおじさんはイコール変な人ということになりつつあるが、心を込めて「おはよう」を言えば、不信感などとは無縁の「おはよう」が返ってくる。どうってことないやりとりだけど、朝早いということと、女子高生たちの一日が始まるということと、僕らの長い一日のゴングだということと、寒いから元気で行きたいなというような気持ちと、なにより、すたすたとした歩幅とスピードで歩く女子高生の姿が気持ちよかったので、条件反射のように声をかけた。
「おはよう」。気持ちよい響きだ。起きてから数時間しか使えないもっとも美しい言葉。
「こんにちわ」よりもずっとフレッシュで新緑にふりそそぐまぶしい太陽のような言葉。
「こんばんわ」という、ちょっと大人びた感覚とは対極にある無垢で清々しい言葉。

 みなさん、「おはよう」を使ってますか?使わないともったいないですよ。業界の方のそれとは違う、朝限定の「おはよう」には人を幸せにする力があります。前日に罪を犯した人が誰かに「おはよう」を言われたら、すんなり自首してしまいたくなるほど澱みのない天使のような言葉です。

 僕と女子高生の「おはよう」を女子学院の守衛さんがジロリと見ていた。ちょっと警戒したのだろうか。無理もない、というか当然だろう、それが彼の仕事だ。そんなちっぽけなことなど気にならない。なぜなら僕と女子高生の「おはよう」には純度があり、それがとても気持ちよかったから。僕にとっては45年の人生の中のたった一瞬で、彼女にしてみればたぶん17年間の中のたった一瞬だけのおつきあい。顔を見合わせたのはその一瞬のうちのさらに一瞬。
 それだけのことが、僕にとってはすごく尊いものになった。

「おはよう」と言える国なのだから、この国はきっと今より素晴らしい国になる。
 この国に生まれた人なんだから、みんなきっと今よりも良い人になれる……と思う。
 そんな気がしたのは単なる予感だが、なんか薄っすらと確信めいたものがある気がした。





椅子が脚立に。脚立が椅子に。凄い発明だ。




『モデルに学ぶ』

 今回のモデルはスウェーデン出身の21歳、ブロンドが鮮やかな女の子だった。女の子というのは甚だ失礼か、なぜならその子はもう1年半前から自立して単身日本で暮らしている立派な女性なのだ。
 こういうところに差がでるんだよね。日本の女性21歳といえば、まだまだ子どもで親のスネをかじって飲みに行けば男に払ってもらって当然、みたいな。それでもって、メシは残すわ膝立ててタバコはぱかぱか吸うわ、挙げ句には、もっとマシなメシ屋に連れてけぐらいなことを平気でのたまうどうしようもないバカ娘が実に多い。「若さ」という数字的なアドバンテージだけを武器にして、モテないハゲとかモテたくて仕方ないなんちゃってIT君に喉を鳴らして、セックスまでならOKってわけのわからん貞操観念でハイエナのような目をしながら玉の輿を狙っている。
 中には人のために働いたり、貧しくても良いから頑張ってたり、地球のために良いことをしたり、しようとしていたり、親孝行をしたりし、誰かに恩返ししたりしようとしていたりする子もいるけど、いかんせんバカが目立ってしまって、その世代の子たちの印象を悪くしてしまっているのが残念だ。

 スウェーデンの子は、日本が好きなのだという。好きな国だから、できるだけ自分ひとりの力で頑張りたいのだと言う。
 その日も大阪までひとりでやってきた。エージェントにもひとりで調べてひとりで行くと言ったのだそうだ。そしてその子は僕たちよりも早くホテルにチャックインし、僕たちが飲んでいる頃には、翌日に備え、顔がむくまないように水分を控え、早めに眠ったそうだ。
 この季節、夏物の洋服はかなり堪える。撮影中、彼女の白い肌に鳥肌が立ち、顔は真っ赤になっていた。だが弱音は吐かない。“寒くない?” “寒いです”。ウソもつかない。“少し暖まろうか?”“だいじょうぶです。寒いのは私だけだから”。
 わざわざ感動するような言葉を選んで言ってるのではない。寒くてもこれが私の仕事だからというプライドが、カタコトの日本語からこぼれてくるのだ。
 反省と言うか、少し落ち込んだ。日本の女子だけではなく、僕だって21歳の頃はバカだった。金持ちのおばさんと付き合おうとかは思わなかったけど、それでも世の中を楽して渡っていけないものかと毎日毎夜考え、そのろくでもない妄想の先に、いつかそんな日が本当にやってくるのではないかというでたらめな希望にちょっとわくわくしたりしていた。日本の21歳の女子のみなさんごめんなさい。やっぱり僕もバカでした。だからせめて、みなさんは僕よりはちゃんとした大人になってください。
 日本人がダメなら外国人から学べ。
 外国人がダメなら日本人が教えてやれ。





イベント終了。事務所が倉庫に早変わり。




『旅で思うこと』 

 今年はいろんな場所に行った。北海道にも東北にも関西にも中国地方にも四国にも九州にも沖縄にもその先の島にも行った。
 日本は広い。とてつもなく広い。外国の場合はその国の主要都市に行けばそこそこ制覇した気分になるが、日本はそうはいかない。その場所にどうやって行って、何を食べ、どんな酒を飲み、どんな人の方言を聞いたかでしか旅の醍醐味を実感できない。ただぼーっと、誰とも喋らずに景色だけを眺めている旅の通はいるだろうが、僕みたいなどんなことにも邪道な男には、旅を構成するいろんなものがバランス良く配合されていなければ、東京に戻ってからそれを「旅」と確信することはできないのである。
 年内に予定されている旅は3回。どれも飛行機に乗って行くような遠い場所ではない。それでも東京を離れて別の地で宿を取り、翌日の朝食はその土地のみそ汁を飲むから立派な旅である。
 ただ、旅先ではしゃいで大騒ぎするには歳をとりすぎた。旅の宿では、いかにのんびりと、安らぎを獲得できるかが一番の目的となった。遊びのための旅ではないから、仕事をして、仕事の話をして、仕事をした人と食事をして、飲んで、それから眠るのだから、やはりそこには安らぎがほしい。僕だって一人前に疲れるのだ。
 いろんな先輩から“旅をしろ。男は旅で鍛えられる”と言われてきたけれど、僕はそんなはずはない、旅なんて疲れるだけだと思っていた。今でもそれは変わらない。ただ、楽しむことなら出来ると思って、今までいくつもの旅をやってきた。
 先輩にこんな質問をしたことがある。“出張も旅ですか?”と。
 先輩は答えた、“立派な旅だ”と。

 面倒くさがりやで腰の重い僕が、いくつもの旅に出る。きっと来年もその次の年にもそうなるのだろう。
先輩の言う“旅で鍛えられる”という実感はいつやってくるのだろう?成長期に知らない間に身長が伸びるのと同じように、そこに実感などないのだろうか?それを言うならば歳をとるということだってまるで実感がない。それがわかるのは、「気がついてみれば」というとこでしかない。そしてそれは実感というよりは、避けられない数字の呪縛によるものでしかない。
 
 ただ旅には、向う場所があれば戻る場所もあるというというところが好きだ。いつも居る場所から少しだけ離れて、そこからいつもの場所を思うことはちょっと好きだ。ホームシックとは違う感情だけど、なんかちょっと離れるだけで、いつもの場所をすごく遠くに、そして愛おしく感じることができる。そうすると、なんだかいつもの場所が、ちょっとだけ大切に思えてくるのだ。
 そんな思いがあるから僕は旅を続けていられるんじゃないのかなと思う。
 こうして書いている今も、僕は大阪の宿にいます。
 大阪に来ると必ず行く、南船場の「SUBARU」という小さな喫茶店のオムライスは、今回はまだ食べていません。



『丸の内ハウス探偵物語。あと2日』

 新丸ビルで開催してるイベントが日曜日に終わる。先週の日曜日に夜中から仕込みにはいってようやく一息ついたところなのに、あと2日で終わってしまう。最終日には立ち会えないし、月曜日に丸の内ハウスに行ってもそこに僕らがつくった空間はない。
 だけどそれでいいのだ。少し大人になったのか、楽しい時は永遠でなくてもいいということがわかっているから。喜びは刹那でいいのだ。もう終わっちゃうの?がいちばん素晴らしい。コレとコレは残しておいて欲しいと頼まれても、すべてキレイさっぱりゼロに戻すことが美しいのだ。
 仕事はなんでもそうだ。上手く出来たことにいつまでもすがっていては前には進めない。上手かろうがマズかろうが、完成した時点ですべて過去。振り返るのはいいけれど後戻りは良くない。大切な思い出や財産にすればいいし、酒の肴になればいい。けれどそれを基準にするのは決して良いことではない。理想も偶像も、今動いている現実の中から導きだせばいい。それが仕事という刹那である。
 恋愛もそうだ。今度の恋は失敗しないようにしようと心がけるのはいいけれど、前の恋と比較することは愚かだし、失敗を繰り返さないようにするだけの臆病な恋なんて、恋の神様に笑われてしまう。夢中になって必死になって、気がつけば自分が気がつかないところまで歩いてきてて、そしてそこには大切な物が出来上がってた。
 どんな仕事もどんな恋も、それぞれが一話のラブストーリー。ときめきと努力と思いやりと厳しさと決断と眠気とボーッとした気持ちと、そして儚さ。

 本当はイベントが終わってしまう寂しさを紛らわすためにこうして日記を書いています。
 本当はやっぱりイヤです。全力でできたし嬉しかったし、出来あがったものも可愛いし。
 だけどこうして日記に記すことで、なんとなく終わることと向き合えるような気がします。





白地に赤。イベントはめでたさが命。




『人エコ』

 東京、寒くなりましたね。昨日は12月中旬の寒さだったらしいですよ。けれど何月のいつ頃の寒さとか暑さとか、そんなもんはとっくにあてにならなくなりましたよね。温暖化の影響かシュウマイの捨て過ぎか知らないけど、クリスマス頃には半袖で過ごせるような日になるかもしれませんよ。
 洋服屋さんは困るだろうね。冬にTシャツで歩き回られたら本気で困ると思います。そしたら冬物の洋服どうするんでしょうね?シュウマイと一緒で捨てちゃうんですかね?

 それにしてもシュウマイ、もったいないですね。1万5千パックも捨てちゃうんだって。それを困った人に与えてあげればなんていう安直な考えは持ちあわせていませんが、問題は食べ物を簡単に捨ててしまうということと、捨てたものを燃やしたりなんとかしたり、つまり廃棄することにすごくお金がかかるんだって。しかもそれを燃やしたらきっと有毒ガスなんかが発生して、すべてが良くない方向に転がって行ってしまいそうだからさ。
 賞味期限とか消費期限とか原材料の記入順とか、確かに大切なことだけど、もうちょっとなんとかしません?そんな過保護な食品衛生環境にいると、食料不足な世の中になったら生きて行けませんよ。
 賞味期限が過ぎたら、特売やるなりすればいいと思うけどなぁ。そしたらそれ狙いで賞味期限内のものが売れなくなるだろうけど、逆に賞味期限過ぎても平気だということが証明されて、結果的には賞味期限が伸びることになるんじゃないの?
 もっと考えなきゃ。「もったいない」ってこと考えなきゃ。節約とか節電とか節水とか省エネとかエコとか簡単に言うけど、やってることは超矛盾。本気でエコする気なら、まずは人間がたくましくならなくちゃいかんのですよ。賞味期限切れのものを食ってお腹こわすようでは、エコ失格!
 寒くても平気な皮膚をつくるとか、夏には放熱するカラダをつくるとか、それだって立派なエコ。
 そうなると益々洋服屋さんは儲からなくなってしまうけど、元々人間は裸で生活してたんだから、死ぬ気で頑張れば摂氏5度から45度まではパンツ一丁で耐えられるはずだ。
 
 そしたらみんな裸だから、スケベな気持ちも起きないし、となると性犯罪だって激減する。
 素晴らしい。これぞ「人エコ」。
 今日も何を書いているのかさっぱりわからなくなってきたが、俺はいつだって本気だ。
 もうそろそろ愛媛県に向わなくちゃ行けないので、この続きは来週に。
 ウソ。きっと書かないと思う。





「TSUNAMIのオルゴール」  なぜか冬にピッタリ。





2007/12/13

『おはよう』

2007/12/12

『モデルに学ぶ』

2007/12/10

『旅で思うこと』 

2007/12/07

『丸の内ハウス探偵物語。あと2日』

2007/11/30

『人エコ』
このサイトに掲載のイラスト
写真・文章の無断転載を禁じます

Copyright © 2001-2010 MaroonBrand