『秋吉久美子』 

 何日か前の日記に書いた30年以上憧れている女性というのは秋吉久美子さんのことです。
 今日からカフェグローブの「どしゃセン」で対談がアップされるからもうバラしても良いのです。

 僕は去年からツイている。松任谷由実さんと出逢い、夏木マリさんと対談し、秋吉久美子さんと濃密な会話をさせていただいた。どなたも50代。素敵な大人の女性です。

 僕は今、先輩という存在にすごく惹かれます。当然年齢的には僕よりも上でなければならないのだけれど、僕より長く生きている数年間を果てしなく遠く、だけどすぐそこにある未来として、それがいかに苦悩することでありながらも素晴らしい時間なのかを語ってくれる人に心から惹かれます。

 そして女性であることに、また感動してしまうのです。
 人を感動させるのは美しい言葉よりも豊かな思いです。
 思いとはその人が持つ、人間としての大きさ、大らかさ、深さ、繊細さ。
 それはときに厳しく、ときに烈しく、どれもがかぎりなくやさしい。
 予感とか推測からだけでは決して生まれることはない、経験した者でしか伝えられない特別ななにか。
 それを惜しげもなく僕に伝達してくれる素晴らしきレディたち。

 僕にはまだまだ50は遠い。5年経てば50代の仲間入りができるなんて考えていない。
 だから50になる前に、50を過ぎて輝き続けている人たちに触れていきたい。
 話を聞きたい。話を聞いてもらいたい。沈黙したい。涙を堪えたい。感動したい。

 秋吉さんとの話をここで書いてしまうのはよくないので、このへんにしときます。
 それにしても、可愛かったってゆーか、美しかったってゆーか、輝きまくってたってゆーか、一体どうなってるですかねぇ。そんなことまでわからなくなること自体が、秋吉さんの魅力ということでしょうか。





素晴らしい50代を獲得するための必須アイテム。



『永ちゃんライヴで…』 

 ある女友だちがボソッと言った。
「永ちゃんのライヴ観に行くと、自分がイイ女になった気がする」

 アーティストとオーディエンスの関係をズバッと言い当てた名言である。
 ライヴとは、誰もが、日常からほんの2時間だけ非日常空間に旅をするメリーゴーランドのような空間。そこに10万人のファンが集まろうとも、ステージ上のスターの声は自分だけに届けられる。日々のゴタゴタを忘れ、周囲の騒音を遮断して、「あの人が私だけに唱ってくれている」と都合良く錯覚できるから、女は誰もがイイ女になる。
 男の場合は、急にケンカが強くなったりとてつもなく偉くなったりするような間違った錯覚を起こすのでかなり注意しなければならないが、女が自分がイイ女になっていく瞬間を感じられればライヴの持つ意味は大きい。
 僕は以前にも、「感動は病気を克服する」と書いたことがあるが、現代人と密接な関係にあるストレスをライヴが破壊し、くすぶっていた自分がなんだか少しずつ楽しくなっていく気分になれたなら、ライヴは立派な教育でありリハビリテーションだ。
「ライヴを観に行くとイイ女になった気がする」
 すでにその瞬間、その人はキレイになっているのだ。





今年も10万人をイイ女にします。



『日記続いてます。』

 先週末からメールがよく届きます。知人とか知らない人とか、いろいろ。
 内容は同じです。
「日記書いてますね。毎日楽しみです」という内容。
 誰もみな人の日記が好きなんだなと思った。人は誰もが覗き魔だからね。
 でも僕は人の日記には興味ないなぁ。昔、交換日記をやったことがあるけど、相手の日記に興味をもつことよりも自分がどれだけ面白いことやグッとくることを書くかの方が大切で、その文章で相手を感動させたり笑わせたりすることの方が重要だった。だから、僕が書いたことについての感想文には興味があったが、「今日、どこどこで誰々とお買い物に行きました」というような状況報告みたいなものには、ふーんと鼻を鳴らしているだけだった。だから結局12ページぐらいで終わっちゃったもんね。チッチとサリーの日記帳。
 あれ、なんか冷たい?俺?だったらすみません。
 
 でも日記って、ブログで書いていること自体、「見せもの」だからね。
 もうどっからでも見てくださいって気持ちで書いてます。
 特に僕のように決して読み返さない(面倒だから)人のものは、道を歩いていたらたまたま知り合いと会って、打ち合わせまでちょっと時間があるから、立ち話をするような、そんなテイストのもんだから
それを見た誰かにとって「別にどうってことない」ことが大切です。
 もちろん熱くなって語ったり、すごく素敵なことを書いたりもするけど、あくまで日記だから。
 なんで急に熱心に書くようになったかっていうのは、ある意味では熱心に書こうと思わなくなったからじゃないかなぁ。たらたら〜と書く。これができなかった。でもできるようになった感じ。なのでとりあえず一週間は書き続けようと思って、心の中で誰かに褒められたかった。
 なので褒めてくれた人たち。ありがとう。また書くから。見せるから。





マロン。



『充電中』

 携帯電話の普及があまりにもすごくて一般回線の電話はほとんど用なしになった。それはそれでダイレクトに個人と話せるからいいのだが、これだけ個人情報云々と言われる世の中なのに、その辺りは大きな矛盾である。電話番号がわかればショートメールみたいなものだって送れるわけだし、携帯電話を持った時点で社会からの逃亡は不可能となり、カーナビと一緒で衛星から監視されているようなものである。
 今日はそんなことを書こうと思っているのではなく、もちろん携帯電話のことではあるが、書きたいのは「充電中」という意味についてだ。
 携帯電話の使用頻度が高まり、すぐに充電器にかけなければならず、気がつけば事務所にいるときはいつだって充電してるなぁと、ふと思ったものだから、そこらへんのことをちょいとね。

 何を書きたいかというと、ほんとは僕ら自身が携帯電話そのものなんじゃないのだろうか?ってこと。ほんとはいつだって充電されていなければならないのに、いつだって充電は不十分で、あの問題もこの問題も解決どころか整理もつかないまま対応せざるを得ない毎日の中に居る。いつもいつも机の上に充電器に接続された携帯電話の「充電中」の文字を見ると、なぜか虚しく感じていたのだが、ここにきてようやくその理由が分ったような気がしたのだ。

 それにしても「充電中」。俺の毎日は一体どうなんだろう?毎日に対していろんなものを充電できているのだろうか?前述のように、現代人はすべて誰かに視られてる。隠れようも逃げようもないこの世の中では、逃げることや隠れることを封印しなければ生きては行けない。そうなると真正直な生き方がいちばん賢いのではないかと思えてくる。
 誤摩化そうとする人と逃げようとする人と隠れようとする人と他人任せにしようとする人とほかにもいろんな面倒くさい人がわんさかいる。そういう人たちと会ったり話したりするのは、ものすごく体力と精神力が必要だから、とにかく人に負けない自分を持ち続けるために「充電」が必要なのだ。
 じゃ何をしたら充電できるのかと考えてみたところ、やっぱあんまり仕事をし過ぎないことだと思いました。
 仕事から仕事へと分刻みで駆け回るのは、すごくデキる男に見えるかもしれないけど、仕事と仕事の間に隙間がなければふたつの仕事を同時にこなすことは不可能だ。あ、持論ですよ、僕にはムリという話。
 なのでこうしようと思います。『仕事する→ボーッとする→仕事する→下らないことを考える→仕事する→スケベなこと考える→昔のことを思い出す(未来のことは考えない)→仕事しない』。これを基本型にしてだらしなさをブレンドした就労時間をこさえます。あくまで普通の就労日という枠の中で考えたので酒とかコンパとか遊びとかは含まれていません。
 こうすると「所詮仕事だし」って感じでいいんじゃないですかねぇ。無責任な話じゃないですよ、ちゃんと仕事するんですから。仕事するために仕事をしない時間を作るってことですからね。
 なかなか難しいだろうけど、これが僕の目標ですね。充電手段は自分でみつけないと。

 あと、なんて言うんですかね、成るようにしかならないというか、仕事も人生も日々いろいろと変化するわけだけど、毎日という現実というか、つまりそこにある環境条件でしかものは考えられないということを肝に命じて生きないと疲れるなぁって思いました。
 無理なものは無理。でも無理なもの以外は可能性はある。こんな感じでしっかり割り切らないと、最後は携帯電話のように自分が壊れてしまいます。0円の価値にならないように、毎日ちゃんと充電しましょうね。





総裁!充電お願いします。押忍!



『瞳を閉じて』

 恵比寿で、ある番組企画の打ち合わせを兼ねた飲み会が行われた。場所は創業40年の焼き鳥屋。
 どれも美味いっ!というよりは、渋いっ!といった感じである。勘違いしないで欲しいが、この場合の「渋いっ!」は味覚的に渋いのではなく、旨さの中にある伝統だとかこだわりだとかブレのなさだとかいう、いわゆるベテラン俳優の演技のような渋さである。
 味の渋さもさることながら、集ったメンツはまたしても男オンパレード。40代が4人、もうすぐ40代が3人。見るからにかなり濃厚で湿り気たっぷりである。
 話すことは、当然昔話ばかりで、中でも一番盛り上がるのは、あの名曲はどのようなストーリーで誕生したかとか、あのアイドルは今どこで何をしているかなど、おばさんたちの立ち話とまるで変わらない話題が酒をはかどらせてならないのだ。
 とりわけみんながジーンときたのは、もちろん話題豊富な僕が提供したものですが、こことんところどっぷりと浸かっているユーミンの荒井由実時代の名曲で『瞳を閉じて』という楽曲があるのですが、この曲の誕生秘話(といってもかなり知られているのだが)を話したときです。

 これは、島にある高校の分校に通う女子生徒からユーミンがパーソナリティを務める深夜のラジオ番組に投稿されたハガキから始まる物語です。
 女子生徒の通う島の高校は、分校です。本校は九州本土にあって、その娘は本校に行ったことがありません。
 そして彼女達が分校を卒業する季節が近づいてきました。卒業式で唱う歌は本校の校歌です。そこで彼女はこんな疑問を持ちました。私たちの学び舎はあくまで分校で、一度も行ったこともない本校の校歌を歌うのはどうなんだろう。そこで、ユーミンへの投稿となるわけです。
「ユーミン、私たちの、島の分校の校歌をつくってください」

 これを今から30年程前にNHKがドキュメンタリー番組として放送したのです。
 一枚のハガキをもとに、『瞳を閉じて』は誕生したのですが、曲の誕生までにはさまざまなことがありました。さらに、番組は女子生徒が分校を卒業して東京に就職してからの姿も追いかけました。
 
 ここですべてを語ってしまうのはヤボなので、この続きを知りたい方は、いろんな方法で調べてみてください。

 さて、恵比寿の中年たちはといえば、僕の饒舌な話を聞きながら、まるで僕がこの曲を作ったかのような錯覚にとらわれてしまい、“ありがとう、ありがとう”と号泣しながら両手で僕に握手を求めてきたのです。話している僕もどこかわからない世界に入り込んでしまい、わんわんと涙が出てきて、周りから見たら確実にキチガイ集団に映ったことでしょう。
 
 このなんだかわからないところに入り込んでしまっても決して純粋さを無くさないというのが中年のプライドです。他人の目にどれだけうざく映ろうとも、そこにピュアな気持ちさえあれば、僕らはもう十分なのです。それが本当にピュアなのかを問うことは誰もしません。ピュアかどうかを判断するのは他人ではなくあくまで自分だからです。
 ただ、このまま加速して行くと、本当に若い人たちから相手にされないだろうなと思うことも事実です。





フードの下は「瞳を閉じて」泣いてます。




2007/11/01

『秋吉久美子』 

2007/10/31

『永ちゃんライヴで…』 

2007/10/30

『日記続いてます。』

2007/10/29

『充電中』

2007/10/26

『瞳を閉じて』
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