『日記、休んでました』 

 ありゃ、日記ちっとも更新してませんな。ダメですな、気まぐれ過ぎます。
 ようやく忙しさから解放されつつ、また忙しい仕事がどしゃ降ってくる日々を、やはり幸せに思わないといけないのでしょうね。少なくともヒマで悩むよりは、忙しさの中にあるほんのちょっとした隙間でふーっと溜め息ついた方が良いと思ってます。あと15年も経てば本気で働けなくなるのだろうし、働きたくても精神と肉体が噛み合なくなるかもしれん。大事にしよう、毎日の仕事。
 
 この前、しょこたんと話してきました。なんかいろいろいろと尊敬しました。彼女、すごい。いろんなことが凄くて、この人が新興宗教はじめたら入信してもいいかなって、ちょっと思いました。しょこたんのことをいっぱい書きたいのだけど、なにから書いていいのかわからないぐらい書きたいことがあるので、ちょっと今は書く自信がありません。けれどいつかいっぱい書きます。いや書かせてください。

 自分の日記ってほとんど読み返さないのだけど、久しぶりにちょっと読んでみた。長いね。それと、ほんと僕にはいろんなことが起こるね。それをがっしり書こうとするから長くなるんだろうね。
 今日は昔から憧れていた女性と対談です。さて誰でしょうって、誰に言ってるんだろ?
 嬉しいけどモノモライできちゃったしな。それもネタにすればいいか。
 モノモライってなんか語呂がいいね、コアラの一種みたいな生き物、そんな感じがする。
 ではモノモライ、今日も頑張ります。





モノモライ。大病です。



『歴史に残る洋食屋』

 久しぶりにとんでもなくマズいものを食った。いや食ってしまった。
 中目黒のとある洋食屋のチキンカツなのだが、これがとてつもなくマズい。そんな生易しい言葉ではとうてい表現できないぐらいに超・ウルトラ・スーパー・ギネス級に激マズいのである。
 中目黒の飲食店と言えば、昨今はちょっとしたブームで、そのブームに泥をぬらないようにと、どんな店に入ってもそこそこは美味い、というか、どう転んでもなんとか食える。
 ところがその洋食屋はとんでもなくマズい。つまり食えない。我慢しても無理。
 ひょっとしたら俺の味覚のせいだろうか?と不安を抱いたが、同行したフグもカツカレーを3分の2以上残していたし、俺に至っては4分の3以上も残してしまった。
 思わずフグと目を合わせ、ヘルメットを5回ぶつけてから“マ・ズ・イ”のサイン。
 しかし俺たちは決心した。こうなればこの苦い経験をネタに変えるためにも、しばらく店に残って、こんな店に食いにくる奴がいるのかどうかを確認する事にした。

 5分後。誰も来ない。
 10分後。誰も来ないが近所のおばさんがスーパーのビニール袋からネギを覗かせて登場し、店のおばさんと苦笑い顔で談笑を始める。かなりどうしようもない話題のように思った。
 15分後。ネギおばさん帰る。と同時に、俺たちの食い残したものを「お下げしていいですか?」と尋ねる。その残した分量からして、“まだこれから食べるんだろうな”と思うのが普通だろーに、速やかにチキンカツとカツカレーを厨房にバトンパス。きっと食べはじめて15分たったらお皿を下げてもいいという独自のルールがあるんだろう。
 20分後。客が二人来る。ひとりは多分パチンコ帰りの(しかも相当スッた感じのイケてないデブのサンダル履いたおじさん)と、茶髪に染めたアメカジの青年。ふたりとも生姜焼き定食を注文。ひょっとして名物か?
 25分後。テーブルの上にはぬるい水が入ったコップだけという気まずい状況ながら、フグと観察を続行。
 35分後。パチンコおやじはほぼ完食するが、アメカジは“なんかが違う”感を存分にアピールしながら、約3分の2を食ったところで、早々とレジへ。
 40分後。店のおばさんが俺たちに軽く睨みを利かせる。フグは“早く帰りましょう”とアイコンタクトをとる。俺はもう少し観察していたいという気持ちを抱いたのだが、ひとりでは心細いので、“あと5分”と、ジェスチャーを交えてフグにアイコンタクトで返す。
 45分後。おばさんがつかつかと歩み寄り、「何か飲み物はいかがですか?」といやーな感じで言ったので、「いーえ、けっこーです」とちょっとカチンとくる感じで返答。さらに気まずい雰囲気となる。
 それから1分後。店内の空気に堪えられなくなったフグは「ちょっと作業があるので…」と言って、ひとりで店を出ようとする。さすがにアウェーでひとりになる状況はマズいと思い、後ろ髪を引かれながらもレジへ。あと30分はいろいろ観察したかったのに、というちょっとした後悔の念を抱き店を出る。事務所に帰ってフグが3分以内に作業を始めなかったらぶっ飛ばそうと決心。
 事務所到着後ちょうど3分経過。フグ作業を始める。ぶっ飛ばすチャンスを逸す。


 1時間後フグと会談。
「なんなんだろうな、さっきの店のマズさは?」
「わかりません」
「俺は久しぶりにメシを食って損した気分だよ」
「そうですね」
「おまえさっきから淡々と喋ってるけど、もっと悔しがれ!」
「レトルト食べればよかった…」
「…もう何も言うな。虚しくなってきた…」

 それから2時間の間に俺とフグは何度も便所を往復した。あの店はマズいだけではなく使用している油が抜群に古かったのではないか、という結論に達した。
 フグはそれからなぜか歯医者に。俺は左のコメカミが痛くなり、それからソファーで横になり、50分後に起き上がったと同時に便所でゲロッパ。

 残念な事に、この歴史的にマズイ店を紹介することは営業妨害および名誉毀損という観点からできませんが、僕はこの事実を身をもって体験した苦い思いを、100人には伝えなければならないと思ってます。
 けれどあまり大袈裟にしてしまうときっとその店の悪霊にとりつかれてしまうと思うので、気が向いたらいろんな人にこっそり話そうと思います。っていうか、かなり気が向くと思うので、やっぱりかなり前向きにこっそりと話そうと思います。

 以上、ほんとうに苦しいほどマズい洋食屋の話でした。
 だけどやっぱりナカメが好きです。






エコです。
マイ箸いただきました。燻製加工で香ばしいです。
でもいつも持っていくのを忘れます。




夏休みの小さなお話『生まれた町に帰って思ったこと』

〜後篇〜

 僕が生まれる前から、僕の母親の美容室のカット台で僕と兄貴に話しかけてくれた、おしゃべりすぎるほどのRさんが、今はそっと僕たちを無表情で見上げている。その瞳の奥にはどのような感情が込められているのか、あるいはまったくの無感情なのかはわからないが、Rさんは「わすれやへん」という言葉を発した。

 それまでは心配はしていたものの、きっと心の何処かで“困った徘徊老人だな”と思っていた自分がいた。
 それを恥ずかしいと思うとか無責任とか思うとかではなく、正直言ってそう思ってもそれはそれで仕方のないことだと僕は思った。
 人はあるとき、自分が自分から離れてどこかに行ってしまうのかもしれない。それは誰ひとりとして望んだことではなく、結果としてそうなってしまうのである。
 そうなってしまったその人のことは、その人の周りの人がやらなくてはならなくなってしまう。それはとても大変で困ったことであり、けれどそのままにしておくともっともっと困ったことになってしまう。そうなってしまった人を気の毒に思うことは簡単だが、そんな同情だけでは何の役にも立たない。ただ、そうなってしまった人がいたとしても、そうなる前の記憶や思い出が変わってしまうことはない。
 
 僕はRさんを見て思った。僕も歳をとってきたし、僕の周りにもひょっとしたらいろんなことを忘れたり、自分のことさえもよく分らなくなるような老人が出てくるのかも知れない。もしそういうことになったら、そういう人の今だけを見ずに、その人との想い出なんかもちゃんと思い出しながらその人を見つめてみたい。
 きれいごとに聞こえるかも知れないが、たとえその人が自分の記憶をなくしたとしても、その人の記憶は誰かの心の中からは消えやしないのだから。

 「わすれやへん」
 誰もが決して自分の人生のことなど忘れるはずがないのである。ちょっと思い出せなかったり、思い出すのに時間がかかったり、勘違いしたりするだけで、人は生き続けている限りその肉体の中にすべての人生と記憶が詰まっている。

 駄菓子屋に通った子供はやがて大人になり、いつしか中年と呼ばれる年齢になった。そのほんの少し先を生きていた人たちが老人と呼ばれるようになり、町を徘徊していた。
 理想だけでは人生は描けない。現実があってこそ、現実を乗り越えてこそ人生である。
 今、僕たちの目に映ることのすべてが決して人ごとではない。
 
 いろんな記憶があるからこそいろんなことを考えさせてくれる故郷という町。
 楽しさや懐かしさだけではなく、やっぱりこの町にはこれからも何度となく還ってこなければならない。
 僕のからだの真ん中には、いつまでたってもこの町の空気が流れているのだから。





原爆で半分吹き飛んでしまった長崎市内の鳥居。



夏休みの小さなお話『生まれた町に帰って思ったこと』

〜中篇〜
 
 7月8日の日曜日の午前中。居間でテレビを見ていたら、兄貴が血相を変えて僕を呼んだ。
 なんだかいやな予感がした。この感じは26年前に僕の部屋で友人数人と徹夜麻雀をした夜の明け方に、母親がそっとドアを開けて僕を手招きしたときとどこか似ていたからだ。
 それは父親がくも膜下出血で倒れたことを知らせる合図だったのだが、どこかそれと似た気配を漂わせていたような感じがして、僕はすごく怖かった。
 兄に呼ばれるまま玄関先に行くと、兄は道路の向こう側にある家の玄関を指差して溜め息にも似た声でこう言った。
「Rさんや」

 そこには家の壁面を伝うように歩き、ようやく玄関に辿り着いた年老いたRさんの姿があった。
 Rさんがやっとのことで辿り着いた玄関の奥に、Rさんの家族はいない。そこはRさんの家から遠く離れたまったく他人の家だったのである。
「けーすけ、ここに居れよ。おれ、Rさんとこ行ってくるわ」
 言葉を発しながら兄貴はすでに走り出していた。元気で話好きだったRさんと、他人の家のドアノブを開けようとするRさんとの間にある哀しいギャップを振り払いたいのだろうか、とても50歳近くの中年とは思えぬスピードで町内の一番奥にあるRさんの家を目指して疾走して行った。
 しばらくすると、兄の向った方向からふたりの老人が少し慌てた様子でこちらに向って歩いて来た。ひとりは僕の母親でもうひとりは駄菓子屋のぐるっと廻った坂井さんだった。
 兄は立ち止まり、すぐさまこちらに振り向いて母親と坂井さんと3人でRさんがいる家の玄関に向った。

 兄が僕を呼んだときには、すでに母親がRさん家に向っていてRさんの家族に知らせようとしたのだが、しばらく返答がないことを理由に、Rさん家と軒を連ねる坂井のおばさんに知らせ、それで坂井のおばさんが心配して現場に向ったというわけである。つまり兄よりも先に母親が行動していたことになる。しかも母親は美容室のお客さんをシャンプー台に待たせたまま、お客さんに詳しい理由も告げず咄嗟に店を出たというわけだ。
 都会の美容室ならあり得ないことなのだが、これが通用するところが田舎ならではで、また待たされたお客さんはといえば、シャンプー台で仰向けになったまま軽く居眠りしていたのだから、なんとものどかな田園風景のような町内である。

 坂井のおばさんが来たからにはもうお役御免という感じで、母親は待たせているお客さんの元へと戻り指先を動かした。僕と兄貴はといえば、道路を挟んでRさんを諭す坂井のおばさんを見守るようにみつめていた。
 坂井のおばさんがきっと、「ここはRさんの家じゃないんだよ」と言っている。Rさんは、「なんでここが私の家じゃないの?」という仕草をする。ただしそこには確実に坂井さんとRさんという信頼ある人間関係が成立していて、Rさんはきっと「坂井さんがそういうのならここは私の家じゃないんだろう」というようなことになったのだろうか。それまで頑なまでに握り続けていたドアノブをそっと放した。
 坂井さんは、やれやれといったような仕草を見せて、首にかけてあった手ぬぐいて額の汗を拭った。僕と兄貴もようやく安心して、道路のこちら側から「坂井さんありがとう」と言った。
 すると坂井さんは、「あら、圭ちゃん?いつ帰ってきたの?」と、とてもついさっきまで珍事件が起きていたとは思えないような明るい声で僕に声をかけてくれた。
「それにしても一郎君と圭ちゃんが一緒におるとこなんか何十年振りに見たやろ?あんたら大きいなって、まーお母さんも安心やねぇ」
 自分的には大きくなってからかなりの年月が経っているのだが、坂井さん家に駄菓子を買いにいかなくなってから軽く30年は経つわけで、坂井さんの昔の記憶の中に閉じ込められた僕たち兄弟が、腹も出て白髪混じりになって道の向こうに立っている姿を見たら、坂井さんが“大きくなったね”というのも無理はない。
 もっとも正直なところを言えば、大きくなっているのではなく、老いはじめているのだが。
 
 僕らとそんなやりとりをしている坂井さんの顔を、Rさんは下から覗き上げるように見ていた。
 すると、坂井さんが僕らに手招きをしてこちらへおいでというサインをしたので、僕と兄貴は、事件現場の玄関先に行くために道路を横断した。

 坂井さんが笑いながらRさんに言った。
「ほれ、Rさん。わかる?一郎君と圭介君やよ」
 Rさんは、相変わらず無表情な顔をしながら答えた。
「わすれやへん」
 そう言ってRさんは定まらぬ視線で僕と兄貴をじっと見つめた。
 ゆっくりだけど、強く、無感情そうに見えたけど、なにかを話しかけるようにずっとじっと見つめていた。


明日につづく。





長崎にて。ガイドをかって出てくれたタクシーの紳士と。



夏休みの小さなお話『生まれた町に帰って思ったこと』

〜前篇〜

 とある夏の日、出張の合間を利用して実家に帰った。兄貴が遅まきながら嫁さんをもらい子供も産まれたので、なんだか居心地がいいのやら遠慮しているのやらわからないのだけど、それでも実家というのは他には成り代わることができない特別な場所ゆえ、すごく嬉しかった。

 Q.三重県の津市から神戸へ移動するのに、わざわざ反対方面の実家に戻るって、どうなの?
 A.完璧に嬉しいです。
 Q.そんな、面倒くさいのに。
 A.それが実家というものです。
 
 まぁ理屈じゃないですからね。本能ですから。実家って鮭が産卵するために険しい滝を登ってまでして還ってくる川のようなものものだから。犯罪者だろうがサクセスした人だろうが、今現在生活している場所以外の場所に戻りたいとしたら、きっと誰もがふる里を選ぶと思う。だからこそ犯罪者は逃亡するために故郷の方向を目指すのだし、自殺志願者はそこに死に場所を求めたりする。
 母親がいて兄がいて仏壇があって先祖の顔写真が額装されていて、朝になったらお線香の香りが鼻をくすぐって、昔から変わらないみそ汁の匂いがして、見渡す限りいろんな所にさまざまな思い出が刻まれていて。そこに新しく家族となった兄貴の嫁さんと子供がいて。だから実家はとても嬉しい場所なのです。

 ところが実家というところは、嬉しさだけが待っているとは限りません。ちょっとした苦さなんかもそこにはあって、もちろんそれを含めて実家というのだろうけど…

 僕の生まれ育った町内は、広さが150m四方ぐらいで、その範囲内に同級生だけでも12人いて、もちろん他の学年にもそれぐらいの人数がいるとにかく子供の多い町だった。
 こどもが多ければ駄菓子屋さんが多いというわけではなく、残念ながら駄菓子屋さんは坂井さん家一軒だけだった。ちなみに坂井さん家は僕の家から80m直進してから右にぐるっと廻ったところに位置するから、通称『ぐるっと廻った坂井さん』。もう一軒、僕の家から真っすぐに100m行ったところにある酒井さん家は、お肉から野菜から雑貨からなんでも売っているお店だったので、栗山家では通称『売店』と呼んでいた。
 ぐるっと廻った坂井さん家には毎日こどもがひっきりなしにやってきて、約6畳ぐらいの広さの売り場にこどもが12、3人なんてのはザラで、それでも坂井のおばさんはひとりで僕たちを相手していた。そんな光景が当たり前の昭和40年代には、ご近所のおばさんが駄菓子屋でたむろするこどもたちを叱ったり褒めたり、小学校で起きた出来事などを聞いたり、それに意見したり、とにかく駄菓子屋を中心に、毎日が三丁目の夕日だったのである。
 ぐるっと廻った坂井さん家の近くにはとにかくうるさいおばさんが多かった。うるさい、は失礼だな。お喋りなおばさん、これも失礼だな。世話好きで賑やかな、コレだ。そういうおばさんが本当に多くて、下手すると坂井さん家で駄菓子を買う子供たちと同じぐらいの数のおばさんがそこにいて、初めてその前の道を通る人にしてみれば、ちょっとした縁日でもやっているんじゃないかというほどの賑やかさだった。

 そんな坂井さん家の近所のおばさんでRさんという人がいる。Rさんは僕の母親がやってる美容室のお客さんでもあり、僕が生まれた頃にはすでに母親に髪を切ってもらったりセットしてもらったりしていたので、母親とは確実に45年以上の付き合いということになる。
 もちろんRさんは僕のこともよく知っていて、小学校から高校時代までは、僕を見つける度に、「大きくなったねぇ」と言ってくれた。時には道端で、ときには実家の美容室の椅子に座って、本当は中学3年から1センチしか背が伸びていない僕を見る度に「大きくなったねぇ」と必ず言ってくれた。
 よくしゃべるRさんは、とっくにカットやセットが終わっても僕に話しかけた。僕の母親の話を母親の目の前で話してくれたり、僕の父親の話を、父親が芝刈りをしている姿を横目にしながら話してくれたり、父親が死んでからもそこに父親がいるかのように話してくれたり、とにかく僕にとって大切な人のことを、いつもいつも話してくれた。


明日につづく。





大変お世話になっている方の70歳をお祝いするバースデーケーキ




2007/10/18

『日記、休んでました』 

2007/09/27

『歴史に残る洋食屋』

2007/09/14

夏休みの小さなお話『生まれた町に帰って思ったこと』

2007/09/13

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夏休みの小さなお話『生まれた町に帰って思ったこと』
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