『25年ぶりにこんにちわ お墓の前の同窓会〜最終章〜』

「〜最終章〜 またな」

 お墓に32人。先輩の店にも32人。そのあと、ゆきみちゃんの店には36人。墓参りだけの人や、飲み会だけの人や、さまざまな出席方法はありましたが、その日はざっと延べ100人もの同級生や先輩や後輩が時間をともにしました。
 最後のゆきみちゃんの店では、カウンターの中に、27、8年前は町中で「美人女子高生」と噂された女性たちが横並びになって水割りやカクテルを作ってくれました。突然その店にひょこっと入って来たお客さんにしてみれば単なる熟女スナックにしか見えないかもしれませんが、僕や同級生たちにとっては、そこにいる45歳×5人のユニットは、キャンディーズとピンクレディーを合体させたよりもずっとずっとキラキラ輝いていました。なぜならあの頃、その5人に恋をした同級生はざっと推測するだけで40人、ひとりあたり8人のチェリーボーイをクラクラさせていたわけですから。
 その美しき光景ゆえに、誰かが「写真とっていい?」とリクエストしたのですが、熟女のひとりが「ハイ、3000円っ!」とあまりにもベタでリアリティたっぷりな返しをしたので、僕は幻想から醒めてしまいました。

 カウンターには同級生たちが横並びで座りました。狭い店内には30人を超える人数が入りきらず、カウンターの後ろでみんなが並んで立ち飲みをして、それでも入りきらずに、さらにその後ろにも列が出来ました。

 みんなの後ろには、一枚のポスターが貼られていました。
 死んだあいつのスナップ写真をコラージュした特大ポスターです。
 どれもこれもみんなリーゼントで眉毛なしで短ランでボンタンでセブンスターでキリンラガーです。
 どれもこれも笑顔です。大人になってからでは到底できない、大人になる少し前の、大人になりたくないっていう笑顔です。

 廃線になった電車の駅前にあるその店は、賑やかを通り越して確実に近所迷惑でした。あまりのウルサさに通報覚悟でした。
 思い起せば、その場所は昔、町中の不良の溜まり場として名高く、夜中になれば単車やシャコタンの品評会場となり、そこに家出してきたガキもいっぱい集まってきて、ちょっとした青春白書のような場所でした。
 時の流れとともに町は寂れ、駅前の商店街は軒並みのれんをたたみ、活気は失せ、私鉄は廃線となり、いつしかその場所は、単なるコンクリートの広場と化してしまいました。
 そこに何十年振りに不良達の騒ぎ声が戻ってきたのです。しかも夜通しで。あの頃、不良だったやつもそうでなかった奴も、通報されたり補導されたりしたやつも、通報したやつもみんなみんな一緒になってあの頃の駅前の賑やかさを取り戻すように、大騒ぎしながら飲んでいました。

 午前2時。僕が目を覚ますと、そこにはお店のママであるゆきみちゃんとひとりのともだちだけが残っていました。僕は泣きじゃくりながら騒ぎすぎたようで、いつの間にか眠ってしまったらしいのです。
 最後まで残った同級生が、タクシーで送って行こうかと声をかけてくれたけれど、僕の実家はそこから歩いて5分の距離なので、丁寧に断りました。
 やがてそいつも帰り、ゆきみちゃんとふたりでカウンターでぽつんとしました。
 さっきまでの、といっても僕には最後の1時間の記憶が抜けていたのだけど、とにかくあれだけ賑やかだった店内が、シーンとして、さほど広くもない店内がものっすごく広く感じて、ちょっとだけ寂しい気持ちになったら、なんだか急に疲れてしまいました。
 キレイに後片付けされたカウンターには、飲みかけの焼酎の入ったグラスがひとつだけ置かれてありました。
 どうやら僕がつぶれて眠る直前まで飲んでいたものらしいです。氷が溶けて水滴がグラスのボディーを伝って、コースターのまわりがちっちゃな水たまりになっていました。

 時間が経って氷が溶けて味が少し薄くなった麦焼酎を飲みました。あまり美味しくありませんでした。
 僕はカウンターの後ろを振り返ってあいつのポスターを見ました。あいつと目が合いました。というか、一枚の紙の中に12人いるひとりひとりのあいつと目を合わせました。
 笑いました。というよりは、笑えました。

「ほんと、よーやるよ、25年も経ってるのに」
 僕とあいつが同じタイミングで言いました。
「たぶん、もうないな」
 これも同じ。
「ありがと」
 これも…


 長瀬真也19歳。俺たち45歳。
 だけど、歳がどんだけ開こうがなにもかわらん。
 
 ずっとともだち。
 ずっと同級生。





世界で1枚だけのあいつのポスター。



『25年ぶりにこんにちわ お墓の前の同窓会〜第二章〜』

「〜第二章〜 たのしいねっ」

 小雨に蝉の声。お寺にはなんともいえない静寂があります。
 そこに木魚がぽこぽこと響き、テノール歌手のような住職のお経が被せられ、僕たちはいい気持ちになってそれぞれにあいつとの思い出をたどりました。70歳を過ぎたあいつのおじさんとおばさんは、住職の左後ろで少しだけにこやかにしていました。
 お経が終わり、焼香が終わり、おじさんとおばさんがみんなに挨拶をしました。
「あれから25年も経つのに、こんなにたくさんの同級生がお墓参りに来てくれて、信じられない気持ちです」
 特別な感情を注ぐでもなく、ごくごくあたりまえの節回しで同級生たちにお礼の言葉を添えるおじさんと、その横で、うんうんと相槌をうつおばさん。
 あいつのお姉ちゃんが一番嬉しそうでした。お姉ちゃんの子供たちは、もちろんあいつに会ったことなどありません。そんな時間の壁を越えて、あいつの同級生たちが、仏壇に飾られてあるあいつの写真とあまりにも年齢が離れていることに違和感を感じたのでしょうか、“ホントにこの人たちが伯父さんの同級生?”というような不思議な顔をして口をぽかんと開けたままでした。
“そうだよ、僕らがあいつの同級生で、あいつは僕らのかけがえのない同級生なんだよ”。
 僕は心の中で、あいつの姉さんの子どもたちに言いました。
 少しムキになったような気持ちで、本当は大きな声でそう言いたかったのだけど、よく考えたらあの子たちがそんなことを言ったわけでもないので、黙っていました。もしも声に出していったらきっとヘンテコなことになってしまったと思います。
 
 それから僕たち同級生は2コ上の先輩がやってるオシャレなレストラン・バーを開店前に貸し切りにしてもらって酒を飲みました。その店は昔からピザが美味しくて、その日も“ひとりあたま3000円でやって”という僕らのリクエストに応えて、飲み放題+美味いピザ、を中心にメニューを構成してくれたので、今度地元に帰った時にはあらためて先輩にお礼を言うつもりです。
 その前に、とりあえずこの日記の中で「ありがとうございます、ひーちゃん」。


「そうか。そうだよな。あいつが死んだのは19歳のときだったから、こうして酒を飲むこともなかったよな」なんていうのは真っ赤なウソで、僕らは中学校の帰りにかならずそいつの部屋に寄って、サッポロジャイアントをクイクイ飲んでいました。
 ある日の高校の帰りに、あいつの部屋であいつとビールを飲みながらタバコを吸っていたら、あいつのおばさんがノックもなく部屋に入って来て、しばらく言葉もなくお見合いをしているような状態になりました。バレてはいるだろうと思いつつも、やはり現行犯はちょっと塩っぱくて、仕方なく指に挟んでたタバコを揉み消そうとすると、「あんたらウチでだけにしんさいよ。タバコもビールも日本酒も、ほかではぜったいにあかんよ」
 おばさん、日本酒は飲んでないけど…

 そんなおばさんにはすごく真面目で優等生な3人の孫がいる。お姉ちゃんの子どもたちです。
 挨拶もしっかりできるし言葉使いも素晴らしい。なによりいつも笑顔で気持ちがいい少年少女たちです。
 そんな立派なあいつの甥っ子たちに僕はいつもこう言ってあげるのです。
「たまにはタバコを吸ってビールも週に3日は飲みなさい」
 おばさんは、「なんでそんなこと言うの!」というような顔は一切見せず、「昔はそうやったもんなー」と、自分の息子が中学時代から酒タバコをやっていたことをカンタンに認めしまうのでした。

 久しぶりにあいつと飲みたくなりました。
 こんなにたくさんの友だちと一緒なのになんであいつだけがいないのでしょう。
 とはいえ、今日はあいつが天国から僕たち同級生を集めてくれた日だから仕方ありません。
 そんな思いを、きっと誰もが心の中で呟いていたことでしょう。
 あいつもきっと、どこかで僕らのことを感じながら、飲んでいたに違いありません。


・・・つづく



僕のデスクの脇には、夢の住人がいっぱい。



『25年ぶりにこんにちわ お墓の前の同窓会〜第一章〜』

 〜 はじめに 〜
 この日記は、僕がこの夏にどうしてもやりたかったことが実現できて、その事実をもとに描いたものです。
 歳をとるとろくでもないことが多いのですが、たまには歳をとるのもいいもんだなぁと思えることもあるんだなって本気で思えたことを、できるだけ素直に描きました。
 いつも興奮すると、すごく熱くなって全速力で短距離走をしているような文章になってしまうのですが、今回だけは少しだけ落ち着いて描きました。
 これは、僕と同級生たちの大切なともだちへの、なんてゆーか、手紙みたいなものです。




「〜第一章〜 ひさしぶりっ」

 7月21日。親友が死んで25年経ったその日に、同級生を中心に墓参りをやりました。
 小雨振る中、お墓の前には32人もの同級生が集いました。
 19歳で死んだ友だちは、32人もの同級生を前にしてさぞかしびっくりしただろうと思います。そりゃそうです。突然、浦島太郎みたいに45歳になったおじさんおばさんが目の前に、しかも32人も現れたのだから。
 
 墓参りは壮観でした。強制ではなく、あくまで自主的に、という誘いの中、ほんとうにみんなよく集まってくれました。中には25年どころか、30年も会っていない友だちや、一度も口をきいたことがない友だちもいて。あれ?じゃ友だちじゃないじゃん!…ま、そういう堅いことは抜きで。とにかくお寺の参道をお墓に向って歩いて行く最中、見た目では誰かわからなくても明らかに同級生オーラを出している人たちがゴロゴロいて、あいつの墓だけがなぜかものすごくポジティヴな空気を放っていたのです。
 ちなみにあいつの墓の手前には、僕らの中学の一級上の番長で、高校野球で甲子園大会にも出た伝説の先輩のお墓があるのですが、その先輩さえもその日だけはあいつに主役を譲り脇役に徹していたような感じでした。
 生前、あいつと先輩は同じ町内に住んでいました。
 天国に行っても墓が隣というのは、ちょっと可笑しくて嬉しくて、そんな感じです。
 
 小雨の墓地。それだけでなにか特別な気持ちになりました。これから向う場所には10代でこの世を去った友だちがいます。その日のお墓はひとりで来るときとは何かが違っていて、ちょっとした緊張を憶えました。きっと32人の中には初めてこの場所に来る同級生もいることでしょう。25年間も墓参りをしていないことを考えたら、あいつとはそれほど親しかったわけではないという憶測がたちますが、いやいや、友人だったとか友人じゃなかったとかはきっと関係ないことなのでしょう。逆に25年経って初めてあいつの墓参りに来た人の方が素晴らしいと思います。それがどんな思いであろうと、25年もの時を経てそこに足を運んで合掌するのだという気持ちが何よりも尊いのです。仮に墓参りの理由が単に“同級生がたくさん集まるだろうから”というお気楽な考えであったとしても、それはそれでとても素晴らしいことなのです。
 なぜなら、そいつとあいつは紛れもない同級生なのだから。

 墓の前に恰幅が良くてスキンヘッドで銀縁眼鏡をかけた人がいらっしゃいました。僕や同級生たちは、その方がお経をあげてくださる住職だとばかり思っていたのですが、袈裟も着ていないしなんだか様子が違うなぁって思っていました。だけれどその人は猛烈に気になる存在感を放っていたので、とても無視することはできませんでした。誰だろう?巡る思いはそればかりです。その人は同級生の誰かと話している様子もなかったので、きっと別の法要で来られた年配の方だと思って無理矢理自分を納得させました。
 ところが、僕たち同級生がぞろぞろと本堂に入って行くと、少し遅れてその人も入って来て、僕らの団体の最後部で正座をして数珠を出されたものだから、思わず僕は「どちらさんですか?」とシンプルな質問を投げてしまったのです。

「やっぱりね」とその人。
「え?」と僕。
「わからないでしょ」とその人。
「はい、あっ、すいません」と僕。
「まさおです」とその人。
「…まさお?あの、サッカー部の?」と僕。

 周りが少しだけざわめくのが分りました。無理もないです、謎の住職が誰だか判明したのだから。
 本堂の中の光景はといえば、前に住職うしろに住職という、まるで住職にサンドされたような状況でお経を読んで頂けることになったので、なんとなくラッキーと言うか、ありがたい気持ちがより深味を増したのですが、やっぱり、なんとなく、少し可笑しくて、だけどまさおのおかげでみんなの緊張も少しほぐれて、いい感じで僕らはお経を聞けることになりました。

 それにしても生きている僕たちでさえ見分けのつかない同級生を、天国のあいつは果たして見破れたのでしょうか?ちなみに深夜まで続いたその日の飲み会で、誰が一番昔の面影がなくなったかという、どうでもいいようなことをかなり烈しく議論した末、ダントツでまさおが一位になりました。ただ、まさおは当初からそういう展開になると予想していたらしく、ダントツのトップ当選ながら、そのテの話題にはかなりシラケていて焼酎をガブ飲みして酔っぱらって早めに帰ってしまいました。


・・・つづく



とても楽しかったお墓参り。



『母と息子のかたち。2007夏』

 若い母子が歩道を歩いている。母親はご機嫌斜め。原因は母親より3歩後ろを歩いている息子にあるようだ。
 母親はベビーカーにスーパーのビニール袋を下げて、赤ちゃんと一緒に食材を運んでいる。
 息子は下を向き、母親を追い越さないようにポンピングブレーキを踏みながら後をついてゆく。
 母親が止まると、ビクついたように息子も止まった。
 母親が周囲の目を気にしながら、けれど確実に攻めのボリュームで息子に言った。
「どうしてくれるのよこのお肉っ!」
 息子はさらに視線を下に落とした。
 たぶんスーパーで買ったお肉を息子が道路に落としたとか、そんな感じなのだろう。母親はビニール袋を指差しながらさらに続けた。
「弁償しなさいよ。あなたがお肉をダメにしたんだからね。」
 息子は地面のさらに下の、地下数10mあたりにあるモグラの山田さん家あたりにまで視線を落とした。
 母親はさらに息子を追い込む。
「ねぇ、どうやって弁償してくれるのよ?働けもしないくせに。答えなさいよケースケ」
 よりによってなんで俺とおんなじ名前なんだ。
 哀しみのコーナーポストに追い込まれてやりきれなくなった息子が、しぼりだすような声で重い口を開いた。
「どうやって弁償したらいいの?」
 母親はその美形からは想像もできないような言葉をお見舞いした。
「そんなもの、土方でも百姓でもやりなさいよ!」
 
 これがテレビで放送されたら、その瞬間に視聴者から苦情の電話が鳴り止まないようなフレーズを、しかも右手を大きく振り上げて「殴るぞ!」という意思表示を明確に打ち出しながら、美形の顔を般若の顔に変えて母親は息子をののしった。

 僕は立ち止まってしまった。あまりのおぞましい光景に足が言うことを利かなくなってしまったのだ。
 母親は息子にフィニッシュブローを決めるように、携帯電話を駆使してさらに追い打ちをかけた。
「もしもし、アヤカ?わたし、わたし。あのさー、ウチのケースケがバカでさー、チョー使えないのよ。スーパーでスキヤキ用のお肉買って、偉そうに“ボクが持つ”って言って、そしたらお肉落としてさー、それだけじゃなくて、ワゴンで踏んでんのよ。コレ、食えないでしょ。っとに、チョーバカでしょ!」

 それを3歩後ろで聞きながら肩を震わせる僕じゃない方のケースケ。
 その3歩左後ろで聞くもうひとりのケースケ。

 それから先の光景はとても見る気がしなくて、といっても誰かから見てくれと頼まれたわけでもないのだが、とにかく僕は哀しくてたまらなくなって、ケースケには申し訳ないが、その場からケースケと美形の母親を早足で抜き去り、遥か前方へと立ち去った。

 その場で何かを言ってやれば良かったのか、やっぱりこのままで良かったのかは分らないが、あまりにも心の中がもやもやしているので、この場でさっきの場面の登場人物に手紙を書こうと思う。

 
 ケースケへ。
 がんばれ!泣いてもいいけど、負けるな。あんなクソ女、ぶん殴ってやりたいけど、それでもお前の母ちゃんだ。肉をおっことしてワゴンでひいてしまったことへの母ちゃんの恨みは数日続くかもしれないが、お前が本当に弁償できる日までずっと堪えろ!それで、いつかお前の母ちゃんが歳をとってから一緒に買い物に行ったとき、母ちゃんが手を滑らせて買ったお肉をおっことしても、“母ちゃん気にしなくてもいいよ”と、やさしく肩に手を添えてやれ。それが、日本の男の子だぞ!


 美形のお母さんへ。
 人それぞれにいろいろな教育方法があると思いますから、あなたのとった行動は一概に間違いであるとは言いきれません。だからこんなことを思いました。あなたはその美しい瞳で、あなたが息子に対してとった行動と同じような光景を、どこかで目撃したらいいなーと思います。少なくともケースケくんは、あなたのことが世界中でいっちばん好きだと思います。


 ベビーカーの赤ちゃんへ。
 さっきの場面は絶対に記憶に残さないでください。


 それではみなさま、よい週末を。



コンクリートから飛び出したハートの島。



『郷ひろみ』

 縁あって今年もヒロミゴーのコンサートツアーに絡んだ仕事をさせていただいている。昨年よりももうすこし深くというか濃くというか、かなりラテンなノリで。
 今年はいろんな場所でステージを観たいなと思っていて、それで先週、新潟に行ってきました。
 ここ最近のヒロミさんは、新曲も好調でメディアへの露出も多いし、紀香さんの披露宴で歌った「お嫁サンバ」が大フィーバーしてるし、なんだかすごい追い風というか、空気の中心にいる感じがする。観ていて清々しいし、なにごとも一生懸命なところにかなりグッときます。

 考えてみたら、郷ひろみという人は、ある意味では不幸な人だと云えるでしょう。
 デビューしてから36年、彼はずっと「アイドル」という重責を一身に背負わされて生きてきたわけです。10代の右も左もわからない頃であれば、「アイドル」という響きは誉れ高き称号であったのだろうけれど、経験を重ね、自らを歌手という視点で捉えた時、唱わされていることから唱えることへと昇華した自分にとって「アイドル」という十字架は重くのしかかったことだと思います。
「アイドル」という甘美でポップな世界。しかしそこにはドシンとした重厚感はなく、どこか軽薄という名のベールを拭いきれないジレンマがある。思春期の男の子がいつまでも子供扱いされたくないのと同じで、きっと彼は何度も「アイドル」から逃亡したいと思ったことでしょう。
 けれど彼は決意しました。いや、したのだろうと思います。一気に盛り上がって賞味期限が切れたら消えていくアイドルではなく、永遠に在り続けるアイドルとして生きることに。
 そのために彼は歌を磨き、ダンスを磨き、コミュニケーションを磨き、インテリジェンスを磨き、感性を磨き、そして郷ひろみを磨いたのだと思います。
 単なるアイドルではなく、永遠のアイドルとしてそこに在り続けるために、昨年よりも成長した郷ひろみにチャレンジするための場所としてステージを選び、そこで自分にもファンにも勝負をかける。その姿は確実に「男」だし、毛穴から放出されるエネルギーはやがてオーラとなって会場を包み込み、溜め息混じりの頬についこの手を伸ばしたくなるほど、色っぽくて感情的な圧巻のステージが繰り広げられていることは、僕の予測を遥かに超えて、あっという間に感動の沸騰点にまで達してしまったのです。

 そんな「アイドル郷ひろみ」は、ある意味で僕ら40代の男の手本でもあるような気がします。
 シノゴノイワズニ イママデヤッテキタコトノ サラニタカミヲメザス。
 郷ひろみは突然51歳になったわけではなく、16歳から「郷ひろみ」が始まって、20代30代40代と「郷ひろみ」を背負い「郷ひろみ」と闘いながら生きてきた。その結果として、51歳のアイドル郷ひろみが今、在るわけです。
 つまりは迷いや不安や失望に苛まれた経験を経て、今なお自分を貫きながらマイクを持っているのです。

「ほんとによくやるよ」という声が列島中の茶の間から聞こえてくる。
 それこそが郷ひろみへの最高の称賛であり、リスペクトだと僕は思う。
 やがて郷ひろみという生き方が、大人の男たちにとってのひとつのバイブルになることは違いない。
 それは予感というか、予言に近い気がしてならないのだ。



暑くなったので、また坊主です。




2007/08/02

『25年ぶりにこんにちわ お墓の前の同窓会〜最終章〜』

2007/07/30

『25年ぶりにこんにちわ お墓の前の同窓会〜第二章〜』

2007/07/27

『25年ぶりにこんにちわ お墓の前の同窓会〜第一章〜』

2007/07/20

『母と息子のかたち。2007夏』

2007/06/27

『郷ひろみ』
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