『皮膚科へ行く』

 最近、皮膚が痒くて、それで皮膚科に行ってきました。
 右肘の関節あたりがどうも痒くて、それで。
 皮膚科とはいえ病院というところはどこも怖い。その皮膚科の若い女医さんも前回診てもらったときに、ちょっと怖くてビビらされました。
 白衣を着るとなんかすごく上のステージに行っちゃうんですかねぇ、たいして美人でもないのに、すごくいい女ぶって、しかもかなり高圧的な感じがして、イヤーな感じをプンプンさせてくれたのでした。

 それではここで前回の記憶を。
「あの、ちょっと足の指と指の隙間が水虫で痒いんですけど…」
「えっ?」 
「はい。だから隙間が水虫で…」
「診てもらったの?」
「いや、今、診てもらおうと…」
「じゃ水虫かどうかわかんないじゃん」
「まぁ」
「いいかな?水虫ってのはね、病気なのよ。だからあなたが水虫と思ったからってそれが水虫かどうかはわかんないのよ。それが水虫かどうかは、診察結果により明らかになるんだから、勝手に決めちゃダメなの。ね、わかるでしょ」
「すみません」

 とりあえず頭は下げたが僕としてはこれっぽっちも悪いなんて思ってなくて、だいたいいいじゃないの、水虫で。たとえ水虫でなかったとしても、なんでそんなコスプレみたいなカッコしてるあんたにガミガミ言われなきゃならんのよ?こっちは痒くて困ってあんたを頼ってこうしてやってきてるのに、それがなんだよ、人を子供扱いして。水虫だと思ったんだから、口から「水虫」って出ただけでしょ。
 ムカついたら血行が良くなって余計に痒くなってきたじゃないのよ。ってなんでオネエ言葉になるのよって、どんだけぇ〜!

 そんな苦くて痒い過去があったにもかかわらず、やはり初物の病院はやっぱり怖くて、僕は腕をポリポリ掻きながら、またあのドSのコスプレ女医がいる皮膚科へ向かったところ、『先生は産休につき、しばらくの間、休診させていただきます』という貼り紙がひらり。
 ほー、あの女医が夜はエンジョイで産休ですか。街の人々の痒みはほっといて女医がエンジョイ。それで産休ってちっともサンキューではないと思われます。 

 しかたなく僕はそこからほど近い別の皮膚科へ。するとそこには切手とかスタンプとか集めてそうな、SL模型を手に取って空中を“シュシュポポ”って言いながら走らせてるような感じがとてもサマになる、髪の毛が妙にウェッティな男の先生がいらっしゃいました。
 先生は診察室で僕と向き合っているのに、僕を見つめることをせず顕微鏡を覗きながら僕と会話をしてくれました。病院という緊張感からか、ついつい下らないギャグを言って先生の気持ちを緩めようとするたびに、“なるほど”と言って先生は少しもギャグにひびいてくれません。
 僕のギャグの質が悪いのか、先生はギャグにはまったく興味はないのか、それとも僕そのものが嫌いなのか。わずかな時間でネガティヴな選択肢が頭の中にチラついて少し不安になりました。しかも先生、まだずっと顕微鏡を覗いてます。
 あの顕微鏡の中にはなにが視えるんだろう?正体不明の病原菌かな。それとも菌と菌を掛け合わせて細菌兵器でもつくってるんだろうか?なんでもいいから僕の目を見て話してほしかったけど、結局先生は最後まで顕微鏡を覗いたまま「ふつうの石鹸で洗えばいいからね、ふつうの。牛乳石鹸みたいなほんとふつうの石鹸」と言って、プチかゆみ対策を伝授しただけで診察は終わってしまいました。
 これが牛乳石鹸とのタイアップだとしたら、かなりさり気なくて新しいなと関心しそうになったけど、そんなことするぐらいなら、診察室に牛乳石鹸の箱で作っ千羽鶴とかを置いたり、それよりも牛乳石鹸のポスター貼った方が確実に効果があるのになと思ったりしました。
 それでも先生の言ったように“ボディソープではなくふつうの石鹸で洗うんだ”と、何度も何度も『毎日香』の坊主みたいに小声で呟きながら診察室を出てくると、受付の女性が笑顔で僕を迎えてこう言ったのです。
「おかえりなさい」

 思わず「ただいま」と返してしまうほどのさり気なさに驚いてしまいました。
 なんで「おかえりなさい」なのかは未だ不明ですが、ただ「おかえりなさい」という短い言葉の中には数百ページにも及ぶ高尚な純文学が閉じ込められていたような気がして、なんか少し感動してしまいました。
 場所は病院。白衣姿で「おかえりなさい」。連想する画は誰もがそれほどかけ離れることはないでしょう。
 違うのはその先の展開だけです。
「あーただいま。今日は疲れちゃったよ。ほんとバカな連中しかいないからな、ウチの会社は」と軽くグチってから、ネクタイを外して食卓で缶ビールを飲むか風呂に入るかというような平和だけどつまらないサラリーマン家庭風の展開になるか、それとも「待ちくたびれたろ。いいコだ。ご褒美をあげなくちゃいけないね…」と梅雨目前なのに湿気たっぷりで蒸し暑い展開になるかのいずれかでしょうな。

 あれから一週間が経ち、僕は先生の言った通り毎朝毎晩牛乳石鹸で洗っているので今では少しも痒くはないのですが、明日あたり、いろんなことを含めてまた顕微鏡先生のところに行きたいと思っています。



モナコにて。



『ランチを食べるおばさんの話』

 気がつけばそろそろ夏が始まりますが、みなさんいかが過ごしですか? お久しぶりの日記です。
 今日、僕は事務所の近所の、夜はひとり単価1万5千円は下らない高級バーで、なぜか昼間には900円でランチを食わしてくれる不思議なお店でご飯を食っていました。
 その店には近所のおばさんがやってくることが多くて、そのおばさんたちが、まぁほんとにおばさんらしいおばさんばかりで、とにかくおしゃべりしに来たのかランチ食いにきたのかわからないぐらいのおばさんたちで、メシを食ってる最中、話に夢中になって口の中のご飯粒を機関銃みたいにピューンピューンと飛ばす器用なおばさんばかりなのです。
 中でもサトウハチローの漫画のように上下の唇がビヨーンと飛び出したようなおばさんときたら、約30分間のランチタイムで、多分500粒ぐらいは周りにぶっ放していると思われるほど辺りにご飯粒を巻き散らかすのです。
 それを見かねてマスターと、時々カウンターの端っこでドスンと座っているママさんは「ちゃんとご飯を呑み込んでから話しなさい」と少し怒ったように話すのですが、「だって美味しいんだもん」とまるで4歳児みたいな言葉を返すわけです。すると今度はマスター「美味しいなら余計にしっかりかんでちゃんと飲み込んでから話しなさい」とチクリ。されどおばさんにはまったく効き目なく「だって楽しんだもん」、これでおばさんの一本勝ちとなるわけです。
 そのおばさんはきっと悪い人ではないと思うのですが、なにぶんご飯粒飛ばしにかけてはギネス級の腕前なので、カウンター11席だけのお店に同席する僕らとしては、ご飯粒の砲撃に身をかわして避けながら食事をしなければならない、忍者の修行のような食事をするわけです。
 なぜそんな店にしょっちゅう行くのと聞かれると、そこはネタの宝庫だからなのであります。
 もう近所中の、ちょっとお金のある、けれど品格の無いおばさんたちが集う、ある意味「おいしい」お店だからであります。
 ところがその内容はといえば、ご近所の人の、とりわけ商売で儲けている人とか区議会議員の話だとかで、しかもこれ言ったら御用でしょうというようなネタばかりなので、いくらおいしいネタだとしても、ここで書けないのが残念です。すいません、引っ張るだけ引っ張っておいて。これでも自分の身が可愛いので、ここは“あー、そんなお店があるんだー”ということで勘弁してください。
 だって、マスターこの前言ってたもん。
 「マロンさんのブログ、あれ、おっもしろいねー。あれ本当の話?それともネタ?」って言ってたから、あまり事細かに状況描写すると、返って災いするのかなと。
 じゃ、なんここで書くのかって言われると、それはね、ホントにあのマスターこのブログ見てるのかなって思って、それでこうして書いてるわけ。確認ですな。
 いやー、しばらく日記から遠ざかってたけど、日記ってやっぱ身近にあることたらたら書くのが一番いいね。だって近所が好きになるもん。実はもひとつ、いやふたつかな、近所ネタでピチピチしたのがあるので、また書きます。
 夏はやっぱり日記です。それではまた。



新宿二丁目でも、やっぱりカレーライス。



『与那国野球中年ものがたり。完結篇』

完結篇:「酒と泪と男とまた酒」


 交番の手前の小さな川沿いには5軒ほどのスナックが並んでいる。地元の人たちがここを『与那国銀座』と呼んでいることからも島いちばんの歓楽街であることに違いはない。だから『銀座』の称号が与えられたのだろう。『銀座』のお店は5軒といっても同じ建物のひとつ屋根の下。ライバル店というよりは、一杯飲んでは隣の店に入ってまた隣りへというスタンプラリーのようなのどかさが漂う『銀座』である。
 僕と仲田とともだちふたりは、『銀座』の中でも美人と評判のママがいるというスナックに入った。島のスナックはどの店も広く余裕綽々でソファ席が配置され、機嫌が良くなった客がその場で踊り出せるくらいのスペースがボックスごとに確保されている。下手したら都内のコンビニぐらいのサイズがあるのではないかというほどゆったりとしたリビング感が僕らを存分に癒してくれる。
 美人と評判のママは噂に違わぬ美貌の持ち主であったが、その噂の冒頭に「50歳にしては」というおまけがつくことをソファ席に着いてから聞いた。
 まぁいい。僕はとびきりご機嫌だ。なんせ22年振りに日本最西端の島でともだちに会えたのだ。この店に腰を下ろしたからにはとことん飲むぞと、僕は心の中のふんどしを締め直していた。
 とはいえ、さっきまで飲んだ泡盛の量だって半端ではない。ともだちが常備している特性ウコンを致死量近くまで飲んで備えてはいるけれど、これ以上飲める自信はないし、猛スピードで泥酔したときにブレーキが利かないことは誰よりも僕自身が知っている。だから慎重に、より慎重に、これから飲む酒と付き合おう…
 沖縄の人はとにかく乾杯好きだ。酒の始まりに乾杯! 次に久しぶりの乾杯! コイツはともだちの…で乾杯! その隣もともだちで、で乾杯! そうかそんなことがあったのか、で乾杯! ママさんに乾杯! 与那国に乾杯! 良い話に乾杯! ジンとくる話に乾杯! ほぼ3分に1回のペースで乾杯が延々続くのです。沖縄言葉で乾杯は『花花』あるいは『かんぺー』、どちらも泡盛が美味くなる素敵な響きです。
 仲田はこの店でも泡盛のボトルを抱え込み、ビールジョッキになみなみと注ぐスタイルを変えず、まるで生ビールを飲む感覚でぷはーっとボトルを空にしていき、それに連られてというか反強制的というか、『花花っ』と元気よく声を掛けられビールジョッキを目の前に突き上げられるものだから、僕らもそれに応えなければならず、「はなはなっ&かんぺー! もいっかい、はなはなっ。かんぺー!」もうかんぺーしてくれと力の無いダジャレを口にしながら拷問のように泡盛を胃袋へ流し込むわけなのです。
 たまらずカウンターへ逃げ、(50にしては)美人と評判のママさんとランデヴーしていると、ママさんもやっぱり『はなはなっ。かんぺー』。この島に逃げ道はないのです。
 もういちど腹をくくり直して飲む決意をすると、仲田がすっくと立ち上がった。

「唄うぞっ!」
「おー、唄え(これで少しは酒から逃げられる)」
「けーすけ。こんな感動的な日にはやっぱりこの歌だ」
「なに唄うの?」
「KANの『愛は勝つ』」
「分り易いな、おまえ」
「体育の先生だからな」

 泡盛をハイオク満タンで胃袋に流し込んだ仲田先生は超ご機嫌になり、僕たち3人の襟元を掴んで強引に立ち上がらせ、ハウンドドッグの『フォルテシモ』のサビの部分でお決まりとなっている右手の拳を斜め上に突き上げるポーズを繰り返し、それを僕らにも強要した。大学時代はそこそこ目立ってはいたけれどどこか控えめでクールな感じの男だったが、22年経ってスナックで天に向かってストレートを放つ姿は地元の漁師か八百屋のおじさんそのものだった。
 仲田は僕よりも機嫌が良かったのだろう。いつしか突き上げる拳を僕の肩にまわし、マイクを持つ左手は僕のともだちの右肩方向から侵入し首を通り越して左肩をガッチリとキャッチしていた。そして『愛は勝つ』の4拍子に乗って2拍ずつ横に揺れたら今度は反対に2拍ずつ揺れ、それを繰り返すだけのなんとも古典的なノリにいつしか僕らも呪文をかけられ左右に揺れていた。その揺れの心地よさは東京でスカして飲んでいるときのそれとは違い、どうしようもないぐらい温かで自然な、まるでゆりかごのなかにいた赤ん坊だった頃の記憶を甦らせるような感覚だった。そしてなによりも心に滲みたのは、僕の首を巻き込むようにして右肩をガッチリと掴んだ仲田の手のひらから放たれる熱エネルギーが、“嬉しいよ、楽しいよ”と泣きながら叫んでいたことだった。
 その場所に居合わせた観光客や、春休みを利用して島に戻って来た学生たちから見たら、いいおっさんたちが懐メロを熱唱しているようにしか見えないかも知れない。けれど僕らは知っている。愛は勝つ! だからこそこんなに劇的な一日を迎えられたのだし、こうして予想もしなかった宴の中で僕らは愛を叫んでいるのだ。たとえ友や恩師に何十年会えなかったとしても、それは未来につながる出会いの始まりを待っているだけだ。縁というものは心の繋がりを意味する。仮にも僕と仲田は大学時代の同級生だ。そもそも日本全国いろんな場所からいろんな大学にやってくる若者たちの中で、同じ大学の同じ学部の同じ学科の同じクラスに身を置き、4年間もの時間を互いの存在を確認しながら過ごしたことこそが奇蹟である。だから今回の出会いは単なる奇蹟なんて言いたくない。じゃ何かと聞かれてもきっぱり言えないが、答えがあるとするなら、『愛は勝つ!』だ。
 いつしか向こう側のテーブルからもこっちのボックスからも拍手が起きている。僕らはマイクをテーブルの上に置き去りにして肩を組んだまま揺れている。ママも涙ぐみながら化粧直しをしている。
「よし、今夜は飲むぞっ!」この言葉を何度聞いたか忘れたけれど、それぐらいに仲田は幸福だった。
 僕らはといえば、泡盛が完全に致死量を超え、壊れたメリーゴーランドのようにぐるぐると脳みそも体も揺れながら、花花とかんぺーを繰り返した。

 あかん、もう飲めん。それが最後の記憶だった。
 気がつけば僕たちは仲田の部屋にいた。昼間に見た中学校の体育館の目の前にある平屋の住宅だ。
仲田自身もその日初めて足を踏み入れたその部屋は、まだカーテンも取り付けられておらず、至る所に段ボールが山積みになっていて、なんとも殺風景な空間だった。
 薄目を明けると頭上では仲田がやっぱり泡盛を飲んでいる。ともだちふたりも脳みそが破壊されて一緒に泡盛に付き合っている。その光景を見て具合が悪くなった僕はトイレに駆け込み、勢い良くナイアガラの滝を彷彿させるような見事な液体の急下降を演じてみせた。胃袋の中のほとんどのものを逆流させたが、それでもその場から復活できない僕はしばらく便器を背もたれにして時間を止めた。ふーっ、溜め息を吹きかけた赤いタイル貼りの壁には真っ白なアニエスb.がひとつ、その斜め左上にもうひとつ。南国与那国の真骨頂である。
 なんとか持ち直して仲田たちの元へ戻った。さすがの仲田も飲み疲れたのか、右手を頬杖にしてゆらゆらと揺れていた。きっとご機嫌な夢の中を行ったり来たりしていたのだろう。それを証拠に仲田は目尻を下げ、口元が笑顔で半開きになっている。その姿をゲロ臭い息をこぼしながら見つめる俺。むちゃくちゃなシチュエーションだけど、なんかすごくしあわせだった。

 段ボールに埋もれた殺風景な部屋の夜明けは、寂しさを通り越してこの世の終わりのような哀しみさえ漂っていた。たまらず仲田を揺り起こして何か音楽をかけてくれと頼むと、仲田は山積みになった段ボールの中から的確にひとつを選び出し、その中から丸っこいトランジスタラジオを取り出した。
「これAMラジオしか入らんけどいいか?」
「なんでもいいからかけてくれ」

 そこからは今まで聞いたことのない言語で、なにか怒っているような口調の声が流れて来た。どうやら台湾の放送局の番組らしい。ほんとに、蕎麦屋の出会いから今流れている台湾のラジオまですべてが奇蹟のような一日だ。いつしか深い眠りに就いた仲田を起こさないように、ぼくらはそっと彼の部屋を後にした。
 真夜中の島の中学校。灯りはひとつもなく、おまけに月もでていない。ほんとに真っ暗。
 都会ではとうていお目にかかれない黒一色の夜道を、携帯電話の灯りだけを頼りに来た道をとぼとぼ辿った。
 少しして、ともだちのひとりがポソッと言った。
「もういちどグラウンド行きたくない?」
 うん、なんとなく行きたい。でも暗い。暗すぎる。それに怖い。
「何にも見えない暗闇の中で芝の感触たのしもうよ。裸足で」

 寒が戻った与那国の、しかも夜中は寒くて冷たい。けれど足の裏から侵入する芝の感触は、入り口は冷たいけれどなぜかすごく温かい。体温は別として心の中はぽかぽかだ。
 僕らは走り出した。携帯電話の灯りを足下にかざして、恐る恐るだけれど、それでも軽やかに走った。走って走って、わざと転んだ。走りすぎておまけに転んでまた具合が悪くなったけど、それでも嬉しくて僕たちは真夜中の芝の感触をひとり占めした。
 昼間の雨がまだ残っていて、全身びしょびしょになったけど、やっぱりすごく寒かったけど、なんだかわからないぐらい嬉しくなって、もっともっと僕らは走って転んで、そして星のない夜空を見上げた。右手にグローブははめていないけど、ボールもバットもないけれど、こうしてし島の中学のグラウンドで空を仰いで寝そべることが、僕たちのキャッチボールだ。たまたま偶然に再会したともだちが、22年前に投げたボールを、時間をかけて僕の胸元の、心のど真ん中に投げ返してくれたのだ。

 翌朝は誰もが朝食をパスした。食べ物も飲み物も一切受け付けないムンクの叫びのようにひょろひょろになった僕らは空港の待合室でうなだれていた。
 楽しかった想い出も体調がすぐれないとわびしいものだ。
「飲み過ぎた」今はそれだけしか絞り出せない。誰もがみんなそうだった。

「おーい、オレ、オレ、いやー間に合ったよ」
 仲田だ。走っている。こいつの肝臓は一体どうなってるんだ?
「お前らが帰る便はたしかこの時間だったと思って」
「お前、今日、最初の職員会議じゃなかったの?」
「いやぁ、教頭先生がさぁ、“仲田先生、お願いがある”って言うんだよ。で、“なんですか?”って聞いたら、“同級生のともだちを見送ってあげて来てください”って」

 この島に来て良かった。
 ほんとうにうれしかった。

 僕は仲田が右手に握って持って来てくれた泡盛を受け取って飛行機に乗った。
 機内でリュックに詰め込んだ泡盛のボトルを見ながら、仲田の胃袋には一体何本の泡盛が吸い込まれていったのだろうって思いだそうとしていたら、本気で気持ちが悪くなった。





『与那国野球中年ものがたり』 〜完〜





 あとがき。

 GWのこどもの日に仲田から電話がかかってきました。僕たちが帰ってからしばらくしたやっぱり雨の降る日のことだったそうです。あまりに雨足が強くて、仲田がどこかの商店の軒先で雨宿りをしていたら、そこにはひとりの女性が先にいて、「タバコの火を貸してください」と言われたそうです。
 それがきっかけで話をしていくと、その人は与那国島をスタート地点にバイクで全国を縦断しようとしていた人だったそうです。
「そうですか、じゃ今日は頑張ってください会を開きましょう」。仲田は迷わずそう言って、例のアニエスb.の部屋で中学校の先生達を集めて、やっぱり夜中まで泡盛を飲み明かしたそうです。
 そこに急遽用意されたカジキマグロの刺身は、島にもう一校だけある中学校に勤務している後輩の体育の先生に「近くの漁港に行ってカジキマグロ丸ごと一匹頼む!」と半ば命令をしてゲットしたそうです。

 仲田くん、いつまでも心ゆくまで「花花、かんぺー」を繰り返してください。
 じゃあまた、22年後に。





もひとつおまけ。
与那国写真館をどうぞ。



 芝のグラウンド。キャッチボール。

友情。美しい文字だ。
コトー診療所のある景色。
うま。 うし。
こんなに遠い。 そういうことです。
牛のラインダンス。
青くて怖い海。 カレーの美味しい店。
熱烈歓迎。
島のおじいがはきそうじ。
役場を守るシーサーたち。 かわいいパン屋。
仲田と再会したそば屋。 体育館。
「愛は勝つ!」
アニエスb.
居酒屋にいたデカ尻のおっさん。 中学生と。
バイバイ ヨナグニ。



『与那国野球中年ものがたり。後篇』

後篇:「芝の絨毯、板の絨毯、グレイの空、蒼い気持ち」


 この島の中学校の校庭はどこを見渡しても芝が敷き詰められていて気持ちがいい。きれいに手入れしてあるわけではないが、とにかく嬉しくなって思わず走り出したくなる。壮大なアルプスを前に、ヤッホーと叫んで木霊させたくなるような童心がここにはある。あぁフィールド・オブ・ドリームス。なんとなく夢のよう。
 島の少年たちはこの芝の絨毯の上を駆けボールを投げるのか。鬼ごっこもサッカーもかくれんぼも全部ぜんぶ芝の上。勢い余って転んでも、擦りむき傷を草のハンコが治してくれる。こんな校庭で転べたら、それはもう立派な勲章だ。芝の上で駆けられることはそれほどに素晴らしく、知らず知らずにスピッツの歌が流れてきそう。

 芝の興奮に寒さを忘れていたが、この日の与那国には寒が戻って来ていて、それでも摂氏20℃を少し下回るぐらいで東京者にしてみたらなんてことない温度なのだが、頭の中に描いた灼熱の楽園とは大きくかけ離れていたので気温よりも遥かに寒く感じた。おまけに昨日の石垣から一度も太陽が八重山の空に顔を覗かせていない。緑の絨毯が陽の光を浴びて輝くことはなく、おまけに雨まで降りて来た。
 ぽつぽつからしとしとへ、やがてざーざーと雨足は激しさを増していく。
「しょーがねーなー。キャッチボールもノックも中止や。帰ろっか」「そやな、旅館で高校野球でも観よか」。テレビでは故郷・岐阜県の代表高が珍しく勝ち上がり、なんと決勝戦まで辿り着いていた。甲子園の空はあれほど青いのに、なんで南の島の空はグレイなんだよ。僕たちは知らないうちに高校球児がゲームセットの挨拶をするみたいに横並びになり、それぞれが髪を濡らした雨をグローブとは反対側の手のひらで払いながら、ゆっくりと校庭を去ろうとしていた。
「雨ふってきちゃいましたねー」
 向こうから教頭先生の大きな声が聞こえてきた。
「そーですねー。残念ですが、帰りますわー。ありがとーございましたー」
 列を乱した横並びのおっさんたちは、それぞれのタイミングで教頭先生にお辞儀をした。なんとなく帽子をとって一例するようなしぐさが高校球児っぽくて、というか、みんな確実にその気になっていて可笑しかった。
「じゃー体育館つかったらいーじゃないですかー」とまたまた教頭先生の大声。
 なんというありがたい言葉。芝のある学校に赴任して来た先生は、芝のように気持ちよく感動的だ。きっとこの島の先生達は、職場仲間の旧友がそこにいなくても同じことをするのだろう。何度も頭を下げるのは恥ずかしいので、「ありがとーございまーす」と叫び返しながら、心の中で何度も頭を垂れた。

 芝から板張りの絨毯へ。僕らは体育倉庫にある大小さまざまなボールを取り出して思い思いにボールゲームを楽しんだ。4対5の変則バスケでは足がもつれごろごろと転がった。芝とは違ってクッションはないけど、ほんとはかなり痛かったけど、それでも僕たちは嬉しくて笑い転げた。
 調子に乗って10分間ノンストップで続けたら、ひとり、またひとり、ガソリンが切れた車がスローダウンするように、ゆっくりと止まっていった。

 ごろり。何十年振りかに見上げる体育館の天井。てっぺんの水銀灯はこの体育館では太陽だ。何百人もの汗を知り、いくつもの涙を照らしてきた。体育館の屋根には中学時代の僕が映っている。体操着を着て、こっちを見ながら笑っている。体育館の床と天井、その間には僕の30年間がふわっと流れていた。

 その日の夜は、同級生の仲田を交えて刺身が美味しいと評判の居酒屋さんで酒盛りをすることになった。
 教頭先生にも声をかけたのだけど、先生は少し遠慮された様子を漂わせながら「先約が」と言われたので、それ以上は無理に誘うのをやめた。

 島の居酒屋には青い魚や見たこともない海藻が出てきたけど、甘くてとろ味のある醤油にわさびを足して食べたらとても美味しかった。メニューの中でいちばん美味しかったのは店のオリジナル餃子で、仲田を合わせ合計10人で10皿、のべ60個食べた。にんにくが利いてて、形は鳥の唐揚げっぽいけれど、食べ出したらとまらないかっぱえびせんのようなクセにある味が魅力的だった。他にもいっぱい、横長のテーブルを3つ繋いでも乗り切らないほどの料理を頼んだけれど、食べる速度よりも飲む速度が速くて、何を頼んで何を食べたのかすっかり忘れた。
 居酒屋で約2時間、みっちり飲んで食って、そろそろお開きということになり、みんなは久しぶりに思い切り走ったので「疲れたから帰るわ」ということになった。
 僕は、せっかくだから仲田に二次会に行こうと持ちかけた。すると仲田は、「店を変えるとお金がかかってもったいないからここで続けて飲もう」といった。さすがに公務員は堅い。お財布の入り口に鍵がかかっている。僕らの財布の入り口はご飯つぶでくっつけたようなセキュリティの甘さで、知らないうちに諭吉がひらひらと旅立ってしまうことがしょっちゅうである。

 それにしても仲田はどれだけ飲めば気が済むのだろう。グラスじゃいちいち面倒くさいといって店の人にビールジョッキをかりて、それに3センチ角の氷を5、6個入れてから泡盛をなみなみと注ぎ、泡盛と同じ量の水を入れ割り箸を反対にして軽快にかき混ぜてから約3口で胃袋に流し込む。これまた面倒くさいからといって、720ミリリットル入りのボトルを脇に置き、ほぼマイボトル状態で注ぎ足すのである。
 とにかく仲田の飲みっぷりは豪快で見ているだけでこちらまで飲んだ気分になる。感心する反面、こんな飲み方して大丈夫かよと心配もしてみたが、何十年振りの再会に水を差すようなセリフは禁物だ。酒は嬉しいから飲むものだ。だとすれば今日の仲田はめっちゃめちゃ嬉しいのだと勝手な想像を走らせる。僕だって嬉しい。ものすごく嬉しい。本当にこの島に来て良かった、あの蕎麦屋に入って良かったと、わずか数時間前の奇蹟を自画自賛した。

 みんなが帰って僕と仲田と僕のともだち2人、合計4人になって約2時間が経ち、テーブルの上には5本の泡盛が空になってボーリングのピンのように立っていた。
 こんなに飲んだのは久しぶりだ。島の料理と酒をたっぷりと吸収した腹をさすりながら、諭吉をひらつかせて帰り支度をしていると、仲田がぽつり。
「さて、飲みに行こうか」
「…ん?」
「メシも食ったことだし、そろそろ飲みにいくぞ」
 この瞬間、僕はこの男と再会したことを後悔しはじめていた。



(最終章につづく)



Dr.コトー先生の診療所。
この人が同級生の仲田先生。



『与那国野球中年ものがたり。中篇』

中篇:「男純情☆涙の蕎麦屋」


 与那国島のことは、日本最西端に位置する島で、Dr.コトー先生の撮影が行われた島だということ以外に何も知らない。だから余計に神秘的でその場所に行くことに大きなときめきを覚えた。
 以前に石垣島から高速艇で1時間かけて日本最南端の波照間島に行った時には、なんとも表現しがたい恐怖を感じたが、今回もどこかでそんな恐怖混じりの感覚に襲われそうな気がしていた。
 日本列島から遥かに離れた島。日本のいちばん端の島。その先に日本の領土はなく、視力が10.0ある人が海の彼方に陸地を視たとしたら、そこはまぎれもなく外国である。
 そんな場所が僕はなぜか怖い。最果ての地で起こった沢山の哀しみや悲劇を断崖から蒼すぎる海の中にひとつひとつこぼしながら、この島はずっとこの場所に佇んできた。海の蒼を見ても心が高揚しないのは、きっとその色が哀しみの涙でできているからに違いない。蒼いからこそ余計に物哀しいのだ。その証拠にこの島の塩はどこか涙の味がする。僕の瞳からこぼれ出た液体をもういちど口元から僕の中に戻しているような、そんな気持ちになって仕方ないのである。
 僕たちはそんな島に着いた。

 かなり年季の入った、それでもこの島ではナンバーワンだという旅館のこれまた年季の入った独居房のような部屋に荷物を放り込み、受付係のお姉さんが“美味しいですよ”と自信たっぷりに教えてくれた蕎麦屋で昼食をとることにした。
 その店はおばあさんふたりがひっそりとやっている、まるで飾り気のない、そしてまるで商売気を感じられない殺風景な所だった。
 メニューはなく、品書きはどこにも貼られていない。あるのは沖縄そばとビール。それだけ。
 一気に9人もの集団が来ることは稀なのだろう。おばあさんはてんやわんやしてちぐはぐな接客をしていた。テレビもなく新聞もなく、かろうじてラジオから流れてくる音楽だけが空間の緊張感を和らげてくれたが、早口で何を喋っているのかわからないようなラップ調の曲が、まるでその空間にマッチしていなくて可笑しかった。
 てんやわんやのおばあさん。ラップミュージック。だだっ広い店内。水も出されていないのっぺりとしたテーブル。旅に疲れて会話をしない仲間。なんとなく気まずくてメールをピコピコする仲間。どれをとっても可笑しい。たとえ同じシチュエーションであったとしてもここが東京ならば明らかに空気の流れは違うだろう。あー可笑しい。やっぱり可笑しい。なぜなら僕たちは与那国島にいるから。海外ではなく日本の端っこにいるということが特別過ぎてなぜか可笑しいのだ。
 蕎麦にありつけるまでにはかなり時間がかかりそうだったので、僕らは生ビールを注文した。おばあさんたちのジョッキさばきは以外にも手慣れていて、液体と泡とのバランスが抜群に良くて、飲む前からおかわりをしたくなった。案の定、僕と他2名はジョッキを一気に飲み干し、それぞれに「おかわり」を連呼した。
 おばあさんたちにしてみれば、蕎麦を盛るためにもっとゆっくり飲んでいて欲しかったのだろうが、商売というのはどんな時代でもお客さん優先主義である。ごめん、ばあさん。もう一杯!

 生ジョッキと携帯電話しか乗っていないテーブルが、おばあさんたちのテンパリ具合を物語っている。ビールを胃袋に流し込んだことで余計に腹が減ってきた僕たちは少し苛立ってきた。テーブルを中指でトントントン。貧乏揺すりをちゃかちゃか。会話ではなく「腹減ったなー」というややボリューム大きめのひとりごとがテーブルの上で交差した。それにしても腹が減った。
 その時だった。入り口の引き戸をやや乱暴気味にガラガラガラと開いて4人組の男が入ってきた。見たところかなりのおっさんであるが、きっと彼らも僕たちのことを9人組のかなりのおっさんと思ったことだろう。 
 あーあ、これでおばあさんたち余計にパニックになっちゃうだろうな。いつになったら蕎麦にありつけるんだろうと眉間に不安を刻みながら、僕は4人組のおっさんたちにまるで犯人扱いするような視線を送った。
 っとに、もう、こっちは昨日、羽田から石垣に来て、さっき石垣からここに飛んで来て旅館に着いてすぐ荷物を置いてこの店を紹介されてダッシュで飛び込んで来たのに…旨い沖縄蕎麦を即食えると思っていたのに…俺らのシチュエーションも知らずにあんたらが呑気に店に入って来て…あんたらが…そっあんたーーー

「おいっ、お前っ、オマエっ、、、仲田っ、ナカダじゃねーかよーっ!?」
「はっ? はぁーっ仲田ですけどっって、おまえ、ケースケっ?」
「そーそー、ケースケっ。よく分ったなー」
「ってお前が先に分ったんやサぁ」
「なんでお前、ここに居るの?」
「今々、この島の中学校の体育主任として赴任してきたとこだけど…」
「今? たった今?」
「そ。いま。お前は?」
「たった今キャッチボールしに着いたところ」
「なんで?…まーいいや。変わっとらんな、人を喰ったギャグのような現われ方」
「何十年振りかなぁ」
「そーだなぁ…」

 僕のまわりの8人と仲田のまわりの3人とおばあさんふたりは、ただただこの出来すぎた再会シーンを、ぽかんと目を見開いて凝視しているだけだった。
 素晴らしい瞬間を目の当たりにしたことで仲間の苛立はおさまり、あれだけ食いたかった蕎麦をそっちのけにして急遽生ビール13杯を注文した。
「おばぁさん、蕎麦はゆっくりでいいからね」

 その日の与那国島はとても寒くて、おまけに冷たい雨も降っていた。前々日の東京があまりにも暑かったので余計にそう感じたのかもしれないが、100%トロピカルサンシャインを求めてやってきた僕らにはあまりにも残酷な天候だった。この分だとせっかくのキャッチボールもノックも台無しだ。

 あ、閃いた。
「ねー仲田、中学校のグラウンド貸してよ」
「チョと待て、俺、今赴任してきたばっかりヨ。まだ学校にも行ってないサよ」
 そーか。仲田にしてみれば土産代わりに変てこな問題抱えて初登校ってことになるもんなーーー心の中で自問する。何十年振りに奇蹟のような再会を果たした友に、感動的にハグされたと思えば即座に無理な注文つけられて。ごめん仲田。やっぱいいや。
「お貸ししてあげましょうよ仲田先生」
「教頭先生…」
 きょ、きょうとうせんせい?
「だって学生時代の友人とこんなに遠くの島の、しかも蕎麦屋で再会したんですよ。貸してあげなさい」
「いいんですか?」
「いいですよ。どうぞお使いください」
 またしても感動した。なんて心の広い教頭先生なんだ。きっとこの島での信頼も厚いのだろう。
 教頭先生は続けた。
「いや、私も今日、赴任してきたばかりでまだ学校には行ったことがないんですよ」

 僕の心のグローブは涙でずぶ濡れになってしまい、キャッチボールどころではなくなってしまった。


(後篇へつづく)



島に教頭先生がやって来たぁ〜!
(この写真は本編の教頭先生とは違います。空港で見かけた美しい光景。)




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