写真日記『中目黒桜だより 其の壱』
 今年の春は猛烈に早くやってくるのかと思っていたけど、そうはいかなくて、やっぱり4月を手前にした頃にやってきました。
 今日の中目黒はとてもいい天気です。昨日までの「ちょい冬感」はどこにも見当たらず、目黒川沿いには中目黒以外の場所からやって来たと思われる人がちらほら。
 誰もが早く咲けと願いを込めるように、流行のデジタルカメラでジーッと桜のつぼみを撮影していました。
 今日から中目黒は一年でいちばん忙しい2週間を迎えます。ということは来週の金曜日あたりからが一年でいちばん忙しい一週間ということですね。
 いきなり超多忙なウィークをレポートするのは厳しいので、ウォーミングアップとして、本日より桜だよりはじめます。
 僕の自慢のRICOH GR DIGITALで中目黒の桜と周りの景色や桜を観にきた人、目黒川の近くの店の人などをいっぱい撮ろうと思います。




桜の前に、渋谷・公園通りのチューリップとフグ(マロン編集者)。ロケハン中のひとコマ。本人、少し乙女入ってます。

いつ花びらを開こうか悩んでいるつぼみ。 提灯だけはもうヤル気まんまんです。

HOSUのスーさん。
昨年夏から自転車作りに夢中です。
HOSU07年桜Tシャツ。ブラックポロ。
ロックチェリーブラッサム!

acts of faithの店員さん。
春らしい笑顔とボーダーです。
カラフルなタイルに春の陽が輝いて。
僕は影で出演です。

acts of faithの07桜Tシャツ。
フロントプリント。
こっちがバックプリント。
手縫いでしっかりびっしり桜。

太陽さん、もっと僕を照らしておくれ! 「撮ってもかまへんよ」。つぼみ桜をスケッチ中のおしゃれなおばさん。

頑張れ、新6年生!



『就職・転職トークショウ』

 大阪で就職・転職者を対象としたイベントが開催され、そこでちょっとしたトークショウみたいなものに参加させていただいた。
 会場にはいろんな人がいて、切羽詰まった人とか、ひやかし半分の人とか、とりあえず見ておこう的な人とか、とにかくいろんな人がごった返していてギューギュー詰めの大盛況だった。
 僕は映画のキャスティングディレクターの女性とふたりで話すことになり、とりあえずマスコミ的視点をもとにテーマを決めなければならず「ミーハー力を仕事に活かそう」みたいな感じのものを設定して話をすることにした。
 あれよあれよという間に人は集まり、座席数が少ないこともあったけど立ち見というか立ち聞きする人もたくさんになり、ちょっと気合いが入ってきたのである。
 ふと思った。なんで僕はここにいるのだろう? 20年前に職安に行った時のことを喋りながら思い出した。ここにいる人の中には、当時の僕のような立場の人がいるかも知れない。その人たちの目に僕はどう映っているのだろう?ミーハー力?ふざけんじゃねーと思っているのだろうか。こういうイベントでマイクをもって喋る奴はすごい金持ちでフェラーリにでも乗っていると思っているのだろうか?ラフな格好で喋りやがって業界気取りの気に食わない奴と思っているのだろうか?
 そんなことはどうでもいい。その人が勝手に想像した自分でちっとも構わない。ましてフェラーリに乗ってるなんて思ってもらえたらありがたい。ずっとそのままの想像に留めておいてくれ。君の想像の中で僕は爆音を響かせてハイウェイを疾走し続けるさ。
 とにかく僕は今、この場所でマイクを持っている。頑張って話さねば。

 さてトークの内容であるが、ミーハー力と言ったところでとても抽象的なもので、何をもってミーハー力とするかと問われても、答えを探している時点でミーハー力は失速する。ミーハー力はつまりは好奇心みたいなもので、その好奇心をずっと維持し続ければ向上心につながり、自分にとってのやり甲斐みたいなものが発見できるのではないか、というようなことを喋ったのである。
 よくよく考えてみれば人は皆ミーハーです。ファッションだってコスメだってグルメだってクルマだってマンションだって髪型だって音楽だってケータイだってすべてミーハー。世の中からミーハー的な意識をなくしてしまったらきっと現代人は生きられないし、生きられたとしても味気ないものになってしまうだろう。だったらわかりやすく関心を前向きに示した方が気が楽だし、自分にとってのミーハーは何かわかっていたら、まずはそれを仕事の入り口に考えれば良い。
 自分にとってのミーハー心が仕事と直結しないからといって、それで就職を断念するのではなく、だったら大切なミーハー心にために働くという考えだってある。
 もともと仕事というものは大変ありがたいもので、働けば金がもらえて、その金の使い道は誰にとっても自由である。だったら金を稼いでいる時間も楽しい方が良いし、楽しくない仕事よりもまずは楽しそうな仕事を選んだ方が良いに決まっている。楽しそうに見えたけど楽しくないと感じたら、まずは置かれた環境で他の楽しいことを考えればよくて、それでもだめなら他の仕事を探せば良い。仕事を変わるということは失敗ではなく、転職のためのかけがえのない財産となるから遠回りはあってもムダなんてどこにもない。
 そもそも会社のために働くというのは履き違えた正義であり、自分のために働ける仕事こそが会社のためにつながると思っていいのです。だから会社選びはわがままでいいし、かといって自分勝手はダメですよ。あくまで「わがまま」、こだわりを持っていいということです。
 なぜこんなことを書いたのかというと、話を聞いてくれていた人たちの顔があまりにもマジメで、目が血走っていて、この人たち、たとえ希望の会社に入れたとしても、会社の実情に幻滅した時にどうするんだろうなぁと思ったからです。
 会社は自己を犠牲にする場所ではありません。自分に相応しい会社こそが健全なのです。会社の価値の判断材料としてブランド、年収、職種、特典などもろもろありますが、なんか嬉しかったり楽しかったり、嬉しくも楽しくもないけどやり甲斐があったり、出世したかったり会社のカネを上手く使いたかったりと、人それぞれにその場で働ける理由みたいなものがあればいいと思うのです。
 そんなことを含めてミーハー心といっていいのではないでしょうか? 
 そしてこんなことも最後に言いました。
「面接であなたの才能を見抜けなければ、採用した人事担当者のレベルが低いのです。だから思い切り安心してください」

 ところで僕は今、ミーハーに仕事をしていられるのだろうか?
 どうやらこのトークショウは自分自身への問いかけでもあったようです。

雲の上はいつでも青空。
小さい地球で、まして日本で
悩んでいても仕方ない。



『昔と今を旅する友だち』

 最近は田舎の友だちを想うことが多い。昔の思い出を想い返すのではなく、友だちの今を想像するのだ。
 元気かなぁとか、どうしてるだろうなぁとか、そんなあたりまえのフレーズをつけて友だちを脳裏に登場させるのだ。
 もちろんあれから随分経っているから、僕の想像の中で止まっている友だちの顔を下絵として、それにヒゲとかハゲとかを足したり、肉を付けて太らせたり逆にコケさせたりして、勝手に想像をリアルなものにしています。
 高校を卒業してもう丸26年が経とうとしている。そりゃもう想像を遥かに超えた超常現象みたいなビジュアルになっている奴だっているだろう。そんな奴にバッタリ街で会って声をかけられても、無視するか敬語で挨拶するかのいずれかである。
 実際、4年位前、銀座を歩いていたら高校の2級下のやつに声を掛けられて、敬語で丁寧に挨拶を返したことがある。「ケースケ先輩っ!」と笑顔で言われたが、実際そいつが「お久しぶりです」に引き続き「僕は○○です」と言ったところで身分証明書を見せられたわけではないし、とりあえず「そーかそーか、元気でやっとるか」とは言ってはみたものの、半信半疑でまったく言葉に心がこもらなかった。
 僕の知ってるそいつは身長170センチ程度、体重54キロ程度、銀ぶち眼鏡で軽めのパーマをかけてヨン様みたいな髪型をしたマジメな感じの人物だった。それが身長は180センチぐらいにまで達し、体重は軽く0.1トンを超え、顔と腹は肥大し、顔の輪郭には黒ぶちのメガネが食い込み、首はセイウチのようになっている。100メートル向こうから明らかに僕を目がけて小走りしてくる様は、単なるプレッシャーにとどまらずある種の恐怖を抱かせた。こんな奴を一目で後輩と見分けられれば僕は今、江原啓之に替わって美輪明宏の隣にいる。

 時間というのはなんて罪つくりなのだろう。0.1トンのセイウチは稀なケースとしても、その変わり果てた姿ひとつで、美しい思い出を単なる後悔へと変えてしまう。あー、時間よ止まれ、それが無理ならせめてあの娘を僕の前に出現させないでくれたまへ、、、、、
 無理ですね。人は誰だって生きているのです。いくら姿カタチが変わろうとも、その人がその人以外の何者でもないことは明白な事実なのです。
 たまたま僕が会っていない30年間の中で、あの子は死ぬより辛い出来事をいくつも重ねてきたかも知れない。傷ついて傷ついてもういくらナイフで切り刻まれたところで、出る血も絶え、蘇生させるためのカサブタをつくる皮膚細胞さえ残っていないかもしれない。あるいは人をとことんまで傷つけ、周りからは悪魔と呼ばれ、それでも懲りずに人を傷つけ続けながら生きている人もいるかも知れない。なにをやっても失敗ばかり。それでも何かに向かってチャレンジしている人もいれば、カネと権力が容易に手に入り、ありがたみの「あ」の字も忘れてしまっているやつもいるかもしれない。
 すべては僕が知らないだけ。僕が知らない間に、僕の思い出からいくつもの時間が流れ、それぞれの同級生たちがそれぞれの人生の中でしてきたいろいろな経験が、その人の今となり、顔やカタチに映し出されているのである。
 それを単なるビジュアルとは、僕はなんというハレンチな人間なんだ。浅くてあさましい人間そのものではないか。
 ビジュアルなんてせいぜい人の入り口に過ぎない。それが答えだ。
 むかし、僕らは友だちをビジュアルで選んだだろうか?理想だけのビジュアルにまどわされてその人の皮膚の内側を視ていなかったとしたら、僕の過去はスカスカな蜂の巣のようなものだ。
 むかし友だちだったやつが、どれだけ長い間会わなかったとしても、会ってしまえばきっとまた、友だちだ。
 僕らは友だちになろうって決心して誰かと友だちになってきたのではなく、気づいてみたら友だちになっていた。
 それが友だちじゃないか。
 だからこそ、空白の時間を超えて、ついでに姿カタチも変えて、だけどまた再会することができたなら、それは最高に美味いビールで乾杯ヨロシクなのだ。

 ずっと会っていない友だちは昔のままで止まっている。
 ところが再会した瞬間に、あの頃と今がめくるめく交信をはじめる。
 あの頃と今の間にある空白こそが、時間を超えて交信するための格好の素材である。
 会わなかったことや会えなかったことは無駄ではなく、また始められるための大切な財産。
 友よ、会わなくてありがとう。会えなくてこんにちわ。

「友だちだった」ってことは、これからも友だちでいられるという素晴らしい証なのだ。
 ヴァレンタインの次の日、僕は友だちだった人と25年ぶりに再会する。
 たとえ0.1トンでも1トンでも、僕は明日という未来が待ち遠しくて仕方ない。

バリにいたチャーミングな猿です。



『脱・不感症』

 いかん。不感症になってきた。デリケートな部分の話ではありません。僕の人間そのものが感じなくなってきたのです。
 ほんの数ヶ月前までは、同じ電車の同じ車両に乗り合わせたハゲのおじさんがうたた寝をして、おじさんの鼻毛が寝息で右へ左へなびくだけでおもしろくて、そもそもなんでおじさんは眠いのか、なんで髪の毛が伸びないのに鼻毛が伸びているのかと考察したり、その隣に座っている女子高生が、おじさんが自分の方にコクンと揺れる都度、6センチずつお尻を反対側にズラししているところまで観察できたり、そのとき女子高生が軽く吐き気をもよおしたり、女子高生の反対側の座席のサラリーマンが女子高生がお尻をズラすたびに、首を低くしてそっとふとももの谷間を覗き込もうとしていたりしていることまでもつぶさにキャッチして、そんな短編ドラマでも400字詰めの原稿用紙で15枚は軽く描けたのに、今はほんとにまったく感じない。だから描けない。情けない。
 もともと描く必要性なんかこれっぽっちもないから、それほど悩む事ではないのかも知れないけど、そういう無意味な事に全力を尽くすことになんともいえない達成感を感じていたのです。
 ところが今は、同じ事が目の前で起こっていても、ただ見るだけ。関心もなく描きたくもなく、そこにはストーリーも音楽も感じない。もうなんにもないのないないセブンティーン。目の前で起こっている事が単なる一過性の景色でしかない現実に僕は落ち込んでいます。
 恋に興味をなくしてしまうことってこういうことなのだろうか?『もう恋なんてしない』なんて曲があるけど、あれは恋することで傷ついてしまったから、それが怖いからもう恋なんてヤダという話で、はっきり言えば恋したくてたまらないという曲ですが、今の僕は不感症だからそこに恋が落ちていようと何も気づかない愚鈍なマッキーに過ぎません。
 まだ44歳で、男としてはこれからが熟れ始めるいい感じの頃にさしかかっているはずなのですが、どうですか、この枯れようは。
 大体なんでも面倒くさがりすぎです。近頃は洋服も友人関係のコネクションばかりでしか買わないし、映画だって試写会で済ませようとしている。金銭的にはラッキーかもしれないが、そういう気持ちで買った洋服も、観た映画も、あまり大切にできないから結果的にはアンラッキーかもしれません。
 なので、酒をしばらくやめようと思います。毎日欠かさず飲んでいるのですが、ここはしばらく我慢して、おーっ飲みたいっと思って生唾がじゅるっとでてきたら飲もうと思います。それと、肉をやめます。打ち合わせメシだの仕事メシだのといって、思えば最近は打ち合わせよりも肉を食う事の方が仕事のようでした。肉もやっばじゅるっとしてからでないとダメですから。
 昔は食えなかったりしたものが、毎日毎日当たり前のように目の前にあると、人は日常のレベルを下げますね。日常のレベルとは敏感度と鮮度です。敏感度とはなんでもセンサーです。ぴくんとしたりギョッとしたり、暑さ寒さなんかもセンサーです。アメリカ人がハンバーガーだけで生きて行けるのは、良いも悪いもセンサーが大味だからです。いくら暖冬とはいえ、この季節にTシャツ一枚で街を歩いたら、そこはもうロスです。冬はいくら温かくてもジャンパーかコートを着るものだとこの国では決まっているのです。そんなところに”欧米かっ”は要らないのです。
 僕は日本人でありたいのです。ちょっとのことでぴくっとしたいのです。気が弱くても臆病でも心細くてもいいから、反射的にぴくっとしたいのです。ぴくっとしたことをつないで、ぴくぴくっとしたいのです。心臓も筋肉も脳みその中も瞳に映る衝撃も、ケイレンのようなミクロの衝撃で覆い尽くされたいのです。重箱の隅をつつくような小さなことにロマンを発見したいのです。
 なのでとりあえず酒と肉を封印します。が、飲みたくなったら、食いたくなったら、すぐ開封します。
 やめるのが目的ではなく、美味く飲み美味く食うのが目的ですから。
 不感症を解消して、ぴくっとなるような敏感なセンサーを修理したいから。
 だからそんな単純な習慣の中でも核心をつけるように、目の前で起こる当たり前のことを大切にして日々を送ろうと決心しました。

クルマ屋さんに貼ってあった紙。
「ジャガー」ではなく、「ジャがー」というのが泣ける。



『町の電気屋さん』

 10年以上使っている洗濯機があります。発売当時は最新機能を搭載し、“これは便利だ!”と感嘆した優れもののニューフェースでしたが、時の流れに身をまかせ、今では窓に西日が射すような哀愁漂うベテランへと存在を換えました。
 とはいえベテラン未だ健在なり。どこヘコたれることなく元気に働くその姿はまるで馬車馬のよう。よくもまぁ10年もの間故障もせずに泥や垢や血と涙の結晶まで洗い流してくれたとただただ頭が下がる思いです。
 そんな疲れ知らずの洗濯機ですが、ある一部だけにはガタがきまして、それをどうしたかというのが今日の日記です。

 10年選手の疲れが出た場所は、ゴミ取りネットの部分です。衣服に付いた毛玉とか糸くずとか、ポケットに入れっぱなしにしたガムの包み紙なんかが、衣類から飛び出したときに引っかかる、目の細かい地引き網みたいな部分です。
 これに穴があきました。庶民派の方はきっとおわかりでしょうが、そうなると脱水してフニッシュ!という段階で、衣類がぜんぶ絡まってねじりはち巻きみたいになった状態のときに、衣類全体にゴミや毛玉や思い出までもがはいつくばって、洗い終わった洗濯物を物干し竿にかけるときに、思いっきりパチーンパチーンと最低5回は払わなくてはならなくて、もちろんそれでも水気を吸ったゴミや毛玉や思い出は振り払えず、しかもこの季節に全力でパチーンとやってジーパンの裾あたりがムコウズネにヒットしようもんならかなりSMチッ クに痛いったらありゃしない。
 日照時間の短いこの季節では、ベランダと室内でのコンビネーションでようやく乾燥させ、乾いたと思ったら、さらに強固に衣類にヘバりつくゴミ、糸くず、思い出。それを正座しながらコロコロテープでせっせと取る姿ときたら、背中越しに「かあさんの唄」が流れるオンマイマインド。

 これではいかん。ゴミ取りネットを取り替えねば。でもこのSHARPの10年前の○○型のゴミ取りネットを注文するのはいいが、たったこれだけをオーダーするのに、大型電気店に足を運ぶのはは大げさだろうなぁ。何十人も並ぶレジで、クレジットカードや現金がバンバン飛び交って、はい10万円20万円ってところに穴のあいたゴミ取りネット持参で、「あのう、これと同じゴミ取ネットはありませんか?」って言える強い精神力が俺には無い。それがカッコ悪くて必要ないドライヤーとか電動歯ブラシとか一緒に買い込んでしまうのが関の山。ろくなこたーない、要らない物を買うことほど環境に悪いことはない。こうみえても俺はエコ人間のエコ山エコ介だ。だからドライヤーと電動歯ブラシは、なし。
 ならば街の電気屋さんへ行ってみよう。とはいえ、初めて入る電気屋さんに10年前の洗濯機のごみ取りネットだけを取り寄せてもらうのって、、、、、、。

 「あのう、実はSHARPの型番が何番の洗濯機のゴミ取りネットが破れまして、、、あっ、洗濯機はぴんぴんしてるんですよ、だからあの、その、ゴミ取りネットだけを取り寄せてもらえないかと、、、、、、、」
 「それは大変ですね。洗濯物にゴミがいっぱい付いたんじゃないですか? 乾いたらまたきれいに拭き取らなきゃならなかったんじゃないですか? 」
 「はい、もうそれは、正座してコロコロして、かあさんの唄が流れて」
 「私も経験あるんですよ。電気屋なのにウチのこととなると無精で、、、」
 「あの、、すみません、こんなちっぽけなことお願いして、、、」
 「ぜんぜんちっぽけなことじゃないですよ。だってゴミ取りネットが破れたままじゃ困るじゃないですか」
 「でも、そんなに大きな金額じゃないし、なんてゆーか、これだけってのも、、、、」
 「お客さん、ウチは電気屋ですよ。お客さんが遠慮されてどうなさるんですか。お肉屋さんに行って100gだけ買いたいのにカッコ悪いからって500g買われます?」
 「そうですね。そうですよね。良い電気屋さんですね」
 「そう言っていただけると嬉しいですね」

 3日後、電気屋さんから電話が入った。お願いしておいたゴミ取りネットが届いたのだ。お代は435円。
 その値段の中に電気屋さんの手間賃がいくら含まれているのか僕にはわからない。
 ただ電気屋さんが閉まる8時前に行こうと、打ち合わせの合間をぬってその日のうちにそれを取りに行った。
 駅前で売っているたいやきを3つ買って、そのうち2つは電気屋さんに差し上げた。
 ひとつは気持ちのいい対応をしてくれた僕より10歳位年下の女性に、もうひとつは障子ガラスの向こうに見えるコタツに入った、たぶんその女性のお父さんか旦那さんのお父さんに。
 そしたらお礼にと、みかんの缶詰を頂いた。
 嬉しかった。この街に住んでしばらくなるが、初めて「町内」を感じた。

 街の電気屋さんが取り寄せてくれたゴミ取りネットのおかげで、洗濯機は絶好調。
 こういうことがあるとバラバラ殺人とか核問題とかがまったく違う国で起こっているような気がするから不思議です。
 それからの僕はといえば、毎日コロコロ要らずの正座なしでご機嫌な朝を迎えています。
 

とても有名なモデルのSHIHOちゃんです。




2007/03/23

写真日記『中目黒桜だより 其の壱』

2007/03/08

『就職・転職トークショウ』

2007/02/14

『昔と今を旅する友だち』

2007/02/07

『脱・不感症』

2007/01/24

『町の電気屋さん』
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