『お店で育とう!』

 年の瀬のくそ忙しい時、そろそろ忘年会にも飽きた頃になんですが、飲み屋の話です。
 飲み屋。店。これ結構人を映す鏡みたいなところがあって手ぇ抜けませんよね。
 とりわけ飲み会の幹事なんかに据えられたら、どんな店を選ぶかで、その人の能力みたいなものを垣間見られるような気がしてなりません。もちろん何十人もの飲み会ともなれば、まずはキャパということになりますが、それでも数多ある大衆居酒屋の中でどこをチョイスするかでその日の盛り上がり度の50%は決定します。
 つまりお店は非常に貴重なポイントということです。逆にいい店を知っていると偉く思われたり、偉く思われなくても感謝ぐらいはされるものなのです。
 いいお店を知っている人は、きっといい店でいっぱい飲んだり食べたり、あるいは他のこともたくさん経験したことがある人だと思います。実はお店って、ものすごく大切な場所だということを今日は書こうと思います。
 さ、「お店」。もっとぐぐっと入り込んでいきますね。

 15、6年前にグロンサンのCFで「5時から男」というコピーが大流行しましたが、まさしく僕は5時まではまるでダメ夫で、太陽が西の空に沈んでお月様にバトンタッチしてからしか価値のない奴とされていました。
 というのも、その頃は給料というものをいただいている身で、定期的に支給されるおゼゼにあぐらをかいて、仕事なんてなーんにもしてなかったのです。
 ほんとなーんにも、いや、それ以下だから「ほんっとに超なーぁんにもっ!!」ぐらい、なーんにもでした。大体この業界にいながら電通と富士通が同じ職種だと思ってたぐらいで、先輩方を随分とあきれさせたものです。
 当時お世話になった社長とのやりとりを再現しましょう。
「クリヤマ、お前、面接の時のあの面白さと人当たりの良さで採用したのに、いざ入ったら少しもいや、まったく仕事ができないな」
「そうですか」
「はっきり言って期待はずれだったよ」
「そうですか」
「今お前がやれることって何だ?」
「特別、なにも、、、」
「飲み屋だと面白いのにな?」
「それを特技にしては、ダメですよね?」
「まー、悪くはないが、抜群に良いわけではない」
「、、、」
「でもな、頭で仕事できんやつは、胃袋で仕事するってこともあるしな」
 僕はその言葉をまともに受けて、それまで連れて行ってもらった、僕にはとうてい不釣り合いの店に初めて自分の金で飲みに行った。僕は自分の金で飲めるフリーダムさと先輩や他の偉い人のいないノンストレスさから、いろんな店のマスターやママさんやバーテンやチーママにこう愚痴った。
「どうやら僕は飲み屋でないと認めてもらえないみたいです」
 するとそれぞれの人が計ったように同じ言葉を返して来た。
「飲み屋で認められるのも実力のうち」
 その言葉で少し気が楽になった僕に、ある店のママさんが言いました。
「他のお客さんが来て、“アノ人最近来てる?”ってなったら、それだけで立派なことよ」
 僕は俄然その気になって、「だったら飲み屋の人間になる!」と宣言したら、息つく間もなく「それは違う!」とパワー満点の言葉で撃沈させられました。
 ママ曰く、飲み屋で人気者になる客と、人気のある飲み屋の人とは天と地ほどの差があるのだという。それがどんな意味なのか当時の僕にはさっぱりわからなかったが、こんな仕事を16年も続けていると、その意味のなんたるかがなんとなくわかってくるものなのです。
 そういう夜の先輩方に昼間の社会では教えてもらえないことを教わったり、いろんな言葉を聞いたりして、僕は、本気で飲み屋で人は成長するのではないかと思いました。そして僕は、飲み屋の人たちが紹介してくれるこんな人やあんな人がいる店に出入りするようになり、そこでまたいろんな人たちといろんな話をしたり得意の物真似をしたりして、飲み屋での人気者の座を確固たるものにしたのです。

 飲み屋で人気者になると、その店のコミュニティみたいなものが出来上がって、また業界的にも派手な人たちが出入りする店だったから、本当に有名なクリエイターや売れっ子の歌手や俳優や、かといえば近所の鉄工所のおじさんみたいな人まで、ほんとにいろんなジャンルの人が集まってそれはたのしい輪ができあがったのです。
 名刺交換? 意味ない意味ない。だいたいその紙切れ見てなにが判る? それより飲みながらいちばん話したいことを話してくれ。いちばん聞きたいことを話してくれ。悩みなんかも打ち明けて、あんたがバカよと笑ってくれ。
 それが飲み屋。それがお店という宇宙。それが人間社会のジャングルジム。
 そこで会う人たちには、お日様が昇っているうちには会ったことがない。暗闇が訪れて、そこに灯りを点すように僕たち客は話の花を咲かせ大いに笑い、時に泣きました。マスターやママさんに人を学び、そこに来る人たちに人を学び、出される料理や酒からも言葉や会話や「間」なんかを学んで、いつしか僕の心の中には名刺ファイルにはない人脈が出来上がりました。
 暗闇の中でしか会わない人から電話が入りました。
「ねー、クリちゃん、今度一緒に仕事しない?」
「え?」
「なに、クリちゃんなら大丈夫」
「でも僕、そのテの世界のことよくわからないんですけど」
「いつものように面白い話をしてくれれば、そこから何かが生まれるよ」
「なんとなくわかりましたっていうか、とりあえずやってみますっていうか、、、」
「じゃ、いつもの店で打ち合わせね!」

 5時から男と5時まで男。どちらが良いとも悪いとも、答えはあなたの胸の中。
 それではクリヤマケイスケさん、今のあなたはどっちですか?
「そうですねぇ。僕はどっちなんでしょうかね? はっきり言うと、どっちでもいいです。だって5時までも楽しくやりたいし5時からもそうしたいから、ぜいたく言えばっていうか理想的には、『5時』という区切りをつけずに、一日中楽しくやってたいです。そー思うと、やっぱいい店知ってないとつまんないってことですよね』

 誰かにとっては何十回のうちの一回に過ぎない飲み会だとしても、他の誰かにとっては人生の救いの場になるかも知れないその飲み会。人生の中の大切な大切な数時間を過ごす店が、その人にとってどういう意味を持つのか。

 ちょっと大げさな話になってしまいましたが、僕は『お店』のおかげで今も東京にいられるような気がします。
 だからひとりで飲みに行く時も、みんなで騒ぐときも、素敵なお店にでかけたいと思います。
 自分にとって素敵なお店は、連れて行きたい人にとってもきっと素敵だと思うのです。
 
 それではみなさん、今日も5時が待ってます。
 素敵なお店に行ってらっしゃい!
 







年末なので
マッシュルームカットです。





『矢沢永吉』

 客席の最後部からステージを舐める。音響ブースの前に陣取った同級生たちの後頭部が右へ左へ、上下に斜めに揺れる。今まで味わったことのない興奮とビートが、すべての毛穴から侵入してくる。
 皮膚はそこにある空気中の成分のどれをも拒むことを忘れて、感動を手際よく血液中に送り込む。
 後ろからでは表情は見えないが、その揺れる様で、彼らがどれだけ感じ入っているかを計ることは容易だった。
 いや、むしろ、現実に起きている事実を左脳にジョイントできずにいて、その感動とは裏腹に表情は皆無だったのかもしれない。

 彼らの目の前には矢沢永吉がいる。
 44年間、一度たりとも見たことのない男の圧倒的なステージに、彼らは困惑をふりほどき身体を揺らした。
 僕の古里で、もう何年も会っていない同級生たちと、僕が東京へ出るきっかけとなった矢沢永吉を観た。
 もうとっくに少年を卒業した大人の男たちが、少年に還らざるを得ない体験を共にした。
 その場所でその男が歌を唄うだけで僕たちは「父親」や「社長」や「主人」から、単なる「僕」にもどった。

 その夜みんなでメシを食った。ビールを飲んだ。ワインを飲んだ。焼酎を飲んだ。
 飲みたかったし酔いたかった。
 忘れたいことなどなんにもない。むしろその逆で、その興奮を酒と一緒に脳みその中に流し込んで、記憶にとどめたかったのだ。
 不思議なことに その場所で語られたことは、一切昔話などではなく、すべてが今とこれからのこと。
 44歳の男たちにどれほどの未来が拓かれるのか、その可能性があるのかはわからないが、誰もが確実に昔話ではなく、未来の話をしたいと思ったのだ。
 57歳になった男がその場所で唱ったことが、その日の会話の内容を決定したのだ。
 僕らにとってはまだ当分先の未来である57歳という数字。それを身にまとったリアルな57歳が、20歳よりも30歳よりも40歳よりもパワフルでシビレるステージを見せたのだ。

 44年生きたぐらいで生意気なことを言っている自分に腹がたつ。
 腹の出た男たちが、自分の腹を見て腹を立てた。
「永ちゃんを見習わんといかん」
 20年振りに訪れたスナックのマスターとママがぽつりと言った。
「あんたらちっとも変わっとらんねぇ」
 矢沢永吉を観た。みんないろいろ感じた。いろいろ思った。
 矢沢永吉にはなれんけど、自分らしくなら生きられる。
 矢沢永吉さんと出会えて本当に良かった。
 
 ボス、ありがとうございます。



新しいともだち。




『素肌とシルクシャツのあいだに。』

 40歳を超えると、いろいろと考えが変わってきます。
 それまでは「きっとなんとかなるさ」だったけど、今では「なんとかならないかも」って思うことが多くなりました。
 それまでは、とりあえず若さに任せて、パワーとかエネルギーとかそういう目に見えないいい加減なポジティブ要素を引き合いに出したり、単に死ぬまでの時間がたっぷりあるという解釈で勇気に換えたりしていましたが、そろそろそんな考えができなくなってきました。もちろんまだまだ「老い」というほどではないけど、やっぱ若さからは少し遠ざかっていってるような気がしてならないのです。
 そのひとつが「肌」です。
 そもそも男が自分の肌をまざまざ見ること自体が不気味なのですが、僕は昔からかなり自分を鏡に映すことが好きだったので、そのへんのOL並みには肌とのコミュニケーションをとってきました。
 かといって、スキンケアとかエステとかいう方面には走ったことはなく、あくまで、確認という意味で毎日毎日それなりに眺めて触って、気がつけば30年以上自分を愛撫し続けてきたということです。
 そんな僕の肌ですが、ちょっとショックを受けたことがありました。
 あるセレブなレセプションに招かれたので、ちょっとオシャレをしようと思って、シルクのシャツを素肌に着た時のことです。
 「シルクのシャツを素肌に」。文字だけ見たら松方弘樹しか浮かんできませんね。しかもスラックスは3タックのぶっ太いやつで、マリオ・ヴァレンチノかピエール・カルダンのゴールドのバックルがついたワニの型押しのベルトにエナメルの靴&パンストの地のハイソックスを穿いて、ソックスを膝まで引っぱり上げすぎて、繊維の間からすね毛が3本ぐらいこんにちわしてるような感じが、僕らには真似できない熟年のダンディズムです。
 余談ですが、「ヴァレンチノ」にはいくつ種類があるんでしょうね。日本でいうところのコシノ姉妹みたいなもんでしょうか?  ヒロコ、ジュンコ、ミチコ。なんだかダーウィンの進化論のようなビジュアルですが、とにかく「ヴァレンチノ」にもマリオヴァレンチノとかヴァレンチノガラバーニとか、ほかにもいろんなヴァレンチノブランドがいっぱいあるんですが、アメ横とか名古屋の大須にあるヤンキー専門店やバッタ屋で売ってることが多いので、ヴァレンチノサイドとしてはちょっとマイナスイメージのような気がします。
 ただ、 ああいう店でゲットするお客さんも、買う時には「やっぱりヴァレンチノだぜ」ってちょっといい気分になるのでしょうけど、「ヴァレンチノ」の前に何て書かれてようがあまり気には留められていない気がします。とりあえずアルファベットで書かれてあれば、それが「MASAO VALENTINO」だろうが「YOSHIO VALENTINO」だろうが、本当に鈍感な人だったら「正男VARTENTINO」でもきっとスルーして買っちゃうと思うんです。
 話を戻しましょう。肌です。シルクのシャツと僕の肌です。
 とっても微妙な感覚なんですが、あのシルク独特の肌の上をカーリングが滑るようなスムース感がないんです。肌とシルクの間に今までには感じたことのない摩擦が生まれて、カーリングがポンピングブレーキをかけながらしか滑ってくれないんです。肌が水分を含んでしっとりしていたとか、シャツの縫製や加工に問題があるわけではないのですが、そこには確かに摩擦感があるのです。
 ショックでした。体型とか体脂肪とかメタボリックとかリーボックとか、それはそれで納得してたけど、僕の肌がシルクに拒否されてしまったとは、、、、。
 僕は哀しみに絶えきれず、そっとボディ用の基礎化粧品のサイトを覗き、それなりに肌を回復させてくれそうな、かつインチキ臭くなさそうな素肌化粧品に目星をつけ薬局へ走りました。そんな場所など一回たりとも行ったことがないというか、行く必要もなかった僕が、根性入れてはじめてのおつかいに。
 店内は女性でごった返していました。こういう用件で薬局に入った僕は、いわばアウェー&ビギナー。他の誰もがベテランに見えてとても緊張しました。もちろんなにを購入するか目的が明確だったから、レジに立つ白衣を着た女性に堂々と話しかけました。
「あの、肌をまもると言うか、しっとり肌になるというか、そういう素肌の化粧品が欲しいんですけど」 
 ここまではスラスラと言葉がでた。
「どのようなものがいいですか?」
 「えーと、ですから、、、」
 あれ、変だぞ。言葉が出ない。ほら、あの銘柄、だから、あれ、、、
 知らないうちに僕の後ろには長蛇の列。みんなじれったそうに僕と店員の会話を聞いている。中にはわざと僕に聞こえるように咳払いをしている心ないますみ容疑者似の婦人もいる。なんだか世界中の人から注目されているみたいだ。しかもかなりのプレッシャー。
 あー、どうしよう。銘柄が出てこない。後ろにこんなに並んでる。咳払いのますみ。えこえこあざらく。
 そんなときの僕はものすごく勝負弱い。だったらその場から立ち去ればいいのに、狼狽えていないフリを繕いながらそれなりのことを言おうとしてしまう悪い癖がある。
「に、ニベアください」
「あー、はい、ニベアですね。えーと、どんなタイプのニベアですか?」
(もうなんだっていいよ)
「いちばん、あの、ふつーのやつです」
(俺もいちいち答えなくていいって)
「じゃ、こちらので?」
(なんだっていいよ、早くこの場から解放してくれ)
「そうですね、その大きいのをください」
(なに丁寧に答えてるんだ。しかも愛想笑い付きで)
「ありがとうございます」
(ありがたくないよ)
 僕は僕にとってまるで必要のない丸い金属の入れ物に入ったいちばん大きいサイズのニベアを無事購入し、長蛇の列の横を涼しい顔をして通って店を出た。その直後に急に足が止まって、ドーンと鉛のよう重くて情けない思いにかられ、やりきれなくなってしまった。
 必要のないニベアを買ってしまったことを後悔しているわけではなく、長蛇の列に嘲笑されていることが恥ずかしかったのでもなく、本当はシルクのシャツのすべりが良くなかったことをそれほど悲しく思ったわけでもないのに、なんかチマチマといろんなことが重なって44歳というネガティブな自負を抱いたことがショックだったのだ。
 「ニベア」ではなく「SKⅡ」。その前に「母親から頼まれたんですけど」と付け加えることもぼそぼそと呟きながら練習していたのに。よく考えれば「SKⅡ」が自分にとってどれだけ適正かを考えれば考えるほど馬鹿馬鹿しい問題であるが、そんなことよりほんとにほんとにいろんな塵が積み重なってホコリとなって、自分の年齢に降り掛かってきたような気がしてとても淋しくなってしまったのです。
 44歳。微妙な年齢ですね。でもやっぱり、もう少しだけは「なんとかなる」と強がってみたい気がします。こんな気持ちの時は、やはり57歳の矢沢永吉さんのライブに行こうと新ためて決意した次第です。



ビバリーヒルズ近郊。黄色いスクールバス走る。僕も黄色いTシャツ。




『手書き卒業』

 ずっと手書きで書いてきたんで、ゴシックな字体になると気分がでない。
 そもそもなんで手書きだったかというと、日記を始めた5年前にはほとんどパソコンの機能を知らなくて、というより知ろうとする努力を怠っていて、”いいや手書きで”って感じで始めたら、あんがい評判が良かったから調子にのってやっただけです。
 もともと字を書くのが好きだったし、今でも年賀状なんかは直筆で書いていることもあってか、人から「なんでそんな面倒くさいことするの?」と言われても俺はちっとも平気だったし、逆に変換したりいろんな機能をあれこれしているうちに、書きたいことがどっかへいってしまったり、書く勢いがなくなってしまったりして、そこにはアツアツのスープが冷めてしまうような無駄な時間があったので、パソコンをあきらめてずるずると5年半も手で書きっぱなしにしてたんです。
 あ、思い出した。大学時代の同級生に熊本工業バレー部出身の増田という奴がひらがなの「ぬ」と「れ」がすごく上手かったので、そいつが紙切れに書いた「ぬ」と「れ」を持ち帰って真似て書いたこともあった。やっぱ、どう転んでも『手書き』だったんだろうな。
 結局5年間でどれぐらい書いたんだろう? ここ2年ぐらいは明らかにペースダウンしたけど、それでもせっせと書いた気がするわ。
 さて、その日記だけど俺はほとんど読み返さない。書きっぱなし。好きな女に心とか打算とかいろんなものぜんぶ込めて全力で「好きだ」って言った後に、恥ずかしくてもう二度と同じこと言えないように、いちど書いたら気が済んで、はい次ってかんじで、二度と振り返らない儚さみたいなものに酔いしれて、それでもって少し軽薄で無責任で、、、いいじゃないそーゆーの。だから読み返さないというより、読み返したくないの。
 きっと5年の間には何回も同じことを書いていたり、あるいは同じ出来事なのに全然違うこと書いてたりしてたと思うけど、そんなもんでしょ、人間なんて。
 教会で人集めて神父の前で「この人と永遠の愛を誓います」って言っても、次に会った時には他の人と結婚しているように、所詮人間なんてそんなもん。
 この前書いてあったことと違うじゃないって マチガイ探しする人がいるかもしれないけど、これからもバンバンそういうことになると思うのでどうぞよろしくお願いします。
 ここに書くことはあくまで気分次第。その時々に思ったり感じたり言いたかったりすることを素直に書こうと思っています。つまり日記に添削は必要なし、ということです。



『DAZZLE』のハロウィン。DJやってくれたアズマさんとイェーイ!





2006/12/29

『お店で育とう!』

2006/12/13

『矢沢永吉』

2006/12/05

『素肌とシルクシャツのあいだに。』

2006/12/01

『手書き卒業』
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