日曜日、高校時代の陸上部の顧問の先生の退官パーティがあったので岐阜に帰った。高校を卒業してから初めてのOB会でもあったので、なんかそわそわして仕方なかった。そわそわには理由がある。僕は先生が母校を指導された10年間で、もっとも折り合いが悪い生徒だったからだ。
先生がバリバリの現役選手として母校に赴任してきた時、僕は生意気盛りの高校3年生で、やれ服装だの髪型だの生活態度だのと注意され、何かとぶつかっては反抗してグラウンドへ行かなかった。俺がいなけりゃ始まらないだろうとタカをくくっていると、先生は、お前がいなくてもまったくかまわないというオーラで跳ね返す。舌戦のあとにはこのような無言の攻防戦が繰り広げられ、僕は先生と打ち解けることなく高校を卒業した。
あれから31年。先生は弱小陸上部を鍛え上げ、県下で胸を張れる部に育て上げた。その功績が認められたかどうかは知らないが、先生は県内一の強豪校で指導者となり世界的な選手をも輩出し、現在は某高等学校で校長に就かれている。
先生が赴任した当時の3年生だったということもあり乾杯の音頭を任された。話すことなど何も用意していなかったが、長くなると思い起立していた90人の後輩たちを座らせた。
僕の話はグラスに注がれたビールの泡がほぼなくなるまで続いた。
内容は、陸上競技を通じて自分が後悔したこと。それだけ。
後悔の中味は恥ずかしくて書けないが、31年経ってようやく先生に話すことができた。しかも90人の後輩の前で。こういうことを公開懺悔とでもいうのだろうか。乾杯の発生のあとに、先生と初めて抱き合った。互いに歳をとって涙腺が緩んだのだろう、やがてどちらもグダグダの涙そうそうとなり、31年ぶりの部活動は青春のど真ん中を全力疾走で駆け抜けて行った。

先生、1000ccのバイクで、どこまでも突っ走ってください。
|