『ふるさと懇親会』

 ふるさと懇親会というものに参加して来た。永田町で100人もの岐阜県関市出身者の集合である。最年長から最年少まで半世紀ぐらいの開きはあるが、言葉はほぼ同じである。もちろん皆さん、東京圏にお住まいなのでそれぞれヨソユキの言葉でお話しされますが、方言で突っ込むとほとんどの方がついポロリ。三つ子の魂100までというけれど、脳みそがやらかい頃に摺り込まれた言葉は、大人になってもほぼ条件反射のようについつい漏れてしまうものなのですね。ポロリとか漏れるとか、ちょっとそっち方面の言葉みたいだけど、そじゃなくて…
 毎年、名刺交換をするのだが、今年もまた「わたくし、こういうもので…」と名刺交換をしながら、「そういえば、昨年も名刺交換しましたよね」という哀しい事実に気づきながらも、出した名刺を引っ込めるのもヘンだから気まずい笑いの中で、そっと名刺をポケットにしまったりして。
 いいじゃないの。たとえ年一回だけの会合でも。毎年同じ人と名刺交換しても。大切なのは、年に一回、東京の真ん中で、ふるさとの人が集まる場所があるということで、”おれはこの人たちと同じふる里なんだ”と感じることだと思うから。
 良いとか悪いとかじゃなくて、ただ、ふるさとの人がいっぱい、東京で集まる。それだけで十分な気がする。



『オカマについて』

 それにしても最近のテレビはなんでもいいからオカマばかり出せばいいと思ってないか? 確かにオカマは偉い。視点も鋭いし強く逞しさもあり尊敬もする。が、やはり人それぞれである。
 このオカマブームにあやかり、にわかオカマが氾濫してはいないか? その一部がテレビにも流出して、確実にオカマの質を落としている。
 テレビもオカマに依存しすぎである。ナナメ目線で見られていた存在から市民権を与えられつつある現状には文化的進歩を感じるが、オカマを身近に感じるこの頃だからこそ、あえてオカマの在り方を問いたい。
 単に男好きな男のことを言うのではなく、女装願望のある男のことでもなく、女性になりたい男のことでもなく、オカマとは希有な感性の持ち主であり、また物事を厳しくリアルに観察し指摘する表現者でもあるのだ。
 そしてなによりも健気さ。派手でもゲテモノでもやかましくても極端でも、オカマの美学とは、なによりも健気なことである。どこかに「叶わない」という思いを抱き、儚さの中にも逞しさを抱く殊勝な生き物、それこそがオカマである。



『時間てね』

 もうすぐ月が変わる。ひと月前は大騒ぎなのに、それから11回の月の変わり目はジミだ。1年という区切りは気合いが入るがひと月となるとかなり気持ちが薄れ週単位となるとグダグダである。
 人生とはどれだけ短いスパンで気持ちを切り替えられるかが決め手ではないだろうか。1年という区切りに甘えている人よりもひと月毎に振り返る人。ひと月よりも週単位で思い省み考える人。1日で切り替える人。ちょっとした幸運が転がってきても甘んじない人。時間とは、瞬間瞬間が点であるが実は線であり、線であるが実は点である。
 点と線の結びかたとほどき方。キレイごとを言ったところで人生に差別はあるが、時間だけは誰にも平等である。
 



『スエットにボタンダウン』

 スエットの下にボタンダウン着てデニムとスニーカーを合わせる。なんてことない着こなしだがこれが命取りである。あれからもう30年以上経っているのだ。よほど体型がピリッとしてるか、よほど着こなしてなければ単なるウィークエンドパパルックである。誰も見向きもしない、くたびれたサラリーマンがスーツとネクタイから解放されたいだけのふにゃふにゃルックである。
 ハゲや薄毛をキャップで隠し、カラフルなU社のダウンに包まれても猫背は伸びず、5年前に買ったスニーカーはランニングシューズと兼用で泥んこ。ケツポケットから覗くブランド物の長財布が余計にヘンだ。20年前に買った時代遅れのロレックスを肌身離さず身につけているのもヘンその②。聞くところによれば海水浴に行くときも寝る時もしているそうな…。まさに男子一生の買い物である。
 ボタウンダウンにスエット、デニムにスニーカー、実に難しい。正月にトライしたが落ちこんで急遽パーカにストールぐるぐる巻きに変更した記憶が新しい。
 おっさんは休日もスーツの方が無難かもしれない。



『日本代表、震えるチーム』

 感動が過ぎて吐きたくなった経験がある。96年3月マレーシアでサッカー五輪代表チームがサウジアラビアに勝った瞬間だった。不安と興奮が入り交じる感覚のまま日本が逃げ切った瞬間、感動が一気に溢れて胸が苦しくなるとともに目眩がしてもどしそうになった。
 試合直後、前園とヒデに顔色が悪いよといわれてようやく我に返ったが、あんな経験は生まれて初めてだった。ところが半年後、同じ感覚を体験することになる。後に「アトランタの奇跡」と呼ばれる五輪でのブラジル戦である。けれど、あれ以来、そのテの感動を経験していない。
 今回のアジアカップはそれに似た感覚だった。現地に足を運んだわけではないが、毎試合、ギリギリの状況で難題を抱えながら確実に成長していく代表チームに心が震えた。目標をなくしたサウジとの対戦以外は、どれもがそんな試合だった。楽に勝つ試合よりも、ギリギリで勝つ試合の方がチームを成長させることをあらためて教えてくれた。
 決勝戦もやっぱりシビれた。こういう試合で結果を残すチームはファンを成長させる。日本人のDNAに貼り付いている「イヤな予感」を裏切ってくれることで、「ひょっとすると」や「たぶん大丈夫」という期待が沸き上がり、「あきらめる」という感覚が優先順位の下位へと押しやられるのである。
 もがきながら我慢するチーム。どんな状況でも負けないチーム。あいた穴を塞ごうとするたびに新しいヒーローが誕生するチーム。あきらめないチーム。結果を残すチーム。スカッと爽やかな勝ち方ではないが、観る者の心に何かを訴える人生劇場のようなチーム。
 素晴らしい日本代表チームができあがったものである。そんな代表チーム入りを競う選手達の間で、また震えるようなドラマが生まれるはずだ。
 




2011/02/03

『ふるさと懇親会』

2011/02/01

『オカマについて』

2011/01/31

『時間てね』

2011/01/31

『スエットにボタンダウン』

2011/01/30

『日本代表、震えるチーム』
このサイトに掲載のイラスト
写真・文章の無断転載を禁じます

Copyright © 2001-2010 MaroonBrand