『泣く女とケータイ電話』

 大戸屋で昼メシを食ってたら、隣に座った女性がいきなり机に顔を伏せてシクシクしだした。次第にシクシクからヒクヒクになり、やがてはウッウッと嗚咽にまで発展したので、満席の店内は”何事だ”的な感じで静まり返った。
 店員が戸惑いながらも注文を聞くと、女性は顔を埋めたまま”鶏と野菜の黒酢あん定食”を注文した。そのままそっとしときゃいいものを、店員が「ごはんは普通盛りでいいですか」と尋ねたら、「はい。ジャコご飯で」と女性は答えた。
 いかなる理由があっても食べる女は逞しい。しかも豪快に哀しいアピールしておきながらこれだけ具体的にオーダーできれば見事である。料理が運ばれてもしばらく女性は泣き続けたが、涙も涸れた頃に顔を上げると同時に握りしめていたケータイで鶏と野菜の黒酢あん定食withジャコごはんを撮影しだした。しかも角度を変えて3パターンほど。
 興味深かったのでしばらく見学しようと思い、コーヒーを注文(セルフだけどね)して素知らぬ顔して眺めていたら、しっかり完食していたので安心した。
 食べてる最中、女性がケータイを握りしめていたのは、きっとケータイに涙の理由があるからなのだろう。
 いつしか単なる電話から男女の人生のあれこれまで、このちっちゃな機械はいろんな役割を果たしているのだ。



『はつ恋』

 地元のフリーペーパーに連載をしていて、今回は初恋(のような話)を描いた。そしたらいろんな地元の人からいろんな感想をメールでいただいたのだが、中には封書に便せんで書かれた手紙を送ってくれた方もいた。還暦を過ぎた立派な大人の女性である。
 「自分自身の初恋を思い出し胸キュンでした」と書かれていた。
 胸キュン、なんて瑞々しい言葉だ。「キュン」はときめきにより生じる現象で、秘密の壷からひとたびこぼれたら、とめどなく溢れ出る魔法の気持ちを意味する。距離が近すぎるとドキュンとなり、遠すぎるとギターのマイナーコードを鳴らすように伏し目がちにキュルルとなる。胸キュンはそんなときめきの距離を示す恋の記号、せつなさの扉。
 けれど、だけど、どうしても、鮮度が落ちるとキュンは消えてしまう。
 だから決して忘れない。すれ違いざまに香った髪の匂いや、触(さわ)れそうで触れなかった距離、たとえ触れたとしても力は込められず、ただ肌と肌がそっと触れ合っただけのプラトニックなプレッシャー。
 ドキドキした。キュンときた。それだけで曇り空に虹がかかるような気がした。
 だから初恋は美しい。
 そして人は、初恋を美しいと記憶することで今日もまた頑張れる。
 そこにいたのは、まぎれもなくピュアな自分だったのだから。



『レスリーと香里奈』

 久しぶりにレスリーと仕事をした。あのスチールの世界観はもうレスリーという人間そのものだな。美を探求し美を狙い美を誘い美を撮る。独特の付加価値をつけて。立派なもんだ、エゴじゃない、見事な個性だ。日本人が忘れかけたスピリットを垣間みさせてくれるシンガポール人である。
 香里奈は輝いてたなぁ。多分今日だけで死ぬほど撮られるんだろうなぁ。写真を撮られるということは想像以上に体力も気力も消耗する。プロだから、慣れてるからなんて物言いは素人のもので、プロであればあるほど、身も心も研ぎすましながら一瞬に注力するのである。それをリラックスしながらでもやってのけるのがプロ。インタビューの言葉の選択も素敵で、そこにもプロを感じたのである。
 良質の緊張感はプロたちの現場で誕生する。今日来ていた某編集部の新人くんは何を感じたのだろう。おそらく忘れられない一日になっただろうから10年後に聞いてみたい。
 



『エビゾー』

 エビゾー眼真っ赤だったな。相当やられたな。それにしてもエビゾー、誰かに似てる。誰だ誰だ。あっ、わかった、三島由紀夫だ。奇才ぶりも加味して、かなり似てるわ。
 三島由紀夫は美学を貫いたからな。文学性と芸術性を融合させて独自のダンディズムを作ったもんな。芸術に死はつきものだが、その芸術性溢れる美学を貫くために死を選んだもんな。それが三島由紀夫の美学であり芸術であり、なによりロマンだったんだろうな。本当に死ぬ瞬間まで自己演出をした根っからのアーティストだった。
 エビゾーはどうなんだろうな。天才と呼ばれている彼の美学は、芸術性は、感性は、ロマンは、いったいどんなものなんだろう?
 1989年、清原は4年目のシーズンにロッテの平沼投手のデッドボールに怒りバットを投げつけた。見るに絶えない愚行が世の反感を食った。早い話、若くして調子に乗りすぎた。大切な連続試合出場も途絶えた。その事件を笑い話にするために20年ちかくの時間を要した。
 エビゾーの事件もどこか似ているような気がする。誰が悪い云々ではなく、エビゾーが真の芸人であるならば、今回のような事件は招かなかったかもしれない。目玉が真っ白になったとき、芸人としても、いちど真っ白に整理した方がいいかもしれないな。
 そうすれば、やがて彼が50年にひとりの天才であることを証明できるかもしれない。
 
 



『おばあちゃん40年めの日』

 今日はおばあちゃんの日だ。オレが毎朝毎晩仏壇に手を合わせるようになってから40年めの日。
 8歳のオレが48になって、今でも毎晩、実家の方向を向いて手を合わす。時にというかほとんどだが、酔っぱらってて正座がグラつくが、それでも40年続けている。
 人生の中でこんなに続けていることは、息をすることと手を合わせることぐらいだ。
 猛烈に酔っぱらった翌朝、”しまった、昨日手を合わせなかった”と後悔することもあるし、正直、面倒くさいときもあるが、これからも何十年ずっとずっと行いたい大切なことである。
 先祖への感謝を表現することは難しいが、手を合わせているときだけは、なんとなく先祖と近くなる気がする。眠くても、面倒くさくても、手を合わせると気持ちがスッとする。
 ちいさいけれどうれしくて尊いことだ。

 クリスマスソング、街に流れて来た。街も人の気持ちもキレイになる気がする。
 




2010/12/13

『泣く女とケータイ電話』

2010/12/10

『はつ恋』

2010/12/09

『レスリーと香里奈』

2010/12/08

『エビゾー』

2010/12/07

『おばあちゃん40年めの日』
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