『冬じゃん』

 冬じゃん。秋どこいった。猛暑の次は即、ふゆですか。季節がいっこ抜けると洋服屋とか困るだろうね。八百屋も。
 ミュージシャンは曲作れないだろうね。秋の記憶がないまま冬が来るなんて、デートをせずにいきなりベッドインするようなもんだ。その方が面倒くさくなくていいという人以外、恋愛に手っ取り早さは必要ない。物事には順番があり、準備があり、予感があり現実がある。こういうことは恋に喩えるとよくわかる。
 秋は恋の季節だからね。背景からしてやや失恋メの物語が多いが、いやいや、一番ステキな恋愛は片想いである。思い通りにならない恋に純真な気持ちをささげる。季節→恋ときたら、次は仕事に置き換えてみよう。順番はどうだ? 純真な思いを伝えられているか? 相手の気持ちを受け取っているか? 片想いに終わったとしても整理がつくまで気持ちを大切にしよう。自分を省みることの大切さは恋も仕事もおんなじだ。
 そんな話をゴルフ場で65歳のキャディーさんに話したら、両手を頬に当ててポッとしてた。



『パソコンちまちま』

 40の手習いとはよく言うもので、ここしばらく日記を自分でアップしてます。2001年に手書きで書き始めて早や9年、いつも”書いたからUPしといて”とスタッフ頼みでしたが、一念発起というか、そろそろ日記ぐらい自分でUPできないもんですかねという視線により、せっせとキーボード打ち込んでます。
 ただ写真の貼付け方がわからんので、それはまた来月になったら教えてもらってまたまたせっせとUPできるようにしたいと意気込んでます。
 70歳を過ぎたばーさんたちがパソコンやケータイを自在に操り、通販や韓国ツアーの申し込みをする今日、せめて日記ぐらいは自分でな。そもそも自分の日記を他人にUPしてもらうとは何事ぞ。そんなあったり前のことすら考えてもみなかった9年間。実に恥ずかしい限りである。
 何でも「もうついていけないな」と思ったら最後、それが事実であったとしても「これぐらいできるやろ」と何かをみつけて、ちまちまとパソコン生活。コレだね。
 なんだかんだでこのサイトでつながってる人がいると思えば、小指のささくれほどの「ちまちま」が大切なんだもんな。
 さて、これからまたこのサイトを通じて会ったこともない人に会ってくる。顔を知らない人と時間指定の待ち合わせ。パソコンひとつですごい世の中になったもんだ。



『浅田真央ちゃん』

 人生はジグソーパズルのようで、それまで上手くいっていたことがほんの些細なことでバランスを崩しリズムが乱れグチャグチャになってしまう。そこに収まるべき1ピースを間違えるだけでフレーム全体がダメになる。
 真央ちゃんのスケーティングは今、そこにある。課題のジャンプだけではなく、ジャンプに意識を置きすぎて、前段階やその後のつなぎもチグハグな状態である。
 フィギュアスケートは総合的な表現スポーツで、ジャンプだけが卓越していても圧倒的な加点を得られるものではない。ジグソーパズルはいくら早く組み立てたとしても、たった一箇所でもピースを置き間違えたら絵は完成しない。しかもそれを直すには、そのピースを外すだけではなく、かなり遡らなければならない。
 スケーティングからジャンプ、ジャンプからスケーティング、そしてそれらをつなぐ滑らかな表現ライン。どれもこれもがパズルのピースである。
 もう少し時間が経てば、もっと難解でコマ数の多いジグゾーパズルを真央ちゃんは完成させてくれるはずだ。苦悩する浅田真央こそが、大輪を咲かせるためのプロローグなのだ。

 



『環境あれこれ』

 永田町のとあるオフィスに行くと、早朝の森のような静けさの中、社員のみなさんが黙々と仕事をされている。女性は制服に着替え、男性は襟元のネクタイに緊張感を漂わせていた。社内にBGMはなく、デスクの椅子を引く音やパソコンのキーボードを弾く音が木霊する。行儀悪くお茶を飲もうものなら、すする音まで社内中に響き渡ってしまう。その光景を間近で見ながら出されたコーヒーを音をたてずに飲みケータイをマナーモードに切り替える。
 コレが当たり前なのだろう。さて、我がマロンはといえば、俺のデスクでは懐かしの歌謡曲が流れ続け、反対側の部屋ではFMのパーソナリティが朝から笑えないギャグを飛ばしている。時に、オレのウクレレが鳴り、ケータイにかかってきた電話に、なーなーのタメグチで応対する。コーヒーをすするどころか、時には客人に卵かけご飯までふるまうありさま。
 これでほんとに50前かよというほどユルい空間が支配していて、時々訪れる永田町方面の方々は、そのフランクさに緊張する。
 どちらも仕事場、どちらもオフィス。どちらにトレードされてもやりにくい空間だろうけれど、それでも仕事は発生し、アイデアは生まれやがて企画になり表現という出口に導かれる。
 ネクタイとTシャツ、しとやかなお茶と卵かけご飯、静寂とウクレレ。どちらも仕事。どちらも一生懸命。その両者がタッグを組んで同じゴールを目指す。
 育ってきた環境が違うから 好き嫌いは否めない。
 だけど、けれど、やっぱり…単純に君のこと 好きなのさ〜ああああ〜。 

 仕事って面白いもんだ。



『プロ野球考』

 クライマックスシリーズとは釈然としないシステムだと思っていたが、我がジャイアンツがペナント3位ながらシリーズチャンピオンの可能性を与えられるとなるとなかなか都合の良いものだ。ロッテの例もあるし、クライマックスシリーズの呪縛から逃れられないソフトバンクの歴史もあるから一概には言えないが、やはり専門家が論議に論議を重ねた上でできあがったコンテンツ、なかなかペナントレース3位のチームがリーグ優勝を勝ち取ることは困難である。
 となれば、あっぱれマリーンズ。選手会長西岡の涙に茶の間がもらい泣くわけである。

 それにしてもなんでテレビ中継しないんだ。仮にも日本の高度成長期を支えて来たプロ野球だぞ。いくらテレビのチャンネルが増えたからといってBS枠はないだろう。そんなことしてるから一流選手はメジャーに流れ、飲み屋のネタにも取り上げられなくなってしまったのだ。
 お笑いやドラマもいいが、テレビにとって必要なのはスポーツと歌番組だろ。決められたネタふりや類似したストーリーばかりのドラマでは視聴者のイメージする力が欠落してしまう。これじゃテレビはタレントや役者のカタログになってしまうではないか。緊迫した場面で、「なんでそんなコースに投げるんだよ」とか「ここは確実に三塁線にバントだろ」という超アナログなテレビゲームにのめり込みながら我々はイメージする力を養ってきた。そして素晴らしい試合を記憶にとどめるために、その時々の流行歌で時代を刷り込んできた。
 それがやがていつの日か、歌の力によってその瞬間を蘇らせる「思い出」という財産に昇華した。

 ジャイアンツが圧倒的に強くなくなった今日、国民の野球への関心も減退し、プロ野球はスポーツニュースと新聞で結果を知るだけの単なる情報になってしまった。圧倒的な強さがないジャイアンツに本気で対抗心を燃やすアンチファンも少なくなった。ねたみや嫉妬も少なくなり、プロ野球はマニアだけのコンテンツに衰退した。
 今一度、猛烈に強いジャイアンツをつくるために、テレビ局はジャイアンツ戦を買い付け、各チームにはジャイアンツ戦になれば全国放送されるというモチベーションを与え発奮させるべきである。
 もちろんパリーグもしかり、看板球団を作るために、テレビ放送そのものがプロデューサーとなるべきである。小学校で、中学高校で、会社で、飲み屋で、どこもかしこも本気で贔屓球団の魅力を言い合い、これまた本気でアンチジャイアンツを叫ぶ。なんと素晴らしい活気みなぎるプロ野球列島だことよ。

 プロ野球とはスタジアムとテレビが一体となり行われる、日本人の大切な大切な娯楽であり宝なのだ。




2010/10/28

『冬じゃん』

2010/10/26

『パソコンちまちま』

2010/10/25

『浅田真央ちゃん』

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『環境あれこれ』

2010/10/21

『プロ野球考』
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