『夏がくれば』

 7月。誕生月。夏。まだ梅雨。蝉の声、風鈴、蚊取り線香、かき氷、プール、消毒の匂い、黄色い太陽、海、川、河原。
 7月の風物詩をあと100並べろと言われたらどうしよう。
 そういえば、2年前の今日からウクレレが仲間入りした。これで丸2年のつきあいとなる。
 ウクレレとはどこか恋愛に似た関係で、はじめはものすごく盛り上がって指が痛くなるほど強く弾いて、毎日離さず抱きしめていたけれれど、時間が経って、それでも毎日やさしく抱いて、ちょっとだけ音を鳴らして、ケースにしまって眠るのを見届けてあげたり見届けられたり。ちょっとだけ鳴らすってのは、恋する者たちの挨拶代わりのキッスのようなもので、ポロンっていう響きが、「いってらっしゃい」だったり「おつかれさんだったり」「おやすみ」だったりする。
 40の手習い(実際には45)で始めたウクレレだが、今でも毎日触って奏でて、酒飲みながらまた触って、やっぱ恋愛だな。猛烈な気持ちも激しさもないけど、どこか学校帰りのあぜ道を彼女とふたりで、ちょっとだけ離れた距離でどきどきしながら歩いているような青い関係なのである。好きとか、付き合ってとか、そんな言葉を発する前に胸が壊れてしまいそうで、それが前後にわずかに距離をこさえて、顔もまともに見れない位置にある。けれど、恥ずかしいからその方が都合が良くて… おーい青春、恋ってなんなんだ? 好きになるってなんなんだ?
 だめだ、夏が来たら急にコレだ。持病のセンチメンタル病が発症した。急患で入院します。



『日本代表、ありがとう』

 日本代表、おつかれさま。素晴らしかった。戦術云々、展開あれこれ、それは個々人が好き勝手述べれば良い。
 ただ今回の敗戦は未来を予感させてくれた。現段階でできる日本のサッカーをやりきった4試合に拍手を送りたい。
 拍手の中には悔しさややり切れなさも混じっているけれど、日本人のほとんどが同じ時間に同じ感情を持つことができたのも代表チームのおかげである。
 国中がひとつのことに夢中になるって素晴らしいことだ。誰もが日本人を自覚する素敵な時間だった。
 日本代表チームには心から感謝を込めて拍手を送りたい。

 これでW杯はお終いという人もいるだろうが、ここからがまたたまらなく面白い。
 オレにはしばらく寝不足な日々が続く。



『歴史的な夜を前に』

 ひと月前までは文句の集積所だった日本代表が予選リーグを突破し、今夜未明、8強入りをかけてパラグアイと対決する。各局スポーツ番組ではここぞとばかりにサッカーコメンテーターが持論を繰り広げ、視聴率を煽るように鼻息のボルテージも一層高まってきた。それぞれの視点、それぞれの経験、元サッカー選手というのはピッチを走るボールに自然と体が反応するのだろう、時に解説の枠を越えて「そこっ」とか「裏うらっ」とか、音声だけ聞くと変な番組と勘違いされるような叫び声も混じったりして。けれどこれが世界一のスポーツの祭典、時に臨場感はロジックを超えるのである。
 ただしスポーツ新聞に関してはちょっと首をひねりたくなるものが多い。サッカー有識者なる者が都合のいいことばかりを書き並べているのである。「だから私は以前に忠告したはずだ」とか、「過去の私のメモによれば」とか、世界的なストライカーや指揮官を指して「友人の○○は、以前、私にこんなことを伝えてきた」とか、何の確証もないことを自己陶酔しながら書いているのだ。そればかりではない。飾りを添えすぎた過剰な装飾語がスポーツの純度を大きく損なわせているのである。
 そもそも評論家ってなんだ。論者とはいったいどういう人のことを言うのだろう。その気になるのはわかる。その気にさせたいのもわかる。けれど、もっともっと純粋に無垢に本能的にスポーツの喜びや傷みを理解する者だけが論じれば良いのではないだろうか。視点の切り口やテーマの斬新性に偏るのはテレビの視聴率競争と同じで本質を外す可能性が高い。屈折したり斜め目線の文章よりも、淡々とした視点や指摘を論ずる文章にこそスポーツの本質を浮かび上がらせるのではないだろうか。
 戦っているのは選手でありコーチグスタッフなのである。彼らがいるから文章は生まれメディアは成立し、国民は歓喜するのである。
 そこに敬意はあるか。そこに感謝はあるのか。日の丸を背負い国家を斉唱する彼らは、我々の代表でもある。W杯で君が代を斉唱する姿を見て文句を言う政治家がいるか? 教育者がいるか?
 だからスポーツは美しいのだ。
 ペンは剣よりも強いのであれば、ペンは言葉よりも軽くてはならない。まして言い訳やつじつま合わせの道具でもない。
 
 蒸し暑い梅雨時の深夜に、汗を流しながら決勝リーグを観られる喜び。そこには日の丸をつけた純粋なサッカー少年たちがいる。
 彼らの躍動に敬意と感謝を込めながら、歴史的な瞬間を愉しみたい。



『子猫』

 坂道に猫。背中越しには気持ちよくうたた寝しているように見えたが、正面に回り込むと力なく口を全開にして目を剥いたまま死んでいた。
 子猫だ。小学生の女の子3人が黄色い声をあげて手を差し伸べようとしたが、指先が背中に近づくにつれて気配を感じ、手を引き戻して顔を覗き込んだ。
 黄色い声は叫び声となり、3人は来たばかりの坂道を全力で駈け戻って行った。
 横たわっているだけなのに。寝ているのと死んでいるとでは大違いだ。寝ていれば可愛くて、死んでいれば怖い。
 命とは残酷なものだ。死体は恐怖の対象でしかないのか。
 子猫の亡きがらはどこへ行くのだろう。カラスにつつかれ原型をなくした肉片は車の下敷きになるのだろうか。
 そして何もなかったようにアスファルトの坂道には今日も限りない数の車が往来する。
 子猫の目に最後に映ったものはなんだったのだろう。その残像を開いたままの目玉に記憶して旅立ったのだろうか。
 道ばたの草むらに避けてあげることが精一杯の供養。野良猫の短い命の物語、ほんの小さな最終章。あの世で幸せになれ。



『先輩とロングドライブ』

 一昨日は名古屋に泊まり、昨日は三重県の津市まで行った。名古屋の夜に高校時代の2コ先輩と飲んでたら、「明日、津市までクルマで送ってやろうか」と言われて、恐縮しながらもお願いした。
 午前中に津市に到着してちょっとした仕事をしてから、先輩は「んじゃ東京まで乗っけてったるわ」とまたまた恐縮極まりないフレーズを発せられたのだが、これもありがたくお受けすることにした。
 その前にちょっと岐阜に寄ろうということになり、結局昨日は名古屋→津→岐阜→東京というルート、延べ550kmにもおよぶ距離を先輩に運転してもらったのである。
 先輩は高校時代の柔道の猛者(しかも岐阜県チャンピオンにしてインターハイ選手)、本当なら頭の上がらないところだが、30年という時間が過ぎた分、随分と丸くなられていて速やかにオレを西から東へと運んでくれたのである。
 車内での6時間にも及ぶ移動時間の中、「そうやったんか」と「そんなことあったな」と「そんな奴おったな」をそれぞれ100回ぐらい交えながら、オレと先輩の30年間を交換した。
 「そんな奴おったな」の中に登場した誰かは既に他界し、「そんなことあったな」の誰かはとんでもない成功を収めたそうだ。
 たった1年間だけ学び舎をともにした間柄のふたりが、30年後にこうして故郷から東京に向かう車の中で昔話を語り合えるとは夢にも思わなかった。
 「30年経ったからこうして会えたんや」
 先輩の言葉が身に滲みた。時間は、ほんの一瞬たりとも無駄ではないということを教えられた気がした。
 イチロー先輩、ありがとうございました。




2010/07/01

『夏がくれば』

2010/06/30

『日本代表、ありがとう』

2010/06/29

『歴史的な夜を前に』

2010/06/28

『子猫』

2010/06/24

『先輩とロングドライブ』
このサイトに掲載のイラスト
写真・文章の無断転載を禁じます

Copyright © 2001-2010 MaroonBrand