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師が天に召された。御歳60歳。冒険心旺盛な師としてはまだまだすべき冒険が山ほどあっただろう。
27歳の春に面接に行ったとき、「君は明るい。それだけで立派な才能だ。」と言われ即採用。4日後には宮古島に飛んでライターをやらされていた。
宮古島ロケの撮影初日、夕食時にホテルの緑電話からお袋に電話をした。
「もしもし、業界ってとこはすげーぞ。夕食にステーキ食えるんやて。酒も飲めてな。モデルとかカメラマンとかスタイリストとかカッコいい職業の人がいて分からん言葉ばっか喋っとるけど、みんな楽しそうに部活みたいな仕事しとる。」
それがスタートだった。
一年後。師に言われた。「思ったより仕事できないな。期待はずれだった。」
それから約半年後に俺は師の元を離れフリーを目指した。
師は青山でお別れ会を開いてくれて、出席してくださったみなさんの前でこう言った。
「クリヤマは仕事の才能はないけど、人間的にはすごく才能がある…と思う。みなさん、コイツの仕事面ではなく、人間的なものに注目して付き合ってあげください。」
あれから17年が過ぎた。いつか師と一緒に仕事をしたくて、というかいつか認めてもらいたくてそれなりに頑張ってきたけど、一緒に物を作ることはできなかった。
師にとって俺の評価はあの日のままで止まっているのかもしれない。それが嫌でなんとか機会をと思っていたが、それも叶わぬこととなった。それでも「オレ、それなりに頑張っています」と言いたくて、祭壇の前に立った。そこには人から見れば、“なんと師らしい”と言われるようなダンディー極まりない表情が、しかし俺にとってはものすごくおっかない顔の遺影があった。
「で、お前、少しは仕事できるようになったの?」
遺影は僕にこう言っていた。
「師匠、一緒に仕事しなくて正解ですよ。でなきゃかなりやきもちやいてますよ。」
心の中でこう呟いたことが俺の師に対する最後のツッパリだった。
生和寛さん。本当にありがとうございました。
あなたのことはずっと忘れません。
この仕事に就かせていただいて、ありがとうございました。
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