『リリーさん』

 「龍馬伝」の予告篇を見ていたらリリー・フランキーさんが出てきたので驚いた。一体、あいつはどこまでいってしまうのだろうと、一抹の寂しさを抱えながらも、役者として周知を獲得した彼に新たなリスペクトを感じてやまないのである。もう「リリー」なんて呼べないな、「さん付け」にしようと小さな決めごとをしている自分が気持ちいい。
 思えば出会ったときから大天才だった。遠慮なく遅刻をして周りを困らせるのだが、どこからどう斬りかかろうとしてもその刀を振り下ろせないというか、振り下ろさせない可愛さと切なさを併せ持った希有な人なのだ。
 いつしか周囲はボソボソと語る彼のゾーンに引き込まれ、愛なのか平和なのか破壊なのかエロなのかわからない世界にどっぷりと浸かってしまい、現実とリリーの世界を行ったり来たりすれちがいの“あみん”みたいになってしまうのだ。
 彼は今、本職のイラストレーターと作家はもちろん、ミュージシャンと役者も掛け持ちしているが、どんなジャンルにおいても見事にリリー・フランキーを演じている。必要とされる自分を知り尽くしているからこそ、その答えとして余すことなくリリー・フランキーを表現しているのである。 
 乗馬帽に肘の抜けたライダースとボンテージパンツ、腰の砕けたヴェスパにジョージ・コックスのラバーソール。いつでも彼は出会った17年前と同じ格好で東京をのろりと進んでいく。サラリーマンが腕時計を見ながら小走りする姿を横目に、彼はガードレールに腰掛けてゆっくりとタバコに火を点ける。待ち合わせの時間はとっくに過ぎているのに、吐き出した煙が空気と解け合うまで余韻を楽しみながら、やがて自分を必要とする誰かのもとへと向かうのだ。
 結果オーライという言葉は好きではないが、「彼に関して」という条件付きで、その言葉は(きっと)許される。時間というものがバカらしくなるほどの人なのである。そのうちハリウッドに行くか、あるいはとんでもない画家になるかもしれん。世界的な絵本作家というのもある。
 そして蛇崩の「ふじ」のおやじは、今でもリリー・フランキーを本名だと信じ、フランス人とのハーフだと思っている。



『寝貯めカンタービレ』

 3週間前からノンストップで土曜日まで仕事をしたので、仕事が終わった瞬間から寝貯めた。部屋着に着替えることもなくジーパンとセーターとマフラーにくるまれて、起きるまで寝た。
 西日が煌煌と差し込み、やがて夕焼けそして闇夜に。テレビをつけるでもなく、音楽を流すでもなく、ただただ眠り、起きたときには朝の7時を過ぎていた。
 いろんな夢を見た。ここしばらくであった出来事をなぞるようにいろんなシーンが浮かびいろんな人が登場した。不思議とどんな場面でも酒を飲んでいた。あーだこーだ言いながら、やっぱり酒を飲んでいるときがいちばん本気で本音ということなのだろうか。まさか夢の中でもずっと飲み続けているとは驚きである。
 朝青龍はハワイで眠れているだろうか? 亀田大毅はよく眠れただろうか? 小沢一郎はよく眠れるだろうか? みんないろいろ抱えて生きているし頑張っている。つじつまが合わないところは多分にあるかもしれないが、起きているときよりも寝ているときの方が幸福なんて悲しい話だ。せめて酒飲んでストレス解消して、起きている時間に頑張るためにちゃんとした眠りをしたいものだ。
 ということでこれからは睡眠。快眠のススメなるものがあるとするならば率先して学習したいと思っている。寝るための快眠とともに、ちゃんと起きて頑張れるために、ね。



『美と遭遇す』

 友人の結婚披露宴の打ち合わせでちょっとした仕掛けをするにあたり、憧れていた人に出会えた。
 その人は、まるで向こう側の景色が透き通るような透明感の持ち主で、その声は空に羽ばたく鳥のように美しい。
 美しいものは人の心をまっすぐに動かす力を持つ。いくら本人が無意識であっても、である。それが憧れというものであり、すなわち美のパワーである。
 ただし、本人があまりにも己の美を意識しすぎて、悪戯に美力を使うとすれば、歪んだ方向にパワーは働く。美と罪との関係は、歴史が明らかにしている。美とは無垢なるものゆえ、傷つき傷つけやすく、危険もつきまとうのである。
 僕のような美を感じるプロフェッショナルは、美に触れると確実に伸びる。この年にしてランチタイムのわずかな時間で身長が約3センチほど高くなる(当社比)。しかも脚だけ長くなるのだ。だからもって、ちょっとフワフワユラユラするのである。
 足下は不安定だが、思考的には確実に伸びる。なぜならば、美の恩恵にあずかることですべての醜いものが脳裏から除去され、スマートで美しいものばかりが大胆に発想されるからだ。
 美しいものを見た日には、野菜ばかり食べたくなる。肉を食べると心の中が汚れてしまう気がするのである。そんなわけでその日のランチは季節のもぎ立てサラダを頼んだのだが、その中に鶏レバーとかもも肉とかがギッシリ入っていたので、「ううっ、これでは…」と思ったけれど、正面にいるヴィーナスも同じ物を食していたので、やっぱ肉はアリ!に変更した。しかもメインで太陽鶏のグリルをお腹満タンに詰め込んで幸せいっぱいになった。もうベジタリアンみたいな発言は二度としない。

 この週末は美の余韻を感じながら過ごす。肉はやっぱりチキンのみだな。完璧に影響されるのも気持ちいいものだ。ふわふわゆらゆら。



『ふるさとで』

 岐阜で3泊している間にいろいろあった。
 城彰二くんと地元でトークショーをやれたことはすごく意味のある事だと思ってるし、意味のあるものにしていかなきゃいかんと思ってる。
 城くんのサッカースクールは、俺にとっても学習の場だった。いろんなものがいっぱい詰まってた。やっぱ世界に出た男の時間は濃くて深い。
 翌日は関市の若い人たちとお話しする場をいただいたので、というか、質問を受ける機会をいただいたので、テニスのラリーのように、飛んで来た質問に素直に、けれど力一杯返球した。
 答えではなかったかもしれないけど、とにかく目一杯返せた。
 
 おかげさまで、さっきまで見たこともない人たちと飲めた。みんないろんなことを抱えていた。でもなにかを本気でやろうとしている奴は少なかったように思う。
 俺と一緒に飲んだことで、彼らは何か変わるのだろうか? 正直わからん。彼ら次第だし、俺は知らん。
 でも飲んだのは事実。飲みながらいろんなことを、超マジに話したのも事実。
 それぞれの人生の中で、どうしたら自分を一番大切にできるかということは、自分でもわからない。そのために何かをやるのだ。
 何かをやろうってなると、もちろん辛いこともつきまとうけど、それでもやり続けていると、きっと何かが視えたり、きっかけを掴んだりすることもあれば、キッパリ諦めたりすることだってある。けれどそれは、とにかく「やりたい」から「やる」に切り替わった証拠である。だから意味がある。

 酔っぱらいながらきっと偉そうなことを言っただろうけど、実は言葉って自分を確認する場面でもあるのだ。
 人より数倍口数が多い俺は、すなわち誰よりも自分を確認しながら生きているわけだが、なかなか言葉通りには生きられないのが事実である。
 だからもっともっと、喉が涸れるまで喋り倒そうかなと思った3日間であった。

 故郷にはいろいろ感謝している。恩返しとはいかないが、故郷の人たちと、もっといっぱい喋ろうと思う。



『ふるさとへ“帰る”』

 明日から故郷に帰る。今でもつい「帰る」と表現してしまうのは、やはり東京には「来てる」という感覚が強いからだろう。
 こっち(東京)に来てからの方が断然長いのに、それでもまだ故郷には「帰る」気持ちが強い。なんなんだろうこの感覚は。いつになったら故郷に「行く」と言えるのだろう。
 そんなことは単なるツイッターだが、そうそう、今回は仕事で故郷へ。単なる帰省ではなくちょっと偉くなった気がする里帰りだ。
 何十年も会っていない同級生や1、2コ違いの先輩とか後輩にも会えるかもしれない。
 ずっと故郷を離れない奴でもきっと俺のネイチャーな方言には勝てないと思う。今回は本気で方言を喋ってやろうと思ってる。
 だからなんだ、って話だけど。
 それでは関市のみなさん、日曜日に。




2010/02/09

『リリーさん』

2010/02/08

『寝貯めカンタービレ』

2010/02/06

『美と遭遇す』

2010/02/05

『ふるさとで』

2010/01/29

『ふるさとへ“帰る”』
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