『地元でトークショー』

 私事で恐縮ですが、1月31日(日)に地元の関市で元サッカー日本代表で現在サッカー解説者の城彰二氏とクロストークショーをやります。来年、岐阜県で国体を開催するにあたり、その動機付けとはいかないまでも、市民に少しでもスポーツへの関心を促してほしいと市から依頼されました。
 何を話そうかと城氏と話したところ、テーマを決めすぎてはライブ感に欠けるんじゃないかということになり、台本なしのクロストークということになった。筋書きのない話には緊張感がつきまとうけど、だからこそ面白い。用意した言葉よりも、その場で思い浮かんだ気持ちや感慨を言葉に変える方がよりリアルで臨場感のあるものになると思う。なかなか言葉が思い浮かばなかったり話が脱線したり、そういうことにも意味はあるだろうし、沈黙の中にもメッセージはあると思っている。
 自分が故郷の人たちの前で、高いところから話をするのはいささか恥ずかしいが、せっかくいただいた機会だから、笑いに走らないよう真面目にやらせていただこうと思っている。
 「わかくさプラザ」という場所でやります。ぜひ、関市のみなさんお越し下さい。

 次の日には関市のフリーマガジン「ぶうめらん」の編集長の北村隆之くんから若い人たちを集めて何か話してほしいと頼まれたので、飲み屋でやろうと思っている。地元とはいえ、何十年も離れているし集ってくれる人もソーヤングでアウェーだ。せめて場所だけでも俺の得意なホーム(飲み屋、特にスナック)にしてもらいたい。ただし、大幅に遅刻して来た人は、既にロレツがまわっていないと思うからして心して聞くように。
 
 今日の日記、宣伝臭くてすみません。



『桜の栞』

 卒業と言う言葉が好きだ。終わりを意味することではなく、始まりを予感させる言葉として。それまでに過ごした時間があればこそ、真新しいなにかを始められる扉。いや、はじめなければ、はじまらせなければならないプレッシャーにちょっとした苦痛も入り交じったちょっとだけ窮屈な感覚。
 だから人は卒業をテーマに歌を書き映画を作る。その言葉から連想されるシーンはどれもが自分の中を駆け巡った時間にそれほど遠くなく、描写される思いや言葉や距離感は自分の中のなにかと重なる。
 今までどれほどの卒業を経験したのだろう。どれだけの始まりを知ったのだろう。あたりまえの日常に、そう思わせ、気づかせてくれるものに出会えると、たまらなく嬉しくなる。
 AKB48の『桜の栞』。寝ぼけ眼で小倉さんの番組で観たら涙が出た。秋元康にはいつもやられっぱなしだ。感情を込めるように演出して唄っている彼女たちの悪気の無さに泣けた。しとやかなメロディーラインに春の残酷さを感じ、泣けた。歌詞に泣けた。合唱に泣けた。制服に泣けた。
 感情の中で「泣く」ことが一番好きだ。泣ける人しか人を泣かせられないと思う。泣かせようとして泣かせるにも、本気の感情が必要なのだ。
 秋元康はこの曲を書きあげるまでにどれほどの涙を流したのだろう。だめだ、おニャンコの『じゃぁね』とかぶる。とてもじゃないが、こういう感動からは卒業できそうにない。



『お笑いタレント』

 例年のことであるが年末年始のテレビはお笑いばかりでつまらない。「お笑い」と言ってもお笑いタレントが出ているだけのことで、毎度幼稚なギャグの祭典とかクイズとか、年末に急いで収録しました的な駆け込み寺バラエティみたいなものばかりで辟易としている。中にはお笑いタレントが悩み相談番組なんかで答えていたりして、どういうこと?みたいな思いに唖然としている。
 確かにお笑いブームだ。景気が悪いからギャラの安い若手タレントで番組をまわすのはわかる。だとしたら、もう少しバレないようにするべきじゃかなろうか? バレないこと、すなわち、もう少しお笑いタレントの露出を控えることだ。さもないと、確実に若手のお笑いタレントの寿命は縮む。飽きられるということだ。
 文句を言っているのではない。苦言を呈しているのだ。一緒か? ちがう。もっと若手を大切に扱って欲しいのだ。中にはキラッと光る能力の高いタレントもいるが、いかんせん出過ぎていて、持ち芸の幅も少ないため、やむなく芸の使い回しをして、そして飽きられる。工夫や錬磨を重ねてこそ「芸」なわけで、今の売れっ子の若手には芸を磨く暇もない。その場しのぎの笑いをとっているだけで、とうてい「芸」とはほど遠いものばかりだ。
 芸人とお笑いタレントは違う。その違いを知ることは視聴者の課題でもあるが、まずは制作側が「芸人」と「お笑いタレント」の線引きをするのが先決だ。勘違いしてもらっちゃ困るので言っておくが、どちらが偉いというわけではない。使い勝手がいいから「芸人」という共通記号を使うことは無責任だと言っているのだ。奇抜な格好で奇妙な声を出して派手に動けば芸人か? 笑いと喜びとの狭間にあるなんともいえない豊かな気持ちが、今より先の瞬間を少しでも明るくしてくれるような、そんな芸をやれる芸人が、ひとりでも多く育ってくれるように願いたい。




明治神宮の本殿と碧い空。




『ORGAN』

 しごとはじめ。恒例の明治神宮へ行くと、屋台に知った顔がいた。「ORGAN」というレストランをやっている清太郎である。
 奴の鶏は抜群に美味く、いつも独特の仕掛けをしてから皿の上にのせてくる手品師のような奴だ。もっとも俺は清太郎が調理をしている姿を一度も拝んだことがなかったので、はじめて彼が料理人だと知った。
 周りの屋台を舐めてみても清太郎の「ORGAN」がダントツの盛況ぶりで嬉しくなって、鶏まぶし丼と生ビールを頼んだらおまけにつくねをくれた。
 この正月は鶏三昧だったけれど、それでも俺の胃袋の鍵を開ける「ORGAN」の鶏。前にも書いたが、なんてったってユーミン様に教えてもらった大切なレストランである。
 今年も俺と俺の大切な人たちの舌を唸らせてくれと懇願したいけれど、なんと今月末を持って「ORGAN」はフィナーレを迎える。なんでも古里の福島(伊達)に戻って親父さんの暖簾を受け継ぐのだという。
 FUJI ROCKや明治神宮や他のフェスにも多数出店し、大衆のベロを魅了してきた「ORGAN」。家も近いし、都会のど真ん中の店と違い、穏やかでゆるやかな空気のながれるレストラン。
 なんでなくなっちゃうの? 好きな女の子が遠くの町へ転校していっちゃうみたいで寂しいわ。
 そんなことなので、これ読んでくれてる人は世田谷区瀬田、環八沿いにある「ORGAN(オルガン)」を訪ねてみてやって欲しい。それはそれはの味覚です。2月になったらもう食えない鶏と野菜。俺は今月中にあと5回行く。あ、FMからユーミン流れて来た。「BLIZZARD」。苗場で総立ちになる曲だ。やっぱユーミンも寂しいんだろか?




左のヒゲが清太郎




『脱•正月』

 御用始め、ではなく、マロンは明日から。正月気分がすっかりなくなった今日あたりが一番気持ちいいよね。昔はスーパーや商店街も三が日は休みで、早く正月終わらねーかなと飽き飽きしていたけど、最近は元旦もなにも関係なく開店してるから正月気分も薄れてはいるけど、それでも1月4日となるともう正月はどっか行った。
 これから何日で年末の御用納め前のペースに戻れるかが勝負。中には1月中まったく機能しない奴もいるけど、そういうダメな奴を含めて成人式明けの復活というのがアベレージかな。
 さて、今年はどんな素敵な人と出会うのだろう。どれほどダメな奴に出会うのだろう。予想もつかない一年になるんだろうな。
 少し日が長くなって来た気がする。やがて春風が吹いて枯れ木には芽が吹き、そして花が咲き新緑へ。その頃にはTシャツビーサンで、飲み始めても空は明るく相変わらずバカな夜になるんだろうな。
 いいじゃん日本。あたらしい年、ちゃんとはじまってますよー。




2010/01/08

『地元でトークショー』

2010/01/07

『桜の栞』

2010/01/06

『お笑いタレント』

2010/01/05

『ORGAN』

2010/01/04

『脱•正月』
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