『あわや、の巻』

 12時に市ヶ谷で待ち合わせだと思っていたら14時に東銀座だと知り相当落ち込んだ。落ち込みを少しでも和らげようと思い、靖国参拝をしてから半蔵門まで歩き居酒屋へランチを食いにいった。
 鶏の煮付けと炊き込みご飯はまずまずの味、腹も膨れてちょっとだけ落ち着いた。お代を払おうとすると、財布はあるが現ナマがない。千円札の一枚すらマイガマグチに収納されていなかったのだ。
 血の気が引いた。冷静さを装い、レジのお姉さんに運転免許証と名刺を預けてコンビニに走った。生まれて初めてのコンビニATMである。居酒屋のお姉さんは「大丈夫ですよ。信頼していますから」と言ってくれたが、そんなこと言われたら余計に早く現金輸送しなければならん。
 数分後、息を切らして店に戻ったら、場面を予想していたかのようにレジのお姉さんが冷たいお水を用意して
待っていてくれた。
 「またお待ちしています」。なかなかできた子だと思い、せめて名前だけでも覚えておこうと思ったら、胸元には「アルバイト」とネームが貼られていた。
 人を動揺させない明るく凛とした態度、自分も狼狽することなく信じる気持ちで現実を見つめられるキャパシティ。どんくさいこと極まりない事件だったが、なんか嬉しい気持ちも混じったイブの昼飯だった。



『横浜へ』

 というわけで、冬至も過ぎ今日から陽(日)は長くなる。いつも12月23日は好きだなぁ。逆に夏至の次の日にはすでに寂しさが始まっていて、つくづく太陽と感情との関係に深く頷いてしまうのである。
 今日は横浜に行く。年中カップルばかりであまり好きな街じゃなかったけど、最近は少し枯れたせいか、そういう光景も微笑ましく思えるようになり、穏やかに観賞している。まして今日はイヴイヴ、プレゼントをねだる女の子に一瞬の輝きを浴びせる男たちの勝負の日である。財布にゲンナマ10万、内ポケットに5万、クレジットカードの上限含めて30万。男どもよ、やってこい!今日から2泊3日だけは君がサンタだ。その次の日からのことは、そのとき考えればいい。むちゃくちゃやってフラれて恨んで、男はそうして強くなる。正月の餅のことなど、ひとまず頭の中から忘れていいぞ。
 俺はなんとなく海を見ようと思う。なんとなくね。



『冬至にて』

 深夜にタクシーに乗ることが多く、運転手さんが気を利かして話しかけてくれることが多いのだが、そのどれもが不景気についてのことばかりで滅入ってしまう。話しかけられる「最近どうですか?」の「どう」とは間違いなく景気を指し、「そうですね…」と明言を避けると、「わたしらなんかもう…」と切り出したら最後、しばらく時代や景気に対して不満をツラツラと並べられることがほとんどである。
 しまいには「これからどうなるんでしょうね、日本も我々も」とあきらめ半分で言われるので、そういう時には「比較しないことじゃないですか」と言うことにしている。ほんの数分間だけの出会いで立派なことをいうつもりはないが、要は愚痴っていても仕方ないわけで、そもそも愚痴というのはきっと景気の良かった時期と比較しているから出るものだと思うのである。
 「あの頃は良かった」って、きっとその頃には今ほど思ってなかっただろうし、こうして時代が冷え込んではじめて、「あの頃」の良さが浮き彫りになるのである。大切なのは、こんな時代だけど、どうしたら頑張れるのだろう? 頑張れなくてもどうしたらあきらめないでいられるのだろうと考えることで、それもできなければせめて愚痴を言わない努力をすべきである。
 愚痴は聞くもの言わぬもの。誰かの愚痴が連鎖して、ちょっとした仲間意識や連帯感みたいなものができたとしても、誰がどれだけどん底かを比べる品評会みたいになって、後味の悪い酒を飲んだような気分になってしまうのがオチである。
 こんなことを言うとまたまた悲しくなってしまうけど、もっともっと時代が冷え込んだとき、きっと今のことを、「あの頃はまだ良かった」と言う時がくる。
 ひとつ言えることは、陽は沈みまた昇るということである。

 今日は冬至。一年で一番日が短い日。明日から数秒刻みで日が長くなり、暗い夜は短くなっていく。今は暗闇の中の帰宅であるが、あとひと月もすれば陽ものぼって正真正銘の朝帰りである。

 景気の「気」の字は気持ちの「気」。腐らず愚痴らずやろうじゃないの。



『不毛地帯に学ぶ男女関係』

 『不毛地帯』を観ていて、互いにかなりよそよそしかったイキタダシ(唐沢寿明)と秋津千里(小雪)だったが、キスをして朝を迎えた瞬間、それまでイキタダシに敬語しか使わなかった千里が「送っていかないで!」とタメ口をきいた。
 男と女はこうなんだ、と唸ってしまった。それが上司と部下でも先生と生徒でも先輩と後輩でも、どんな男と女でも、タメ口の始まるタイミングは同じなのである。そればかりかイキタダシは千里の背中に濃厚なストーキング視線を浴びせていた。タメ口どころか形勢逆転。そして淑女だった女は欲深く、強く、激しくなり、男は猛スピードでしょぼんとしていき、やがて変態扱い。
 恋愛なんて、想っているだけの間が華。プラトニックで遠慮深い関係こそが理想の恋なのである。
 『不毛地帯』どころではなく、実は泥沼の人間関係が渦巻く『もーもー地帯』なのだが、俺はその渦に深くはまっている。観ている人にしかわからないが、俺は大門社長と里井副社長との会話中に、東京商事の鮫島が口を挟んでくるというモノマネが得意である。そこに紅子さんとメイドのハル江さんが世間話で加わるバージョンアップパターンもなかなか評判です。



『センチメンタル』

 ここ一週間ぐらい、いわゆるエリートの方々と話をさせていただく機会が多く、エリート論とはかけ離れたところの話をさせていただいているのですが、誰もが釈然としないもやもやの中で、今必要なものはなにか、というものが明確に視えました。
 つまり、センチメンタルが必要なんです。金儲けにも出世にもエコにもエロにも、あとひと味足りない何か、それがセンチメンタルなのです。それってどんな感じですかという野暮な疑問を持つ人はこの続きを読まなくていいです。「センチメンタル」と聞いて、なんか知らんけどちょっと変な気分になれば、資格アリです。ただロマンチックとセンチメンタルは全然違うので一緒にしないでいただきたい。
 申し訳ありませんがここでセンチメンタルを簡潔に説明するわけにはいきません。それを求めることも安易に回答することもセンチメンタリズムに反するからです。
 ちょっと前まで私は某女性向けサイトで『どしゃぶりセンチメンタル』という連載対談をしていましたが、センチメンタルだからこそ「どしゃぶり」と絡み合うわけで、これがセンチメンタルではなく「豪雨」とか「洪水」とかという言語表現を使用した段階で、それは「ロック」の範疇になってしまうわけです。同じ「どしゃぶり」を使用したとしても「センチメンタルなどしゃぶり」となると、メルヘン方面に傾倒してチッチとサリーのイラストが必要となります。ネーミングに際してはもちろん私のセンスが光っていることが否めないのですが、「どしゃぶりセンチメンタル」と題されてはじめて、センチメンタルがどしゃ降るわけで、そこで初めて突き抜けた感動劇が展開されたわけであります。
 まぁこれ以上、崇高なイマジネーションゲームにおつきあいいただくにも限界があろうかと思いますので、最後にひとつだけヒントを差し上げましょう。「好き」はロマンチックですが、「嫌われたくない」はセンチメンタルです。ごきげんよう。




2009/12/25

『あわや、の巻』

2009/12/23

『横浜へ』

2009/12/22

『冬至にて』

2009/12/21

『不毛地帯に学ぶ男女関係』

2009/12/18

『センチメンタル』
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