『絶食の裏側にあるものは』

 市橋容疑者はなぜ絶食してるんだろう。反抗なのか懺悔なのかそれとも死を選んでいるつもりなのだろうか。多分、突発的に殺人を起こして、咄嗟に逃げて、それからは逃げることだけに執着して、逃げながら“なんで俺がこんな目に遭わなければならないんだ”って勝手なことを思っていたんじゃないだろうか。
 そろそろ逃げることにも疲れていたはずだろうに、捕まってきっと楽になったと思ったろうに、なぜあんなにも意地を張って食事を摂らないんだろう。少なくとも彼は死刑になるために罪を犯したという奴らとは違う。それはわかる。が、罪は明白である。自白すれば彼は間違いなく今以上に鬼畜と罵られるだろうが、償いの第一歩はそこからだ。刑量は法律により決定されるが、法律をつくったのは人間であり日本人である。彼にどんな美学やプライドがあろうが、まずは口を開き口に物を入れ、同じ人間、日本人として取り調べと向き合うべきである。
 罪を犯しておきながら最後までみっともない人間で終わっては生まれてきた意味がない。親御さんがインタビューで言っていた「我々親にしてみれば優しい子」だとすれば、親のためにも正直に口を開くべきである。殺された者にも親がいるのだ。それとも彼はもう親などどうでもよいと思う本当の鬼畜になってしまったのだろうか。
 どんな刑に処されようが、生きているうちは、生き方は変えられるはずである。彼にもまだ生き方は残っている。



『ハナ金女性 丸の内』

 金曜日に兄貴と飲んだというか飲み屋でメシを食った。俺はクルマだったから酒は飲まず、兄貴も新幹線を下りたら車で帰るそうなのジンジャーエールとウーロン茶で乾杯した。丸の内ハウスは地下を降りたら東京駅というロケーションなので新幹線で帰る人と飲むには都合がいいのである。
 その日は『ソバキチ』という蕎麦屋で食っていたのだが、俺達の後ろのテーブル席に座ったミドルの女性二人連れの飲みっぷりの良さに兄弟揃って感動してしまった。ワインをフルボトルで2本、日本酒を熱燗徳利で4本、生ビールをそれぞれジョッキ2杯。つまみはメニューを一周しようかという勢いで、もちろん蕎麦もズズズとすすっているのである。ハナ金ということもあり、2時間制限という枠にありながら、あまりにも見事な飲みっぷり食いっぷりに感服したのである。
 女性たちの席は俺の背中越しだったけど、ちょうど兄貴の目線の先にあり、「おっ、お銚子もう一本追加。ワインをボトルでもう一本、出し巻き玉子も」と実況中継してくれるのである。ただそれは単なる冷やかしではなく、「あの女性(ひと)んた、どえれー気持エー飲み方しとるなー。やっぱ東京で頑張っとる女の人んたはあーゆー飲み方してもらわんとあかん。そやけど、どーしたらあんだけ腹ん中に入っていくんやろ?」と確実に敬意と憧れを含んだ実況だったのである。
「お、席立つぞ」とまたまた実況が入り、後ろを振り向くと、満足そうにレディが微笑み合っている。そして小さく口を開いて「………」とまた笑顔。
 多分、「おいしかったね、またやろうね」というとこだろう。こっちまで思わずコクッとやりたくなってしまった。
 そこそこにオシャレして丸の内で豪快に飲んで食う。金曜日の夜に花を添える、気持いい大人の女性たちのヒトコマでした。



『鳥取県のイベントやります』

 来週の18日から新丸ビルで『おいしい鳥取 in 丸の内ハウス』というイベントを開催するので、いろんなものを作っています。今までも松田優作、松任谷由実、「天使と悪魔」をモチーフにプロデュースさせていただいたが、行政の仕事は初めて。
 鳥取県と食とを掛け合わせて丸の内でどうアウトプットすればいいのか。正直悩んだが、地元の人たちと話しているうちに悩みはクリアになり、いわゆるマロンブランドっぽい仕掛けに辿り着くことが出来た。
 とはいえ、18日夕方のオープニングパーティの直前まで作業は続くだろう。特に17日の深夜にはのこぎりギコギコ壁ペタペタ、朝日が昇ってNHKの連続テレビ小説がはじまってもまだ作業は続いているのだろう。
 ポスターとリーフレットには鬼太郎と目玉おやじにご登場いただいた。「おいっ!」このひと言でキャラクターが浮かぶんだから目玉おやじは国民的スターである。



『JAZZな夜』

 青山のBLUE NOTEにケイコ・リーのライブを観にいった。彼女のステージにはいつだってジャズが溢れている。なにがどうジャズかを説明できるほど音楽通ではないが、客席に伝染する空気は紛れもなくジャズなのだ。同じようにロックの定義は?と聞かれてもドンピシャな答えなど言えないが、誰もがほーほーなるほど、そーゆーことね、って感じ合える気分があると思うんだが、昨日のライブにはそういうグルーヴの「JAZZ版」で溢れていた。
 それにしてもセッションというやつはいいね。ピアノ、ドラムス、ベース、そしてヴォーカル。どれも笑顔だが、そこには緊張感とハッピーと洒落っ気がいっぱいだ。ベースラインはあるが、そこからは気の向くままに。だけど誰かがそこに向ったら、自分の担当する音を被せてさらにストーリーを創っていかなければらならない。感性とか反応とか、もう鼓膜の中の皮膚感覚の世界だね。
 俺達の仕事もそうなるといいなぁ。もちろん基本やテーマを無視することはできないが、要するに基本演技と自由演技が組み合わさったフィギュアスケートのプログラムみたいな表現の場になれば理想だ。
 
 ケイコ・リーのジャケ写撮影に参加したみんなが、示し合わせたわけでもないのに全員集合した。ヘアのYOSHIさんに限ってはニューヨークからわざわざやって来た。しかも南米パタゴニアを経由して。こういう「思い」のある人が集まれること自体が素晴らしいことで、良い現場だったんだなと改めて実感させられるのだ。ただ、カメラマンの笠井爾示に関しては開演前からかなりいい調子に出来上がっていて、ライヴの感想もほどほどに、昨日発売されたばかりの自分が撮り下ろした『月刊 酒井若菜』を自画自賛しまくっていた。
 そんな笠井を見てケイコは「かわいいやつ」と言う。
 仕事を通してひとつの目的を達成すること。被写体になった人の輝いている場面をみんなで目撃すること。楽屋で思い思いに話すこと。少しお酒も。大人の確かな付き合いを感じた夜でした。



『幸せな夜』

 テレビには興味が無くて、それでも点いていないと何かさみしい。これがきっとテレビ依存症というものなんだろうな。番組を観るのではなくて、画面に映像が流れているだけで落ち着くのである。稀にテレビではなくFMとか音楽という人もいるが、そういった人たちは結構オシャレな仕事をしていて、自宅での過ごし方にも「ライフスタイル」を持ち込んでいる人だと思う。きっとキャンドルとかアロマとか照明にもこだわっていて、俺、今、イー感じでしんみりタイムって悦に入ってる人々。
 俺はその、なんとなく点けてるテレビが好きで、特に深夜の3時ごろから焼酎と醤油せんべいを手にしながらボーッとしているだけでかなり充実した気分になる。ただ最近は、もう朝だろっという時間になってもちゃんとした番組がやっていて、ボーっとした感じを作り出すのが非常に難しい。水鳥が池に浮かんでスーッと移動している映像とか、空撮で世界中の山脈ばかり映している映像とか、ずーっと田植えをやっているような単純な映像が少なくなって、耳障りで目障りな番組が多くなり過ぎた。あの時間帯特有の、手を抜いた感じの隙間のある映像でなくちゃ寛げないのに。
 なので、とりあえず寂しさを紛らわすためにテレビは点けているけど音は消す。あまりにも主張が強い音や声が響くからね。それでウクレレをぽろんと鳴らす。最近また真面目に弾き出したウクレレは、レパートリーこそ増えないが、かなり俺の音になってきた。誰にも聴かせる気がないからデカイことを言うが、そこそこサマになってきたからたまらない。
 濃いめの麦焼酎水割りは3杯を数え、せんべいもほぼ一袋完食に迫る頃、酔いと眠気が交差してウクレレの奏でもかなりだらしなくなり、そのぐうたらさにもうひと酔いしてしまうの秋の夜長である。
 ウクレレを抱えてウトウト。テーブルには焼酎の汗がコースターのようになっていて、ガラス窓の向こうでブーンという新聞配達のバイクの音。チチチという鳥のさえずり。ゆっくりと背伸びをするように明けてゆく空。
 もう朝か、もう寝るか。超早起きの人にタスキを渡すように眠りに就き上戸彩の夢を見る。俺には十分に幸せな夜なのだ。




2009/11/17

『絶食の裏側にあるものは』

2009/11/16

『ハナ金女性 丸の内』

2009/11/13

『鳥取県のイベントやります』

2009/11/12

『JAZZな夜』

2009/11/11

『幸せな夜』
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