『上戸彩の夢』

 上戸彩の夢をみた、というより見てしまった。びっくりするぐらい恋をしてしまった。もともと好きな顔で好きなスタイルである。声もかなり好きだ。ところが日常生活ではそんな自分に気づかずに、何気なく上戸彩を見ていた。
 夢でかなりラヴな感じだったので、朝起きたときのショックは大変なものだった。嗅いだことはないが、なぜか枕から上戸彩の匂いがした。多分それは俺の加齢臭の一部だろうが、いつものもわっとする梅雨時の蒸し餃子みたいなものとは違い、どこかクールでミントなチューインガムのような清々しさを感じた。
 俺は昔から芸能人の夢を見るたびに恋をする。古くは小学校5年の時に小柳ルミ子と地元の善光寺で待ち合わせをして、手をつないで戒壇めぐり(かいだんめぐり/本殿の地下にある真っ暗な通路の壁を伝い歩きするスリリングなウォーキング)をした夢を見た。大好きだった南沙織のライバルだったこともあり、申し訳ない気持でいっぱいになりながらも、しばらくルミ子にポーッとした。後に彼女の前夫とかなり仲良くなりそのことを伝えたが、「へー」と返されてそれでおしまい。
 しばらくして内田有紀の夢を見て、どうしても会いたくなって、なんとか雑誌のインタビューまでこぎつけて、それ以後もなにかと会うための理由を見つけては夢の続きに酔いしれて、うっすーい恋心を持ち続けながら今日に至っている。
 そして上戸彩である。俺も47だし、そりゃぁないだろと勝手に照れている。この分だとiPhoneに替えなければならないぐらいの勢いである。CMキャラクターとはなんと影響力のあるものなのだろうと、今更ながら驚くのである。
 なんだか上戸彩のことを思うとむず痒い。昨日の日記に書いた痒みではなく、この痒みは心のカイカイである。痒かなければ想いは募り、痒いてしまえば恋心に火が点く。春にこんな気持になれば「バカ」ですまされるが、紅葉の季節となれば「センチメンタル」である。
 そんなことを書いていたら、俺の心にも紅葉が始まった。余談ではあるが昔、琵琶湖温泉「紅葉パラダイス」というのがあった。ものっすごい地味なCMだったが、おっさんとおばさんの気合いを入れたナレーションが鬱陶しくて今でも耳から離れない。
 「余談ではあるが」としたが、どれもこれも余談ばかりだった。ただ、夢の中の恋にはかなりキュンときて、街で彼女のポスターと目が合ったら照れてしまった。



『痒い~の』

 花粉症予防の注射を打つこと10回。注入する杉花粉のエキスの濃度も濃くなり、ついに猛烈なアレルギー反応が出た。注射をうった左手が赤く腫れ上がり、それに伴い尋常ではない痒みが襲ってきたのだ。先生は「掻いてはいけません。痒ければ冷やしてください」というけれど、それではとうてい辛抱できないのである。掻いておさまるどころの痒さではなく、掻きむしって皮膚が破れて出血してもまだ痒い、地獄のような痒みなのだ。
 とはいえ、できるかぎりの我慢はしている。常に保冷剤を皮膚にくっつけて痒みをしのいでいるが、風呂に入ったり食事をすると血行が良くなって、またまた赤く腫れ上がり痒みも倍増するのだ。
 眠る時は無意識のうちに掻きむしらないようにサポーターをつけて寝る。まるで関西のおばちゃんみたいだが、それ以外は手の施しようがない。それぐらいに痒みとの戦いは厳しいのである。
 あーあ、これで簡単に花粉症が治ると思ったけど、やっぱ簡単にはいかんのやね。この濃度に慣れたらまた濃度を上げて、そいでまた痒い痒いになってパンパンに腫れて、それが今回みたいに4、5日続いて、その10日後にはまた注射打って…それをエンドレスで続ける。それでも100%治るという保証はなくて。
 痒いも痛いもニガいも苦しいも辛いも哀しいもあるけど、楽しいも気持いいも美味しいも嬉しいもあるからやっぱ人生は五分五分なのか。どっちかに偏ったら不感症になっちゃうもんな。
 花粉症ってやっぱ重病だ。なんとかしてくれ民主党。



『松井秀喜のことば』

 「最高です」「夢みたいです」「嬉しいです」。ワールドシリーズでMVPを獲得したヤンキースの松井秀喜選手、受賞後のインタビューである。
 枝葉をつけた表現など一切なし。ドラマチックな言葉を用いて感動を演出することもなければ、自らに酔いしれることもしない。彼の言葉は、純粋な野球少年のそれだった。だからこそ感動した。ボクトツとして飾り気のない、何気ない言葉がひとつふたつ、言葉に演出を求めるインタビュアーの意図など知るものぞ、「嬉しい。本当に嬉しい。夢みたい」、彼こそは忘れかけた日本男児の象徴、不器用で泥臭いけれど優しさと誇りに満ちた大和魂そのものなのである。
 13年前に彼からもらったバットを握りしめながらNHKニュースを観た。泣けてきた。スポーツが呼び起こす感動にまたしても震えてしまった。そしてわが東京ジャイアンツは阿部のサヨナラホームランがライトスタンドに突き刺さった。緊張の途切れた涙腺がまたしても涙をこぼした。
 ベースボールも野球もどちらも素晴らしい。野球好きで本当によかった。



『「SOUL RED」堂々の完成』

 松田優作さんのドキュメンタリー映画『SOUL RED』が完成した。企画段階から見守っていたが、製作は難航を極め、無事ゴールできるかどうか部外者である自分でさえ不安になったほどである。
 月曜日の最終試写を観てから監督の御法川さんと食事をした。一気に冬が押し寄せてきて季節外れの寒空のなか、暖を求めて韓国料理店に入った。額に汗するほど辛みの効いた料理をほおばったが、酒は慎んだ。彼の思いをシラフで聞きたかった。
 映画が完成した喜びもつかの間、彼の双肩には想像を絶する責任がのしかかることになるだろう。
 松田優作が消えてから20年。このドキュメント映画は、今後20年の松田優作の印象を決定づけることになるからだ。この作品は松田優作を知らない世代に「松田優作」を知らしめるためのバイブルとなり、同時に「なぜ松田優作なのか」という謎掛けともなるからである。

 今から20年後、優作さんに憧れた我々世代は60歳を超え、優作さんと共演した俳優やスタッフは80を越える。そこで松田優作を伝達すべきは、先の戦争体験を語るに等しくなる。リアルな松田優作の語り部が減るほどに彼の存在は伝説となっていくだろう。想像世代がリアル世代を越える時、伝説に説得力をもたらすのは証拠のみ、即ち彼の演じた作品のみであるが、『SOUL RED』はそれを余るほどにリアリズムの中で描いている。そこには俳優・松田優作の真実が満ち溢れているのだ。
 御法川監督は、本作品において「俳優・松田優作」のみにフォーカスをあて、その魂を受け取った者たちの証言とともに、俳優・松田優作とはなんぞや?を見事に描いた。そして映像は導くのである。俳優の葛藤、呵責、その呪縛を演技で凌駕し、ヒーローは誕生することへ。

 20年後からさらに20年後。今から40年後、松田優作は生誕100年を迎える。その時に彼を雄弁に謳うものがあるとするならば、『SOUL RED』はその真ん中に鎮座することになるだろう。本作品を知り、松田優作品に辿り着くか、あるいはその逆であることに他ならないからだ。双方を鑑賞することで俳優・松田優作は想像を超え、リアルに昇華する。
 「かっこいい」。それがどれだけ尊いことかを語りかけるかける名作の誕生である。



『ぎんざNOW009 ハロウィン』

 週末の土曜日、銀座の『DAZZLE』でハロウィンパーティを演出させてもらった。お客さんは超満だったし、最後まではじけてたし、よろこんで頂けたのではないかと思っている。昭和歌謡から暗転して和太鼓独奏に入りタップダンスへシフト、やがてセッションへ。銀座のオーディエンスが、タップ板を叩いてアンコールをせがんでいる姿が嬉しかった。和太鼓奏者の小泉謙一くんとタップダンサーの RONRONに大いに感謝である。
 店のオーナーである新川義弘氏は『サービスの神様』と呼ばれているが、氏自身が心底楽しんでいる姿を見て、あぁなるほど、サービスの中心軸にはこういうことが必要なんだなと思ったのだ。
 飲食業会は提供する側とされる側、それが金銭により確立されるわけだが、客が食事をする時間そのものをイベントと考えてみてはどうだろう。そこには場所、装飾、照明、音楽など、料理や酒以外の要素にも演出が必要とされる。それはやがて「どんな料理をたべたか」ではなくて「どの店で食べたか」という付加価値を生産する。それを確信犯的に提供するのが氏のスタイルすなわちコンセプトである。
 氏が飲食業会で成功を収めているのは、客を喜ばせることに真の満足を感じられる精神があるから。わかりやすく言えば、「こんなに喜ばしちゃったよ」ということに一喜一憂できるからである。
 そこには仕事を越えた関係が成立する。皿の上の感動、グラスの中を感動を越えて、やがて思いや感謝は氏の元へ。サービスとは自分自身を感動させることでもあるのだ。
 ちょっと褒め過ぎたかな。新川氏には日を改めてご馳走してもらうことにしよう。

 さて小泉謙一とRONRONだが、このふたりの才能と可能性には遥かなるものを感じた。上記の文章をなぞるようだが、彼らのセッションをもっとも楽しんでいたのは、僕自身であることに違いない。




2009/11/10

『上戸彩の夢』

2009/11/09

『痒い~の』

2009/11/06

『松井秀喜のことば』

2009/11/04

『「SOUL RED」堂々の完成』

2009/11/02

『ぎんざNOW009 ハロウィン』
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