『発車オーライ!』第二章

『発車オーライ!』 (全四章)
第二章「ときめきのラッセル車」





田崎さんは窓口で切符を売っている。
山都駅には駅員は一人しかいないので、
厚紙のような硬券切符に、
その場で「パチン!」とハサミを入れる。

汽車時間になっても汽車は来なかった。
田崎さんは待合室に出て来て、
「あのー、汽車よぉ、雪で遅れているみだいだ。
今、電話で聞いてみっから」

待合室の人は
「新潟のほう、いっぺ(たくさん)雪降ったからな」

再び田崎さんが待合室にやってきて、
「あのな、汽車よぉ、今さっき隣の駅を出たみでだ」

医者通いの老人達は、別に驚くわけでもなく、
「そうがよ(そうなんだ)」
と言って病院の評判を続けた。

しばらくして、
駅事務室の列車接近ブザーが鳴った。
老人や学生はホームに出て、
汽車が来る方を黙って見ている。
僕もホームに出て汽車が来るのを待った。

遠くからディーゼル機関車の音と、
客車のジョイント音が聞こえてくると、
真っ赤なディーゼル機関車がやってきた。
機関車は線路の雪を押して来たので、
顔中が雪まみれになっていた。

汽車が着くと田崎さんが、
「一緒に荷物を取りに行こう」と言う。
この列車には荷物車と郵便車が連結されているので、
どこかの街の誰かから送られてきた荷物を取りに行くのだ。

荷物車に行くと、
鉄格子の入っている重圧な扉が開いている。
既に、
荷物車掌はホームに荷物を降ろしていた。
荷物車掌は僕の顔を見るなり
「おやおや、山都駅は見習いさん付きかね。
でも、荷物は一つしかないよ」

今日の荷物は小さな段ボール箱ひとつだけだ。
近年はトラック輸送の宅配便に、
随分押されていると聞いていたが、
ここまでひどい状況だとは思わなかった。
荷物車の中に目をやると、
布団袋とみかん箱が3箱だけだった。
それに対して荷物車掌は2名いる。
そんな状況に少しだけ心が傷んだが、
それでも僕は小さな段ボールを大事に抱えて、
事務室に戻った。

その後、雪は小康状態になり、
この時を見計らって除雪作業が始まった。
保線管理室の職員はトラックに乗って出かけた。
駅には、町在住の国鉄OBが数名やってきて、
スコップだけの人海戦術で雪を片付ける。
13時から15時近くまで汽車はやってこないので、
この2時間が勝負なのだ。

ホームに積もった雪を片付け、
凍てついた氷はツルハシで砕き、
塩化ナトリウムを捲いて凍結を防ぐ。
そんな地道な作業を黙々もくもく。

作業が一段落すると、
作業員が事務室のストーブの周りにやってきて、
お茶を飲んで一服する。

「むかしな、たしか昭和38年にサンパチ豪雪ってあってな、
そん時なんか、この駅の線路は全部埋まってしまってな...」

僕はこの手の話が好きだ。
雪は鉄道にとって最大の敵だけど、
作業員もどこか楽しそうに話している。

作業員が帰ってしまうと、
山都駅に静寂が訪れる。
どんよりとしたグレーの空は、
いつしか真っ黒になり、
百葉箱の気温計はどんどん下がってゆく。

「雪が降らない分、冷えるな」

田崎さんは石油ストーブの火力を強くした。

そして何気なく、
「今日、ラッセル機関車来るみたいだぞ」
「本当ですか?でも、雪は止みましたよね」
「雪が止んでも、明日降れば汽車が止まっちまうよ。
ラッセル機関車が来るのは20時頃だな」
「20時か.....」
「それなら駅に泊まればいいべ」
「僕が駅に泊まってもいいんですか?」
「あー、いいよ。お母さんに電話しな」
「分かりました」

僕は母に電話した。
「高校には行かないで、そこに就職すれば」
母は電話を切った。

田崎さんは18時の汽車が行った後、勤務が終了する。
制服を脱ぎ、顔を洗い、布団を敷き、
どんぶりに白いごはんを盛って、
ストーブの上で温めたみそ汁をかけた。
おかずはお新香だ。

「さ、食べろ!」
「一日、お疲れさまでした」
「んだ、駅の仕事も大変だべ?」
「はい」
「お前さんが高校を出たら国鉄に就職しろ」
「でも、40人中でビッケですよ」
「そんじゃ、ムリだなぁ。
だけど、その前にここも無人駅になる話もあるんだよ」
「まさか、いくらなんでも無人ってことはないでしょう」
「無人どころか、国鉄も赤字で無くなってしまうかも」

田崎さんは茶碗を洗って、
「俺、先に寝るからな」
と、立て付けの悪い畳部屋の戸を開けて、
寝床に入った。

僕は事務室でぼんやり過ごしていた。
時計のカチカチ音、
石油ストーブの一定した送風音、
線路が冷えて「ゴトッ」という音が、
聞こえてくる。

僕ホームに出てみた。
ピーンと張りつめた空気、
凍てついた線路を、
ホームの照明が照らしている。
もう、田崎さんは眠ってしまった。
そう思うと、
僕はここの駅長になった気分になってきて、
鏡になった窓ガラスに敬礼をした。

誰かが今の僕を見たら、
きっと変なやつと思うだろう。
そんな冷静な自分もいたが、
ずっと、
ガラスの中にいる自分に敬礼をして満足していた。

時計を見ると、
だんだんラッセルがやってくる。
三脚にカメラをセッティングしてホームで待つ。
ストロボは使わないで夜景のムードで撮影しよう。
最近、覚えたてのスローシャッターに挑戦するのだ。

「ん?」
遠くの山々からエンジンの唸る音が一瞬だけ聞こえた。
その重低音は僕をじらすように、
聞こえたり、聞こえなくなったりする。
その後、一定の重低音が聞こえてきた。
通常の列車のように編成は長くなく、
たった一両のラッセル機関車だけなので、
とても特徴のある音だ。

僕は、線路か夜空か判別できないところを凝視していた。
すると、
暗闇を切り刻むような強烈な光が見えた。
その光は複数のライトを点灯しているので、
今まで見た事もない輝きだった。
でも、
強烈な光は止まっているようにも見える。
恐らく超低速で走っているのだろう。

「ピッーーーー」

甲高い汽笛が鳴る。
ラッセル機関車は、
時速20キロくらいのスピードでやって来た。

薄暗い運転室には数人の職員が乗っている。
機関士は制帽を被っているが、
機関士以外の職員は、
全員ヘルメットを被っている。

ラッセル機関車の前面には、
あまり雪が付いていなかった。
昼間に線路の雪を片付けたので、
あまり仕事はしてこなかったようにも見える。

僕はレリーズを持っていないので、
息を殺してシャッターを押す。
フィルムも少ないので節約しなければならないが、
数ショットを撮影した。

ラッセル機関車は、
山都駅で十数分の停車時間があるので、
職員は駅前の自動販売機でコーヒーを買って、
一服している。

そうちの1人がヘルメットを脱いで、
僕に話しかけて来た。

「写真撮りか?」
「はい」
「何でラッセルが来るのを知ってるん?」

ラッセル機関車は新潟から来ているので職員は新潟弁を使う。
僕は「田崎さんから聞いた」というのをグッとこらえて、

「雪がたくさん降ったから、来ると思って...」
「そうか、新潟のほうは雪がひどいぞ。
特に北陸のほうはダメら、会津は少ないな」
「雪で鉄道が麻痺しているのはNHKのニュースで見ました」
「でも、お前はモノ好きな。
普通は華のある特急とか人気あるんらろ?」
「いえ、僕は貨物とかラッセルとか地道に働く機関車が好きなんです」
「ほー、それは良かったい。今度は未明の2時に帰ってくるろ。写真撮るか?」
「さすがにムリです」
「じゃ、気を付けて帰れ」

ラッセル機関車は、甲高い汽笛を鳴らして出発した。
僕は真っ赤なテールランプをずっと見ていた。

僕は事務室に戻りストーブを消した。
そして、
田崎さんを起こさないように、
立て付けの悪い引き戸を開け、
布団にもぐった。

駅の初泊まりはとても興奮して、なかなか眠れなかった。
天井の木目が人の顔に見えたので、僕は布団の中にもぐった。
駅の布団は家の布団と違って、
大人の匂いがした。

翌朝、
田崎さんはどんぶりに白いごはんを山盛りにし、
ストーブの上でサッポロ一番を煮ていた。
おかずはシーチキンの缶詰にお新香の豪華版。
家では朝ご飯などロクに食べないくせに、
駅のごはんは一瞬のうちに平らげてしまった。

「ラッセル見たか?」
「はい、初めて見ました」
「それは良がった。あぁ、なんだべ、今日も雪だな」
「はい」

内心、雪で嬉しかったが、
家に帰っていない田崎さんの前では、
喜ぶわけにもいかなかった。

そんな山都駅に入り浸りの後、
汽車で通える隣町の高校を受験し、
僕はかろうじてその高校に合格し、
汽車で通える高校に行けて良かったなと、
担任の先生に褒められた。



1月1日 新年の朝礼『書き初め』

 あけましておめでとうございます。
 平成19年がやってきましたね。あたらしい年の始まりはなんともみずみずしいものです。
 今年はどんな年になるのでしょうね。素敵で幸福なことばかりを想像していても大概は暗いニュースからはじまるものです。うかれきった新春特番の裏では悲劇的なニュースが淡々と流されて、なんだよ年の始めにと嘆いたりするものですが、それはきっと気が抜けたり油断しているから起こることが多いのです。ヤられる方が気を引き締めていても、ヤる奴は調子こいたり気持ちがデカくなったりしていて、中には人々の気が緩むこの時期にと綿密に計画してるゲスな奴らもいて、とにかく正月には危険がいっぱいです。気を緩めないように生活してください。

 そしてみなさんも、いくら年が変わったからといって、恩赦を受けたわけではないので、昨年まで引きずっていたいろんなことが帳消しになったわけではありません。目出たい気分だからこそ、よりふんどしと財布のヒモと気を引き締めて365日を始めてください。

 「今年はこんな年にしたい」と誰もが思っていることでしょう。けれどなかなかそうはいかなくて、年末になればいつしか「来年こそ」に変わっているものです。そしてまた新しい年が訪れて、今度こそ本当に「今年こそ」、、、人間なんていつまでたってもその程度のものです。願いはそんなに易々と叶わないから宗教や霊感商法にハマる人がいるのです。

 とはいえ年頭に心を新たにして一年の抱負を持つことは良いことです。それが何万光年先にあるものでもそこに向かおうとする気持ちを抱くことは立派で目出たいことです。
 だけど人は目標を立てたり夢に向かってまっしぐらになったりすると、えてして忘れてしまうことがあります。それは、「他人」です。この場合の他人とは、血縁関係にある人を含めた、つまり自分以外の人ということです。 
 物事に対して集中したり熱心すると、そのパワーの向こうにある他人のことが見えなくなることがあるのです。人は人と話したり人のことを見たり聞いたり感じたりしながら自分のことを知るものです。他人なくして自分の存在などあり得ないことを自負してください。 
 人と会話をするとき、そこには人の言葉があるからこそ自分の言葉が生まれるのです。会話は一方通行では成立しないのです。

 そこで、今年はこんなことを思ってみてはいかがでしょう。
 人とちゃんと会話をする。会話をしながら、この人はきっとこんな思いを言葉にのせているんだろうな、なんて考えてみる。会話の流れで自分が激しい口調になったとき、それはたぶん自己主張を強くするためにそうしていることなんですが、そう言われたときの相手の気持ちを少し考えてみる。逆の立場でも同じことが言えますね。決して先を読んで会話をしなさいということではなくて、そこに吐き出された言葉は、その人の心の中にあるものをライブで表現しているのだから、しっかりと受けとめてあげるということが大切なのです。そして自分の言葉も同様に、相手の心の奥底に届くように、やっぱりライブに。

 そしてもうひとつはこんなこと。
 きっと今年も上手くいかないことの方が多いと思います。が、それはやがて上手くいくためにはすごい大切なものなんだということをしっかりと認識してほしいのです。失敗は成功の素といいますが、同じ成功するにしても失敗なく成功するよりも、失敗を重ねてから成功した方が喜びも格別だと思います。
 さらに成功しか知らない人は、失敗した経験値がないから勝ち続けなければならないという圧力が生まれ、たとえ永遠に勝利したとしても、その価値観は、失敗を知っている人よりも幅というか深みというか、そんなものが少し乏しいような気がするのです。
 ま、これは僕の持論なので、ふーん、バッカじゃないの?と思ってもらっても全然かまわないのですが。
 とはいえ、同じ失敗や敗北でも、成功しようとして、あるいは勝ちにいった結果としてでなければこれまた意味がありません。全力で挑んで負けたからこそ、勝つ為に必要ななにかを見つけたり感じたりすることができるのです。

 そんなことを思いながら生きて行くと、今年の年末に“やっぱり今年もダメだったか”と嘆いても、そこには失敗したり破れたりうまくいかなかったりする理由が少しは見えていて、昨年までの「よーし来年こそは」や、また新しい年が来て思う「よーし、今年こそ」の中には、それまでのものより遥かに力強いものだったり明るい気持ちなんかが含まれるような気がするのです。

 新年早々、偉そうな話を書いてしまって申し訳ありませんが、実はこれ、自分自身に書いているのです。
 つまり文章化した『書き初め』です。

 今年もよろしくお願いいたします。



『発車オーライ!』第一章

『発車オーライ!』 (全四章)
第一章「駅にて」


小池さんの思い出のレールの中で走る、ときめきの汽車は、
これから四つの駅に停まります。
いつしか我々は、北国の小さな汽車の乗客となって、
窓の外の雪景色を眺めることになるでしょう。
さぁ、発車オーライです。


第一章「駅にて」


2006年12月11日、
福島の新白河へ行ってきました。
新白河は今回で2度目です。
車窓から白くなりかけた那須連峰が見えて来た頃、
各駅停車の新幹線は新白河に到着しました。

暖かい車内からホームに降り立つと、
高原から吹いてくる風が肌を刺してきます。
白河と言っても、ここはみちのくの関所、
もう、冬の真っ只中です。

この街には、23年前、
僕のふるさとの山都駅でお世話になった、
田崎さんという駅員さんの家族が住んでいます。

23年前、僕は中学3年生でした。
高校受験の大事な時期だというのに、
僕は学校が終わると、
まるで部活動のように山都駅へ通っていました。

山都駅には田崎さんと斉藤さんという、
国鉄を定年になった駅員さん二人が、
交代で勤務していました。

どちらの駅員さんも僕が駅に遊びに行くと、
改札の向こう側にある事務室へ、僕を入れてくれました。
いつも二人は鉄道の昔話を聞かせてくれたり、
臨時列車の時間を教えてくれました。
また、
僕も学校の出来事を二人に話したりしました。

当時、僕の家は、
ばあちゃんとお母さんの3人暮らしで、
どちらも僕のために働いていたので、
僕の話を誰かに聞いて欲しかったのかも知れません。
でも、
それ以外にも理由があったのです。
僕はあまり学校が好きではなく、
成績は下から一番、
野球部は万年補欠、
当然、女の子にもモテず、
そんな感じの中学生でした。

唯一、僕の存在を認めてくれたのは、
山都駅とそこにいる駅員さんたちだったのかも知れません。

そんな山都駅の思い出はたくさんありますが、
とても心に残ってる事があります。
それは、
ある冬休みの一日でした。

僕は朝4時に起きました。
窓を開けると、昨夜からの大雪で、
町中が真っ白な世界になっていました。
ぼた雪がぼっさぼっさと降ってるので、
道にはタイヤや人の足跡もついていませんでした。

僕はすぐに着替えて、
使い捨てカイロを背中に入れ、
お母さんに買ってもらったカメラを、
レンズ部分だけをカッターで丸く切ったビニール袋に入れて、
息を殺して、忍び足で階段を降ります。
でも、古い家なので、
ぎしぎしと階段がきしみます。

別に怒られることはないのですが、
ばあちゃんとお母さんを起こさないためにです。
でも、僕の気配に気づいた猫が、
朝ごはんの時間と勘違いして、
野太い声でニャーと鳴きました。

「こら、静かにしろ!」

猫は玄関までついてきましたが、
ごはんもくれそうにもないし、
雪が玄関の中に舞ってきたので、
すぐに階段を上がっていきました。

僕は長靴を履いて外に出ました。
まず、雪に顔を突っ込んで手で擦って顔を洗い、
雪を口の中に入れて人差し指で歯を磨きます。

かなり冷たいですが、
これが完全に目が覚める方法です。
洗顔と歯磨きを終えると、
長靴で雪をこいで駅に出発します。

駅への道は、
誰も歩いてない道の真ん中を歩いて行きます。
時々、後ろを振り返って、
自分の足跡を見てみると、
僕の足跡がついているのですが、
数十メートル後ろは、
ぼっさぼっさと降る雪で消えていました。

山都駅の駅員さんの始業時間は朝6時からです。
ですから、この時間に行っても、
駅は無人なので電気は点いていません。
でも、駅に近づいてみると、
雪に駅の灯りが反射しており、
駅前には白いカローラが雪に埋もれていました。

この白いカローラは田崎さんの車です。
田崎さんは、
昨夜は家に帰らずに、
駅に泊まったわけです。

待合室に入ると、
田崎さんはストーブに火を入れていました。

「お、早いなっ!」
「はい。車があるんで.....」
「昨日、雪がひどいから泊まったんだよ」
「車が動かないのですか」
「いや、道がついていない(雪を片付けていないので通れない)からダメだ」
「雪、ひどいですもんね」
「お茶でも飲むか?」

僕は長靴の雪をはらって事務所に入った。
田崎さんは、
ストーブの上に乗っかっている、
大きなやかんから急須にお湯を入れ、
お茶とせんべいを出してくれた。

窓側にある、映りの悪い白黒テレビは、
NHKの天気予報を映し出しており、
実直そうなアナウンサーが、
「日本海側は低気圧の影響で大雪となる見込みです。
海上は時化た状態ですので船舶はご注意下さい。
今後も大雪情報にご注意ください」
と、緊張した声で伝えている。

「田崎さん、ラッセル雪機関車は走るかな?」
「分かんないな。でも、この調子で降り続けたら走っかもな」

僕は不謹慎ながら、
未だに見た事が無い、ラッセル機関車が走る事を期待した。

お茶を飲み終えると、
田崎さんはホームの雪掻きを始めた。
あまりにも雪が積もっているので僕も手伝った。
スコップで雪掻きをしていると、
僕も山都駅の一員のように感じられて嬉しかった。
寒いような、熱いような、
今まで感じたことがない胸の高鳴りを感じた。

「気をつけろよ、汽車来んぞ!」

田崎さんの声が飛ぶ。
汽車のライトが白い雪をオレンジ色に変える。
朝一番の貨物列車が通過してゆく。

「ピッーー!」

ディーゼル機関車の、短く乾いた汽笛が響くが、
一瞬のうちに汽笛は雪に吸収されてしまう。

そして、
僕らに気づいたであろう、
暗闇の運転室にいる機関士が、
白い手袋を僕らに振った。

「おはよう!今朝は雪がひどいね。
朝早くから雪掻きお疲れさま。
僕も夜中じゅう、一人で貨物列車を引っ張ってきたよ。
もうすぐ夜明けになるから、もう少し頑張ろう!」

そんな事は言っていないが、
白い手袋がそう話しているように思えた。

田崎さんはいつものように機関士に敬礼をしていた。
僕も敬礼をしようとしたが、
田崎さんと目が合ったので、
敬礼するはずの右手で頭を掻いた。

僕らは、貨物列車の赤いテールランプが見えなくなるまで、
ずっとホームに立っていた。

ようやく、辺りが明るくなる頃、
僕は朝食の時間になったことと、
濡れた軍手と靴下を交換するために、
家に戻った。

「また、駅行ってたの?あんた高校落ちるよ」
「大丈夫だよ、駅に教科書を持って行ってるから」
これが毎日の母との会話。

僕は朝ごはんを速攻で食べ、
お昼のおにぎり3個を握ってもらい、
軍手と靴下を交換し、
教科書の代わりに時刻表を持って、
装いを新たに駅に向かった。

駅は早朝に比べ活気があった。
バスが2台とタクシーが3台が停まっていて、
待合室では病院通いのばあちゃん達が、
先生の評判を口にしている。
バスとタクシー運転士はオロナミンCを飲みながら、
「いやー、雪ひでーなぁ」
「あの道はブルドーザーが来なくて酷い道だった」
と、大きな声で話している。
どうやら山奥のほうはかなり雪が積もっているらしい。

バスの隣に郵便局の真っ赤な車が停まった。
汽車の郵便車から郵袋を取りに来たのだ。
郵便の次は新聞屋さんも来て、
駅前広場は活気づき、
その駅前のヒマラヤ杉の下では、
おじいさんがキセルを吹かして汽車を待っている。

一方、
待合室の売店は大繁盛していた。
近所のおばちゃんが世間話をしながら、
ポン・ジュースを飲んでいる。
部活動に行く高校生は、
少年ジャンプを食い入るように見ている。
コスモのシャコタン車で、
隣街の工場へ通っている社会人は、
前面のカウルで雪を掻いてきたらしく、
カウルを心配そうに見て、
雪をどけていたが、
スポーツ新聞、あんぱん、牛乳を買って待合室で食べている。

駅はみんなの社交場で、
売店は汽車に乗る人、乗らない人を問わず、
大事な町の商店なのだ。



12月25日 今週の朝礼『ヒロミツ』

 ひとつ後輩にヒロミツという男がいます。昔からそれほど目立つ存在ではなかったけど、どこかになにかを秘めたような、なんともいえない魅力と言うか、すごく気になって仕方ない存在だったのです。
 ヒロミツは地元の一級下というだけで同じ学校に通ったわけでもなく、友だちを介して知り合った後輩です。
 ヒロミツは親父さんの後を継いで刃物会社を経営しています。ちなみに僕の古里は何百年も前から刀で栄えた刃物の町で、他にもたくさんの友だちが刃物会社の若社長をやっています。
 さて、なんでヒロミツの話をするかというと、実は僕、彼にいろいろとお願い事をするのです。というのは、この年になってこんな仕事をしていると、いろんな人にお世話になっていて、そんな人たちに何かお礼をしたいときがすごくあるのです。これは形式的なものではなくて、ほんとに、なんというか、そうですね、贈り物ではあるのですが、そこに僕が心を込めて贈りましたという意思表示を克明に刻んでおきたいのです。
 そこでヒロミツにお願いをするわけです。
 リクエストするものは決まって包丁です。ヒロミツは包丁作りにかけては世界で3本の指がケツの穴に入るぐらいの腕の持ち主で、信じられないでしょうが刃物のシェイプアップに関しては1000分の3ミリをコントロールできるのです。その機械がン千万もするというのだからもういちどびっくりです。
 さて、なぜ包丁か? 包丁というものは、毎日口に入れものをこさえる大切な道具だからです。素材だとか栄養面だとか、そういう一歩踏み込んだような話はさておき、とにかく包丁が切れ味鋭くないと料理自体がなんだかつまんなくてストレスが溜まるものだと思うからです。
 そんな優れた包丁を贈る時には必ず手渡しでと決めています。なぜかと言うと、“包丁は僕の田舎の名産で、これを作ったのは僕の後輩で、これこれこうでと手の込んだことをして、やっと出来上がったものなんです”とちょっとしたお故郷自慢もできるからです。
 ここでヒロミツの包丁の凄さを説明しろと言われても困りますが、僕が技術的にどうのこうのというよりも、完結に証明してくれる言葉が必ず2回訪れます。1回目は僕が手渡した瞬間。これはきっと意外なプレゼントにちょっとびっくりした様子混じりのリアクションです。2回目は実際に、使ってくれた感想です。
“アノ包丁、すごいね。感動した”。この2回目の感想をヒロミツは不安を抱えながら待っています。
 そしてすごく喜んでいただけたと僕が報告すると、彼は電話ではなくかならずメールで返信してきます。
「よろこんでもらえるもんつくるって気分ええね。今日もおいしい酒のませてもらいます」
 今でも決して目立ったことをやりたがる男ではないけど、僕はヒロミツをとても尊敬しています。クリエイターではなく職人という彼の在り方がとても好きなんです。
 僕の仕事もそんなふうに人に喜ばれるようなものであったらいいなと、ふと思いました。



りお誕生。
この写真ではあまりわからないが、相当ガッツだった。今は違う。

 子どもはあんまり空気を読まない。
 りおが生まれたのは8月15日で、ヨメの実家のある神戸でだった。生まれる前から女子だという情報をつかんでおり、名前もりおに決定していた。あとは漢字だ。
 父が新大阪駅に降り立った昼1時ごろ、産んだ本人から電話がかかってきた。分娩室の、あのハードコアな感じのベッドに横たわりながら、自らケータイで「生まれたよお~」って。
 新大阪から病院までは40分ぐらいだ。どうせここまで待たせたのなら、あと40分ぐらい待ってくれてもいいのに。スポンと出てきたという。

 実は前日夜9時ごろヨメより「ヤバイ生まれそう、産婦人科行く」という連絡が入り、父は大いに狼狽したのだった。そのときは代々木公園近辺の仕事場にいた。微妙に仕事を残しており、それをクリアしてからでもなんとか神戸に戻る手段を模索した。ネットであちこち検索し、しすぎたためにかえって仕事が遅れ、神戸に帰れなくなった。
 ああ生まれたらどうしよう、ヨメにしかられる――しょんぼりと帰りの小田急線に乗っていると、「今日はない、たぶん明日」というメールでケータイがぶるぶる震えた。ホッとして「わかった、できるだけ早く帰る」と返信し、朝一番の新幹線で帰るべく目覚ましを5時にセットして寝坊した。

 ヨメの電話の声が少々憤慨しているようだったのでわけを尋ねると、タケダテツ当事5歳とルーちゃん(ヨメのお母さん)が病院に来ていないという。お昼前に家を出たはずなのに、2時間たってもつかなかったらしい。
 ようやく連絡がとれたときにルーちゃんは答えた。「ゴメンねー、テッちゃんとムシキングやってたのー」。
 いよいよ妹が生まれるという瞬間に、わざわざ画面上で架空の虫どもを戦わせなくてもいいのに、きょうもやるといったという。

 産院に向かいながら父は思った。
 テツもりおももっと空気を読むように。
 分娩室でヨメに抱かれたりおは、ガッツ石松氏に似ていた。ほとんどの赤ちゃんがガッツ系か朝潮系かに分類できる、という話を聞いたが、のちに新生児室に移されたときに見たら、りおは室内一、ガッツ氏に似ていた。となりに寝かされていた4000g級の巨体女児は、池波志乃に似ていた。りおより2日ほど年上で、すでに小料理屋のおかみの風格を漂わせていた。
 りおは、結局、理央になった。




2007/01/09

『発車オーライ!』第二章

2007/01/01

1月1日 新年の朝礼『書き初め』

2006/12/29

『発車オーライ!』第一章

2006/12/25

12月25日 今週の朝礼『ヒロミツ』

2006/12/25

りお誕生。
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