「RED」



『痛くてダサくて情けなかった、あの赤い日』

大会新記録に挑戦し、惜しくも失敗した僕の背中には大きな拍手が浴びせられた。右手に包帯を巻いた痛々しい姿が、人々の感情を拍手に変えたのだろう。あたたかく心地よい拍手の中で、ある一方からだけ放たれるピリッと背中を射るような鋭く痛い視線。父親だった。その痛い視線の理由を聞かされ教えられたたきこまれ、僕はようやく男としてのスタート地点に立った。

ちっちゃな町で何十年かぶりに全国大会に出場した僕は、町中の人たちから注目されていた。1週間後に行われる市の陸上競技大会でも連破と新記録は間違いないと、僕をふくめ誰もが思っていた。
そこへ突然のアクシデント。技術家庭科の授業中に、不慮の事故で僕の右手の中指が第一関節あたりから爪ごともろとも千切れてしまったのだ。指先から吹き出す鮮血が純白のワイシャツを真っ赤に染めてゆくのを、どこか冷静な気持ちで見つめながら、ふと思いを1週間後に走らせる。
“だめかも”。痛みと虚しさが一挙に押し寄せた。

骨が剥き出しになった僕の中指は、外科医の手によりなんとか元どおりになったが、爪を剥がされたうえ縫合されたばかりで神経が過敏になりすぎているため、手首をほんの少し動かすだけでも激痛が走る。医者は陸上大会への出場を諦めろと言った。その場では“わかりました”と答えたが、絶対出るつもりでいた。
この状況で出場してヒーローになるつもりだったのだ。

大会当日、僕の怪我は周囲に知れ渡っていて、棄権と決め込んでいた人たちから同情の声をかけられたが、走り高跳びの競技が始まって僕が助走に入ると誰もが驚きの表情を見せた。もちろんあれ以来練習はできず、痛くて触れない腕のせいで跳躍フォームもリズムもバラバラだけど、なぜか勝てる自信があった。それでも練習不足と痛みのことを考え、パスを繰り返した。
参加選手がどんどん失格していくなか、大物を気取ってとりあえず試しに1本クリアした頃にはすでにベスト8が出揃っていた。

優勝を争った他校の選手にとっては未知なる高さを僕は軽くクリアする。
それがプレッシャーになったのかその選手は3回連続で失敗し、あっけなく僕の優勝は決定した。
残るは大会新記録。これを達成すれば完全制覇、たちまちヒーローだ。

英雄への階段を前にして気合いは入っていたが、やっぱり指が痛い。僕は跳躍回数を考えてタイ記録をすっとばしていきなり新記録の高さにバーを上げた。
沸き立つ観衆の中で3分後の勇姿を脳裏によぎらせバーに向かって助走を始めた。
ポロッ。落ちるバーにため息が舞う。
2回目の跳躍も、わずかにバーを引っ掛ける。さっきよりさらに大きなため息。
着地の際、マット上で体の下敷きになった右手中指が包帯に真っ赤な血を滲ませる。観衆の沈痛な面持ちとは裏腹に、僕に痛みの感覚はない。
“集中してる。かならず跳べる”。
そしてラスト3回目の跳躍。
“跳べたっ!”。そう思った瞬間、左の踵がバーと希望を引きずりおろした。
どよめきからため息へ。一瞬のドラマの中で、痛そうに右腕を抱え顔をゆがめながらピットを去る僕は、さしずめ悲劇のヒーロー。鳴り止まない拍手と声援。

新記録達成はならなかったが万来の拍手を浴びた僕に悲壮感はなく、さばさばした気分で帰宅すると玄関には父親が仁王立ちしていた。
「跳べなかったことを怪我のせいにするような真似するな! ばかやろう!」

その日、仕事を休んで大会を観に来ていた父親が包帯に滲む血の色よりも赤い顔をして怒鳴った。喰らったビンタは千切れた指先よりはるかに痛い。
心中をズバッと突かれた俺は、しばらくそこから動くことができなかった。
恥ずかしくて、カッコ悪くて、ダサくて、、、、、、

その日から言いわけをすることだけは絶対やめようと誓った。
それが20歳のときに死んだ父親との無言の約束なのだ。


THE FREE PAPER R



「ROOM」



「どうしたの?めずらしいやん、こんなに残して」
うつむき加減に茶わんを置く僕に心配顔のお袋。
「好きな子でもできたんやろ。あっはっは」
鈍感そうで鋭いオヤジの一言が僕の脳天を貫いた。

「しょーもないことゆーな!」
 心中をズバッと言い当てられた恥ずかしさとちょっとした怒りが混ざった瞬間、僕は家を飛び出した。全速力で走る僕の行方を見守るようにいつまでも飼い犬のケンタが吠え続けている。
 ワンワンワンッ。あの鳴き声、人間語にするとどんな意味なんだろ?“いってらっしゃい”、ちがうな“どこ行くの?”、余計なお世話だ。“ガンバれよ!”、おう、わかってんじゃん。でも、なんで知ってんの、おまえ?

 僕が走り出した方向は、恋しくてしかたない丘の上にあるあの娘ん家。むしゃくしゃした気持ちを静まらせようと思っても、逆に興奮してピッチもストライドもボリュームアップ!心拍数190、もうあかん。死にそう。部活で入らなかった気合いを補い、パンパンに膨らんだ太ももは勇気の印。「言うぞっ。言ってやる。言わないと」。その先には「言えるかな?」とか「言ってもいいかな?」とか続きそうだったけど、どんどん情けなくなってく自分を抑えて、僕はあの娘の家の前に立った。

 ケータイもポケベルも留守電もない時代、中学生が告白するには直接会って話すのがいちばん。だけど学校じゃみんながいるから恥ずかしい。だから、ケンタに見送られてここに来た。
 心を決めてあの娘ん家の前に立った瞬間、二階の電柱の前の部屋の灯りがパッ。俺、ドキッ。窓越しにあの娘がふわっ。そして薄緑色のカーテンの奥へあの娘は消えた。サーッ、カーテンの波が届けてくれたミントの匂いは、この世で僕だけにしか感じられない気持ちの証だった。
 恋する気持ちは薄緑色。恋するあの娘はミントの香り。深く息を吸い込むほどに、その思いは胸をしめつけ、僕は壊れそうになった。

 その先に踏み込めなかったあの日から何日か過ぎ、今度こそ覚悟を決めて彼女ん家の門の前に立ったとき、C組のあいつがあの娘とあの娘のお母さんに見送られて玄関から出て来た。僕の心のカーテンは引き裂かれ、薄緑色の血液がミントの香りを漂わせながら僕の恋心にピリオドを打った。

 一世一代の芝居で通りがかりを装った僕は、その思いを胸にしまい込み、C組のあいつに全力をふりしぼって「よおっ!」と声をかけたけど、やつに背中を向けたとたん、ものすごい勢いで涙がでた。
 薄緑色のカーテンにこてんぱんにやられた僕を慰めてくれたのは、ワンワンと元気に迎えてくれるケンタの鳴き声だけだった。


THE FREE PAPER R



「横浜」



 初めて東京見物に行った帰り、初めて横浜のおばさん家に泊った。
 はとバスに乗り名所、旧跡を巡った。すごく楽しくて、その行動ルートは今でも鮮明に記憶している。おばさん家は京浜東北線の根岸駅から徒歩5分のところにある住宅街でガラス店をやっている。国道沿いのため、交通量が多く、とりわけトラックやダンプが異常に多いので“これも都会の国道ならでは?”と勝手に思い込んでいた。
 そうそう、おばさん家、築60年位経ってて、でかいダンプが通るたびに、階段がみしみしと鳴った。あれ、夜中に聞くと恐かった。はとバスを終え、電車で根岸駅に着くまで、僕と兄と父は、東京話でものすごく盛り上がっていた。っていっても、会話の最後には必ず、「すげえ」がつくお上り話ばっかし。“東京タワーって、” “NHKって、” “皇居って、” “羽田空港って、”…。とにかくその後ろに全部(すげえ)をつけて、きっとその日見たものを再確認し、心に刻む作業に没頭したのだろう。
 がんばって話しすぎて、のどがからからになったので、僕は親父にファンタオレンジを、兄貴はスプライトを買ってもらいのどを潤した。(ちなみに親父は当時、スブライトと呼んでいた。そういえば、実家の4軒となりの谷藤さんのおばさんは、ついこの前までティッシュのことをペッシュと呼んでたなあ)
 そしておばさん家までの5分の道のりを、またまた<東京すっげえ>話をしながら歩いていくと、ガラス店の玄関よりも50mぐらい駅の方までおばさん、迎えに来てくれてた。
 「圭ちゃん、イチロー(兄貴)くん、疲れたでしょ。お家入って。」
 盆前のムシ暑い夜に、おばさんは家中の扇風機を集めて、居間を冷やしてくれた。「さぁ、のど渇いたでしょ?冷たい麦茶入れてあげるね」
 「ううん。大丈夫。今、駅でファンタ買って飲んできたから」
 残酷なまでに正直な子供の言葉に親父は眉をひきつらせながら、申し訳なさそうに言った。「ああ、ふたりで1本だけね。」
 「ちがうよ、兄ちゃんはスプライト飲んできたよ」
 親父の眉が元に戻り、大きく鼻からため息がもれた。
 「おい、おまえら、もう寝るぞ」と、ドスの効いた声で親父が言うと、
 僕と兄貴は無理矢理2階の寝床に連れていかれた。
 ビシっと扉を閉めるなり親父が顔を赤くして怒鳴った。
 「おばさんがせっかくお茶入れてくれると言ってくれたのに、なんでジュース飲んできたなんて言うんや!!」
 「だって 本当のことやん」
 「本当でも、おばさん、がっかりしとったやろが!!」
 「でも 本当のことやん」
 川の字の真ん中で寝てる僕に、親父は泣くまで説教した。
 嘘をついていない自分がなぜ怒られるのかさっぱり解らなかったけど、おばさんががっかりしたと聞いて、僕はだんだん自分を責めはじめた。親父の反対側で背を向けて寝ていた中学生の兄貴には、怒られた理由がなんとなくわかっていたらしい。
 翌朝、泣きはらした顔で朝食の席についたとき、僕の茶わんの横にはファンタオレンジがあった。
 「圭ちゃん、今度はおばさんが先に用意しといたからね」

 ダンプで揺れるみそ汁をながめながら、初めての横浜が僕を少しだけ大人にした。


: 「Z」 04号



「代官山」



 ヒルサイドテラスの前でイキがった高校生が狭い歩道を4人歩いてる。
“きっと修学旅行だな。”
 眉毛を片方だけ吊り上げアゴを突き出し首を斜めに倒して、周囲80cmは悠にあろうかというボンタンをダブダブに見せて歩行者を威圧している。
 なんだか懐かしくなって彼らを見ていると、一番背の低い奴が足早で僕に近づいてきた。
 「なに見よっと?」
 最近の17歳の少年たちのこともあるのでちょっと恐かったけど、それでも懐かしさには勝てず、嬉しくなってニンマリしてしまった。
 「おまえナメちょっとか?」
 「そんなことないよ」
 「じゃ、なんで笑うとか?」
 「カッコいいなと思ってさ。でもなんで絡むの?」
 「目が合ったやろ」
 「それだけ?」
 「そぉっちゃ」
 「わかった、もう見ないよ」
 日本一お洒落な街でオヤジに頭を下げさせて勝ち誇った4人は、さらにボンタンを太く見せながら槍ヶ崎交差点の方向に歩いて行った。
 それから小一時間。八幡通りにある洋服屋で打合せを済ませて通りに出ると、モッズヘアの前の歩道であの4人が、今度はおばあちゃんを囲んでる。
 “あいつら、いい加減にしろよ”。小声で怒りを吐き出し今度はこっちが眉を吊り上げてヤツらに向かって歩き出したとき、なんとヤツらはおばあちゃんが両手に持ってた大きな紙袋とビニール袋を分担して持ち、そのままおばあちゃんと一緒に歩き出したのだ。方向は明らかに代官山駅方向。
 道路を隔ててその光景を見ていた僕の眉は元に戻り、一時間前と同じ笑顔で彼らに視線を送ると、さっきの一番チビと目が合った。
 またイチャモンつけにすっ飛んで来るのかなと思ったら、照れくさそうにコクッと頭を下げてそのまま歩き去っていった。
 あの太いボンタンの中には、優しさや愛情も詰まってたんだ…。


: 「Z」  創刊号



「松田優作」



 なにしろイキガっていたもので・・・、
 中学入学と同時にダウンダウン・ブギウギバンドの「スモーキンブギ」に影響されて、はじめてショートピースを試した。それもオヤジが常煙していた缶入りのやつ。
 A型のオヤジは1本だけ減っているタバコに気付き、すぐさま兄貴を呼びつけ正座をさせながらビンタをとった。「兄ちゃん、かばってくれてありがと」「は?吸ったの俺やで」。なんのこたぁない。実は兄貴も1本拝借して、2本減ってるのを勝手にオヤジが1本だと勘違いしていたらしいのだ。くわばらくわばら。学校が終われば、町へくり出す。もちろん白いツナギにコンバースのキャンパス・ハイカット。レイバン風ティアドロップにハンドルひっくり返したチャリンコにまたがって、ブィーンと飛ばすのだ。俺たち5・6人、ツナギのポケットにはそれぞれの名前の頭文字がマジックで書かれてある。俺は圭介だから「圭」、幸一は「幸」、明利は「明」。今思えばどれも迫力に欠ける字だったなー。
 とはいえ、俺たちはアラブのラディン氏のような武闘派ではなく、どちらかというとカマシ&エスケイプ。とりあえずイキがっといて、相手ビビらせたら、アバヨっ!となると、どうやって一発カマすかってのが問題になってくる。
 「シバイたろか?」「なめとるんか、オイ?」「いっぺんやったろか?あん?」んー、どれも極端すぎてリアリティに欠ける。“コイツら、ホントにヤバイ”って思わせないと。うーん。あった。あれだ!
 「なんじゃ、こりゃぁ!」
ジーパン断末魔の叫びである。しかもあのシーンを忠実に再現してこそ、インパクトとビビり度はUPする。敵(よその中学の奴ら)を見つけるなり、チャリンコ降りて、肩幅よりやや広めに立ち両脇を開いて、手を内側に広げ、とりあえず自分のヘソの辺りを見てからゆっくりと視線を敵の目玉に向けて、一発、「なんじゃ、こりゃぁー!」(正確には「あんじゃくうりゃぁ!」)。
 ところが調子こいて中2の地蔵さん祭りの時、敵の大軍に「なんじゃ、こりゃぁー!」の先制パンチをかましてやったら、大川と長瀬がボコボコにされちゃって・・・。殴りまくってる奴らに「やめろよ、寄ってたかってひきょうだぞ」って、結局情けない言葉で小っちゃく反抗しただけ。
 「なんじゃ、こりゃぁ!」が思うように使いこなせなかった俺は、すぐさまカマシの一発を永ちゃんの「ヨ・ロ・シ・ク」と「スアイコー!(最高!)」に切り換えた。


青春白書『青い空。蒼い気持ち』より



: フリーペーパー LIVE11




2006/08/19

「RED」

2006/08/19

「ROOM」

2006/08/19

「横浜」

2006/08/19

「代官山」

2006/08/19

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