『僕の見習い車掌日記』 〜師匠の教えの巻〜

〜師匠の教えの巻〜


「車掌なんて辞めろ。降りろ!」

真っ赤な顔をした師匠が、
客室に聞こえるほどの声で僕を怒鳴った。

僕はカバンを持って、
雨の降る小さな駅で電車を降りた。

乗客がヒソヒソと話しながら僕を見ている。
僕は黙って師匠を見ていた。
師匠はすぐにドアを閉めると、
僕を降ろした電車は勢い良く駅を出て行った。

電車を見送った僕は駅事務室にトボトボと歩いて行った。
階段を上がり改札窓口に顔を出すと、
駅員はビックリした顔で僕を見た。

「そこに立っていると邪魔だよ。中に入れば?」

「はい」

僕は駅事務室の椅子に座り、
窓口に立つ駅員の背中をぼんやりと見ていた。
休憩室でそばを食べ終えた年配の駅員が、
売店に行って僕に缶コーヒを買ってきてくれた。

缶コーヒーなんて飲んでいる場合ではないが、
今の僕には行く所がない。
師匠はなぜ僕を怒鳴ったのだろう?

「ミスなんてしていない・・・」

その言葉がリフレインしている。
あまりにも覚えることが多過ぎて、
僕のキャパを超えているような気分になってきた。
今現在、
一体何を優先すればよいのかまったく分からない。

「今度、師匠の乗った電車は、この駅は何時に通るの?」

初老の駅員が声を掛けて来た。

「1時間半後です」

「この前も降ろされていたやつがいたよ。
 そいつはホームで案山子のように2時間ほど立っていたけどね。
 君も何をして電車から降ろされたの?」

「・・・・・・・・・・」

僕はコーヒーを一気に飲んだ。
すぐにダイヤを開いて師匠の電車を追いかけることにした。

「コーヒー、ごちそうさまでした」

「二度とここには来るなよ」

お客さんに混じって階段を降りてホーム後方で電車を待つ。

しばらくすると電車がやってきた。
運転士はホームで突っ立て居る僕を見て、
不思議そうな顔をしていた。

到着した電車の乗務員室に行き、
担当車掌に訳を話して乗せてもらう。

「降ろされたやつはここにも居たか。
 お前らは本当にデキが悪いね」

乗務員室では僕は無言だった。
ふと、
横目で先輩を見てみると、
先輩の制帽はフリスビーのように潰れていて、
顎ヒモは制帽の前後に二本も付いている。
先輩は校則違反を楽しんでいる学生のようだった。

電車は通過駅に差し掛かる。
先輩は見かけによらずひとつひとつの動作が日舞のように美しく、
基本動作を完全の自分のものにしている。
ふと、
そうした先輩の動きを見ているうちに、
なぜ自分が降ろされたのかが分かった。

先輩は通過駅に差し掛かると後方監視“だけ”を行いひとつの作業を終える。
次の作業は車内放送なのでマイクを持つ、
といったように一度に二つの作業はしていなかった。
つまり、
僕は一度に二つの作業をしていたのだ。
これでは基本動作を励行していないことになる。

僕は先輩に礼を言って師匠が休憩している駅に降りた。
僕は恐る恐る休憩所に入ると、
電車を降ろされた僕を見て先輩たちは大声で笑った。

師匠はソファの真ん中に座り新聞を読んでいた。
僕は師匠の前に立って自分の過ちを述べて謝った。

その後、
師匠には何十回も「降りろ!」と言われたが、
なんとか訓練を終えて車掌試験を受けた。

試験当日は本社の偉い人たちが数人やってきた。
各自がチェックシートを持ちながら、
僕の動作を頭のてっぺんからつま先まで舐めるように見ていた。

「異常なし!」

「声が小さいなぁ。
 そして指差確認喚呼の時に肘がまっすぐになっていない」

試験管は冷静に僕の悪い点を指摘したが、
僕を含めた同期全員が何とか試験に合格した。

試験が終わると新しいバッジが支給され、
肩書きが「車掌見習」から「車掌」に変わったが、
一人で電車に乗ることが信じられなくてとても不安だった。



『僕の見習い車掌日記』 〜乗務区研修の巻〜

〜乗務区研修の巻〜


センターでの最終日、
教師から配属先が言い渡された。
僕はニュータウンのど真ん中にある乗務区に配属が決まった。

乗務区での研修が始った。
乗務区は現場独特の雰囲気を醸し出していた。
僕らは電車から降りてきた先輩達と廊下ですれ違う度に大きな声を出して挨拶をした。
先輩達は頭を少し下げただけで声も出さずに、
ソファにドカッと座ってスポーツ新聞を広げていた。

僕らが先輩達のような一人前の車掌になるまでの行程は、
車庫の電車で訓練をして、
“師匠”と呼ばれる指導者と営業電車で
約1ヶ月間の実車訓練を行って車掌試験に挑む。

車庫での訓練が終わると師匠と弟子の組み合わせが発表される。
師匠と弟子の組み合わせ発表のことを“顔合わせ”といい、
僕らは師匠が待つ会議室前の廊下に並ばされた。
担当主任から一人一人順番に名前が呼ばれると、
僕らは緊張した面持ちで会議室に入ってゆく。

「小池!」

僕は3番目に名前が呼ばれた。
ノックをして会議室に入る。
3番目に呼ばれたので奥から3番目の人が僕の師匠らしい。
師匠は優しそうな顔をしたおじさんだった。
僕は師匠の前に立ち、

「小池です。よろしくお願いいたします」

「よろしく」

この人が僕の師匠か・・・。
僕らはセンターで研修を受けている時から、
各師匠の行動や性格をリサーチしておいた。
それによると僕の師匠となった人は山形県出身で、
よっぽどのヘマをしない限り怒らないという前評判だった。

実車訓練が始まった。
僕は師匠の動きを終止見ていた。
師匠の動きを見ているととても簡単に見える。

師匠は要注意駅や駆け込み乗車が多い駅を懇切丁寧に説明するのだが、
山形弁のお陰で何を言っているのかさっぱり分からなかった。

数日後、
ドアを開けた師匠が僕の腕を引っ張った。

「ドア、閉めてみっか?」

「はい」

僕はドアを閉めるタイミングを見計らっていた。
真後ろには師匠が立っていて、
師匠の鼻息が僕の首に当たるのでくすぐったい。

二人で乗降モニターを監視する、
ドア・スイッチに親指を添えて乗降が終了した時が閉めるチャンスだ。

「よし、閉めろ!」

「前よし!」

思い切ってドア・スイッチを押す。

「プシュー、ガラガラ」

刃物の上を歩くような緊張感が全身を走り、
冷や汗がゆっくりと背骨をつたって落ちる。
ドアが閉まると電車は勢い良く加速してゆく。
急いで車掌用の扉を閉めて、
窓から顔を出してホーム上の監視を始める。

顔に当たる風が電車の加速と共に強くなる。
降りた乗客たちの姿が一瞬にして目の前を通り過ぎてゆく。
ホームを抜けると窓を閉めて後方を指差確認喚呼する。

「異常なし!」

「異常なし!」

師匠が復唱する。

「ドアを閉めるは怖いだろう?」

「怖いです」

「次は放送してみるか?
 窓を開けて自分の耳で放送音量を確認すること。
 放送をするポイントはスカイ・コートのマンション付近だ」

「次は○○、○○です」

僕が放送した直後、
お客さんが一斉にこちらを見る。

「早口で声が萎縮してるからお客さんがお前を見るんだよ」

「はい」

その後は順調に実車訓練が進むものと思っていたが、
ちょとした僕のミスで電車から降ろされたことがあった。




つづく



『僕の見習い車掌日記』 〜車掌研修の巻〜

誰だってはじめはヒヨッ子です。
ヒヨッ子にもなれないヒヨッ子予備軍のときもあります。
誰もがそういう時間を経験してちゃんとした仕事に就いていくのです。
特にいろんな人たちの大切な時間を乗せる鉄道員の仕事においては、
どれだけちゃんとしたヒヨッ子時代を過ごすかがとても大切なのです。
もちろんまだまだ子供なので、納得のいかないことばかりなのですが…

夏休みの終わりに、ちょっとだけ苦い話、お届けします。
エアコンの冷気ではなく、車窓から入ってくるちょっとぬるい風に吹かれて、
読んでみてください。




〜車掌研修の巻〜


車掌研修が始まった。
センターでの勤務時間は9時から18時までの机上教育で、
目の前の教科書と鉛筆を見ているだけで睡魔が襲う。

今回の車掌研修を受けるメンバーはほとんどが入社同期で、
彼らとセンター行きの社員専用バスに乗っていると、
入社研修を受けていた時代に戻った気持ちになり、
とても懐かしい。

センターでの研修内容は車両、信号、規則など多岐に渡り、
科目によっては理数系も登場する。

研修も中盤に差し掛かったある日、
いつまで経ってもY君が教室に現れなくて、
みんなY君の事を心配していた。
教師は何事も無かったような表情をしていたが、
その表情を見るとかなり苛立っているように見えた。

みんなが授業に集中し始めたとき教室のドアが開いた。
Y君は申し訳なさそう顔で教室に入ってきた。

「なんだぁ、報連相も無しか?」

「昨日、飲み会があって帰りが遅かったのです」

「お前、車掌になる気あるの?」

「・・・・・・・・・・」

翌日、
教室にY君の姿は無かった。
Y君は教師と相談の結果、
今まで勤めていた駅に戻ることになったが、
その後の風の便りでは、
Y君は駅に出勤する事もなく会社を辞めてしまった。

昼食後、
僕らは表に出て、
古い電車が飾ってある線路の上に座って、
会社を辞めたY君のことを話していた。
そこに教師が輪の中に入ってきたので、
僕らは慌てて話題を変えた。
教師はタバコに火を点けながら、

「簡単に辞められちゃ困るんだ。
 研修期間中でも会社はお前らに給料を払っているんだ。
 次の現場に行っても1ヶ月半ぐらいは見習いだろう?
 今のお前らはお金を稼いでいないんだ」

教師はわざとお金の話をしているように感じた。
その表情を見ると、
お金のことよりも、
たった一度の遅刻で辞めたY君の事をとても気にしているように思えた。

教師の言う通り、
会社が僕らにお金をかけた分だけ責任も重かった。
目には見えないけれど、
乗務員としての重責がそこにあるのかも知れない。
その厳しさがあるからこそ僕は乗務員に憧れた。
子供の頃に見た貨物列車の機関士は、
まるで軍人のような目つきでハンドルを握っていた。
誰もが振り向きもしない地味な貨物列車だったが、
誰にも注目を浴びていないからこそ、
自己陶酔しているような機関士の表情に憧れた。

教師は2本目のタバコに火を点ける。

「電車が来ると踏切の遮断機が降りるよね?
 遮断機が降りると、
 みんなそこで遮断機が開くの待っているんだ。
 パトカー、
 消防車、
 救急車、
 皇室の自動車、
 みんな遮断機の前で待っているんだよ。

 箱根マラソンを見たことあるだろう?
 踏切が閉まったらランナーも先導の白バイも一旦停止だ。

 もし、
 この会社の社長がお前らのところにやってきて、

 『次の駅で止めて下さい』

 と言ってもお前らは電車を止めないだろう?
 運転に関する全ての実権は乗務員が握っているんだ。
 そのくらいの気持ちでなきゃ国民の財産を預かって運転できないでしょう?
 “前の日が遅かったから”と言って寝坊をして、
 そんなスタンスで乗務員ができるか?
 出来ないよな、そんな生半可じゃ」

僕らは線路の石を見ながら黙って聞いていた。
1ヶ月間の研修中に1人が退社し、
2人が車掌になるのを諦めて駅に戻った。


つづく



『僕がなりたかった駅員への道』後篇

後篇「夢より現実。僕の経験」





乗客より5センチほど高い改札口に立っていると、
さまざなな人間模様が見えてきます。
一度、総理大臣にも改札口に立ってもらいたいと思います。
きっと、東京タワーの展望台より、
日本がよく見えるはずです。

ハプニングもいろいろありました。
数あるハプニングの中で最も印象的な出来事が、
ホームで電車を待っていた女子高生に、
屋根にいたハトの糞が落下してしまい、
頭から靴下まで見事に真っ白になったその子が、
事務室にやってきたことです。

ちょうどその日は学校の試験日だったらしく、
どうしても学校には行かなくてはならないとのことでした。

すぐに学校と家に電話連絡をしました。
学校にはハト事件の全容を伝えることができましたが、
家のほうが留守だったので、
家族に着替えを持ってきてもらうことは断念しました。

結局、女子高生は駅のシャワーを浴びて、
僕の一張羅であるコム・デ・ギャルソンを着て、
学校へ向かいました。

翌日の朝、
母親が菓子折りを持って駅に現れましたが、
僕の一張羅はご丁寧にクリーニングに出されていました。
結局、僕は制服を着て寮に帰りました。

バレンタインデーのことも忘れられません。
バレンタインデーの日は、
早朝から駅のあちこちで、
チョコが入っていると思われる紙袋を持った女の子が、
きょろきょろしながら右往左往しています。

当時は携帯電話が無かったので、
改札脇の伝言板が大活躍していました。

「10:50。ヒロシへ、ロンロンのレコード屋で待っています」

「11:00。シュン君、公園口のいせやで待つ」

当時の伝言板は今のメールの代わりでした。
伝言は何時間後に消去するのかは忘れてしまいましたが、
白色のチョークをまめに補充した記憶があります。
それにしても、
バレンタインデーなのに、
“いせや”で焼き鳥でも食べるのでしょうか。

そんなバレンタインデーの朝、
僕が改札に立っていると、
ホームのベンチ付近にいた女子高生数人が、
こちらを見て騒いでいました。

そんな光景を見ていると、
僕の心がざわざわしてきました。

「ひょっとして僕?」

と、ちょっぴり意識してしまいます。

しばらくすると、
周りの友達に背中を押された女子高生が、
もじもじしながら僕のところにやってきました。

「おっ、来たなっ!(心の中の言葉)」

「あのう・・」

「はい、なんでしょう」

僕は機械より機械的な表情で話しました。

「これを、吉田さんに渡してください」

これが研修で習った“ハインリッヒの法則”なのだろうか。

ハインリッヒの法則とは「1:29:300」という確率を表したもので、

「1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、
その背後には300の小さな異常がある」

ということらしい。

ハインリッヒの法則はいいとして、
とにかく女子高生は小さな紙袋を僕に渡し、

「これ、吉田さんに渡してください」

と言って、足早に去って行ったのでした。

その日、吉田は公休でした。
紙袋の中には手紙と小さなチョコレートの箱が入っていました。

その光景を見ていた先輩が、

「な、お前、チョコを貰ったの?」

「これ、吉田にですよ」

「じゃ、俺が吉田に渡しおくから」

「人のチョコを食べないで下さいよ」

「分かった、分かった」


結局、先輩は吉田のチョコレートを食べてしまい、
手紙だけを吉田に渡したのです。

それからしばらくすると、
チョコを持ってきた女子高生と吉田が改札口で話すのを見かけるようなりました。
毎日毎日、女子高生は吉田が立っている改札口にやってきては、
何時間も話していました。
その間の僕は、
酔っぱらいの嘔吐を掃除して、
吉田に悪態をついていました。

二人はいつの間にか恋人同士になり、
数年後に二人は結婚しました。

吉田はいまだに、

「なんで、あの紙袋にはチョコが入っていなかったのだろう?」

と首を傾げています。

バレンタインが過ぎてしばらくすると、
僕は駅長室に呼ばれました。

「君はとても朝寝坊で遅刻が多いと聞いている。
 早く車掌になって、先輩方に“鉄道と時間”の関係について、
 徹底的に厳しく教育してもらったほうがいい。
 それとイタズラにも程がある」

と半分本気で半分冗談のようなことを言われました。
僕はイタズラらしいイタズラはしていないのですが、
駅長が盛んに“イタズラ”と言っているのは、
“あの日”のことだと思います。

武蔵野市の偉い方が駅長室に集まって、
街のなんとか会議がありました。
ちょうどその日の朝刊に、
宮沢りえヘア・ヌード写真集発売の広告が掲載されていました。
僕はそれを丁寧に切り取って、
駅長のデスクマットに挟んでおいたのです。
駅長は真っ赤な顔で犯人探しをしていましたが、
その日、駅長室の掃除をしたのは僕だけでしたので、
僕も確信犯気取りでいましたが、
きっと駅長はそのことを“イタズラ”と言っているのでしょう。

僕は半ば強制的に車掌試験を受けさせられ、
結果は不合格でも強制的に合格となりました。
先輩たちは、

「駅長はよっぽどお前のことを追い出したかったんだな」

と笑っていました。

駅員生活最後の夜、
いつものようにコンコース掃除に行くと、
毎晩、駅の敷地でアクセサリーを売っている、
“ミッキー”と呼ばれているおじさんがいました。

ミッキーさんは毎晩のように巡回の助役に注意をされて、
悪態をつきながら駅を出てゆくのですが、
すぐに駅に戻ってきてはアクセサリーを並べます。

助役は僕に、

「アクセサリー男がいたら注意して追い出すように」

と指示をしていましたが、
僕は最初の2〜3回だけ注意をして、
後は何も言いませんでした。
そのうちミッキーさんは、
僕の顔を覚えて話しかけてくるようになりました。

「あの助役は意地悪だよな。あいつの出番はいつだ?」

「違法なんだから仕方ないよ。
 人の目を気にして商売するなら、
 自分の店を持てばいいのに・・・・
 そそ、僕は○○日が最後の勤務だからね」

「なんだ、お前さん、居なくなっちまうのかい?
 そうか、車掌になるんだったら、めでたいな。
 お前さんよ、今夜は俺が駅の掃除をしておくから、
 ま、これでコーヒーでも飲んで、今日ぐらいは掃除を休みな」

ミッキーさんは僕に100円玉を渡しました。

昔は山都駅に行って、
駅員さんの掃除のお手伝いをして、
100円玉をもらったのに、
僕が駅員になっても、
人様から100円玉を貰っているので、
いつまで経っても本物の駅員にはなれません。

僕はミッキーさんに頂いた100円玉で、
ジュースを買って休憩をしました。

「お前さんには世話になったから、
 これを餞別にするよ。
 商売ものだけど、ま、受け取ってくれや」

ミッキーさんは小さな紙袋に、
シルバーのリングとドリーム・キャッチャーを入れて、
僕に手渡してくれました。

「おまえさん、明日から車掌なんだろ?
 今さらドリーム・キャッチャーなんて必要ないな。
 でもな、車掌になったからといって慢心するなよ。
 どうせ、すぐに別の欲が出てくるからな。
 その“欲”ばかりこだわってに自分で苦しむなよ。
 夢は叶わないものだからこそ、
 ドリーム・キャッチャーなんてものがこの世にあるんだよ。
 あはは。分かるか?
 大体、俺も自分の店を持つことより、
 こうやって駅でいろんな人に出会えるから面白いんだよ」

よく分かったような、分からないような、
説得力があるような、無いような言い方だった。
確かに車掌になっても、
いずれは別の欲が出てくるだろうと思います。
では車掌になった後、
僕にはどんな新たな欲が出てくるのだろう?
そんなことがその時点でわかるはずありませんでした。

「ミッキーさん、ありがとうございます」

「今日の売り上げは坊主だったけど、
 お前さんが唯一の客でよかったよ。
 掃除はしとくから、パチンコでも行ってこいよ」

僕は小さな紙袋を制服のポッケに入れて駅に戻った。
助役はいつもより早く戻ってきた僕に、

「今日はゴミが少なかったのか?」

翌日、勤務を終えて寮に戻ると、
早速、カーテンレールに、
ドリーム・キャッチャーを吊るしました。

明日から始まる車掌研修の準備をしながら、
この小さな網を使って夢をキャッチするのではなく、
どんな夢が現れてくるのかを想像していました。

その日の夜はなかなか寝付くことができませんでした。


おわり



『僕がなりたかった駅員への道』中篇

中篇「夢と現実。僕の葛藤」

一ヶ月間の研修が終わると、
いよいよ配属駅が決まります。
教師からひとりずつ名前と配属先を発表されました。
僕の配属先は、
井の頭線の吉祥寺駅でした。
仕事をするのならお洒落な駅がいいなと思っていたので、
とてもラッキーです。

それにひきかえ、
新宿や渋谷に配属された連中は、
困惑した表情でした。
繁華街の駅は何かとトラブルも多いし、
今みたいに自動改札では無かったので、
日本有数のターミナル駅での、
改札作業に恐れをなしていたのです。

この一ヶ月間の研修で、
ようやく心を開いて同期と友達になれたというのに、
離ればなれになるのは残念なことですが、
僕は駅員としての第一歩が待ち遠しくて、
仕方ありませんでした。
そんな浮かれた気分でいたお陰で、
紙袋に入れた制服を電車の網棚に忘れてしまい、
恐る恐る駅に申し出ました。

「茶色の“スーツ”を忘れたのですが」

駅員さんはニヤリとし、

「助役さん、持ち主が現れましたよ」

奥から角刈りの助役が出て来て、

「これはスーツとは言わないんだ!
 お前の顔は二度と忘れないからな!」

と僕の両耳を思いっきり引っぱられました。

それ以来、
網棚に荷物を置くのは一切やめました。

晴れて吉祥寺駅駅務掛を拝命し、
駅員のイロハを教えてくれたのは、
この春に高校を出たばかりの年下の先輩でした。
先輩から渡されたあんちょこを見てみると、
ずいぶん、事細かにスケージュルが組んであります。

吉祥寺駅、改札掛A作業ダイヤ

出勤、
駅長にお茶を出す(ぬるいと怒る)
昼食のそば・うどんの仕込み(大きな鍋でお湯を沸かす)
改札、
西友へ昼食と夕食の買い物(昼はうどん・そば、夜はおかず二品が目安)
調理(小姑が多く、目を離した隙に鍋の味を勝手に変えるので注意)
集札、
寝室掃除(マンガは捨てる)、
シーツ交換(マスクをしたほうがよい)、
昼食(材料費を出面人数で割る。代金は繰り上げしないとやってられない)
改札、
昼食後片付け、
夕食調理、
忘れ物帳簿点検、
集札、
夕食後片付け、
清掃(トイレ、ホーム、コンコース、テナント前)
改札、
夜食のオーダーを取る、
夜食買い物、
終車追い込み(乗り遅れ客が無いように)
シャッター閉め、
着替え、シャワー、
夜食後片付け(とっとと寝ないとキリがない)
仮眠、
起床、
改札、
集札、
掃除、
引き継ぎ、
勤務終了。

これが24時間勤務の内容です。
記憶を便りに大まかに書いたスケージュールですが、
駅員の仕事は、
“掃除と調理に始まり、掃除と調理に終わる”

ちなみに駅で見かける、
黄緑色のちり取り(ピンセット付き)の名前を、
「鉄道ちり取り」
と言って、商品名にもなっているぐらいです。

新米駅員の必須アイテムは、
この鉄道ちり取りと包丁で、
新米の調理は消防署でも行われています。

僕は早く改札に立って、
不正乗車を摘発する駅員になろうと思っていたのですが、
切符を切るパンチの練習より、
包丁の持ち方を覚えなければなりませんでした。

改札口に立っていると、
いろいろな人がこの通路を通り抜けて行きます。
不正乗車をする人もすぐに分かるようになります。
不正をする人は定期券面を指で隠したり、
慌てて改札を出ようとしたり、
目が挙動不審になっていたりするので、
改札の10メートル手前で判別がつきます。

キセル犯に「もしもし」と声を掛けると、
その場でお金を投げ捨てて去って行く人と、
逃走する人、二種類に分かれますが、
一度だけ逃走したキセル犯を、
駅の外まで追いかけて捕まえたことがありました。

キセル犯の身長は180センチくらいの大男でしたので、
一部始終を見ていたJR駅員も応援に来てくれて、
3人がかりで事務室まで連行しました。
JRの駅員は、

「俺もさんざん捕まえたけど、
 最近は刃物とか持っている客が多いから、
 あんまり無茶するなよ。
 弁当とケガは自分持ちってことよ。
 それにしても、
 最近の若い駅員は見て見ぬ振りが多いけど、
 お前さんもなかなかやるもんだ」

と声をかけて、
持ち場へ戻っていきました。
それをきっかけに、
JRの駅員が勤務を終えると、
僕らの職場に遊びに来るようになりました。

それまでは業務的な行き来はあったものの、
どこか遠目に見ている感じで、
世間話をするほどの関係にはなっていませんでした。

それからしばらくすると、
JRの駅員が職場にやってきて、

「今度、湯沢へスキーに行くから、
 小池君も一緒に来ないか?
 旅行センターの女子社員も来るよ」
とても魅力的な誘いでした。

僕はスキーよりも、
“旅行センターの女子社員”に惹かれて、
ガーラ湯沢に行きました。
さんざんスキーを楽しんだあと、
お互いの仕事の話になりました。
旅行に来てまで仕事の話をするのは如何なものか?
となりますが、
僕にとってはとても興味深い話が聞けたので、
旅行センターの女子社員にお酌をするのも忘れるほど、
鉄道の話に夢中になってしまいました。

スキーから帰ってくると、
僕はいつもの改札口に立っていました。

改札口はキセル犯も学生も、
疲れたサラリーマンも通りますが、
まれにとってもかわいい女の子が通ります。
他の駅員も彼女のことは熟知しており、
ある先輩は、
定期券面の名前を一瞬にしてスキャンしていました。

「○○子。今のところ、ミス・井の頭だな。
 この駅の一日の乗降者数を知っているか?
 14万人だよ、14万人。
 男女を半分に分けても7万人だ。
 ということは7万人の女性の中で、
 いちばんかわいい、ということだ」

先輩も○○子がお気に入りの様子でした。


つづく




2007/08/31

『僕の見習い車掌日記』 〜師匠の教えの巻〜

2007/08/27

『僕の見習い車掌日記』 〜乗務区研修の巻〜

2007/08/22

『僕の見習い車掌日記』 〜車掌研修の巻〜

2007/06/01

『僕がなりたかった駅員への道』後篇

2007/05/25

『僕がなりたかった駅員への道』中篇
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