9月5日今週の朝礼『ノーモア宿題』

 もう9月ですよ。こうなると8月は一体なんだったんだってことになりますよね。
 夏休みなんてそういうものです。
 でもご安心ください。宿題なんてもんは、やったから立派だとか褒められるとかいう類いのものじゃなくて、やらなかったからその分巻き返さなきゃなと思えば、それで十分宿題の存在は成立するものなのです。

 そもそも宿題なんてもんは、40日もの夏休みの中で少しぐらいは机に向わせなければならないでしょ、というゆる〜い規律を文部科学省が各都道府県の教育委員会に押し付けて、それを各校がまともに受けて、別にやろうがやろまいがどっちでもいいのに、とりあえず的にできあがった夏休みのルールみたいなもの。
 私学は私学で夏休み中に勉強させとかないと非行に走られて学校の評判が落ちるからという、まぁ大人の勝手なエゴみたいものから誕生したものだから、それを本気でどうこう言ってくる先生もそうそういるとは思えないし、現に宿題をやらなかったからといって死刑になるとか留年するとかという話なんて一切聞いたことがない。
 本当に勉強したいやつは休みじゃなくてもやるだろうし、やりたくないやつは学校や塾に行っても問題と答えが右の耳から左の耳へと抜けて行く。それが現実なのだから、大切なのは宿題よりも個人研究なのである。
 かといって毎日何かを観察してノートに書き溜めるということではありません。研究とは、興味ある物事に対して観察、確認し、それを経験とする作業である。多少スケベなことや、タバコ吸ったり酒飲んだりケンカすることだって、十分な研究なのです。
 そうして『経験』と言う名の個人研究をしたら、それを一度自分の懐にしまい込んで、部屋に持ち帰り、その事実(研究)と向き合い、ときに反省しながら、さらなる研究課題を見つけていけば良いのである。

 勘違いしてならないのは、親や先生に逆らうことが目的ではないということだ。あくまでも自分が関心あることを自分の手と足で探し、そこに向い、そこの空気を体験するということが目的だということを忘れてはならない。結果的に親や先生に迷惑を掛け、自分も反省し後悔したとしたら、それこそが最も大切な経験ではないか。この無茶苦茶な世の中で、やってはいけないことを知るということは何事にも代え難い財産であり、やがてそれは大切なモラルとなる。
 もし、この国の学校教育に、夏休みの宿題よりも夏休みの個人研究の方が大切で、しかもその内容はまったくもってなんでもありという方針が各都道府県で実施されていれば、理不尽極まりない殺人事件は激減しているに違いない。やってしまってから知る現実なんてものほど残酷で意味がないものはない。やる前にブレーキをかけることができる青少年をつくるには、なんでもそこそこやらせること以外に方法はないのである。

 山口百恵の『ひと夏の経験』は、30年以上も昔に今日のダメダメ日本列島を予言して唱われた、若者達の教科書であることを忘れてはならないのである。



8月9日今週の朝礼『原子爆弾』

 広島に続き長崎に原爆が投下されて62年が経つ。
 単なる想像ではなく、もっともっと具体的にその瞬間を想像したら吐きそうになった。記録に残っている映像やドキュメンタリー風の映画とかテレビドラマではなく、本気でその瞬間を想像したらとてもやりきれなくなった。

 原爆が投下される3秒前。それまで普通の人間として当たり前に暮らしていた人々が、その一瞬ですべてが無くなってしまったのだ。その人の命もその人が暮らした場所もその人の記憶も思い出の品もなにもかも。残されたものは、奇跡的に助かった「その人」を知っている人たち。その人たちの中だけにその人の記憶は残される。
 けれど、その記憶ほど残酷なものはない。ましてその人を慕っていた気持ちがあるとするなら、その記憶は地獄である。
 
 62年後。地球人は何をやっているんだろう?原爆を墜とした国と墜とされた国が仲良くなったのは結構だが、本当の友好ははるか彼方にあり、全世界中で核兵器が外交手段の切り札となり、宗教さえも武器となっている。そんなバカげたことが膨れ上がって異常気象どころか異常惑星になりつつある。
 
 ぼくの爺さんは戦争で死んだ。もちろん顔は知らない。どんな人だったのかも知らない。知っているのは、台北で軍人をしながら教師をしていて、中国大陸で戦死したということだけ。そんな爺さんの話をしてくれた父親も死に、父親を知っている人たちも少なくなった。
 記憶の語り手は途絶え、真実はやがて想像へとシフトしていく。真実が教科書の中にあるとしても、それはあくまで紙の中。そこから掘り出して自分の心に付着させることは困難である。
 であれば、とことん想像しよう。どれだけ悲惨でどれだ悔しくてどれだけ痛くてどれだけ泣けて、どれだけ泣いてもきりがなくて、どれだけの絶望があったのか。そして62年後の今、僕らはそれをどう受け入れて生きていけばいいのかを、力一杯に具体的に想像するのだ。

 そんなちっぽけなことが本当はすごく大切なことなのかもしれない。
 少なくとも僕はこの前、早朝の原爆ドームでそうすることを誓いました。

 ひと夏ごとに、平和な日本に近づけますように。平和な地球に近づいていけますように。
 心より祈っています。
 そのために、僕はずっと想像します。



7月31日今週の朝礼『8月という哀しみの季節』

 8月。どうですか? 元気にやれそうですか?
 7月を迎えた時にはなんだかとても気持ちよくなりました。訳もなく高揚感に包まれ、カレンダーの日をめくるだけでちょっとした充実感をもったりして。これが7月にしかない夏の魔法なのかもしれません。それもそのはずです、なんせ『夏休み』という特別な時間が迫り来るとあらば、自然と毛穴から体内のバイキンが放出されて、嫌なことなんか全部リセットできるような気分になれたからです。
 ところが8月となると、すでに夏休みも2週間ちかく消化されて、いや、消化にはほど遠い、ただただ怠惰な時間を過ごしただけの話なんですが。とにかく8月の声を聞くと、ちょっとした不安や焦りなんかも発生するんですな。
 つまりこういうことです。これから始まろうとする夏休みを前に、“40日もあるんだ。この夏にはきっといろんな何かが僕を待ち受けてて、その何かのなかで僕は特別な経験を積み、やがて夏休みが終わった頃には、40日前とは格段と違う僕に成長している”という自分勝手な妄想に包まれていたのですが、実際夏休みが10日ほど過ぎたあたりから、“あれ、おかしいぞ。何も変わらん。それどころか、前よりもダラダラで時間が無駄に過ぎてるだけじゃん”というダメダメ包囲網に引っかかって、そんな自己嫌悪地獄から抜け出せない奴は、友だちと会う気力も失せ部屋に閉じこもってカーテン閉めっぱなしでオナニー漬けになるか変態メールを送り続けるか、あるいはリスカ系のネガ小説を読みふけるかのいずれかになってしまうわけです。
 そう思うと部活動ってありがたかったですね。それやってるだけで、緊張したり興奮したり責任感じたりしくじって後悔したり、とても感情的な日々を送ることができるわけですから。まして多数の人たちとの交流もあり、孤独を感じることさえもなく、健やかに時は流れていくのですから。
 
 夏とはそういうものです。夏を迎えようとする時期こそが夏のピークであり、梅雨が明け太陽が毎日頭の真上でギラギラと輝きはじめた頃には、そこにはもう厳しさしか残されていないのです。

 ユーミンはこう言いました。
『夏の中にも12の季節がある。一年をかけて過ぎてゆく時間と景色とそれに揺れ動く感情が、夏という時間の中には詰め込まれている』

 つまり、この夏の中でもう秋風が吹きはじめているのです。
 それをつまらないとか物足りないとかいうことは自由です。
 ただ、そんな12のストーリーを持つ夏の刹那を感じてこそ、この夏はあなたにとってかけがえのない時間となるのです。

 気がつけば僕らはとっくに夏休みとは縁遠い大人になってしまったけれど、それでもずっと心の中に流れる『夏休み』という時間軸の中で、僕らは今年も残された夏を過ごして行くのです。
 夏。残酷な季節の中で、あなたはどんなあなたになっていくのでしょう。
 9月になる頃に、そっと確かめてみてください。

 それでは残酷で素晴らしい8月に、いってらっしゃい!



7月2日今週の朝礼『じゅらい』

7月という響きが大好きであります。
憎めないんですね、この耳障りが。
7月。たとえばこんな感じ。
風邪引いて寝込んでいて、夜中にうなされて、
汗をダラダラかいて寝苦しい真夜中を過ごしたけれど、
部屋の東側にある小窓のカーテンの隙間から射し込む光に無理矢理起こされて、
しばらくまぶしそうに目をこすっているうちに、気分がスッキリして
「あれ?治った」って、そーゆー感じです。
それぐらい僕の中では7月という響きが好きです。
もちろん根拠もなにもないですよ。夏だって特別好きじゃないし。
けど、やっぱり、もうすぐ夏休み、もうすぐ真夏、
もうすぐなにかが始まるかもしれないという気がして、
この歳になってもう一度グレたくなる気分です。
 
僕はこの夏にどうしてもやらなければならないことがあります。
それはある意味、45歳になろうとする僕にとって「夏休みの宿題」かもしれません。
「ある人と僕たち」という小さな宇宙が永遠であることを確認するために、
僕はこの夏、はじめて本気で宿題にとりかかるのです。

誰もがかけがえのない夏休みの宿題を抱えて、
グッとくる夏をお迎えください。



6月26日今週の朝礼『ミートホープも、また先生』

ミートホープの一件はまさしく人間関係のそれと同じだ。
「多分、大丈夫だろう?」から「大丈夫だ!」に、やがて「大丈夫って言ってるだろ」に変化して、
最後には「大丈夫じゃないけど、なんとかなる」へとシナリオは急展開する。
ひとつのウソからはじまった小さくてバカな物語は、
ゴロゴロと勾配を転げ落ちるほどに手の付けられないところに堕ちてゆく。
恋愛もそうだし友情もそうだ。
最初のほんの小さなウソが最後には命取りになる。
人は誰もが人生の主役。それは好調のときばかりでなく不運のときも同じだ。
せめて人様から後ろ指をさされない人生劇場を演じたいものである。
そう思うと、あのニヤついた社長の姿は、ある意味、この時代の教科書ともいえるかもしれない。

社保庁、コムスン、ミートホープ、つぎはどいつだ?
もう教科書なんか要らないぞ。




2007/09/05

9月5日今週の朝礼『ノーモア宿題』

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