3月12日今週の朝礼『孤独について』 

悩みは孤独を誘発させる。
あー孤独。孤独孤独、ひとりぽっち。
こんな気持ちを抱いてるのはきっと僕だけだ。
目に飛び込んでくる人たちの姿はどこか楽し気に映る。
みんなとても幸せそう。それが耐えられない。
哀しく辛いのは僕だけだ。
だから部屋に閉じこもってひとりでいよう。

こういうことを「孤独」と思っている人が多いようです。
世間から逃げ隠れ潜むことを「孤独」という言葉で
安易に片付けているようです。
失敗したら孤独、嫌われたら孤独、やる気をなくしたら孤独。
孤独孤独、孤独のバーゲンセール。
そんな人たちは孤独の神様から大いに叱られましょう。
孤独とは負の意識だけに与えられる言葉でも、
自我を背中にしまい込むことでもありません。

「孤独」とは逃げ隠れて独りになることを意味するのではなく、
人のいる場所に身を置いてはじめて感じる、
自分の内側からの声なのです。

あなたを含む100人の人間がいたとしたら、
99人の人には色がついていて、自分だけが白黒に感じる。
例えばそういうことを「孤独」としましょう。
そこで、考えてみてください。
あなたが100人の中で独りだけ違う色や空気を放っているとしたら、
それは孤独であるとともに、中心でもあるのです。
そういう思いは、他の99人にはない感覚なのかもしれません。
あなたの価値観や感覚が主役で、
あなたの立ち位置からなにかが動きはじめることもあるということなのです。
その場所から自分の色を薄めながら99人の輪の中に入っていくも良し、
あくまで自分の色を際立たせ続けるも良し。
考えてみれば「孤独」は贅沢な産物なのです。

それでもあなたは部屋にひとり閉じこもりますか?
「孤独」と偽ったひとりよがりを続けますか?

悩むことで個人は確実に伸びます。
自分ひとりが違うと感じることで個性は芽生え育ちます。
だから人と会うのです。
会った方が良い。いつも。いっぱい。
人と会って自分の「個」を感じ掴まえるのです。
大体、悩みなんて人に話したら50%は消えてしまうものです。
しかも悩みを聞かされた誰かは、
あなたの悩みを自分に置き換えることで、
感覚や感性までもが成長します。
 
悩みは財産です。孤独は成長の礎なのです。



3月7日今週の朝礼『衝動買いのススメ』

 最近は物欲がないですね。物欲がないといろんなことを研究しなくなります。雑誌を見てああだこうだ、街へ出てショップを覗いてああだこうだ。だいいち衝動買いがなくなります。衝動買いとは街を歩いてショップやウィンドウを覗いてなんぼの代物だから、街歩きをしなくなればそういう衝動を起こす状況に身をおかないということになるから当然ですよね。衝動=ときめく心=ひとめ惚れ。つまり大切な恋心さへ見失っている毎日にぐったりです。
 そうなると毎日のコーディネイトにも工夫がなくなり、一週間ぐらい同じ服を着ても平気になってしまいます。自分は平気でも人から見たらつまんないでしょうね。ひょっとしたらそこにこだわりを感じてくれる人もいるかもしれませんが、それほど好意的に見てくれる人がいるとは思えません。オシャレって、何をどう着るかということも大切ですが、毎日いろんなアイテムを取り替えて、新鮮な気持ちで一日を迎えるためには不可欠な要素なのかもしれません。
 そこで僕は思いました。物欲がないからこそ街に出る。ショップを覗く。洋服をフィッティングしてみる。うーん、面倒くさい。もともと欲しくないからかなり億劫である。けれどときめく心をなくしてしまうのは哀しいから、とりあえず目に飛び込んで来た洋服をフィッティングする。「じゃMサイズで」。カーテンをぴしゃり。よっ、はっ、とりゃっ。ダメだ。Lに換えてくれ。それにしてもなんでMがピタTになってしまったんだ。それを知らなかったのは自分だけで、人は僕のことを明らかにMサイズの入らない人だと見ているに違いない。
 自分の知らなかった自分をすでに人は知っている。そこが落とし穴であり確認なのだ。
 物事に関心がなくなっていくうちに自分はどんどん変わっている。変わる方向は明らかにマイナス方面である。物欲が無くなればこそ街に出よう。たまには洋服屋さんの新作に袖を通してみよう。自分の体型や気持ちに「マズイ」と感じたらまだ未来はある。
 街はリハビリステイション。枯れ木につぼみがつき花を咲かせるように、弱った心にも春は訪れる。
 ついつい買ってしまった3万円のウエスタンシャツ。似合う似合わないよりも先に、衝動的に買ってしまった気持ちがなんだか嬉しい。サイズはもちろんMである。



2月20日今週の朝礼『遺書』

 プロ野球選手やJリーガーは来るシーズンに備えてキャンプに臨み、自身を痛めつける、云うなればMな季節。痛いイタイがやがて快感となり自信となり、さらには性癖や人生訓にまでも発展してしまう自己アイデンティティ確立の時。
 この季節が一番ツライ。もちろん私もツライ。アスリートではないから身体を鍛えることでそう言っているのではない。まして鍛えていないし。重力に逆らう事よりも従うことに人生を見いだした昨今、ダンベルやプロテインよりもガリガリ君とこたつが愛おしい。
 さて、私がツライのは例によって花粉症だ。今年は例年より飛散量が大幅に少ないとニュースは言っているが、そんなセリフは花粉症に冒されていないノー天気な花粉健常者の言うことであり、国にレベル5と申請したいほどの重症患者な私にとっては、大気中にケロリン一服ほどの杉花粉が舞ったとしても、確実にクシャミだけで腹筋を鍛えるだけの自信がある。
 つい先日も首都高を浦安方面に向かってレインボーブリッジを走行していた時に12発ものクシャミを連打し、その勢いでハンドルがブレて用も無いのに本線を外れ台場出口へと向かってしまった。高速を途中下車してしまった悔恨の念を少しでも和らげるべく、プチ観光と言い聞かせてこれまた用も無いのにお台場名所の自由の女神の脇を走行してみたが、あまりに中途半端すぎて余計にやりきれない気持ちになってしまった。
 高速の出口を間違えるほど落ち込むことはない。これほどまでに700円が惜しいのかとキツく膝を叩き、自分のケツの穴の小ささを実感した瞬間でもある。まして意志とは別にクシャミによりハンドルを関係ない出口へと導く花粉症の悪戯に、そのまま東京湾にスローモーションでダイブして人生に終止符を打ちたいようなネガティブな気分になってしまったのである。

 石原都知事は本気で花粉症対策を考えているそうだが、だとすれば日曜日にマラソンやる前になにかしてほしいというのが一都民として本音であります。

 私がそんなことをぼやいたところで何も変わるはずがない。それが東京だ。それが日本だ。
 だから私は明日、花粉症の手術をします。
 心配も不安もない。昨年も同じ時期に鼻腔にメスを入れている。あるのは手術の翌日からの踊りたくなるような未来とほんのわずかな恐怖だけだ。
 ウソです。わずかな、、というのは大嘘です。ものすごく怖いです。できればやりたくないです。けど、やらないとゴールデンウィークまで地獄のような日々が続くので仕方なく決行です。
 ただ、黙してその日を迎えるのはもっと怖いのでこうして文字を綴っておきます。
 こうなると遺書のようなものですね。もちろん万が一のことも考えています。もともと私は傷みに弱く、それよりもっと弱いのは、オペの前に行われるオペ用具の点検とか、医師と看護婦の間で執り行なわれる専門用語での会話とか、目を見開いておけばシルバーに輝くオペグッズが見えて怖いし、目を閉じると余計な想像をしてオペグッズで殺されるような気になるし、かといってジタバタすると子供扱いされて本当に悔しい思いをするし。だから余裕もないのに下らないダジャレとか言って医師と看護婦の笑いを取ることだけに専念してしまう。こいつらが笑ったら、少なくとも人間としての意志があるのだと言い聞かせ、わずかではあるが自分への慰めの材料としてシフトさせるのだ。ところがダジャレを言っても笑わない医師や看護婦は、それこそ鬼にしか見えなくて、もちろんダジャレのレベルにもよるのだが、笑わない医師や看護婦には余計なところまで切り刻まれてしまうのではないかと、どうしようもない恐怖に襲われてしまうのだ。
 想像ほど怖いものは在りません。写真やビデオよりも絵や文字の方が怖いのはその証拠です。絵や文字を描く人の中に気狂いみたいな人が多いのは、つまりそういうことです。

 これは遺書です。生きる死ぬではなくて、オペ後の自分に宛てた遺書です。
 実は飛行機に乗るときも毎回こうして遺書を綴っています。

 みなさんもツラくてやりきれない時にはそのダウナー具合を文字にしてみてはいかがでしょう。
 それを乗り越えたときに「遺書」を読み返してみると、人間のいい加減さにあらためて気づくかもしれません。自分のことを本当に繊細極まりない人だと思っている人は余計にお薦めです。
 そういう人に限って“弱ってる時の自分も可愛い”なんて思うものです。
 つまりそれも「M」。どっかで自分を楽しんでいるのです。
 そうやってなんとか手術の恐怖を緩和しているつもりですが、やっぱり怖くてしょーがないです。
 ということで今回の遺書は終わりです。



2月8日 今週の朝礼『柳沢問題について』

 柳沢厚生労働大臣、ボコボコですね。なんであそこまでやり込められるんでしょうかね。民主党の元国営放送のアナウンサーだったって女性は、“私も言葉で商売してきたから許せない”というようなことを言ってましたが、それとどんな関係があるんですかね。
 アナウンサーの、しかも国営放送ときたら、言葉は伝える道具ではあるけれど、自分の意志を伝達しているわけではないでしょ?もともとアナウンサーはニュース原稿を読むための職業であって、そこに個人の意志を添えるような立場にはないわけだから、いくら言葉で商売してきたからといって、それを誇張するのはちょっとおかしい気がします。
 もちろん政治家たるもの、私情感情だけで公式発言されては困ります。なにせ議員先生のお給料は我々が払っているのですから。けれど、柳沢発言の社会的現象を見ていると、どこか学校教育における体罰問題と重なって仕方ないのです。
 わかりやすく言うなら、「ヘタなこと言っちゃいけない」という呪縛が強すぎて、議題を進展させるために必要な本音や本質が論議されないようになってしまう懸念があるからです。
 もともと国会議員なんてのは本音を言いたくても言えない立場にあるのに、そこに柳沢問題勃発で、それこそ口先サミットで何の核心にも触れず、一議会につき約一億五千万円以上といわれる国会の費用を我々小市民は負担する事になるのだから馬鹿馬鹿しくて仕方ありません。
 体罰問題だって、とにかく「殴ったらダメ」という部分だけがひとり歩きし過ぎて、それを利用してバカな生徒たちが好き放題に暴れて、学校がむちゃくちゃになったわけでしょ。イジメ問題だって中高生の凶悪犯罪だって、殴られる意味と傷みを知らない世代に圧倒的に多いわけで、つまりは殴ることも教育の一環であるという本質が砕かれ、殴ること=体罰という、わけのわからない定義だけが広告のキャッチコピーみたいになってしまったから始末に負えないんでしょ。
 本音の時代、何処行っちゃったんですかね?確かに行き過ぎたりする場合はあります。
 けれど本当に物事を良い方向へ導こうとする場合、時に殴ることは意味を持ちます。深層真理をつくための本音発言には意味とエネルギーが宿ります。決して柳沢大臣を擁護しているのではありません。確かにあの方は、ちょっと軽卒だと感じました。どういう結果になろうともミソギの旅は続けるべきです。
 それにしても、7月の参議院選挙を睨んで、ピンポイントで与党のアゲアシをとるための国会って一体?
 僕には国会議事堂で議論されていること自体が、「イジメ」であり「教育問題」に映ってしかたありません。



2月2日 今週の朝礼『私小説家』

 我がサイトには「小池さん」と「ニシ」というふたりの小説家がいます。他に「武田篤典さん」という書き手もいますが、彼は今をときめく売れっ子ライターなので、詳細や感想は割愛させていただきます。

 小池さんとニシ。ふたりとも文筆などとはほど遠い職種の人で、そもそもふたりに書いて欲しいと依頼したのは僕の単なる思いつきからでした。
 ところが思いつきなことでも芯を突くことがあるもので、これを直感というのかどうかは別として、とにかく小池さんとニシの文章には味わい深いものがあるから驚きました。
 文章的なことや文法的な事を編集者の僕が言うのもなんですが、基本的には人を傷つけたり誰かに迷惑をかけなければ何を書こうが良いと思っています。でなければ文章のヴァージニティが薄れてしまうからです。プロの書き手ならともかく、ふたりは汚れなき透き通るようなシロウトです。
 
 小池さんとニシ。ふたりには素晴らしい過去があります。勲章をもらったとか、何かで一番になったとか、そういう類いのものではなく、彼らと飲んでいるときに本当に愉快に話してくれる素晴らしい思い出話がたくさんあるのです。
 そんな彼らの朗らかな瞬間を見聞きしているうちに、彼らの言葉には映像がついて、さらにその映像には音楽がつき、流れるような文章がチラついたのです。
 ひょっとしたら言葉というものは文章そのものなのではないのでしょうか? ならば時間とともに記憶から遠ざかり、脳みそにこびりついたとしても事実とすり替わったりする言葉の記憶よりも、文章として記録してみるのはどうでしょう?
 小池さん、ニシくん、文章を書いてみませんか?
「はい、よろこんで」
「ありがとう、では明日からヨロシクお願いします」

 実は僕自身もその昔、あるベテラン編集者のひとことでライターになる決心がついたのです。
「クリちゃん。あなた、そんなにのびのびと愉快にお話できるんだから、そのまま文章にしてみたら?」

 居酒屋でともだちや恋人とお喋りしていることも、家族とこたつを囲んで談笑していることも、すべてが小説なのです。ニュースを見てもネットを見ても暗いことや下らないことばかり。そんな時には自分の記憶の引き出しをかきまわして、ボクやワタシを主人公にした小説やエッセイを書いてみましょう。
 過ぎた自分の時間を旅することは、きっと今起きている現実をより深く視ることにもつながります。

 たとえ今、未来が閉ざされたと思っていてもも、楽しかった過去が在る。
 たとえ今、死にたいくらい哀しい時間を送っていても、楽しかった過去と、そこからつながっている未来が在る。
 思い出したくない過去があったとしても、それを乗り越えて生きている今が在る。
 
 さぁ、文章を書きましょう。自分の人生やあの頃の時間を旅してみましょう。
 すごく人間的なあなたに出会えるはずです。

 読者はあなたひとりでじゅうぶんです。




2007/03/12

3月12日今週の朝礼『孤独について』 

2007/03/07

3月7日今週の朝礼『衝動買いのススメ』

2007/02/20

2月20日今週の朝礼『遺書』

2007/02/08

2月8日 今週の朝礼『柳沢問題について』

2007/02/02

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