センチメンタル・コラム 「ポロリ。あの唄、あの匂い…」



「誘われてフラメンコ」 郷ひろみ
誘惑って誘拐と同じぐらい悪い事だと思ってたのに、
大人は誘惑されると心ときめいちゃって、
“変だなぁ大人って”って思っていた僕自身が、
大人になった今では毎日誘われてフラフラ。
けれど甘い罠だとわかっていながら足を踏み入れる勇気と
好奇心があってこそ男は永遠に男のコでいられるもので、
ドキドキしない恋や罠のない人生なんて、
気の抜けたビールのようなものだということを
19歳の郷ひろみが教えてくれた。


「キャンディーズ」 キャンディーズ
キャンディーズか?ピンクレディーか?それが問題だった。
時には答えをめぐって流血騒ぎにもなった。
さらに三人の中で誰が一番可愛いかでまた流血。
ランちゃん派とスーちゃん派は乱闘になるのに、
ミキちゃんが一番という奴にはなぜか血が騒がなかった。
そんなバランス感覚の良さこそがキャンディーズの魅力だった。
コンサートでしか聞けないこの曲を知ってるかどうかで
ファン度は試され、さらに究極のファンはこの曲から
『ハートのエースが出てこない』へとリレーするグルーヴに
熱狂し拳を突き上げた。


「失恋レストラン」 清水健太郎
「ポッカリあいた胸の奥に つめこむメシをたべさせる」
まるで戸塚ヨットスクールみたいなマスターに
失恋の悩みを打ち明けるのもイカれてるが、
ギターを膝に抱いて熱唱する健太郎の
尖ったアゴが妙に心に突き刺さって、
あえて両想いより失恋に憧れたあの頃。
ツッパリ=リーゼントという定義をぶっ壊した健太郎カットだが、
要はパンチパーマを上向きではなく下向きに
グルグル巻きにしただけのものだった。


「東京ららばい」 中原理恵
深夜ラジオの向こう側に東京を感じた。
憧れて憧れて、どうしようもなく東京に憧れて
張り裂けそうになってたあの頃。
えっ、華やかな都会には夢がない明日がない?倖せが見えないって?
これから東京に旅立とうとしてるのに、どうしてそんなこと言うの?
グリースで固められたショートへアを頬杖の上に乗せて、
中原理恵が微笑んでる。失恋や涙もロマンだって、
そんなことニキビ面の高校生に言ったってわかる訳ないよ。
だけど俺は東京へ行く。
そして23年たった今、僕はやっぱり東京にいる。


「魅せられて」 ジュディ・オング
よく考えればムード歌謡の豪華版という感じがしないでもなかったが、
ジュディ・オングのレースのカーテンのようなドレスとマンドリンの
調べが妙にリゾート感を運んできてなんか気持ちよかった。
そういえば曲の舞台はエーゲ海だったなぁ。
阿木耀子独特のおしゃれなエッチ感が詩われてて、
ジュディのUh…Ah…ってため息がいつまでも耳から離れなかった。
『ザ・ベストテン』でジュディ・オングと黒柳徹子が並ぶと
目が悪い人はどっちがどっちかわからなかった。


「雨音はショパンの調べ」 小林麻美
小林麻美だから感じた。彼女だから、怖かった。
可愛いとか美しいとか、そんな単語でしか
女性の魅力を表現できなかった頃、彼女の囁くような仕草に、
妖しさという女性の新たな魅力を憶えてしまった。
時にバブル絶頂期。こんなオンナをモノにできるのは
金と地位のあるオヤジしかいないと思い、
何もない自分を卑下したものだ。
長い黒髪に纏わりつくような彼女の瞳が、
“早く大人になりなさい”と僕を子供扱いする。
いつかショパンの似合う男になってやる。
そのとき僕の隣にいるのは、アサミ、君だ!
それが僕らのバブルへの挑戦だった。


「そして僕は途方に暮れる」 大沢誉志幸
CMにこの曲を採用したことからカップヌードルは
単なるインスタントラーメンではなくなった。
湯気の向こうにある悲しみやせつなさを麺といっしょにズズッとすすると、
胸の奥まで温もりが木霊して、途方に暮れた僕の指先で
フォークに巻かれた麺がささやいた。
“いつまでもボーッとしてたらのびちゃうぞ”。
恋も仕事ものんびりしてたら逃げてしまうことを、
カップ麺から教えられた80年代。やがてミスチルへとつながっていく
カップヌードルのドラマは、このとき始まった。


「さよならの向こう側」 山口百恵
“アイドルだって大人になっていくものなの。ゴメンね。わたし、行かなきゃ”。
爛漫に花を咲かせたままマイクを置き背を向けて
遠ざかって行く百恵ちゃんの背中。
それは80年代という時代の幕開けであり、
僕たちが子供を脱ぎ捨てるための儀式だった。
夢を与えたディーバはひと筋の涙とともに
時代の扉の向こうに消えて行ったけど、
日本中の誰ひとりとして彼女を責める事はしなかった。
「後姿 見ないでゆきます」。
彼女の決意に、すでに伝説は始まっていたのである。


『XROSS ACT2 DOGWOOD Club』 (SME)



夕暮れ時のミラーボール



「にがい涙」スリー・ディグリーズ
テレビに出てくる外人で日本語を話せるのはロイ・ジェームスとデストロイヤーしかいなかった時代に、突然スリー・ディグリーズが日本語で『見てたっ はずよっ…』って。意味の分からない英語の歌詞ならハハンハハンってリズムに乗って洋楽カブレしてればよかったけど、3人揃いのドレスで生々しい日本語で男と女の隙間みたいなところを歌うもんだから、厳格な父親は「こんな番組見ちゃならん!」とチャンネルを変えた。ところが変えられたチャンネルに映し出されたのは『プレイガールQ』だったりして、親父はどうフォローしていいかわからずブチっとテレビの電源を切って二階の寝室へ直行した。消されたブラウン管に走るチチッっという静電気が、彼女たちの余韻を残していた。


「その気にさせないで」キャンディーズ
キャンディーズは意地悪なお姉さんたちだった。『年下の男の子』とか『内気なあいつ』とか、どこまでも僕らを安心させといて、無邪気にお姉さんの部屋をのぞいたら、ドアの隙間からどこか苦みの混ざったコロンの香りが僕の鼻に木霊した。制服を脱いだお姉さんは僕の手の届かないところに行ってしまうんだ。だったらせめて制服を来たままでいて。それがだめなら、その気にさせないで。これ以上僕らの心を揺らすのは、僕らの脳髄をピンク色に染めるのは、お願いやめて!「そんなつもりじゃないの。でも、傷ついたんだったら、ごめん」。ぺこりと下げた髪の匂いがまたまた僕を破壊した、中学生という純情…


「ファンタジー」岩崎宏美
学校帰りの田んぼ道。あのコと夕暮れの中、家路を辿ってる。手をつなぎたいのに、僕の手のひらときたら恥ずかしがってポケットの中でもぞもぞと照れ隠し。勇気を出してサッと彼女の白い手を奪おうとしたら、焦った手のひらがこともあろうに彼女の胸のスカーフにタッチした。「あ、ごめん」「ううん、へいき」。沈黙と静寂の中で僕の心臓とあのコの心臓が蛙の鳴き声よりも大きな声で泣き出した。キスなんて、まだまだ遠いおとぎ話の夢の中。ファンタジーとメルヘンと、そして現実との狭間で揺れる恋心。『恋ってね、苦しくなることの方が多いんだよ』。歌詞の裏側に隠された岩崎宏美のメッセージに、また恋をした。


「セクシー・バス・ストップ」浅野ゆう子
「いつものジュークBOXかけても、あなたはいないのね」。
心はずむラブソングが、今夜はなんだか哀しい雨音に聞こえるのは、やっぱりあなたがいないから?隣では仲のいいアベックたちがボーリングをして愉しそう。羨ましくなんかないよ。だけど…だめだめ、ラブソングで流す涙は幸せな涙って決まってるんだから。よーし、踊りにいこ。ミラーボールの輝きは悲しみを忘れさせてくれるから。「ねぇ、あなたひとりで来てるの?だったら私と踊ろうよ」。カチューシャをしておでこを見せた浅野ゆう子が私の寂しさを笑顔で埋めてくれた。「じゃ、私の役目はここまでね」。背を向けて去って行った浅野ゆう子の後ろには、あなたが笑いながら立っていた。バカっ、もう一回泣いちゃうからっ。


「リップスティック」桜田淳子
淳子20歳。俺16歳。彼女オトナ。俺ガキ。『白い雨に くちべにだけ赤く』。恋の階段をひとつずつ昇っていく彼女の背中は、恋に憧れているだけの俺には遠すぎる。赤、青、黄色。原色しか知らない俺の感情が、彼女の背中を追うことでいろんな色が混ぜられてすこしずつ切なさが彩られていく。紫色や淡いグリーンやはにかんだピンク色は、戸惑いやもどかしさを憶えたせい?いやだ、パステルカラーなんてわからない。どこまでも原色の恋がしたいのに、何色を足したって俺の思いは薄まらねーぞ。俺の叫びが淳子の背中を通り抜け彼女の心の扉をノックした。「バカね、ほら、私のくちべにだって赤いでしょ」。どんどんはまり込んでいく恋の罠に、僕の心は真っ赤っかに染まった。


「バンプ天国」フィンガー5
曲の出足は何回聴いても『東鳩キャラメルコーン』のCMと聴き間違えてしまうが、アキラくんが歌いだしたら急にソウルフルな雰囲気に包まれて。なんてゆーんだろうなぁ、あのリズム。ジャクソン5じゃ醸し出せないフィンガー5ならではの喉に絡みつくような甘ったるさが、通知表の評価の悪さをどっかへ吹き飛ばしてくれた。フィンガー5のリズムって、とても味覚的で、そうそう、あの甘さってバニラアイスの上にプリンのカラメルソースをかけてちょこっとナッツをのっけた感じ。大人になるまでの僅かの時間の中でしか許されなかったチャイルドソウルだったけど、彼らを知ったおかげで学園は天国になった。


「胸さわぎ」優雅
ディスコティックなサウンドを台湾出身の優雅(ゆうや)が歌うことで、どこか不思議な世界観がつくりあげられ、日本歌謡界は未知なる航海をはじめた。後のテレサテンにつながるプロローグは、日本人には匂いたたせることができないアジアレディの哀しみと逞しさを同時に表現した。不安?そりゃあるわよ。だけどずっとここに居るのなら私は旅に出る。空路でもなく陸路でもなく、ただひたすら波に揺られて東へ向かうの。楽しいだけの恋なんていらない。どんなに苦しくたって私の恋心だけは私を裏切らないから平気なの。信じることで自分を強く持とうとする健気なキミだけど、本当は海よりも優しいコだっていうこと知ってるよ。


「いい娘に逢ったらドキッ」伊藤咲子
伊藤咲子の歌唱力がありすぎて、せつない思いが高速回転で元気な応援歌になってしまったというミラクルな曲。誰もが恋する気持ちの切なさを歌に求めていたときに、まるでジュリー・アンドリュースのように「ドレミファソラシド」って魔法をかけてフォークダンスの世界へと導いたことは恋のノーベル賞に値する。ただ伊藤咲子の歌ってるシーンがどうしても『スター誕生!』の生放送が行われていた渋谷公会堂の客席の一番後ろの扉の前という印象しかなくて本当にごめんなさい。そしてもうひとつ。伊藤咲子と初代コメットさんの見分けがつかなかったのは僕だけでしょうか?


 「ディスコナイツジャパン」(SME)



「Reincarnation(輪廻)」



「見上げてごらん夜の星を」

見上げてごらん夜の星を。
そこには坂本九の笑顔がある。
これ以上の笑顔、どうやったら作れるのというほどの九ちゃんの微笑みが、夜空の真ん中でキラキラ輝いている。

星空を見上げることをしなくなってしまったひとたちの心に笑顔はあるのだろうか?
目を凝らして、ジーッ。ようやく見つけた黄金色の光に君は何を思うのだろう。
スイッチひとつでほとんどのことが可能になった時代、その代償として夜空の星たちはどんどん遠くへ行ってしまった。
見えなくなってしまったから見ないのか、見なくなってしまったから遠くへ行ってしまったのか、星はなんでも知っているけれど、こたえは遥か闇夜の中。

40過ぎともなると大概のことは経験してきた。
あんなこともこんなことも、人が喜んでくれることも困らせてしまうことも、いっぱいいっぱい。
自分を信じて生きてはきたけれど、自信がなくなったり不安になったときに、僕はいつも夜空を見上げてきた。

東の空におばぁちゃんの笑顔をみつけたとき僕は8歳に戻っていた。
万引きをした僕を、怒るのではなく、すこしだけ哀しみを滲ませた笑顔で諭すおばぁちゃんの顔。
「人の物を盗って喜ぶ子が、人に物を盗られたらどんな気持ちになるんやろね」
おばぁちゃん、僕、もうしないよ。僕の中で僕が生まれ変わる。

霧にけむった北の空に親友のシンヤがいる。
死んだときと同じリーゼントにくわえタバコ、口元ゆるめて横目で見てる。
「自分を強く見せるために人を傷つけるやつは、いちばん弱い人間だ」
殴られても裏切られても人を傷つけなかったシンヤが、夜空でキザに笑ってる。
俺、もうぜったいしない。唇と瞼を腫れ上がらせたシンヤの笑顔が僕を生まれ変わらせた。

一生懸命やってきたことに人が喜んでくれたとき、とても幸せな気持ちになった。
月のとなりに月よりでっかいおやじの顔が、生きてるときにはあまり見たことない笑顔がある。
はげあがった額からは強烈な光りが放たれてる。
「生きてる間に褒めてやりたかったな」
死んでからの方が照れくさくなくてよかったよ。

褒められるためにやるのではなく、自分自身に一生懸命になれたことに、月のとなりでおやじは笑ってくれたのだろう。
さっきよりすこし自信が湧いて、僕の中で僕は生まれ変わった。

見上げてごらん、夜の星を。
たとえ星の輝きがなくても、そこでは大切な人たちや想い出の数々があなたを照らし続けてる。
もう会えなくなってしまったあの人が、あなたの中であなたを生まれ変わらせる。
夜空との対話の中で毎日生まれ変わってゆくあなたが、やがて天に昇ったとき、
あなたの輝きと向き合う誰かのなかで、あなたもまた生き続ける。
九ちゃんの笑顔が途絶えることなど、未来永劫ありえないのだ。


THE FREE PAPER R



「ROCK'N ROLL」



夢なんてたいてい叶わないもので、夢をもった瞬間から挫折を余儀なくされるものである。
小学校の卒業文集で書いた将来の夢が絶対に叶わないのは、夢を持つことは大切だけど、やがて大人になって夢がかなわないと知ってからの人生の方がもっと大切なのよという教えにほかならない。
卒業文集で書いた夢が叶いっこないと思いはじめたころ、いつしか夢は恋とすり替わる。
はじめて重ねたくちびるに経験したことのない衝撃が脳天をかけめぐり、明日からの人生はそのコと一緒にいることがすべてとなる。とろけるような甘さとせつなさ。喧騒のなかでも聴こえる胸の鼓動。ドキドキと言う心拍音が好き好きと言っているようでしかたない。
だけど恋は儚くいつしかあのコは他の誰かの元へ。僕に残されたものは僕を苦しめる思い出と出口の見えない明日からの人生。
もうぜったいに人なんか好きにならないと固く心に誓ったあの日からわずかひと月、僕はそれまでとは違うあのコのことで心の筋肉がちぎれそうになっている。
恋なんてそんなものだ。ずっと想い続けていればいいというものではない。
あたらしい恋をしたら、昨日までの恋にさらりと別れを告げればいい。
女のことだけ考えていたら、いつしか僕は社会の扉の奥にいた。
恋は順調。仕事はどうだ?夢はどこいった?
恋のはじめは盲目だ。一緒にいられるだけでとてもHAPPY.だけど鮮度をなくした果実はその渋みだけを口元に運ぶ。
「ねぇ、あなたの夢ってなんなの? 収入はどれくらい? どんな家に住みたいの?」
卒業文集で書いた夢のレールから大きく外れた今、明日はあるけど夢などない。
職業とカネで男を評価され、耐えられず選んだ孤独の道。
手にした缶コーヒーが俺の心をネズミ色に染め抜いた。
夢ってなんだ?叶わないことが夢なのか?夢がないとダメなのか?
だけど俺は生きて行く。夢もないし好きな女もいないけど、死ぬ理由もないのでとりあえず生きて行く。
パイロットとか野球選手とかハリウッドスターとか、とんでもないところから始まった俺の空には東から登った希望がため息へとかたちをかえて西の方へと沈んでいく。
今までどれほどの夢を抱いたことだろう?
今まで何人の女を好きになったことだろう?
今までどれだけ傷ついて、どれだけ自分をあきらめかけたことだろう?
だけど僕は生きている。思い通りにならないつまらない人生の中で。
反省のない僕はきっとまた小さな夢を持ち、誰かのことを好きになる。
西に沈んだため息も、朝にはまた希望となって立ち昇る。
こんな僕でも息を吸うために生きてるのではなく、生きていくために呼吸をしているのだ。
ROCK'N ROLLとは、つまりそういうことなのだ。


THE FREE PAPER R



「RED」



『痛くてダサくて情けなかった、あの赤い日』

大会新記録に挑戦し、惜しくも失敗した僕の背中には大きな拍手が浴びせられた。右手に包帯を巻いた痛々しい姿が、人々の感情を拍手に変えたのだろう。あたたかく心地よい拍手の中で、ある一方からだけ放たれるピリッと背中を射るような鋭く痛い視線。父親だった。その痛い視線の理由を聞かされ教えられたたきこまれ、僕はようやく男としてのスタート地点に立った。

ちっちゃな町で何十年かぶりに全国大会に出場した僕は、町中の人たちから注目されていた。1週間後に行われる市の陸上競技大会でも連破と新記録は間違いないと、僕をふくめ誰もが思っていた。
そこへ突然のアクシデント。技術家庭科の授業中に、不慮の事故で僕の右手の中指が第一関節あたりから爪ごともろとも千切れてしまったのだ。指先から吹き出す鮮血が純白のワイシャツを真っ赤に染めてゆくのを、どこか冷静な気持ちで見つめながら、ふと思いを1週間後に走らせる。
“だめかも”。痛みと虚しさが一挙に押し寄せた。

骨が剥き出しになった僕の中指は、外科医の手によりなんとか元どおりになったが、爪を剥がされたうえ縫合されたばかりで神経が過敏になりすぎているため、手首をほんの少し動かすだけでも激痛が走る。医者は陸上大会への出場を諦めろと言った。その場では“わかりました”と答えたが、絶対出るつもりでいた。
この状況で出場してヒーローになるつもりだったのだ。

大会当日、僕の怪我は周囲に知れ渡っていて、棄権と決め込んでいた人たちから同情の声をかけられたが、走り高跳びの競技が始まって僕が助走に入ると誰もが驚きの表情を見せた。もちろんあれ以来練習はできず、痛くて触れない腕のせいで跳躍フォームもリズムもバラバラだけど、なぜか勝てる自信があった。それでも練習不足と痛みのことを考え、パスを繰り返した。
参加選手がどんどん失格していくなか、大物を気取ってとりあえず試しに1本クリアした頃にはすでにベスト8が出揃っていた。

優勝を争った他校の選手にとっては未知なる高さを僕は軽くクリアする。
それがプレッシャーになったのかその選手は3回連続で失敗し、あっけなく僕の優勝は決定した。
残るは大会新記録。これを達成すれば完全制覇、たちまちヒーローだ。

英雄への階段を前にして気合いは入っていたが、やっぱり指が痛い。僕は跳躍回数を考えてタイ記録をすっとばしていきなり新記録の高さにバーを上げた。
沸き立つ観衆の中で3分後の勇姿を脳裏によぎらせバーに向かって助走を始めた。
ポロッ。落ちるバーにため息が舞う。
2回目の跳躍も、わずかにバーを引っ掛ける。さっきよりさらに大きなため息。
着地の際、マット上で体の下敷きになった右手中指が包帯に真っ赤な血を滲ませる。観衆の沈痛な面持ちとは裏腹に、僕に痛みの感覚はない。
“集中してる。かならず跳べる”。
そしてラスト3回目の跳躍。
“跳べたっ!”。そう思った瞬間、左の踵がバーと希望を引きずりおろした。
どよめきからため息へ。一瞬のドラマの中で、痛そうに右腕を抱え顔をゆがめながらピットを去る僕は、さしずめ悲劇のヒーロー。鳴り止まない拍手と声援。

新記録達成はならなかったが万来の拍手を浴びた僕に悲壮感はなく、さばさばした気分で帰宅すると玄関には父親が仁王立ちしていた。
「跳べなかったことを怪我のせいにするような真似するな! ばかやろう!」

その日、仕事を休んで大会を観に来ていた父親が包帯に滲む血の色よりも赤い顔をして怒鳴った。喰らったビンタは千切れた指先よりはるかに痛い。
心中をズバッと突かれた俺は、しばらくそこから動くことができなかった。
恥ずかしくて、カッコ悪くて、ダサくて、、、、、、

その日から言いわけをすることだけは絶対やめようと誓った。
それが20歳のときに死んだ父親との無言の約束なのだ。


THE FREE PAPER R




2006/12/04

センチメンタル・コラム 「ポロリ。あの唄、あの匂い…」

2006/08/19

夕暮れ時のミラーボール

2006/08/19

「Reincarnation(輪廻)」

2006/08/19

「ROCK'N ROLL」

2006/08/19

「RED」
このサイトに掲載のイラスト
写真・文章の無断転載を禁じます

Copyright © 2001-2010 MaroonBrand